祝 天皇誕生日
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
江戸城内 - 1
乾門を出て、そのまま右に曲がり 北桔橋門 (きたはねばしもん) に向かいます。
そこから、東御苑の中に入ることが出来ました。
北桔橋門から東御苑に入ることが出来ました。
右に乾濠を臨みながら進むと、正面に巨大な石壁が現れました。
この巨大な石壁が江戸城の跡なんですね。
江戸城の天守台から臨む風景です。
左の写真から楽堂がうかがえます。
右の写真では武道会館の屋根が見えます。
九段の武道会館は、皇居の隣なんですね。
次回は、皇居東御苑の中心部に向かいます。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
奇跡の杜
本日 12月 4日、皇居の「秋の乾通り 一般公開」に行って来ました。
静岡の自宅を 8時半に出で、鈍行で東京駅に着いたのが正午。
それから徒歩で皇居の坂下門に。
厳重な警戒の下、一般人として 皇居 の中に入りました。
そこは、まさに 奇跡の杜でした。
順を追って写真で説明します。
まず、東京駅に降り立つと、「皇居」を示す看板を持った人たちがいます。
その案内や案内板に従って行けば、皇居の坂下門に辿り着きます。
ですから、東京駅に不案内でも安心して「一般公開」を楽しむことが出来ます。
皇居 入り口では、DJポリスみたいな人が、マナーを説明していました。
そして、厳重なボディー・チェック。
二重橋から 坂下門は、二日目の正午ということで、並ぶことなく順調に入ることが出来ました。
次回からは、皇居の様子をご案内します。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
『昭和天皇実録』が公開
昨日は、日本中を沸かせる大きなニュースが 2つありました。
ひとつは、日本人テニスプレイヤーの快挙。
もうひとつが、『昭和天皇実録』が公開されたことです。
新聞は、その内容を数面を占めて解説していました。
それを、今、ようやく読み終えたのですが、そこで感じることは、戦前の昭和天皇は側近に恵まれていなかったのではないか・・・ということです。
もし、楠正成のような忠僕がいたら、歴史は違っていたように思います。
『昭和天皇実録』では、孤軍奮闘されていた昭和天皇の様子が伺えますが、それにしても、統帥として大権を持っていた昭和天皇が陸軍に対してその大権を発動しなかったのは、腑に落ちないところでした。
やはり軍は、若き天皇を見下していて、ロボットのように操っていたと思います。
逆に、昭和天皇は常に軍による「クーデター」を恐れていたと思います。
その結果、外交官や軍に大権を犯され続け、昭和天皇の意に反する方向に歴史が動いたことは、昭和天皇ご自身も残念だったでしょうが、それを知った後世に生きる小生も残念でなりません。
どうして、こんなことになってしまったのか・・・。
昭和天皇が独裁者でなかったことは明白で、立憲君主としてその使命を全うされようと苦心されたことが、逆に裏目になったと思います。
いずれにしても明治天皇の名で発布された『大日本帝国憲法』が、天皇にとってもジレンマに満ちた内容であったことがよく分かりました。
明治憲法は、結局、天皇は「承認機関」にすぎないという解釈が出来ることです。
昭和天皇は、その明治憲法を遵守する余りに、軍部の暴挙を許してしまったことは、そうとうに悔しかったと思います。
小生は、昭和天皇はもっと独裁者であっても良かったと思うのですね。
いえ、大陸や半島のような独裁国家体制を支持しているのではありません。
賢君による親政のほうが、民主政体よりも優れていると思うのです。
もうひとつ感じたことが、靖国神社の「合祀」問題です。
『昭和天皇実録』が公開されたことで、靖国神社が、昭和天皇の意に反して対象者を「合祀」した結果、その後のご親拝がなくなったことが、これでハッキリしたと思います。
つまり、『日本書紀』をはじめとする 国史の「正史・正伝」の一つである『昭和天皇実録』が、「野史・外伝」である『日本経済新聞』報道に言及していることは、いわゆる「富田メモ」を公式に認めたものと理解できるからです。
したがって、天皇の意に反して「合祀」していることが改めて明白になった靖国神社は、猛省して、即時、「分祀」することを望みます。
靖国神社は九段にあって、皇居に隣接した位置にあります。
せっかく皇居の隣に英霊が集まっているのですから、その「壁」を取り払って、天皇がご親拝する環境に戻す義務が靖国神社にはあると思います。
このところ、昭和天皇に関する映画が公開されていますが、天皇の意に反する行動をする人は「国賊」として描かれているように思います。
そうした輩は、結局、国を危うくさせているからですね。
誤解しないで欲しいのです。
小生が、靖国神社を訪れるのは、神社を拝むためではなく、英霊を拝むためです。
靖国神社は、多数の国民が「神社」を拝んでいると誤解しているのではないでしょうか。
陛下のご親拝のない今の靖国神社は、映画的に描けば、陛下の意に反した「国賊」としての謗りを受けても仕方ない状態だと思うのです。
靖国神社を「政治問題化」して危うくしているのは、中国ではなくて、むしろ靖国神社自身ではないでしょうか。
「従軍慰安婦」にしても「教科書」にしても、そして「靖国」にしても、結局はすべて日本発の問題ですね。
それに悪乗りしているのが中韓です。
そんな状態で、日本人は、本当に大丈夫でしょうか ?
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2000年の恋
高円宮家の次女 典子さま と、出雲大社の禰宜 千家国麿さんとのご婚約内定の一報です。
出雲大社と言えば、昨年、「本殿遷座祭」が終わり、「縁結び」とか「パワー・スポット」として若者に人気のある神社です。
また、日本最古の歴史書である「古事記」を紐解くと、大国主命の国譲りの古事が詳細に記されています。
日本皇室の皇祖神である 天照大神に、自国の領土を譲った大国主命の霊を永代奉っているのが、千家家。
この家は、天照大神の第二子の天穂日命 (アメノホヒノミコト) を祖先としていて、歴代当主が出雲大社の宮司をしていると言うことで、皇室と並んで神話の世代からつながっている名家ということです。(出雲国造)
その 2000年以上の歴史をもつご両家にご縁があるということに、改めて、日本の歴史の深さを感じてしまいます。
他国では類を見ないでしょう。
・・・・いつの間にか「縁結びの神社」となっていた出雲大社ですが、これで正真正銘の「縁結び神社」ですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント