今日から、裁判員制度

官僚型裁判から国民参加型へ

今の裁判官が「官僚」であるかどうかは議論の余地があるかもしれませんが、小生は、日本の裁判官とは、官僚の中の一つの‘特別職’あるいは‘専門職’という認識を持っています。

ですから、官僚の偏った判断から、国民の常識を取り入れた新しい司法制度に、小生は期待しています。

それから、裁判官は「判断のプロ」と言い、判断の素人である国民が裁判に携わることには不安が残るといわれています。

はたしてそうでしょうか。

小生は、人生とは「判断の連続」だと思います。

「この人は信用できるだろうか」「子供は何を訴えているのだろうか」・・・。そんなことを考えながら我々は生活しているのだと思います。

そうした体験の蓄積が、均整の取れた常識判断力として培われていると思います。

ですから、一般国民も「判断のプロ」と言っても過言ではないと思いますから、一般人が裁判に参加する資格は十分にあると思います。

反面、人生経験の浅い子供の目による純真な心での判断力も、必要になる場合があるかもしれません。

たとえば、自衛隊も、この裁判員制度も、現行憲法に照らし合わせてみれば「憲法違反」でありましょう。それは、条文をそのまま解釈して判断すという「基本姿勢」の立場から判断すれば、そういえると思います。

しかし、現実的な社会生活では、自衛隊は必要不可欠な存在ですし、法曹界に国民のコモンセンスが導入されることも必要なことだと思います。これは子供の目による「基本姿勢」にたいして大人の目による「応用姿勢」と言えるかもしれません。

このように、これからは今までよりも広い視野で、司法判断が下されるものと期待します。

とくに、この裁判員制度で期待することは、民意の反映とともに、裁判の迅速化です。ですから、裁判員に選ばれた方の負担は大きいでしょうが、裁判員制度などの司法制度改革は国民のかねてからの悲願でありましたから、国民の責務として頑張っていただきたいと思います。

また、マスコミには不必要に裁判員を煽るような報道は控えるようにお願いしたいと思います。

| | コメント (6) | トラックバック (0)
|

憲法の矛盾 -2

生まれながらにして・・・

前回に引き続き、今回も「憲法」談話をしたいと思います。

さて、小生は 50歳を過ぎた オッサンです。家内や娘に言わせれば、甲斐性なしのスケベオヤジというところのようです。

そして、その小生の同級生をみれば、事業が成功している者もあれば、医者や弁護士になった者もいます。身分が安泰な公務員もいれば、リストラされて失業中もいます。

そんなわけで、生まれた時や義務教育など、おなじラインでスタートを切っても、同窓会などで会った時は、そうとうな差が開いていることに気がつきます

そうした‘結果’は、本人の努力も大きいのですが、家柄など、本人の努力以外の要素も否定できないとおもいます。

よく、人間は生まれながらにして「自由」で「平等」なんていいますが、もちろん現実を見れはウソです。

猫だって、人間に飼われて大切にされているのもあれば、野生として厳しい環境を生き抜いているのもあります。

たとえば、小生の幼なじみの村長のドラ息子は、綺麗な嫁さんを貰い、そのバカ息子には金を掛けて大学に行かせ、コネで県庁の職員になっています。

一方、小生なんて、( 一応 ) 綺麗な嫁さんを貰い、息子は高卒で、スーパーに勤めています。

そんなわけで、村長のどら息子の息子と、小生の息子とでは、同じ人間として生まれても、生まれながらにして大きな差があります。決して平等ではありません。

どうやら世の中には、金持ちの家もあり、貧乏な家もあり、権力者もあり、そうでなかったりで、さまざまで、その程度に応じて「自由」や「権利」があるようです。

ところで、日本国憲法の 第 25条によれば、日本という国家は、国民に対して最低限の生活を保障しているということになっているようです。

そこで、日本国民として生まれてくれば、何もしなくても「生存」が保障されている・・・なんて解釈をする人がいます。

しかし、働かなくて学ばない人 ( たとえばニートみたいな人 ) に、生きる権利なんてあるのでしょうか ?

今、日本には およそ 80万人の ニート がいるそうですね。つまり、働く意思も学ぶ意慾もない人が 80万人もいるそうですよ。

その 80万人は、どうやって食べているのでしょうか ? なんと、親のスネをかじり続けているそうです。その親が働けなくなって年金暮らしになっても、更にその年金を当てにして生きているのが日本のニートみたいですね。

そんな国が、世界中を見て、日本以外にあるのでしようか ?

また、先の戦争などを通して、在日韓国人や中国人に対して、日本が多大な迷惑を掛けたとして、その生活にたいして優遇措置を与えているそうですね。そうした在日特権と言うものが日本にはあり、その特権は、今だけでなく後の累代にわたって生活が保障されているんだそうです。

たとえニートでもそれなりの生活ができ、更に、外国人に対しても生活の優遇措置をとっている日本。これは、究極な社会主義国ということになるのではないですか。

働く意慾がなくても生きる権利が保障されている日本。こうしてみますと日本の「生存権」とはいったい何なんでしょうか ?

日本国憲法によれば、日本国民には、権利もありますが、義務もあります。つまり、義務を果たしている人、またはその予定のある人に対して、権利を付与しているようです。

つまり、ニートや該当する在日外国人は、日本人としての義務を果たしていないので、当然、権利の主張なんて出来ないはずです。

ところが、ニートにも「人権」があるとし、さらに、在日外国人にも参政権を与えようという動きがあります。

いったい、これは何なんでしょう。

日本国の「人権」って、つまりは「特権」ということなんでしょうか ?

日本人として、ちゃんと「義務」を果たしている人に、「人権」をはじめとする各種権利を保障するのが本当ではないでしょうか ?

小生は、憲法 第 25条は、社会保障を示したものではなく、国家が国民に対してむやみに生きる機会を奪ってはならないということを示したものだと思います。

つまり、国家は戦争などをして国民の命を奪ったり、生活の場を奪ったりしてはならないことを示したもので、平和憲法の象徴ともいえる憲法第 9条に準拠したものだと思います。

そうして考えてみても、この第 25条は実際と矛盾していると思います。

つまり、国家は、国民にたいして命の犠牲をもとめてはならないということなんでしょう。

戦争の苦い体験をした人の中には、「もう戦争なんて沢山。たとえ攻められても応戦しない。」と思っている人もいると思います。

憲法第 25条は、そうした国民の心情に対応した憲法の条項ということなんでしょう。

しかし、実際に、戦争に負けるということは惨めなことで、同様に、戦争をしないで占領され隷属させられるということは、死ぬことよりも惨めなことかもしれません。

つまり、外国に占領されてしまえば、日本国憲法なんてなくなってしまうかもしれません。当然、9条や 25条なんてのも保障されないわけです。

そんなことになったら、憲法の意味がないでしょう ?

小生は、この限りある命ですので、国家のために命を捧げることに躊躇はありません。日本を守る権利があっても良いと思います。

でも、前回の戦争のように、陸軍官僚の虚栄心のために、多くの兵士が無駄に命を落としたことには疑問です。

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

憲法の矛盾 - 1

主権とは・・・

本日は、久しぶりに「憲法」について記してみたいと思います。愚鈍な小生の考えでありますから、賢明な皆様からの ツッコミ を期待しております。

難しい話がお嫌いに方は、軽くスルーをして下さっても結構でございます。でも、そんなに難しく書かないように努めたいと思います。では、始まり、始まり~ぃ・・・。

小生は最近まで、日本という国は、民主国家で、なおかつ資本主義国家であると思っていました。
しかし、最近の NHK の憲法を取り扱ったテレビ放送を観て、今までの感覚が崩れてしまいました。
つまり、憲法の第一条で、日本は立憲君主国家であり、第二十五条で、国家が国民の最低限度の生活を保障するということで、日本が社会主義国家であることを示しているということです。
それは、近代国家のひとつのあり方として評価できますが、しかし、その解釈の仕方によっては真逆の結論に達すると思います。
つまり、立憲君主国家社会主義国家も、それ自体にジレンマあるいはトリレンマを内蔵しているということです。
そこで、この憲法の矛盾について2回にわたって考えてみたいと思います。

まず本日は、日本が「立憲君主制」であるということ。つまり、日本の「主権」についての愚考を披瀝したいと思います。

世界的に観て、日本という国家の政体(国体)は、イギリスと同様に「立憲君主国家」という具合に分類されているようです。
そして、立憲君主国家とは、君主が存在していながら、憲法によって成立している国家で、君主といえども憲法には従う国家体制ということなんだそうですね。
つまり、イギリスの君主は、「女王陛下」。日本の君主は、「天皇陛下」。
ところが、日本には「日本国憲法」という成文憲法があるのに対して、イギリスにはそうした整った「憲法」はないようです。
(しかし、イギリスには年代ごとに憲法が成立していて、その憲法が君主を制限しているようです。)
しかも、イギリスの主権は「議会」ということで、日本の場合の「主権在民」とは異なった考え方です。

そういうわけで、一口に立憲君主制と言っても、国それぞれに違ったものであることがわかります。
そして、君主といいながらも、民主という矛盾を含んだ国家政体(国体)であるわけです。

このように、民主なのか君主なのかわからない「立憲君主制」はそれ自体が既に、ジレンマあるいはトリレンマを含んだもので、
日本の明治憲法昭和憲法にもその矛盾が潜んでいると思います。
つまり、解釈の仕方によっては、あるときには君主が台頭し、また、あるときには民主が台頭するわけです。
それが、明治憲法下では軍部が暴走したり、昭和憲法下ではマスコミが暴走し、国民を不幸に陥れているような感じがします。
このように、主権が偏ることによって、国民をミスリードして、最終的には各種の「戦争」に陥ってしまうと思います。
小生は、民主主義が最高の思想だとは思いません。ある意味では、立派な君主の下なら専制君主制のほうがよいとも思います。
そんなぐあいで、日本の中にもいろいろな考え方をしている人がいて、それはそれぞれに尊重しなければならないと思います。
ただ、どんなに考えることが自由だとは言え、国として国民がまとまることが大切だと思います。つまり、求心力が必要だと思います。
その求心力が、イギリスは「女王陛下」ですね。北朝鮮では国名が朝鮮民主主義人民共和国なんて言ってますが「将軍さま」。中国は「主席」でしょうか。韓国では、退任後必ず在任中の汚職事件で逮捕される「大統領」。ロシアは「大統領と首相の二頭体制」。アメリカは「大統領」というよりもむしろ「正義」でまとまろうとしているように見えます。
そして日本は、万世一系を誇る「天皇」。
このように、主権在民でも、君主とかリーダを中心にまとまることが大切だと思います。
ところが日本のマスコミは、その自国の求心力の切り崩しをしているように思います。
もちろん、報道する立場から、果敢に「タブー」に挑戦することも必要かもしれません。
しかし、最終的には、無党無偏を標榜するマスコミといえども、国益にかなった言動をすべきだと思います。
ですから、日本の天皇を論ずるには、憲法解釈という側面だけでなく、国民感情といいますか、国民が天皇に対して「畏敬」の念を持っていることも併せて論じないと、片手落ちになると思います。

今回は、主権というものを一義的にとらわれないで考えてみました。

つまり、主権在民とは言え、その主権を束ねる要ともいえる大きな「主権」があることを示してみました。

次回は、「生存権」という問題から、日本国憲法の「人権」というものにたいして考えてみたいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

63回目の終戦記念日

アジア諸国では「解放記念日」

本日、8月 15日は、日本では昭和天皇の玉音放送があった日で、事実上の敗戦の日です。この日からアメリカに占領されてしまったのですが、そのお陰で、日本は奇跡の復興を遂げたことになります。

さて、日本が「大東亜共栄圏」として支配していたアジア諸国にとってこの日は、日本から解放された日になりますので、アジア各国では祝賀記念会が開かれています。

韓国では、今年の記念日では、実効支配を続けている島根県の竹島を、韓国領土だと国際社会にアピールしていました。

また、オリンピックが開かれている中国では、例年ですと「抗日運動」が展開されるのですが、今年はオリンピックの開催国という事情に配慮して、大きな解放記念行事は行われないと言うことです。逆に、愛国主義者らによる日本人への攻撃がないように、特別な配慮をし、さらに、本日行われる なでしこジャパン vs 中国 の試合では、日本のために、中国人らによる八千人もの さくら の応援団が組織されたそうです。そうして、中国人らの加熱した応援を制御するんだそうです。

日本では、各地で戦没者に対する慰霊祭が行われました。毎日、熱闘が繰り広げられている甲子園でも、正午の時報を合図に一分間の黙祷が捧げられていました。小生も、近くの公園に建てられている 忠霊塔 に集まり、地区の慰霊祭に参加しました。小高い丘に設けられた石碑には、既に線香や花束が手向けられていました。

こうして、日本は二度と悲惨な事態を起さぬようにと、戦争放棄を世界に誓ったのですが、どうやらそれが裏目に出ているようです。

つまり、外交の最終カードである『戦争』を、憲法上、棄ててしまったので、どうしても強気の外交が出来ず、他国に国民や領土が侵害されても、強く切り出せない状態になっています。

こうした丸腰外交は、勇気ある行為だと自画自賛する日本人がいます。話し合えば必ず解決すると言いますが、相手国にとっては日本が丸腰であるということは、軍事上優位に立つことなので、非常に喜ばしいことです。

残念ながら、人類の歴史は軍事バランスの歴史で、人間に闘争本能がある以上、現在もそして今後も、そうした状態が続くでしょう。

もし、この日の時報に合わせて、世界中の人々が、武器を棄てると約束したとしても、そんな約束は 絶対に守られないでしょう。

それが人間の社会ですから。

終戦の日のたびに、「不戦の誓い」を新たにする日本ですが、それは同時に、外交上の不利を続けるということで、非常に国益を損ねていると思います。

63年間も日本は戦争をしていない・・・と、言う人がいますが、今でも日本は他国に領土を侵され、国民が拉致されたままで、それは、明らかな戦況不利な状態と言えると思います。

「臭いものには蓋」・・・では、済まされないのです。現実の日本を見る勇気が必要だと思います。

平和の維持のためには普段の努力が必要なのです。

戦争の悲惨さを繰り返さないためにも、実際的な憲法にしなければ、日本は、いよいよ埋没してしまうと思います。

そんなことを考えながら、一分間の黙祷を捧げました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

人権擁護法案の問題点

屋山太郎氏 の 意見に賛成

本日、水曜日の『静岡新聞・論壇』欄の執筆者は、政治評論家の屋山太郎氏の担当です。

彼の意見は、小生と非常に波長が合うところがあります。

今週の彼の意見は、再び国会に提出されそうな「人権擁護法案」の問題点を突いています。

その、彼の意見を読んで、次のような感想を持ちました。

日本という国は、非常に人権が保障されている国家です。

日本国憲法 全 103条のうち、実に 30ヶ条が人権に係わるものです。

そこで、さらに、法務省の外局として「人権委員会」を作ろうするのが、この「人権擁護法案」で、人権侵害、人権蹂躙をされている人を救済しようというの名目なんだそうです。

しかし、ここで思い出すのが「同和法」。

あの同和法は、差別されている人を救済しようというのが名目でした。

ところが、実際は、部落解放同盟が合法的に補償金を得ようとするもので、その結果、美しい日本語が「差別用語」として指摘され、日本の伝統・文化が根底からズダズタにされてしました。(言葉狩り)

さらに同和教育によって、無用な平等意識が助長され、日本の青少年らから年上の人を敬う気持ちが失われ、その結果、学校崩壊、家庭崩壊をもたらしました。

そうした動きに対して、文化人らは、愛国心の大切さを訴え、日本固有文化の大切さを明らかにし、保存しようとする運動を展開しました。

ところが、こんどは、解放同盟の運動の続きとして、「人権」をテーマにして、補償金を要求したり圧力を加えようとしているようです。

この『論壇』でも屋山氏が指摘しているように、たとえば、在日北朝鮮の外国人が人権委員になったら、拉致問題にかかわる人に何らかの圧力を加えることが出来ます。

このように、同法案は、裁判所の令状なしに「特別調査」ができると言うことなので、ジャーナリストだけでなく、全ての対象者・法人に、出頭要請、質問、文書の提出、立ち入り検査・書類などの留置処分が課せられる事になり、大混乱が予想されます。

こうして、市民が市民を糾弾するような仕組みを作ってしまうと、国としての統一が希薄になり、解放同盟などは、新たな補償金の請求の根拠となります。

また、官僚の天下り先を増やすことにもなります。

そうした問題が山積する「人権擁護法案」には、強く反対しなければなりません。

人権擁護は、既に、十分に、憲法や法律で保障されているから、これ以上の法律は必要ないと思います。

人権侵害があつたとしても、既存の法律で十分に対応できていると思われます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

論憲、創憲

憲法記念日

きょう、5月3日は、憲法記念日の祝日です。Photo

今年のゴールデンウイークの後半ということで、多くの人は、この日を楽しみにしていると思います。

拙宅の場合、家内も長男もサービス業に従事しているので、こうした日は休めません。各地でイベントが催されているのですが、それを横目で仕事をしている人たちも案外多いようです。

小生の場合は、休みです。そこで、以前は、この憲法の日には「集会」などに参加して、論憲を楽しんだものでしたが、最近は実生活に追われてそんなこともしなくなりました。

それでも、やはり憲法の日になると、関心を持ちます。

ところで、小生は、自民党支持者として長年登録してきております。その自民党の設立の第一目的が改憲です。

今の日本国憲法は、別名マッカーサー憲法とも呼ばれるように、アメリカの進駐軍が中心なって作られたものです。

そのマッカーサーの改憲の目的は、日本を「骨抜き」にするためでした。

つまり、満足な武器もないのに果敢に戦ったその精神力は、アメリカにとって脅威です。その精神力を潰すために、今の日本国憲法を押し付けたのです。アメリカの戦略ですね。

その作戦は大成功をおさめ、今の日本となったわけです。

それではいけないということで、自民党はずっと改憲の機をうかがっておりました。

ところで、日本国憲法が 60年以上も改憲をしないと言うことは、世界的に見ても類のないことです。同じ敗戦国のドイツでは、戦後から今まで 58回も改憲してきたといいます。

どうして日本国憲法が今まで一度も改憲しなかったかと言うと、護憲論者は「理想の憲法だから」と胸を張りますが、そんなことではなく、ただ単に改憲条項のハードルが高すぎるのです。しかも、改憲のための国民投票に関する法律も、昨年、ようやく決まった次第です。(国民投票法)

そんなわけで、一昨年の郵政民営化選挙で、与党が衆院で2/3の勢力を持ったときは、「改憲」が現実的なものになったような気がしましたので、自民党も民主党も独自の改憲案を公表するほどでした。

ところが昨年の絆創膏ならびに年金選挙で、野党が参院で過半数を占めて、一気に「改憲」の気運が消えてしまいました。

しかし、野党第一党の民主党は、かねてから「創憲」を掲げていて、少なくとも護憲ではありません。

ですから、いまでも自民党との大連立が見え隠れしているわけです。

いま、ねじれ国会で、官僚のていたらくが露呈されていますが、しかし、自民党・民主党がにらんでいるのは、「改憲」であることは一貫しています。

しかし、現実の世界情勢や国内の様子を見ていますと、改憲ではなくて、根本的に憲法を作り直す創憲でなければならないと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

平和活動が‘違憲’だと

日本国憲法こそ‘違憲’だ

昨日、名古屋高裁で、空自イラク派遣が一部違憲と言う判断が下され、決定したそうですね。

それについて、マスコミ各紙が一斉にコメントを発しました。

「わたしたちの朝日新聞」は、相変わらず支離滅裂な社説を展開していましたが、その他の新聞は、概ね、名古屋高裁のこの判決の矛盾を指摘していました。

何しろ、日本は自然資源の少ない国と言われ、加工貿易で立国してきました。そんなわけで、世界に対して還元したり貢献することは当然なことです。

そのために、自衛隊の隊員さんたちは、日本の代表として海外で平和維持活動を展開しています。これが、廻りまわって日本の国益になっています。あるいは、こうした平和維持活動が日本のためには一番確実な有益な方法なのです。

それなのに、憲法を楯に、こうした活動を否定する判決が出るようでは、この日本国憲法こそ自身の理念に反してるといえます。

こんな憲法は、サッサと棄てて、まったく新しい合理的な理念の下、新しい憲法を作る必要があります。

ところで、われらが「産経新聞」は、白鴎大法科大学院の土本武司院長の意見を引用して、名古屋高裁の傍論判決に異議を唱えておりました。↓

「裁判所は訴えたことについてのみ判断する義務がある。争点になっている訴え以外のことについて判断を下すことは、やってはいけないことだ」

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

日本国憲法は国民の肴になっている

震撼させている小沢憲法論

小沢憲法論が面白い。暫く、政談の肴になるでしょう。

昨日、高村外相も、洋上給油活動は憲法違反ではないが、戦闘地域への自衛隊の派遣は憲法違反だと言う始末です。

それをいったら、自衛隊そのものも、憲法違反です。

現在は、日本国憲法を拡大解釈をして、自衛隊を海外に派遣しています。これは、小学生レベルの解釈ではなくて、大人のレベルです。つまり、ズルイ考え方です。

こんな考え方が続くはずがないし、世界にも認められないものです。

ましてや、世界中が血を流して貢献しているのに、日本だけが自国の憲法を盾に、それを拒否し続けることは、どんなものでしょうか ?

たとえば、自治会の河川清掃というのがあります。指定された日曜日の朝に、住民が一斉に自分たちの住んでいるところのドブ掃除をするものです。ただし、どうしてもその時間に都合のつかない世帯は、カネを払う・・・というキマリがあります。しかし、カネを払えば参加しなくてもよいというわけではありません。

日本は、ドブ掃除に参加しないで、カネだけ払い続けている協調性のない国家ではないでしょうか ?

ドブ掃除は自分の信念ではない・・・なんて、許されると思いますか ?

・・・って具合に、様々な意見が交錯しています。国会議員は商売の種ができて大喜びです。国民の間でも、小生のような憲法の全文も知らない「にわか論者」が、以上のようなことを記しています。

当分の間、酒の肴になりそうです。小泉劇場の次は小沢劇場でしょうか ?

小泉さんが郵政民営化を国民に問うたように、「海上給油が是か非か」と福田さんが国民に問うたら面白い選挙になると思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

豪腕、小沢代表

屋山氏もタジダシ ?

今朝の静岡新聞『論壇』は、政治評論家の 屋山太郎氏 の論文でありました。

それを読むと屋山氏は、小沢理論に、タジダシの程であります。

まず、憲法論。

昨日、出版した月刊誌『世界』のなかで、小沢氏は「国連決議は憲法の規定をも超越する」ものとも読み取れる理論を展開していました。

それに対して屋山氏は、小沢氏は国連第一主義だと批判しました。屋山氏は、憲法を金科玉条だと思っているのでしょうか。

小生は、政治家たるものは、有事の際には、国民を守れない憲法を停止して、戒厳令を敷くぐらいのことができなければ、その資格がないと思っています。

もっと極論を言えば、父が憲法を破棄したら、小生もそれに倣います。さらに、陛下が憲法を承認しないのならば、小生も憲法を承認しません。今上陛下が、その即位の時に憲法を遵守すると誓われたので、小生はそれに倣っているだけのことです。

更に言えば、小生が毎日毎日働いているのは、憲法に勤労の義務が記されているからではなく、働かなければ食っていけないという現実があるからです。

つまり、憲法よりも実生活を意識して、我々は生きているのではないでしょうか ?  憲法とは、そんなものです。

また、屋山氏は、小沢さんの露骨な反米姿勢に懸念を表しておりました。

でも、日本がアメリカのポチ・・・なんて言われていて、屋山氏は腹が立たないのでしょうか ?

いつから屋山氏は、共産思想に転向したのでしょうか ?

それにしても、「公開書簡」という形式をとりながらも、あの岩波書店が、豪腕小沢氏の理論を掲載するなんて・・・、小泉さんのいう「まさか」であります。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

帝国主義

日本は、帝国主義に戻るのか ?

小生の知人には、幾人かの大学の教授がいます。仕事柄、特に理系の教授のほうが多いのですネ。

で、そうした知人から、いろいろな書物を貰うことがあります。

その中には、専門書のほかに、時事的な市販本もあるのですが、どうも大学のセンセイというのは頭のツムジが左巻きらしいのですね。

今日も、某大学の教授から、米軍基地問題に関する本をいただいた。「東大新書」なんですって。

だらだらとくだらないことが書いてありました。つまり、日本の基地は法律違反だ・・・と、いうことらしい。

そして、日本は帝国主義に戻ろうとしている・・・と、いうのですね。

その論拠として、安保条約の内容を精査したものを挙げています。

小生は、ガッカリしました。尊敬する知人から、こんな本を貰うなんて・・・。

だから、どうなのか ?

日本は、丸腰になれというのか ?

無防備になれというのか ?

日本の大学というところは、何を学生に教えているのでしょうか。

【参考 - 帝国主義 Wikipedia より引用】

帝国主義ていこくしゅぎ,英語:imperialism)とは、一つの国家が、自国の民族主義文化宗教経済体系などを拡大するため、もしくは同時に、新たな領土や天然資源などを獲得するために、軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、さらにそれを押し進めようとする思想や政策

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

より以前の記事一覧