黙祷を捧げましょう

終戦の日0001

先の大戦の終結から 29回目の夏。

本日は、終戦記念日ということで、熱闘を繰り広げられている甲子園でも、正午には試合を停めて 黙祷を捧げます。

小生も、ベトナムで仕事をしていたとき、ちょうど終戦記念日だったときは、日本時間の正午に当たる 午前 10時に、仕事の手を止めて 一分間の黙祷を捧げたことがあります。

ちなみに、ベトナムの対日戦勝の日は、日本からの独立記念日として、9月 2日に「国慶節」として祝います。

もちろん、どこかの国のように、日本に戦争に対する「謝罪」や「補償」を要求し続けたりはしません。

このように、戦争記念日は、互いの犠牲者に対して祈りを捧げる日です。
安倍総理には、靖国神社に臆することなく参拝願いたいところですが、残念ですね。
靖国を政治問題化しているのは、もしかしたら日本かもしれませんね。

( 写真は、今朝の『静岡新聞』の切り抜き )

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「巨人」と「奥さん」

「室」とはPhoto

前回の「巨室」の続きです。
今回は「室」という字に迫ってみましょう。

各種 辞書辞典で「室」という字を調べてみると、それは「部屋」ということで、家の奥の間、寝室を意味しているようです。
さらに「穴」とか「箱」という意味もあるようで、それを人に譬えて「正室」「奥さん」「夫人」「家内」と呼ばれる女性を意味しているようです。
『刑事コロンボ』では「カミサん」と呼んでいましたね。
小生は「妻」のことを「家内」と呼んでいますが、それは差別用語で使ってはいけないらしいのですが、小生は「言葉狩り」には反対なので、敢えて「家内」という字句を使っています。
しかし、心の中では 刑事コロンボのように、カミサん・・・いえ「神さま」であります。

そういえば、神社でもご神体は本殿の奥に祀られていますね。
そうしたいみでも、カミサんは奥に鎮座しているもののようです。
拙宅の「家内」の今の様子を見ていますと、台所の奥で、煎餅を食べています。
どうやら、おかげさまで健在であります。

ちなみに拙宅のカミさまは、対外的には小生のことを「主人」と呼んでいるようです。
これも「逆差別」用語として禁止されているようですが、「家内」は平気でその字句を使っています。
しかし、心の中では小生のことを「主人」と思っているのでしょうか ?
実生活をみていると、小生は「主」というよりも「僕」みたいな感じです。

そういうわけで「巨室」の「室」は「室家」 (シッカ) という意味であるようです。
つまり「家」ということですね。
なお、「室」に第二義の「奥さん」という意味がるからと言って、「巨室」に「ビックワイフ」という意味はないようです。

さて、「巨室」とは「代々栄えている家」ということで、その「家」の創始者がいたはずです。
英語では創始者のことを「builder」「founder」というそうですが、とくに「巨室」の創始者のことを「ジャイアント」と呼ぶことがあるようです。

・・・そうです、ジェームス・ディーン主演の映画「ジャイアンツ」ですね。
確か「石油を掘り当てた使用人」の悲哀の物語でした。

セレブになるにはジャイアントにならなければならないようです。
そのジャイアントになるには人並みはずれた「強運」や「努力」が必要のようですね。

その「巨人」がさらに「巨室」を築くには大変なことであることを、この映画は示していると思います。
成金になっても、それを「累代」にするということは、個人の資質だけの問題ではないということでしょう。

そういうわけで、「巨室」を維持しているということは、創始者の努力は勿論ですが、それを維持する「守勢者」の努力も並なものではないということですね。

そうした「巨室」に必要な条件のひとつが「内助の功」。
つまり、奥さんの支えですね。これがなければ、家が続きません。
逆に、セレブの奥さんが放蕩な生活をしたら、その家はいっぺんに没落するでしょう。

そういうわけで、やはり「巨室」の「室」は、それを支える「奥さん」の存在を表していることは間違いないでしょう。
そういう意味では、「グレートワイフ」「グレートマザー」が「巨室」には必要不可欠ということでしょう。

次回は、こうした「セレブ」が集まった「サロン」「クラブ」「パーティー」について記してみたいと思います。

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巨室

セレブではない

拙宅とは全く関係のない世界のお話であります。
「富豪」のことを「セレブ」といいますね。
そんな話題に挑戦したいと思います。

さて、小生が子供の頃は「百万長者」という言葉があって、資産が百万円を超えていたら長者様と言っていましたが、現代は「億万長者」に替わったようです。
最近の高齢者は、1億円の資産を持っている人はザラにいて、現代でお金持ちで裕福な家とは 百億円ぐらいの資産を持っていないとそう呼ばれないようです。

そんな裕福な家のことを、かつては「巨室」 (キョシツ) と記し、「大家」 (タイケ) あるいは「巨家」 と同義語で使っていたようです。

今回は、その「巨室」について調べてみました。

そこで、大修館書店の『広漢和辞典』みると、「巨室」とは・・・

① 大きな家屋、大きな宮殿
② 祖先代々君に仕えている家がら・・・と記され、『孟子』の例文が添えられていました。

次に、インターネット辞書 『デジタル大辞泉』で「巨室」をみると、「巨室」「鉅室」とあり、その意味は

① 大きな家、部屋
② 勢力のある家 ・・・と記され、『泰西国法論』の例文が添えられていました。

そこで、鍛冶屋である小生は「鉅」という文字に着目してしまうのですね。

「鋸」とは「巨」のように「おおきい」と意味がありますが、ほかにも「非常に硬い」という意味があるということで「剛鉄」つまり「鋼鉄」、物差しの材料の性質を指しているのですね。

そこで、あらためて「巨」という字を『広漢和辞典』でみると、「さしがね」という意味がありました。
これは、寸法を測るため、あるいは直線を記すための道具という意味よりも、心のさしがね、つまり「契矩」(ケック 真心を基準とすること) という意味にあたるようです。

そうして あらためて「巨室」をみると、「代々勢力を守っている家」ということで、すぐに没落してしまう家のことではなく、永続性のある「手本となる家」という意味があることが分かります。

つまり「巨室」とはたんに「セレブ」とか「財閥家」を指すのではなくて、本来は「代々栄えている家」という意味ですね。

しかし、実際には「長者三代続かず」といわれるように「代々栄える家」を実現することは至難のことみたいですね。
結局、代々栄えていた家とか、代々君に仕えていた家が次々と没落したり断絶したので、「巨室」という意味も本来のこうした意味から離れて、単純に「大きい家」を構えている「富豪」とか「権力を持った家」ということになったようです。

そこで、戦前では「財閥」が「巨室」にあたったのですが、戦後では利権のある家が「巨室」ということになるのですが、現在は「巨室」なんて言葉を使う人は皆無だと思います。

そもそも日本には他家を見本とする習慣はなく、本家を尊重する習慣がありました。
したがって、家督制度があっても「巨室」という言葉を使う機会が日本には少なかったという背景があると思います。
しかし、さらに現在では「家」そのものの観念が薄れ、個人主義に固執していますから「巨室」なんて言葉に出会う機会はないわけですね。

そうして、日本はすっかりバラバラな国になってしまった感じですが、それでも団結した家は確かに今でも存在し、そうした家はちゃんとしています。

本日は、このぐらいで失礼します。
次回は、その「巨室」の「室」・・・について考察してみたいと思います。

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守護霊との対話

すごいアイデア

その昔、修験者が、死後の世界の人を呼び出して、その霊を自分の体内に取り入れる・・・。
そんなバラエティー番組を観たことがあります。
特に印象的なのは、亡くなったプロレスラーである力道山の霊が乗り移って、遺族と対話するシーン。
まるで、本物の力道山が現れたような迫力がありました。
でも、子供だった小生には、ウソッパチだと思いました。

それから数十年経った、本日。
平日なのに、ある宗教の布教者が、拙宅に来ました。
キリスト教系の宣教師 ( 伝道師 ? ) などは、日曜日などの休日に来ることが多いのですが、この布教者は、平日の昼休みに訪れてくるのですね。

なんでも、幸福を科学しているようです。
それなのに宗教だといいます。

その宗教の総裁は、なんと、前述の修験者のように、他人の守護霊と対話が出来るそうです。
その人が対話できる守護霊とは、死んだ人ばかりではなくて、現在生きている人の守護霊とも対話できるというのですから驚きです。
彼は、天照大神から、今話題の、NHKの新会長 籾井勝人さんの守護霊と対話してきたそうです。

一般の宗教の場合は、神の啓示、天啓に導かれるケースが多いのですが、この人は、他人の守護霊と会話できるというのですね。
問題は、他人の霊と対話するのではなくて、他人の‘守護霊’と対話するということ。

つまり、対象は本人ではなくて‘守護霊’なんですね。
つまり、つまり、本人の本意とは限らない。むしろ、関係がない。
そういうわけで、創作自由な世界です。

でも、「NHKの新会長 籾井勝人守護霊が大いに語る」と題して、「本人の『本音』を聞き出した。」とあります。
しかも籾井氏の写真まで掲載されていると、まるで籾井氏本人が語っているかのような印象を受けますね。
もちろん、ここでいう「本人」とは、籾井勝人氏本人ではなくて、籾井勝人守護霊本人ということですから、ややこしい話です。

この宗教の総裁のアイデアはスゴイと思いますが、実際に守護霊とされた当人たちは、迷惑ではないでしょうか ?

とにかく、その総裁がインタビューしたとされる守護霊は、スゴイ人のものばかり。
プーチン大統領とか、俳優の堺 雅人さん・・・。。。
創価学会の池田大作氏の守護霊まで招いてしまったようです。

ところで、本当に、そんなことをして良いものなんでしょうか。

そもそも、その守護霊なんてものがあるのでしょうか。
もしあったとしても、その所有者は誰のものなんでしょうか。
さらに、そんなことをして、名誉毀損にはならないのでしょうか。
法律的には、どうなんでしょうか ?

その宗教の総裁は、 2012年には今上陛下の守護霊とインタビューしたといいますが、守護霊とはいえ今上陛下まで持ち出すことには、小生は嫌悪感を強めます。
日本の皇統まで取り入れるとは、恐れ多いではないですかね。

その宗教の総裁に、自分の守護霊を招霊されたどの人も、相手にはしていないようですけど。
いちいち反応することすらバカバカしくて、関係を持ちたくないのでしょうね。

そうした総裁の発言には呆れるばかりですが、その総裁の発言を信じる人がいるというのも、驚きですね。

関わりたくない団体です。

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ここでも、マスコミの世論誘導

百田氏の選挙応援演説

現在、大ヒット中の映画『永遠の 0 』の著者である百田氏。

その彼が、都知事選の応援演説で、「南京大虐殺はなかった ! 」と正論を発していたようですね。

その様子を日本のマスコミが見ると「NHKの経営委員でもある百田氏が持論を展開。波紋を呼んでいる。」ということになるそうです。

今朝の『静岡新聞』も、そのことを取り上げ、まるで百田氏が問題発言をしたように煽っています。

NHKの経営委員であっても、特定の候補者を応援表明しても、またそこで私的な見解を披露しても、放送法には触れず、全く問題はありません。

ところが、法に触れないからといって、やってはいけないこと、言ってはいけないことがあるようで、百田氏の言動は「公共放送の政治的中立に疑問を抱かせかねない態度で議論を呼びそうだ・・・」と、『静岡新聞』は記している。

小生は、そうした議論を意図的に誘導しているのはマスコミではないかと思うのです。

百田氏の発言は、事実を言ったまでで、中立ではないとか偏った考え方というものではありません。

日本国内に、南京虐殺があったという意見を持つヒトがある程度多数いれば、それは問題になるかもしれませんが、南京虐殺という問題は、中国当局の一方的な喧伝であることは間違いなく、むしろ、それ自体が正当性を欠き、中立から逸脱しています。

それなのに、百田氏の発言を敢えて取り上げ、それを問題化しようとするマスコミの姿勢にこそ問題があり、中立性を欠いていると思います。

『静岡新聞』には、あらためて猛省を求めたいと思います。

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普天間第二小学校の怪

児童をたちを‘盾’にする沖縄市民

現在、沖縄の普天間基地に、大型輸送機 オスプレイ が実戦配備されるというとで、沖縄は大騒ぎになっていると報道されています。

すでにご存知の通り、この新型輸送機 MV22型 オスプレイという輸送機は、プロペラ飛行機とヘリコプターを折衷したような構造で、両者の利点を活用している反面、墜落事故も多いといわれています。

そこで、市民団体が普天間基地への配備にたいして猛烈な反対運動を展開している様子が、テレビでも映し出されています。Photo

具体的には、普天間基地に隣接する小学校や幼稚園の様子が映し出され、子供たちが危険な目に遭っていると報道しているのですね。

そこで、どうしてこんな危険な場所に普天間基地を作ったのか疑問に思ったので、調べてみました。

すると、事態は‘逆’であることが分かりました。

実は、普天間基地は、太平洋戦争中の沖縄戦のさなかに建設されたと言うのですね。
つまり、昭和 20年に現在の宜野湾市にアメリカ軍によって作られたものなんだそうです。

その後、昭和 44年に、学校の南側フェンスが基地と隣接するように、普天間第二小学校が建設されたのです。
これは、沖縄が日本国に復帰する 3年前です。
つまり、普天間第二小学校は、基地が作られてから 24年後に作られたのです。
その間には、朝鮮戦争やベトナム戦争にも活用され、轟音が響き渡っているところに遭えて小学校を建設したのですね。

なぜ、そんなところに小学校を建設したのでしょうか ?

そして、昭和 57年には、その小学校グラウンドフェンスから二百メートルもの近くの基地内に米軍ヘリが不時着、炎上するという事故が起こりました。
そこで父兄たちは、もっと安全な場所へ移転して欲しいと望んだのでした。
そこで、当時の宜野湾市長はその父兄の声に応え、代替え地を探します。
しかし、なかなか見つからないので、直接米軍に交渉したのでした。
その結果、約1キロ離れた米軍家族用の軍用地のうち八千坪を校舎用に日本に返還することが決まり、防衛施設庁との協議で移転費用も確保したとのことです。

一地方自治体の首長に過ぎない市長さんが、米軍と話をつけ学校建設地を確保し、さらに防衛庁と話をつけ建設費用を確保をしたのです ! !

この市長さん、凄いと思いませんか ?
ところが、矢は背後から飛んできました。
市長さんの尽力で、移転されるはずだった普天間第二小学校。
実際は、移転出来ませんでした。

それは、米軍基地反対運動をする市民団体が、小学校の移転に反対したのです。
つまり、小学校の移転は普天間基地の固定化につながる・・・というのがその理由。
こうした市民運動に対して、小学校の教員らは黙認していたというのです。

その後、平成元年になると、普天間第二小学校の老朽化が問題になり小学校の移転話が再燃したのでした。
つまり、校舎のコンクリート片が落ちてくるようになり、子供たちが怪我をする可能性があるということでした。

ところがこの時も、基地反対派の市民団体は「移転せずに現在の場所で改築すべきだ」と主張したのでした。

このようにして、沖縄における基地反対運動の象徴が‘保存’されているわけです。

つまり、市民団体も、日教組の先生方も、普天間第二小学校の生徒たちの命よりも、反対運動の象徴の保存のほうが優先すると考えているのですね。

そういうわけで、この日本一危険な小学校は、実は、沖縄の市民団体によって作られ、維持されているといっても過言ではありません。

こうした話は本土の人達にはあまり知られてないようですが、沖縄の人には常識になっているそうです。
つまり、沖縄の市民団体は確信犯なのかもしれません。

このような活動をしている市民団体が、実際の沖縄県の方なのか、よくわかりませんが、小生は、市民団体といわれる方に、地元の方の参加は思ったより少ないものと思っています。

こうした市民運動をしている人は、本当は誰なのか、知りたいと思いませんか ?

また、基地よりも後から来たのに、その補償金を獲得している沖縄市民の意識にも疑ってしまいます。
その補償金は、われわれの血税から出でいるのですよ。
なぜ、そんなところに わざわざ家を建てるのですか ? ? ?
まさか、補償金目当てに、基地周辺に引っ越してきたのではないでしょうね ?
以前は、豊かな畑だったところに・・・。。。

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立川雲黒斎家元勝手居士

菩提寺から‘破門’

落語界の風雲児、立川談志さんのお別れの会の様子が報道されました。
破天荒な人生と同様に、お別れの会も凄かったようですね。

さて、戒名を自分で勝手に付けていた談志師匠。
それが、立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)。

生前、自分で決めていたようですが、そもそも戒名とは菩提寺の方丈さんがつけるもの。
ましてや「ウンコクサイ」なんて戒名ではダメだ・・・ということで、予定されていた菩提寺から締め出されたそうです。Photo_2

この「雲黒斉」という名は、アニメ映画「クレヨンしんちゃん」でも出てきますね。(イラスト)

最後の最後まで、談志師匠は破天荒でした。

ところで、こんなポスターを見つけましたよ。。。。

Photo_3


ご、ごめんなさい

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鮭節

飲み屋で生まれた新商品Photo_2

今朝、NHK のテレビ番組『たべもの一直線』では、北海道の新しい名産品「鮭節」を紹介していました。

この「鮭節」とは、「鰹節」とか「鯖節」と同様に、鮭を原料にした 削り節のことで、グルタミン酸という旨みの成分が非常に豊富だということです。

なんでも建築業を営んでいた田村さんという人が、飲み屋さんで異業種の友人たちと話しているうちに 夢が現実となったものなんだそうです。

そういうわけで、田村さんは北海道から、鰹節の本場 焼津で修行をして、その技術を活かして 鮭節 の開発に臨んだそうです。

脂の多い魚は 削り節になりにくと・・・と、言われていますが、あらゆる難題を異業種の酒飲み仲間と一緒に解決して、遂に、製品として世に送り出しているということです。

特に、出汁をとるときは、鰹節 7 に 鮭節 3 の割合で調合したものが非常に美味しいということです。

また、この鮭節を使ったラーメンも人気なんだそうですよ。

小生も、この鮭節を試食したことがありますが、非常に美味しく、これだけでも十分に酒の肴になると思いました。

また、ご飯に鰹節・・・という「ねこまんま」というのがありますが、鮭節だけでも十分にご飯がいけてしまいます。
是非、ご賞味を。

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大阪の知事と市長が国歌斉唱

ボクシングのリングの上でPhoto

いゃ~、ビックリしましたね。

今晩、テレビのボクシングの試合を観ていたら、松井一郎 新大阪府知事 と 橋下徹 新大阪市長とが、リングの上で並んで国歌斉唱をしているではありませんか ! !

上手下手は抜きで、これは良いことだと思いますよ。

日本国民、その代表格である知事と市長が、二人並んで国歌を高らかに歌う。
しかも、歌手としてですよ。
大阪は盛り上がっていますね。

(でも、やぱり、もう少し練習してきてもらいたかったかな・・・)

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プール制を採っている 桜えび漁

究極な共産主義経済Photo

値がつかずに困ってしまっている静岡県の特産 桜えび

この桜えび漁は、世界にも類を見ないプール制を採っています。

それについては、この記事を読んでください。 ←

つまり、漁の分け前を均等に分けるシステムなのですね。

たくさん獲ろうが、少し獲ろうが、休もうが、3つの漁協に所属する 120隻の船全部に、その日獲れた漁獲量を均等に割り振るのです。

具体的に言うと、予め、実際に獲る船を決めておきます。
獲らない船は、一応、港に待機するのですね。

そして、その夜に獲れたすべての桜えびは、港で待機していた船とともに海上で均等に配分されて、そうして一斉に入港するのですね。

つまり、一生懸命働いても、テキトーに働いても、富は均等に分配されるという共産主義経済なのです。

旧ソ連は、一生懸命働いても、テキトーに働いても同じなら、テキトーに働こう・・・ということになって国が崩壊しました。

しかし、日本人は、基本的に働き者なので、職場に出れば本能的に一生懸命働いてしまう国民性なのですね。
だから、こうした共産主義経済が成立するみたいです。

こうして管理されたプール制という漁法は、資源確保と価格の安定化に寄与してきたのです。

ところが、近年、その駿河湾の桜えび 富山の白エビ とともに 全国的に紹介されると 注文が殺到。
一気に、値が吊り上ったわけです。

しかし、それは一過性のブームということなんですが、実際に漁をする人は、その味が忘れられないようです。

つまり、バブル期直後の日本みたいなものです。
バブル期の味が忘れられず、「もしかしたら・・・」と、その再来を夢見たものでした。

今の桜えび漁は、そんな感じではないでしょうか ?

実際には、また、元の値段に戻ってしまったわけですね。
しかし、獲る側としては、本当の桜えびの価値は、もっと高いと思いたいのではないでしょうか。

それが、最低価格 (指し値)の設定になってしまったと思うのです。
しかし、漁民が希望する最低価格と、実勢価格とは大きな開きがあったのですね。

そこで、最低価格の設定をするのなら、いっそうのこと定価を決めてしまったらいかがでしょうか ?
そうすれば、「プール制」とともに「定価」ということで、完全に価格が安定すると思いますよ。

つまり、定価だからといって たくさん獲って儲けようとしても、プール制があって 予定漁獲量を決めてしまうのですから、それが出来ないわけですね。

もちろん、定価と言っても毎年変動していて、経営者と組合側がその年の賃金を決めるように、売り手と買い手が、予め、その年の価格を決めてしまうのです。

そうすれば、こうした「不成立」などという問題は起こらないし、末端消費者にも分かりやすいと思います。

とにかく、桜えびを希少価値にしてもらいたくはないですね。
かといって、「ながらみ」みたいなことになってしまったら、困ります。

もちろん、実際は、そんなに簡単なものではないでしょうが・・・。

【追加】

そんなことを記していたら、この問題で、漁業者側が最低入札価格の設定を取りやめることで合意したそうですよ。
2日の話し合いで、漁業者側が最低入札価格を取り下げる一方、新たな試みとして進めている活きエビの活用に関して、仲買人側でも協力するということで合意したようです。
売るほうも買うほうも、協力して良い方向に向かってもらいたいですね。

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