祝 天皇誕生日

81歳に Photo

陛下傘寿の記念ということで、皇居の杜を 今年の 春・秋 に一般に開放されました。
小生は、その秋の期間に・・・つまり、今月の 4日に見学させていただきました。
そのときの美しさに驚き、陛下のご慈悲に感激しました。
天皇陛下が、その感動さめやまぬ本日、81歳のお誕生日を迎えられたことは、一国民として無量の喜びです。

81_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

皇居乾通り一般公開 - 7

江戸城内 - 5

美しい二の丸庭園を後にして、平川門から退出しました。

2014120413450000 2014120413460000

2014120413490000 2014120413500000

天神濠では、鴨たちが気持ちよさそうに泳いでいました。↑
いよいよ退出です。

2014120413510001 2014120413520002

2014120413530001 2014120413560001

皇居を出て、東京駅に向かう途中、地下鉄東西線出口付近で、こんな銅像と石碑を見つけました。

2014120414000000 2014120414010000 

東京駅から 14時半出発の東海道線快速電車に乗り込みました。
熱海で乗り換えて、19時までには帰宅しました。

夢のようで、充実した一日でした。
陛下のご慈悲に感激しました。

以下の地図は、小生が辿ったコースです。

Photo_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

皇居乾通り一般公開 - 6

江戸城内 - 4

さて、美しい日本庭園 二の丸庭園を堪能しましょう。

2014120413320000 2014120413320001

2014120413320002 2014120413320003

2014120413330000 2014120413330002

2014120413340000 2014120413340002

池には、鯉がゆったりと泳いでいました。
よくみると、普通の鯉ではないみたいです。

2014120413350001 2014120413360000

美しい池は、さらに続きます。

2014120413350004 2014120413370000

2014120413340003 2014120413370001

清らかな水の流れに癒されました。

2014120413370002 2014120413370003

美しい紅葉は、さらに続きます。

2014120413380000 2014120413380001

雑木林を暫く歩くと、建物が現れました。

2014120413430001_2 2014120413400002_2

茶屋を過ぎると、さまざまな県の樹木が植えられていました。

2014120413420000 2014120413430000

二の丸庭園は、植物の宝庫でした。

次回は、最終回です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

皇居乾通り一般公開 - 5

江戸城内 - 3

東京の中心にある皇居東御苑は、まさに奇跡の杜であります。
その美しさと静けさは、驚きでした。

さて、さらに進んでいきます。

2014120413200001 2014120413200002

石壁に沿って、とりあえず大手門の方に向かいます。

2014120413210000 2014120413210002

2014120413230000 2014120413230001

2014120413230004_2 2014120413240001

2014120413230003 2014120413250003

右に進めば大手門ですが、係員が「せっかく来たのですから、どうぞ 二の丸庭園もご覧なってください ! ! 」という案内に従って、左に進みました。

そこで目にしたのが巨石です。これは お堀に使われる予定だったのでしょうか ?

2014120413260001 2014120413270000

左に白鳥濠を臨みながら、右の二の丸庭園に進みました。
そこには、美しい日本庭園が広がっていました。

2014120413270001 2014120413270002

2014120413280001 2014120413280002

暫く進むと休憩所が・・・

2014120413280003 2014120413280004

次回は、さらに二の丸庭園をご案内します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

皇居乾通り一般公開 - 4

江戸城内 - 2

皇居東御苑 本丸に向かいます。
そこは美しい庭園でした。
桃華楽堂、楽部庁舎が見えます。

2014120412590002 2014120413000002

2014120413090000 2014120413090001

竹林の方に進んでみました。

2014120413090002 2014120413100000

すると、こんな建物が・・・

2014120413100001 2014120413100003

さらに進んでみました。

2014120413110001 2014120413120000

2014120413120001 2014120413120002

美しい杜は、さらに続きます。

2014120413130001 2014120413140000

↑ この積み上げた石は、堀石が余ったものなんでしょうか。

2014120413140001 2014120413160000

2014120413180000 2014120413180001

江戸城内には、史跡・歴史的建物が盛り沢山です。

また、珍しい柑橘類が栽培されていました。

2014120413190000 2014120413190001

御苑内には、縁起の良い植物がたくさんありました。

2014120413190002 2014120413200000

次回は、さらに奥に進んでいきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

皇居乾通り一般公開 - 3

江戸城内 - 1

乾門を出て、そのまま右に曲がり 北桔橋門 (きたはねばしもん) に向かいます。
そこから、東御苑の中に入ることが出来ました。

2014120412530000 2014120412540000

2014120412560001 2014120412560003

北桔橋門から東御苑に入ることが出来ました。
右に乾濠を臨みながら進むと、正面に巨大な石壁が現れました。

2014120412560002 2014120412570001

この巨大な石壁が江戸城の跡なんですね。

2014120412580000 2014120413020000

2014120412590000 2014120413000003

江戸城の天守台から臨む風景です。

2014120413030002 2014120413040000

左の写真から楽堂がうかがえます。
右の写真では武道会館の屋根が見えます。
九段の武道会館は、皇居の隣なんですね。

次回は、皇居東御苑の中心部に向かいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

皇居乾通り一般公開 - 2

晩秋の乾通り

坂下門をくぐると、左側に宮内庁庁舎が目に入ります。
そして、建物が並んでいました。

2014120412360001 2014120412380001_2

2014120412410002 2014120412430001 

右側は 蓮池濠。美しい街路樹が色づいていました。

2014120412380000 2014120412450002

乾通り進むと、西桔橋 (にしはねばし) に差し掛かります。
ここを渡れば、皇居東御苑の本丸の方に行きますが、そのまま乾門に進みました。

2014120412440000 2014120412450003

右に乾濠を臨みながら、乾門に進みました。

2014120412470003 2014120412500000

2014120412510000 2014120412500002

乾門をくぐれば、それで終わりかと思いきや・・・
続きがありました。

2014120412520000 2014120412520001

| | コメント (0) | トラックバック (0)

皇居乾通り一般公開 - 1

奇跡の杜

本日 12月 4日、皇居の「秋の乾通り 一般公開」に行って来ました。
静岡の自宅を 8時半に出で、鈍行で東京駅に着いたのが正午。
それから徒歩で皇居の坂下門に。
厳重な警戒の下、一般人として 皇居 の中に入りました。
そこは、まさに 奇跡の杜でした。

順を追って写真で説明します。
まず、東京駅に降り立つと、「皇居」を示す看板を持った人たちがいます。
その案内や案内板に従って行けば、皇居の坂下門に辿り着きます。
ですから、東京駅に不案内でも安心して「一般公開」を楽しむことが出来ます。

2014120412060000_2 2014120412070000

皇居 入り口では、DJポリスみたいな人が、マナーを説明していました。
そして、厳重なボディー・チェック。

2014120412220001 2014120412340000

2014120412310001 2014120412300000

2014120412250001_2 2014120412340002

二重橋から 坂下門は、二日目の正午ということで、並ぶことなく順調に入ることが出来ました。
次回からは、皇居の様子をご案内します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

靖国は分祀すべき

『昭和天皇実録』が公開

昨日は、日本中を沸かせる大きなニュースが 2つありました。
ひとつは、日本人テニスプレイヤーの快挙。

もうひとつが、『昭和天皇実録』が公開されたことです。
新聞は、その内容を数面を占めて解説していました。
それを、今、ようやく読み終えたのですが、そこで感じることは、戦前の昭和天皇は側近に恵まれていなかったのではないか・・・ということです。
もし、楠正成のような忠僕がいたら、歴史は違っていたように思います。
『昭和天皇実録』では、孤軍奮闘されていた昭和天皇の様子が伺えますが、それにしても、統帥として大権を持っていた昭和天皇が陸軍に対してその大権を発動しなかったのは、腑に落ちないところでした。
やはり軍は、若き天皇を見下していて、ロボットのように操っていたと思います。
逆に、昭和天皇は常に軍による「クーデター」を恐れていたと思います。
その結果、外交官や軍に大権を犯され続け、昭和天皇の意に反する方向に歴史が動いたことは、昭和天皇ご自身も残念だったでしょうが、それを知った後世に生きる小生も残念でなりません。

どうして、こんなことになってしまったのか・・・。
昭和天皇が独裁者でなかったことは明白で、立憲君主としてその使命を全うされようと苦心されたことが、逆に裏目になったと思います。
いずれにしても明治天皇の名で発布された『大日本帝国憲法』が、天皇にとってもジレンマに満ちた内容であったことがよく分かりました。
明治憲法は、結局、天皇は「承認機関」にすぎないという解釈が出来ることです。
昭和天皇は、その明治憲法を遵守する余りに、軍部の暴挙を許してしまったことは、そうとうに悔しかったと思います。
小生は、昭和天皇はもっと独裁者であっても良かったと思うのですね。

いえ、大陸や半島のような独裁国家体制を支持しているのではありません。
賢君による親政のほうが、民主政体よりも優れていると思うのです。

もうひとつ感じたことが、靖国神社の「合祀」問題です。
『昭和天皇実録』が公開されたことで、靖国神社が、昭和天皇の意に反して対象者を「合祀」した結果、その後のご親拝がなくなったことが、これでハッキリしたと思います。

つまり、『日本書紀』をはじめとする 国史の「正史・正伝」の一つである『昭和天皇実録』が、「野史・外伝」である『日本経済新聞』報道に言及していることは、いわゆる「富田メモ」を公式に認めたものと理解できるからです。

したがって、天皇の意に反して「合祀」していることが改めて明白になった靖国神社は、猛省して、即時、「分祀」することを望みます。

靖国神社は九段にあって、皇居に隣接した位置にあります。
せっかく皇居の隣に英霊が集まっているのですから、その「壁」を取り払って、天皇がご親拝する環境に戻す義務が靖国神社にはあると思います。

このところ、昭和天皇に関する映画が公開されていますが、天皇の意に反する行動をする人は「国賊」として描かれているように思います。
そうした輩は、結局、国を危うくさせているからですね。

誤解しないで欲しいのです。
小生が、靖国神社を訪れるのは、神社を拝むためではなく、英霊を拝むためです。
靖国神社は、多数の国民が「神社」を拝んでいると誤解しているのではないでしょうか。
陛下のご親拝のない今の靖国神社は、映画的に描けば、陛下の意に反した「国賊」としての謗りを受けても仕方ない状態だと思うのです。
靖国神社を「政治問題化」して危うくしているのは、中国ではなくて、むしろ靖国神社自身ではないでしょうか。

「従軍慰安婦」にしても「教科書」にしても、そして「靖国」にしても、結局はすべて日本発の問題ですね。
それに悪乗りしているのが中韓です。
そんな状態で、日本人は、本当に大丈夫でしょうか ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

祝 ご婚約内定

2000年の恋

昨日の NHK 昼のニュースには驚きました。Photo_3

高円宮家の次女 典子さま と、出雲大社の禰宜 千家国麿さんとのご婚約内定の一報です。

出雲大社と言えば、昨年、「本殿遷座祭」が終わり、「縁結び」とか「パワー・スポット」として若者に人気のある神社です。

また、日本最古の歴史書である「古事記」を紐解くと、大国主命の国譲りの古事が詳細に記されています。

日本皇室の皇祖神である 天照大神に、自国の領土を譲った大国主命の霊を永代奉っているのが、千家家。
この家は、天照大神の第二子の天穂日命 (アメノホヒノミコト) を祖先としていて、歴代当主が出雲大社の宮司をしていると言うことで、皇室と並んで神話の世代からつながっている名家ということです。(出雲国造)

その 2000年以上の歴史をもつご両家にご縁があるということに、改めて、日本の歴史の深さを感じてしまいます。
他国では類を見ないでしょう。

・・・・いつの間にか「縁結びの神社」となっていた出雲大社ですが、これで正真正銘の「縁結び神社」ですね。

Photo_5

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧