なぜダメなのか・・・
本日は、文化の日です。
今の日本国憲法が公布された日です。
この、日本国憲法の理念の三大柱が・・・
- 主権在民
- 基本的人権
- 戦争放棄
・・・と、中学校の時に教えてもらった記憶があります。
さらに、当時の社会科のセンセイから、「日本は戦争をしない国だから、外国から攻められることはない・・・」という解説まで戴きました。
暴力反対、無抵抗主義が、人として最高の理念であると言うのですね。
戦争体験者も、「戦争なんて絶対してはいけない。あんなことをするのなら、最初から負けたほうがよい・・・。」と、異口同音に言います。
確かに、暴力に遭うのは嫌ですし、それによって殺されるのは もっと嫌です。
しかし、現実の社会では、日本でも親が子を殺し、子が親を殺し、学校・会社・地域でも イジメ が横行しています。
先日も、通行人が通り魔に殺されました。
交通戦争では、沢山の人が 毎日 死んでいます。
暴力が嫌・・・だと言いながら、家庭でも社会でも暴力があるのが現実です。
これは、良いとか悪いとかの問題ではなくて、人間には本質的に「善と悪が混在している」証拠なんですね。
その人間の本性でもある「悪」を 否定・抹殺 することが果たして可能なことなのか・・・。
それは、つまり、自分自身が、完全無欠の善人になれるのか・・・という問題と同じだと思うのですね。
自分には悪があるのに 他人の悪を否定したり憎むことは 矛盾していないか・・・と、小生は 平和主義者らに問いたいのです。
暴力のない 平和 な 理想世界の実現・・・は、人間の本性に「悪」がある限り、それは無理な話だと思います。
それよりも、悪の存在を認めて、それとバランスよく向き合うことの方が現実ではないでしょうか ?
平和主義者の人たちの意見を聞くと、まるで宗教の信者のように、自分の理念に固執しているように思います。
自分の考え方が 唯一正しくて、高邁な自己思想に酔っているような印象さえ受けます。
そして、暴力や戦争を非難しています。
ところが、ご自分の「否」については、全く話しません。
恐らく、ご自分には「否」なんて無い・・・と、お考えなんでしょうか ?
小生も、戦争も暴力も嫌です。
爆死するなら畳の上で死にたいです。
しかし、残念ながら、自分の死を選べないのが人間の現実ではないでしょうか ?
そして、そうした死を選べなかった先人・先輩のお陰で、今の世の中があることも事実だと思います。
今の世界は、政治も経済も、力学的なバランスで均衡を保っている・・・という現実があります。
軍事勢力なんて、特にバランスが大事だと思います。
日本の政権が民主党に代わり、自他共に認める「柳腰外交」によって、政治的な外交バランスが崩れると、即座に、隣国たちは反応して、日本の主権を脅かしています。
尖閣諸島にしても北方領土にしても、中国やロシアは、日本の外交に舐めてかかっています。
島根県の竹島には、1954年 7月から、韓国軍が実効支配しています。
そこで自民党は、平和憲法では主権は守れないと言うことで、憲法改正の理念の下、1955年 11月に結成されました。
そして、平和憲法という足かせがありながら、憲法の拡大解釈を重ねて、現実的な対応をしてきたのですね。
ところが、民主党政権に替って、そうした対応を怠ったために、一気に、外交的に攻め込まれています。
そして、次に、軍事バランスが崩れた時に、戦争が始まるのですね。
その戦争をするのかしないのか・・・を決めるのは、日教組のセンセイ方をはじめとする 平和主義者ではないのです。
相手方が攻め込んできたら、そこで戦争が始まるのですね。
人類の歴史は、戦争の歴史です。その歴史は、今の日本でも続いているのですね。
戦後、何万人もの漁民や自衛隊員がその犠牲になっているのですが、そのことを知らない、あるいは知ろうとしない日本人が多いのに驚いています。
こうした現実を、日本人として知る必要があると思います。
【参考】
近年、ロシアの警備艇の発砲で、日本の漁師が亡くなりましたが、そうした漁師の災難は今に始まったものではありません。たとえば・・・
李承晩ライン(李ライン)
1952年、韓国の李承晩大統領が行なった、一方的宣言によって規定された領海水域。 同宣言により朝鮮半島周辺(最大二百マイル)の水域内に存在する、すべての天然資源、水産物を利用する権利を主張した。日本側はこのラインを認めず、結局65年の日韓漁業協定で李承晩ラインが廃止されるまで、韓国軍による日本漁船の拿捕が続いた。
李承晩ライン廃止までの抑留者数・拿捕された船の数および死傷者数 。
抑留者数:3929人
拿捕された船の数:328隻
死傷者数:44人
死者の中には、娘が生まれたばかりの若い漁師も居た。
赤ん坊は、生後数ヶ月で父を殺された。
抑留された被害者は、日韓漁業協定が成立する1965年まで抑留され、韓国に人質として利用された。 その年月、最大13年。
日本政府は、彼らを帰してもらうために、在日朝鮮人の犯罪者を仮釈放して、在留特別許可を与えた。その犯罪在日朝鮮人の数、472人。
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