衰えを知らぬ 反原発デモ

感じない被曝

盆休みです。
そろそろ終戦記念日ですね。
暇な小生は、考え事をしてしまうのですね。
その一つが、世の中の分類方法。
そんなことを考えてみました。

そこで、社会を大きく分けると「体制側」と「反体制側」とにわけることができると思います。
しかし、「勝てば官軍、負ければ賊軍」みたいな感じで、いままで体制側だったものが、その勢力が弱くなった時点で、それが反体制側と評価されることもあります。
つまり、体制側は約束された立場ではないということですね。

ほかにも、思想の違いで「右」とか「左」とかに大別されますね。
これらは、横社会での違い。

もちろん、縦社会で分類すれば、「上下の関係」で社会を分ける方法もあるでしょう。
たとえば、「雇用者側」と「被雇用者側」。
そういう分け方をすれば、われわれサラリーマンは、「下」に区分されます。
今では、「雇い主」と「使用人」は「主従」の関係ではなく「平等」なんていう意見もあるそうですが、スポーツ選手などを除いた裕福な人たちは たいてい雇用者側で上流階級です。
同じ労働者でも、上司は上で、下を虐めるのが普通です。
我が家を見ても、意地悪なお姉ちゃんは、可愛い弟の頭を殴っています。

いずれにしても、一般的に「体制側」とは裕福な人が多いですから、左右に分ければ「右」、上下で分ければ「上」の方に分類されるのでしょうか。

ところで今回は、社会の分類を話題にしているのではありません。
原子力というものが「体制側」であり、なおかつ「上」であり「右」ということを話題にしたいのですね。

毎年、 8月に入って 終戦記念日に近くなると、マスコミは「戦争」「核兵器」を話題にします。
そして、2011年以降は、「原子力」がそれに加わりました。
日本にとって、敗戦と原発事故は、痛烈なインパクトということのようです。

そして、69年前の敗戦からは復興できたものの、原発事故からの復興は目途が立たないようです。
とりあえず、40年掛けて、福島第一原発は全て廃炉にする予定のようですが、事態は悪化の一途を辿っているようです。
そのことについては、われわれ日本国民は政府や国内のマスコミからは知ることができません。
どうやら、福島第一原発でメルトダウンした核燃料の様子は、日本政府にとって極秘事項のようです。すでに「秘密保護」の対象になっているのでしょうか。

たとえば、小生が購読している『静岡新聞』では、夕刊の連載記事として『全電源喪失の記憶』と題して、福島第一原発の事故の詳細を、時系列に証言を並べていました。

ところが、メルトダウンして原子炉に‘アナ’が開いたかどうか・・・。
そのクライマックスの直前ところで、突然、連載が飛んでしまったのです。
つまり、それまでは、時間刻み、あるいは分刻みに証言が並べられていたのが、記事の時間が 3ヵ月後、あるいは一年後に飛んでしまったのです。
我々読者が いちばん知りたいことは、メルトダウンした核燃料がどうなっているのか・・・。
なのに、そこのところが抜けてしまっているのです。

今後、この連載記事がどうなっていくのか、注視を続けたいと思いますが、流れの不自然さを感じずにはいられません。

一般教養としては、メルトダウンした核燃料は、全てのモノを溶かしながら、地中深く進行する・・・ということになっています。
つまり、原子炉を溶け破り、格納庫も溶け破り、土台となっていたコンクリートまで溶け破って、いまや土壌や岩盤を溶かしながら、地球の中心へと進んでいく・・・。。。。

もちろん、膨大な放射線を放出しながらです。

おそらく、山側から流れてくる地下水は、そのメルトダウンした核燃料に汚染されて、海に流れているのでしょう。
そのように想像するのですが、それはあくまで「常識的な想像」であって、想像の域を超えません。

海外が発信する情報は、このような深刻なものばかりですが、それを信じる根拠がないのですね。

そういうわけで、いまだに「体制側」にある原子力の情報は、固くブロックされているようです。
とにかく、人類は、一度手にした強大なエネルギーとか武器を手放すときは、それよりも更に強大なエネルギーとか武器が出現したときです。
それまで、「原子力」は「体制側」として区分されるのでしょう。

最近になって、ようやく被曝の後遺症が遺伝されることが明確になったようです。

なにしろ、痛みも痒みも、色も臭いも、味も感じないのが「被曝」です。
それが、被曝による因果関係を証明することを困難にしています。

それが、被爆者にとっては「恐怖」であり、体制側にとっては「安堵」する原因になっているのでしょう。

今は、全国的に盆休みということで、故郷に帰る人も多いでしょうが、それにも関わらず続いている反原発デモ。
休暇中は、子連れで参加する人も多いようです。
そうしたデモに参加する人たちを見ると、右も左も、上も下も ないように思うのですが、エネルギー利権側から見れば、反原発は反体制側として左巻き、あるいは「下」として位置づけられているのでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『全電源喪失の記憶』 俺たち、もう駄目だ

証言 福島第一原発、東電の敗北

本日の『静岡新聞』夕刊の連載記事 『全電源喪失』 55 を読んだ感想です。

この記事は、2011年 3月に起きた福島第一原発の放射能漏れ事故を時系列に記した記事です。

実名で記されたもので、もちろん検証可能です。

55回目の記事は、 事故が起きて 3日目、2011年 3月 14日 午後 8時ごろの福島第一原発の様子を克明に記したものです。

原子炉建屋が水素爆発し、原子炉はメルトダウン。
そんな絶望的な状況の中、職員たちは・・・
「かあさん、先立つ不孝を許してくれよ」、妻にも「面倒をかけたね」
そして子供たちにも「たくましく生きてくれ」と。

原子炉の圧力容器の膨発を防ぐための「ベント」作業が行き詰ったときに、そこにい作業員の心境をつづったものです。

では、その「ベント」とはどんな構造なのか・・・。
イラストを見て、皆様の近くにある原子力発電所の煙突を見てください。

0001

これは、本日の夕刊を切り抜いたものです。

ベントとは、原子炉本体と直結しているもので、原子炉の圧力とともに放射能がそのまま放出される構造です。

現在、それではあまりにもまずいと言うことで、放射能漏れを防ぐための「フィルター」をつけようということになっています。

各原子力発電所では、そのフィルターの取り付け作業をして、再稼動に臨んでいます。

しかしですね、そんな夢のようなフィルターがあると思いますか ?

逆に、そういった「フィルター」があったら、そもそも原子力問題なんて根底から違っていたでしょう。

まやかしは駄目です。これでも、原子力発電に賛成しますか ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

浜岡原発を見学してきました

再稼動に向けて

拙宅は、浜岡原発から半径 31㌔圏内、つまり、UPZという原発事故特別避難区域内にあります。
本日、そこに住む住民を対象にした「説明会」がありました。

最寄の駅に集合してバスで浜岡原発に。
なんと、原発の敷地内に入って、直接、現場を見て職員からの説明を受けました。
一般の人が入ることが出来る「観光施設」ではなく、本当の原発の敷地内です。

もちろん、入場するには厳重なチェックがありました。

まず、バスに乗る前に本人確認。
浜岡原発にバスが到着すると、下車する前に、再び身分証明書のチェック。
時間をかけて入念に本人かを確認します。

さらに、バスから下車すると、すぐに集合写真撮影。
誰が下車したか、証拠写真を撮ったようです。

さらに、原発の敷地内に入る前に、金属探知機、液体爆発物チェック、さらに手荷物は全てロッカーに預けます。

ですから、今回の見学会では、写真撮影とか写メなどが出来なかったので、見学許可書と現地の説明会で戴いた資料を載せておきます。

2014062109200000 2014062117300000

そうして、現物を見ながら、安全対策について丁寧な説明を受けました。
さらに、原子力研修センターという原発運転員を養成する施設を見学し、詳細な説明を受けました。

しかし、これは津波対策についてのみ。

その津波対策についても「お寒い」説明。
たとえば、20トンもある巨大な津波の防護扉についてですが、その重さで、地震の揺れで変形して、扉が閉まらなくなるのではないか ?

あるいは、海水取水口からの津波の浸入対策。
本当にそれで大丈夫なのか。

また、さらに予想される津波の高さが高くなったら、それに応じて、さらに津波壁を嵩上げするのか ?

電源確保のために、敷地内にガスタービン発電所を作っているようですが、それが、本当に安全対策に有効なのか ?

説明を聞くほどに、突っ込みどころ満載。
あの場合はどうするの ?
この場合は ?
まるで、現在、与党内で協議されている「集団的自衛権」問題みたいです。

あの場合、この場合・・・ではなく、一括して認めてしまえばよいのに・・・。
つまり、戦争に対応する場合、個別的事例を想定するのではなく、戦争そのものを考えて集団的自衛を認めるべきでしょう。
同様に、原子力災害について、個別的に想定して対策をたてるよりも、いっそうのこと止めてしまえばよいのに・・・。
そうすれば、発電所に関わる人も楽になるのに・・・と、思いました。

たとえ原子力発電を断念しても、廃炉工事や廃棄物処理のための仕事がありますから、原子力に関わっている人が一斉に失業することはないと思うのですが、いかかでしょうか ?

こんなにカネを掛けて、腐心して、原子力を続ける意味がどこにあるのでしょうか ? ?

しかし、本当に小生らが知りたいのは、津波とか地震など自然災害対策ではなくて、人為的なものについての対策です。
つまり、テロ対策。

我々人類が、チェルノブイリとか福島第一原発事故などで学んだことは、たった一本の配線、たった一本の配管を遮断するだけで、原子炉の燃料を溶け落とすことができる・・・ということです。
ですから自然災害よりも、人為的災害のほうが確実に怖いのです。

その対策をどうしているか・・・。。。。

たんに、コンクリート壁を 18メートルから 22メートルに嵩上げしても、人為的な飛来物の進入を防ぐことは出来ません。

もしかしたら、昨年、ロシアに落ちたような巨大隕石に襲われる可能性も 0ではありません。

そうした対策についての説明がありませんでした。

さらに、原子炉停止時に、五号機の原子炉に入った海水についての説明もありませんでした。

もちろん、核廃棄物についての説明もありません。

そこで小生は思いました。
こんなに安全対策にカネを費やすほど、原子力発電に価値があるのか ?
電力会社は、本当に原子力を利用してまで発電したいと思っているのか ?
たかが寿命 4~50年の原子炉のために、人類は何万年もの間、核燃料廃棄物を管理しなければならないなんて。

パンドラの箱を開けてしまった人類が背負った「罪と罰」は、あまりにも重い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『全電源喪失の記憶』

生々しい記事に絶句

購読している『静岡新聞』夕刊の連載記事『全電源喪失の記憶』を読んでいます。

今夕は、『東電の敗北 ⑤ 「いる人間でやるべ」』。

2011年、3月14日の福島第一原発の「記憶」です。

この記事は、二基の原子炉建屋が「水素爆発」をした直後、地元の協力企業が瓦礫を撤去した様子を伝えたものです。

高線量の放射線が飛び交う中、事態を収拾するには、まずは散乱した瓦礫を撤去しなければならない。
その後のメルトダウンした原子炉の冷却作業につなげるためです。

作業に当たった人は、警報機つき線量計を持っていたそうですが、作業中に警報が鳴ったかは記憶になかったようです。

その人の名は 栃木良重氏。
氏は、11日の事故発生以後、崩れた構内道路の補修、津波や建屋の爆発で散乱した瓦礫の撤去、バキュームカーを使った原子炉注水用の水の運搬と、縦横無尽に作業を続けたそうです。
その姿を記憶している東電社員は「凄かった」と、語ったそうです。
彼が、その間に被曝した線量は ?

そんな心配をよそに、余震が襲う。
さらなる津波を心配した東電社員が、「逃げよ !」と叫ぶ。
しかし、栃木氏が乗っている重機の速度は、たかだか 時速 7㌔しか出せない。

とにかく、現場から離れず、重機を操作し続けた栃木氏。

「なっちゃものはしょうがねぇ。いる人間でやるしかねえべ。」

夜になって ようやく 栃木氏は退避命令に従って、重機の鍵を東電職員に託した。

ところが、その二週間後、栃木氏は、原子炉使用済み核燃料プールに注水するためのコンクリート圧送機の遠隔操作方法を学び、第一原発に戻ってきた・・・。

日本は、こうした地元の職人たちの気質によって救われたようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「反戦」と「脱原発」とのちがい

「脱原発」はサヨク運動ではない

70年前の戦争で、日本は二発の原爆を落とされ、戦争の負けを認めました。
その敗戦の受諾のための「御前会議」で、昭和天皇は、「日本の種子を残すため」という趣旨のことを述べられたそうです。
つまり、じゅうたん爆弾攻撃で焦土と化した国土を憂いたというよりも、原爆による放射能汚染で、日本人の遺伝子が破壊されることを恐れたと解することが出来ると思います。

(「この上戦争を続けては、結局、わが国は全く焦土となり、国民にこれ以上苦痛をなめさせることは、私としては忍びない。少しでも種子が残りさえすれば、また復興という光明も考えられる。」
- 迫水常久氏の手記による、最後の御前会議の際の陛下のお言葉の一部から引用 - )

こうした戦争を、二度と起こしてはならない ! !

と、市民活動家などが立ち上がり、平和運動、反戦運動が今も続いています。

その市民活動家らは、平和な生活を維持するためという名目のために、基地問題をはじめ、同和問題などの人権運動、あるいは労働問題、脱原発運動などにも手を広げています。

これらは一見、基本的な人権保護に資する有益な行為に見えますが、実は、国益に反した サヨク活動と言われています。
それについては、このブログで何回も述べてきたのでここでは省きますが、「脱原発」運動は、原爆の原料を製造することに反対をする典型的なサヨクの「平和活動」と解されてきたわけです。

しかし、福島第一原発の事故を受けてからは、「脱原発運動」が単純なサヨク活動に思えなくなりました。

つまり、戦争というものは、相手があるものだから、こちら側だけが戦争をしない・・・と決め込んでも 戦争から逃れることが出来きませんよね。
逆に、反戦運動は、戦争を仕掛ける相手側から見れば、好都合なわけです。
そういうわけで、「戦争と平和」のジレンマを抱えている人類にとっては、平和運動というものは現実的に国益に資するものではないわけです。

特に日本の場合、その敗戦の切っ掛けが原爆投下ということで、原子力に対して強いトラウマといいますか 原子力アレルギーになって、それが一部の日本人を原子力を否定する運動に走らせていると思うのですね。
それが、得体の知れない市民扇動家らによって、平和大運動となっているわけです。

ところで、原子力事故以前の科学者らは、原子力発電は、安全でクリーンで格安 だと、太鼓判を押していたのでした。
ですから、素人の我々はそれを検証もせずに鵜呑みにして、産業の発達とともにエネルギー利権に染まっていったわけです。

ところが、昨年の原子力の事故で、原子力発電が日本にとっては危険なもので、クリーンでも格安でもないことが分かりました。

しかも、学会までもがいままでの誤りを認めて、原子力が危険であって、後世にまで迷惑が及ぶことを明らかにしました。

そういうわけで、原子力問題というものは、自国の問題ということで、相手のある反戦運動とは基本的に異なるわけです。

つまり、原子力を否定することは、国益を損ねることはないのです。むしろ、国益に資するものなんですね。Photo

(つまり、北朝鮮が原爆を作らなくても、原子力発電所を正確に狙えるミサイル作れば、それが、そのまま原爆となるわけです。
日本が原子力発電所をやめて、核燃料を‘安全裏’に処分すれば、中国や北朝鮮の単純なミサイルは、単純なミサイルに終わるわけです。)

ところが、最近の日本の女性のほとんどが原子力に反対しているのに対して、日本の男性の半分が、いまだ原子力に賛成しているというアンケート結果があるそうです。

エネルギー利権に拘わっている以上、そう簡単には原子力から離れられない事情が そうした男性にはあるようです。

小生は、これからの日本のスタンスとして、脱原発を掲げ、今までの原子力の技術を、技術的に危ない中国やベトナムなどに供与すべきだと思います。
そうした意味で、原子力の研究を続けることは賛成です。
安全な廃炉に向けての研究を、被爆国 日本が率先する義務があると思います。

もし、中国で福島第一原発のような原子力事故が起きたら、その影響は、風や海の流れに乗って日本を汚染することは目に見えているからです。
中国の先進技術の脆弱さは、新幹線を見ても明らかでしょう ?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

感じない不安

静岡県にも大量の放射線

今回の福島第一原発の事故で、静岡県も多大な風評被害を受けています。
特に、茶業界、観光業界は深刻ですね。

その風評被害の根拠になったのが、静岡県からも暫定基準値を超える放射線が検出されたことです。

それを裏付ける新聞記事がありました。

原子力機構の試算になると、 3月 12日の福島第一原発一号機の水素爆発などで放出された放射性セシウムは、同 14日から 15日の間に静岡県東部に降り始めた。
二号機の圧力抑制室が損傷したと見られる 15日から 16日の間に放出量は急増し、県中部に拡散した。
いったん風向きが変わった後、 21日午前 9時から雨とともに再び県内に大量に降下した。
【『静岡新聞』 2011年 9月 28日 朝刊 】

Photo

( 日本原子力研究開発機構の HP より )

どうやら、風の通り道に乗ってきた放射性物質が谷間などに堆積して、いわゆるホットスポットを形成したようです。

とにかく放射線というものはヒトの五感に感じないものですから、どんな具合なのか分らないのですね。
それが不安となり恐怖となるわけです。

ましてや、緊急時迅速放射能影響予想システム (SPEEDI)が、社会混乱を理由に情報を隠蔽していたことが明らかになった今、公的な機関が頼れなくなっています。

そこで、放射線に対して正確な知識をもち、併せて、自分たちが住んでいる地域の正確な放射線量を知ろうと言うことになるのですね。

そこで、今朝の『静岡新聞』では、この見えない恐怖に対抗するために R-DAN という団体の活動を紹介していました。

『静岡新聞』の解説によりますと、この R-DAN という団体は、「団体名と同じ名前の R-DANという放射能検知器などを使う全国の有志でつくる組織。放射線状情報を把握しあい、原発の監視役も務めている。会員は 1986年の発足当初は約 80人で、現在は 200人。発足から 2~ 3年後に 700人を超えたこともある。」ということで、1986年のチェルノブイリ原発事故を契機に作られたボランティアみたいですね。

今回の福島第一原発の事故後、全国の有志が「市民放射線測定値マッピング」として測定値をホームページで公開しています。
それを見る限りでは、現在では心配には及ばないようですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

静岡県でも放射線の測定

不安を払拭するため

『静岡新聞』の三面記事欄には、静岡県内で測定された 昨日の放射線値が載っています。
それによると、福島第一原発の事故以来、静岡県の放射線値は平常通りということになっています。

Save0007

【 『静岡新聞』 2011年 7月 6日 朝刊 】
( 静岡新聞では、毎日、測定された放射線値を掲載して、県民に安心を与えようとしています。)

ところが、フランスをはじめ EUでは、静岡県産の農産物から放射線が検出されたということで規制がかかったようです。

なぜ、日本の中で静岡県が・・・と、思うところですが、どうやら茶葉の風評被害が発端のようですね。

しかし、それにしても暫定基準値を超える放射能が検出されたということで、静岡県民は不安に思っているようです。

実際に、千葉から来た友人が、ちょうど放射線カウンターを持ってきたので、拙宅の庭をそれで計測したら、千葉の友人宅よりも、高い値が出てしまいました。

このように、静岡県の中でも、実際に市販のカウンターで放射線を計測してみると、以外にも高い値を示すことがあるみたいです。

そこで、あわてて市の役場や保健所など、関係機関に問い合わせをしようとするわけですが、あまり気にしないほうがよいみたいですよ。Photo_2

なぜなら、彼の話によれば、市販の放射線カウンターは、誤差が大きいということです。
つまり、安価なものは 比較的大きい値の放射線を計測するためもので、日常の放射線値は そんなに正確には測れないということです。

つまり、0.2マイクロ・シーベルトなんて値が出ても、それは誤差の範囲内で、本当は 0.01マイクロ・シーベルトかもしれないというのです。

そういうわけで、日常の放射線を正確に測定する場合は、訓練された人が、正確な機器で、正しい方法で計測することが大切だということです。2

市販や通販で購入した安価の放射線計測器の出した測定値で一喜一憂することは無用ということのようですね。

しかし、政府の息の掛かった団体が計測した値では信用ならん・・・と言うこともあって、静岡県内の自治体でも、市民の要求に応えようということになったようですよ。

そこで、静岡県内の各自治体や民間団体などでは、独自に放射線の測定に乗り出しています。Photo

例えば、今月から解禁になった富士山。
その山頂でも、NPO団体らが、独自に放射線を測定して、富士登山が安全であることをアピールする予定だと伝えられています。

また、今月から 静岡県内の学校でも、校庭やプールの放射線量を計測して、安全を確認しているようです。

海水浴場でも、放射線量を測定していますが、問題はないようです。

あれから、静岡茶から暫定基準値を超えた放射能は検出されておらず、水道水からも検出されていません。

そういうわけで、静岡県の茶葉から暫定基準値を越えた放射能が検出されたという報道のお陰で、静岡県内の各産業は、大きな迷惑を被っています。

生葉を濃縮した感じの‘荒茶’を、同列に測定したら 高い値が出るのは当然ですから、暫定基準値の策定には慎重であって欲しかったですね。

でも、静岡県は、安全ですよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

放射能汚染と生存権

憲法第25条

本日は憲法記念日。
しかし、いつもの憲法記念日とは違うような気がします。
東日本大震災後、あらためて被災者の生存権が問題になっているからでしょう。
長い避難所生活を強いられているのに、一向に進まない仮設住宅の建設。
見えない放射線への恐怖。
憲法で保障されているはずの人権が侵害され続けていると言うのですね。

そこで、思い出すのが「朝日訴訟」。
本日話題にしているこの訴訟は、一連の朝日新聞を相手取った訴訟のことではありませんよ。smile

その朝日訴訟が問題にした憲法 25条を改めてみてみましょう。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利
      を有する。

   2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び
             公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

福島第一原発から出ている環境への放射能、放射線の放出が止まらない今、周辺住民、特に婦女子の被曝量が問題になっています。
政府の許容基準値に対して、日本だけでなく海外の学会も警鐘を鳴らしています。

もちろん、いたずらに放射線被曝を恐れることは風評被害にもつながり慎まなければならないのですが、政府の対応を見ていると不安が募るばかりです。
このままでは、あらたな朝日訴訟が起こる可能性もあると思います。

ただ、この究極の社会主義的条文については、反論もあり、削除すべきだと言う意見もあります。

本日は、その反論について記してみます。

まず、合衆国憲法には、生存権に関する記載がないといわれています。
その合衆国が、一昨日、ビンラディンの生存権を奪いましたね。
しかし、アメリカの独立宣言は、「生命、自由および幸福追求において」全ての人がある特定の排することのできない権利を有すると宣言しているといいます。
このように、世界の趨勢としては、生存権を認める傾向にありますね。

しかし、生存権の根拠があいまいなことも事実。
生まれてきたから生きる権利がある・・・と言う論法が、はたして妥当なものなのかは、確かに疑問の余地があると思います。

実際に、生物界では適者生存といって、その環境に適合したものに生存を許されると言うダーウィニズムがあるようですね。
さらに、牛や豚や鶏が、どんなに生存権を主張したところで、ビーフ・ポーク・チキンになってしまうと言う現実があります。

人間と言う万物の霊長と思い込んでいるものに対して、神は生存権と言う特権を与えているのでしょうか ?

小生は、もし生存権というものがあるのなら、それも他の人権と同様に、保証されたものではなくて努力して勝ち取るものだと思うのです。
あるいは、親などの祖先や 先人の遺産として、相続できるものだと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

明日は、ビキニ・デー

第五福竜丸事件

明日は、ビキニ・デーです。これは、今から 54年前に、焼津港船籍の第五福竜丸という遠洋マグロ船がアメリカの水爆実験で被曝した日です。今やこの日も、日本の平和運動の記念日の一つになっています。

実は、焼津の港町の人は、この日が好きではありません。確かに、焼津市は事ある度に、平和宣言都市として平和の大切さを発信しています。

しかし、この平和運動の見返りは、焼津市民にとっては決して甘美なものではないのです。

まず、被害に遭った第五福竜丸の乗組員は、被曝直後、スパイ容疑を掛けられてしまいました。そして、被爆者として医療の対象になっていたのに、特殊事情だったので十分な援助はなされませんでした。労災として認められたのは、つい最近のことなのです。被爆者の被曝後の人生は、その家族を含めて苦渋の連続だったようです。

さらに、焼津の小さな漁村は、平和運動の地になってしまいました。原水禁と原水協の対立。右翼と左翼の対立など、あらゆる対立の構図が、小さな漁村を襲いました。

しかも、焼津港で取れた魚は、「原爆マグロ」などと揶揄されて、まったく売れず、苦労してとってきた魚を全て廃棄しなければなりませんでした。

そんなわけで、焼津の人にとってビキニ・デーは忘れてしまいたい記憶なのです。ですから、形式的には市として平和運動に参加はしていましたが、デモや集会に参加する市民は皆無でした。(日教組のセンセイの中には、学校をサボッて、そうした平和運動に参加している人がいたようですが・・・)

ところが、6年前に、焼津市内のある小学校が、この第五福竜丸事件を授業の一つとして取り上げました。(その事件を最初に取り上げた先生は、地元の人ではありません。) 修学旅行も、東京・夢の島の第五福竜丸記念館などを見学し、それを切っ掛けに、事件を風化させてはならないということで、その小学校が「証言」の収集に乗り出しました。

そうした行動に、事件の体験者らは困惑しました。また、へんな噂がたって、魚が売れなくなるかもしれない・・・。そんなことが頭をよぎるのです。

しかし、小学生の純粋な史実の探求ということで理解し、体験者らは重い口を開きました。体験者が語るのは、被曝後の困難なのです。このようにして、現在に至っています。

さて、既に、本日も、この平和運動に向けて全国各地から平和運動家らが静岡に集まっているようです。各種講演会・集会やデモの準備も整っているといいます。

そうした運動も、できれはしてもらいたくない・・・。それが地元の人たちの心情ではないでしょうか。静かに念うことが本当の供養ではないかと思います。

これとは直接関係ありませんが、先日から、プリンスホテルが日教組の会場となることを拒んだことが話題となっていますが、プリンスホテルの気持ちがよく分かります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国敗れて山河あり・・・

絨毯爆撃の前後の航空写真

今年公開された、静岡大空襲の航空写真が話題になっています。

この二枚の写真は、 1945年 4月 12日と、空襲翌日の 6月 21日に、米軍機 B29から撮影されたもので、二枚の写真を比較することで、爆撃の悲惨さが映し出されていました。

まさしく ヒロシマ・ナガサキを思わせるもので、建物も道路も一夜にして消失していて、残っているのは白い広大な広場だけです。

この写真は、最近、原爆・空襲の調査専門家 工藤洋三 徳山高専教授(山口県)が、アメリカの国立公文書館でネガの状態で発見したものなんだそうです。

それを現像してみたところ、建物が識別できるほどの高画質なものだったので、静岡市民から問い合わせが殺到。写真の購入希望者が多かったので、「静岡平和資料センター」で販売することになったそうです。(詳細は、同センターに問い合わせてください)

これをみますと、中国の『春望』を思い出します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)