マウス実験

実験に合うマウスを育成048

今春、大学を卒業し、今月から病院の薬局に勤務し始めた長女。
大学生活の 6年間のうち 4年間を実験用小動物の飼育をしていたそうです。
つまり、当番制で 餌やりや 温度の管理をしていたそうですよ。

たとえば、実験用マウス・・・と言っても、さまざまな種類があるそうで、その実験の目的にあったマウスを見つけ出して、それを繁殖させるのが、彼女の学生生活だったそうです。

たとえば、糖尿病の実験をする場合は糖尿病のマウスをつくるとか、メタボなマウスを作ったり、目的の場所に腫瘍があるマウスを作ったり、それはそれは大変な作業だったようです。

そうして苦労して繁殖させた小動物は、そこの大学だけではなく、他の大学とか研究機関に‘出荷’していたようで、その要請に応えるために、学生たちは日夜努力していたそうです。

遺伝子がらみの実験が多いので、同じような遺伝子を持った均一な「質」を確保しなければならない・・・・。。。。T_science_a15

ところが、そうした要請に沿ったマウスを発見したり繁殖させるには、そのために、とにかく大量な数を扱わなくてはならないため、毎日が戦いだったようです。

そうして毎日すごしていると、おのずからマウスの飼育のカンやコツを体得できて、卒業する頃には、プロ並みの技術を持っていたそうな。
ですから、卒論も「特定マウスの繁殖」について・・・。
そんな具合ですから、長女によれば、実験用マウスの飼育のために大学に入ったも同然だったと言います。
「薬学部」ではなくて、まるで「農学部」だった・・・、なんて言ってました。

このように、新しい薬、新しい細胞を作るにあたっては、さまざまな実験が繰り返されるのですが、それに使われるのが大量のマウスたちですね。
そうした陰の犠牲があって、それぞれの研究が成り立っているようです。

そこで、今回の STAP細胞騒動。Photo

理系女子の一人として「薬学会会員」の末席を汚している長女でありますが、今回のこの騒動は、おなじ「リケジョ」としてザンネンな様子です。
というか、許せない様子です。

結局は「論より証拠」です。
その証拠を導くために、コツコツと毎日毎日積み重ねていくのが、「研究」ですね。

「論」ばかり主張しても「証拠」を示せなければ、何の意味もありません。
つまり、せっかく苦労して飼育した実験用マウスが、最終的にデータが改ざんされていては、何の意味もありません。

そのマウスを飼育した人たちにとっては、今回のSTAP細胞騒動は裏切られた思いだったでしょう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

卒業式なのに・・・

再雇用教員の怪2013031915560001

本日は春分の日。春の彼岸のお中日です。
暖かいですね。
昨日の静岡市の最高気温は 28度ということで まるで夏の陽気でした。
そして、右の写真のように 近所の田圃では はやくもレンゲが咲いていました。

さて、この休日を卒業式に充てる学校があります。
卒業生の父兄の参加の便宜を図っているからなのでしょう。

そこで話題になっているのが、再雇用教員問題です。

全国的にも公務員の早期退職が問題になっていますが、静岡県議会でも、昨日の 19日に県職員などの退職手当を 本日 20日から減額する条例案を可決したことを受けて、この年度末に定年退職を予定していた静岡県内公立高校の教職員の中で 267人が早期退職したと見られています。

それだけでも「問題」なのに、さらに、その早期退職した教員のなかで 53人を 翌年度の4月から再雇用するというのです。
それについては、「制度の不備の問題」ということで、静岡県の教育委員会も認めているというのですね。
つまり、早期退職も、再雇用も、「個人」の問題ではなくて「制度」の問題であると静岡県の教育委員会は断じてしまったのです。
つまり、年度の途中で退職金を減額することが問題であって、それによって混乱が生じてしまったというのですね。

でも、一般的な感覚としては、一身上の都合で退職したのに、その人の都合でまた再雇用するなんて勝手すぎると思いませんか ?

それついては、「有徳」な人の教育を目指している川勝静岡県知事も不快感を露わにしていました。

法律で規制していなければ、あるいは罰則規定がないのなら何をしてもよい・・・というのが、県の職員、教員の感覚なんでしょうか。

はたしてそんな感覚を持つ輩を、卒業生や在校生が「恩師」として尊敬できるでしょうか ?

日本人の美徳はどこに行ってしまったのでしょうか。
早期退職したり、さらに再就職する教員。さらにそれを支持した静岡県の教育委員に対しては小生は、「恥を知れ ! ! 」と、言いたいです。
そんな感覚で、まともな教育が出来るものなんでしょうか ??

| | コメント (2) | トラックバック (0)

タメ社会

体罰で自殺なんて・・・

昨年、孫を産んだ嫁のことなんですが、嫁の夫、つまり小生の息子を、小生の目の前で呼び捨てにするのですね。
早速、そういうことは礼に反すると嫁に注意をしましたが、まるで原始人を見るような目で小生を見返していました。
そういうわけで、現代は、夫婦の間、男女の間、親子の間には以前のような上下関係はなく、タメ ( 同列 ) になっているようですね。
むしろ、逆転しているように思うことがあります。

そう言えば、大阪で、先生による体罰を苦に自殺した生徒がいたとか・・・
早速、「体罰」をした教師を問題視していましたね。

しかし、小生が児童・生徒だったころ、先生による体罰なんて、日常的で当たり前でした。
例えば、姿勢が悪ければ、背中と制服の間に 竹の物指しを刺されました。

ゲンコツ、ビンタなんて「愛の鞭」で、「ありがとうございました ! !」と返したものでした。
つまり、座禅をしていて動いたとき、坊さんから棒で背中を叩かれるのと同じ感覚です。

しかし、「愛の鞭」は 自分の悪いところを注意してくれる手段として、感謝しなければならないとは思いますが、実際には 殴られれば ムッ としますよね。

とにかく、今はどうか分かりませんが、教室で居眠りをしていたり余所見をしていたら、チョークが飛んできました。
その次には、黒板消し が飛んできました。

運動クラブに入れば、先生や先輩によるシゴキは当たり前のこと。
今で言う「体の暴力」と「言葉の暴力」と両方がありました。

さらに、就職して職人の世界に入れば、そこは別世界。
人権・・・なんてものはありません。
つまり、日本にいながら「日本国憲法」なんて、及びもしません。

日ごろから道具を大切にしろ・・・と教えられながら、イザとなれば、その道具が飛んできます。
学生のころの チョークや黒板消し なんてレベルではありません。
飛んできた道具が命中すれば、大怪我です。
そんな具合に、鍛冶屋の世界では「鉄は熱いうちに打て。」と言ったものでした。

徹底的に体に染み込まされたものでした。

こうして、叩かれて叩かれて、鍛錬されました。

もう、悔しいやら、情けないやら・・・
その先輩を、殺してやりたいとも思いました。

そういうわけで、常に 上下関係があり、可愛がってもらいました。
逆に、先輩からいじられないようでは、「見込みがない」ということになっていたと思います。

今では、それを パワーハラスメント と言うそうですね。

それを苦にして自殺する・・・。

戦後の平等教育という理想と、実社会の現実との差を埋めることが出来ないのでしょうか ?

体罰 = 悪 ・・・ という公式は、どうやら「戸塚ヨットスクール」の頃から生まれた感じがします。
体罰で死に至ったのなら問題ですが、そうでないなら、そんなに問題にするほどのものでしょうか。

亡くなった方には可哀想ですが、自殺する人に対しては誰であろうが 小生は同情しません。

ましてや、親より早く発つと言うことは、親不孝の窮みでしょう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

暴走族

‘箱物’は要らないPhoto_2

小生は、高卒のつまらない鍛冶屋です。
そして、小生の親戚は、地方公務員とか銀行員ばかり・・・。
つまり、どこかの大学出身者が多い。

今回は、そうしたつまらない大学にチャチャを入れたいと思います。

さて、石原前都知事を「暴走老人」と揶揄した田中文科相。
その彼女を、3大学開設不認可で「暴走族」の仲間入りと‘断罪’しているのが、『静岡新聞』です。

しかし、小生は、田中真紀子氏を暴走族とは思えないのですね。
彼女の行為は間違っているのでしょうか ?
はたして、本当に日本の大学は不足しているのでしょうか ?

テレビに映し出された新大学開設の準備をしていた政治家や学校関係者は田中氏の不認可に怒り心頭 ! !
「入学希望者が可哀想だ・・・」と泣いてみせたり。

しかし、本当に可哀想なのは、天下り先を閉ざされた文部官僚だったりして・・・。

いまや三流大学、四流大学なんて出ても何の価値もありません。

今、日本に必要なのは手に職をもつ技術者です。
その技術者が一番育つ年齢が 15才ごろから 20才まで。
その頃に身に着けた技は一生忘れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お殿様 お姫様

子供を甘やかしている

日本に帰国して、まず気が付いたことは、人々の頭が白いこと。Family_b12
日本はアジアの中でも高齢化が特に進んでいるのですね。
それだけでも驚きなんですが、もうひとつ心配なのは、子供たちがディスプレーから目を離さないこと。

これは、深刻な問題だと思いますよ。
こちらから挨拶しても、日本の幼い子は、ゲーム機のディスプレーを見ながら、返事をします。
目を合わせようとせず、ゲームを途中で止めようともしません。
少し大きくなった子供は、スマートフォンをいじりながら、小生の挨拶に返事もしない子が多いのですね。

かたやベトナムの子供たちを見ると、ゲーム機もスマートフォンなんてないわけで、親の仕事を手伝ったり、兄弟の面倒を看ているのですね。
そういうわけで、実生活する実力を培っています。

中国は一人っ子政策が定着して、中国の子供は日本の子供ように「お殿様、お姫様」として育てられているので、大人になっても何もできないというのですね。

日本の若者も、自分の子供が生まれると右往左往・・・。
なかには子供を虐待して殺してしまう親がいるとか・・・。

たしかに、昔の日本人も自分の子供を処分したことがあったようです。
しかし、それは経済的に苦しかったから口減らしをしたわけです。
今のように、自分の思い通りにならない・・・という 自分勝手な思考で子供を‘処分’するのは、日本人の劣化と見るべきで、これは由々しき事態だと思います。

小生は毎年韓国に行っていますが、礼節だけをみれば、日本人の若者よりも韓国の若者のほうが勝っていると思います。
彼らの多くは、きちんと相手の目を見て挨拶を交わします。
今の日本の子供は、それができない子が多いのですね。

でも、人間としての「信頼度」は、ダントツに日本人が勝っていると思います。
そういうわけで、信頼度が失われないうちに、子供の「躾」をキチンとしておかなければ、日本の未来は危ういと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父の遺徳

就職斡旋に奔走

父が亡くなって、今年で 17年目になります。Photo

普通の人なら、亡くなって 17年も経てば、家族・親族以外で墓参りをする人は少ないと思います。

ところが、父の墓前には、時々、父の好きなワンカップが供えられていたことがありました。
恐らく、父の酒飲み友達が供えてくれたものなんでしょう。
事実、一昨年、その父の酒飲み友達が亡くなったと同時に、父の墓前にワンカップを供えてくれる人はいなくなりました。

さて、昨日の朝、墓参りをすると、白髪の紳士が父の墓前に深々と頭を下げていたのです。
お話を伺うと、どうやら某中学の校長先生で、今年度で退任するらしく、その報告を父にしていたようです。

そこで、父とのつながりの話を聞いてみました。
父は、退職後、経営コンサルタントを開業し、元会社の下請け会社に顧問として指導していたのですが、どうやら この時に、この紳氏は父と出会ったそうです。

今も学卒の就職難が報じられていますが、20年前にも就職氷河期があり、中学生の就職には、担当の先生方は非常に苦労していたようです。
そして、この校長先生は、当時は教諭で、就職担当をしていたそうです。

父も、零細企業の顧問として、仕事のほかに人材の斡旋をしていて、地域の学校を回っては、優秀な人材を確保していました。
とくに、高校の進学率が 90%を超えると、優秀な中卒者を確保するのは難しかったようです。

どうやら、そこに この校長先生と父との接点があったようです。

その後、父は、中卒者だけでなく、知的障害者の卒業生の就職の世話をしたそうですが、われわれ家族にはそんな話はしていませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「知恵袋」で入試問題を質問

携帯の持込

ヤフーが提供している『知恵袋』に、大学の入試問題を質問する投稿があったということで、マスコミが騒いでいます。

どうやら、大学入学試験の最中に携帯電話から投稿したもようです。

もちろん、投稿した本人が悪いことは当然ですが、それを許した大学側にも責任があると思います。

どんな方法で、投稿サイトに質問をしたのか分りませんが、携帯電話を使っていることは疑いがないようです。

小生の子供たちに聞くと、大学や高校の教室に携帯電話を持ち込むことは公然と許されているそうですね。

そうした習慣が、この事件の原因の一つだと思います。
そこで・・・・

| | コメント (8) | トラックバック (0)

問答法

恣意的な質問Photo

先日、ハーバート大のサンデル教授の「授業」の様子をテレビで観ました。

彼の人気の秘密は、その授業スタイル。
一方的に講義をするのではなくて、聴講生に質問するスタイルですね。
これは、古代ギリシアのソクラテスの「問答法を模したもので、哲学などの授業には有効的な方法として、今まで何人もの人が挑戦して失敗した方法です。

問答法の元祖と呼ばれる ソクラテスでさえもその方法でソフィストたちを負かせてしまい、その恨みをかったソクラテスは裁判にかけられて死刑に処せられたと伝えられています。

つまり、相手を問いただすことによって、相手の考えの矛盾を指摘し暴露するのですから、自分の矛盾を暴露された人は、嫌な思いをすることになります。

ソクラテスは こうした問答法を重ねていくうちに、「無知の知」と言って、自分が無知であることを自分は知っている・・・なんて、言ったようです。
これは、人間の知識の限界を説いたものだと思うのですが、どうやら、自分は自分が無知であることを知っているだけ、あなたよりも優れている・・・と解釈されてしまったようですね。

こうして、ソクラテスは敵をたくさん作ってしまったようですね。Photo_2

そういうわけで、この「問答法」は、うまくやっていれば良いのですが、誤解されやすい方法でもあり、質問の内容によっては相手の琴線に触れることもあり、非常に危険なやり方でもあるようです。

最近も、サンデル教授を真似してマネジメントの講義をするセンセイが出ていますが、失敗しているようです。
どうしても、質問が恣意的になってしまい、「その誘導には引っかからないぞ・・・」という心理が働いてしまうようですね。

つまり、純粋に自分が知らないから相手に訊くのではなくて、誘導尋問で相手をコントロールしようとする方法だと思われてしまうようです。

ですから、学生や青年たちにはこの「問答法」は有効かもしれませんが、社会人に対しては質問を頻発する方法には、限界を感じます。
社会人をコントロールするには、青年をコントロールするのとは訳が違うと思います。

つまり、だんだんと、質問の内容が現実的でなくなり、仮定のことを論じても仕方がないだろう・・・と思ってしまうような傾向があると思います。

ですから、問答法を成功させる秘訣は、質問が現実的であることと、質問者が ニュートラルを貫くことだと言われています。
そういうことで、小生にはこの問答法はムリです。

それに、ニュートラルも過ぎれば、ズルイ・・・と思われてしまいそうです。

ところで、ソクラテスは今でも「聖人」として尊敬されています。
それは『ソクラテスの弁明』でも記されているように、「知」と「徳」とは一体で、自分は「知」も「徳」も足りない・・・ということ素直に認め、訴えていたと思われます。
ところが、ソクラテスは損な性分で、彼の真意を誤解されたまま法廷に立たされ、その悪法に従って処刑されたようです。
後世に至って、彼の真意が理解されると、その深遠な哲学に感動する人が絶えないのですね。
彼の『弁明』は弁解ではなくて、非常に真摯で、正義を貫いたことが評価されていると思います。

それにしても、純粋な人ほど敵を作りやすいのでしょうか ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新聞感想文コンクール

シッカリ‘洗脳’

小生が毎日愛読している『静岡新聞』。
地方情報を得るための、必要不可欠な情報源です。

最初、父は『朝日新聞』を購読していました。
当時、この地方では、『朝日新聞』の購読が主流だったからです。
しかし、余りにも偏向な記事ばかりでイヤになり、父は『産経新聞』に変えたそうです。

ところが、全国紙の『産経新聞』では、地方のイベント情報が少ないので、『静岡新聞』という地方紙に変えました。
こうして、拙宅では、『静岡新聞』の購読は 今年で 40年目になります。

さて、今朝の『静岡新聞』の特集には、小学生から中学生までの『新聞感想文』が掲載されていました。
題して『平成 22年度しずおか新聞感想文コンクール』。
なぜ、『静岡』が平仮名で記されているのだろうか ?

今回で 第三回目と言うことで、与えられた課題は
① 平成 22年 4月 6日 ~ 8月 31日までの新聞記事の感想
②  新聞について思うこと
・・・なんだそうです。

この特集には、20人の最優秀賞作品、入選作が紹介されていましたが、それを読んで不安に思いました。

小学生から中学生までの範囲ですから仕方ないとは言え、紹介された児童・生徒たちは、全員、新聞記事の内容を正しいものと信じて疑っていないようでした。
つまり、新聞の記事内容や論説を批判する者は一人もなく、「人権」「環境」「平和」問題を、新聞の進める方向に素直に従った者が表彰されていました。
情報操作』、『世論誘導』という新聞の目論見が成功した例ですね。

判断能力が途上の子供たちに新聞を読ませて感想を書かせることには反対はしませんが、偏向したものを「」とさせようとするものには「悪意」さえ感じます。

子供たちに新聞を読ませて感想を書かせ、新聞に関心を持たせて、将来の購読者を増やそうと言う目論見を立てることは勝手です。

ただ、こんなことをしても、今ではインターネットからも情報を得る事が出来ます。
子供たちが、将来、インターネットの情報と照らし合わせて、新聞を見直すことは必至でしょう。

昨今、入試問題に『朝日新聞の記事』が引用されていると言うことで、受験生たちの家庭が『朝日新聞』を購読しているようですね。

しかし、その「受験生」が「学生」になると、その『朝日新聞の記事』がヘンだと気付いて、今では、『朝日新聞』は、学生たちの批判の的になっています。

ネット界では『朝P』は、毎日毎日、ボコボコに叩かれ続けています。

静岡新聞』が『朝日新聞』の二の舞にならないように祈るばかりです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

新常用漢字

きょう告示

常用漢字の改定にともなって、本日より新聞表記の一部が変わったと、地方新聞では伝えていました。

そこで、今回の改訂で「岡」とか「藤」という字が追加されたので、「静岡県藤枝市」は、常用漢字として新たに表記できると言うことなんでしょうか ?

考えて見ますと、小生が購読している『静岡新聞』、以前から『静岡新聞』で『静おか新聞』ではありませんでした。
恐らく、『熊本県』も、昨日まで『くま本県』と表記されているわけではなくて『熊本』は『熊本』でしょう。

・・・・ということで、常用漢字とは一体どういうものなのか、あらためて知りたくなりました。

そこで、新聞記事によりますと・・・

常用漢字 法令や公用文書、新聞、放送など一般社会生活で使う目安となる漢字
1946年に告示された当用漢字 ( 1850字 ) を基に、81年に 1945字を定めた。
2005年に中山成彬文部科学相(当時)が見直しを諮問し、文化審議会が 5年かけて審議、今年 6月に常用漢字表の改定を答申した。
漢字のほかの目安や基準としては、学校で学ぶ教育漢字、常用漢字に含まれないが戸籍に記載できる人名用漢字、コンピューターで処理するために規格を定めた JIS 漢字などがある。 ( 太字は筆者、 『静岡新聞』 11月 30日 朝刊 )

・・・ということは、常用漢字とはひとつの目安ということで、どうしても使わなければならない、或いは常用漢字以外は使ってはいけない・・・というものではないということなんですね。

したがって、昨日までの常用漢字に「静」や「熊」がなかったのに、新聞が「静岡」とか「熊本」と表記をしても問題がなかったと言うことになります。

当然と言えば当然・・・
では、なぜ、そんなことを記事にしたかというと、当用漢字とか常用漢字の意味が、今ひとつ分らなかったからです。

ところで、「障害者」も「子供」も常用漢字なのに、新聞では「障がい者」あるいは「子ども」と表記しています。

これは、人権団体の圧力によるもので、漢字を平仮名表記によって「差別」をなくそう・・・という趣旨らしいのですね。

しかし、漢字を平仮名にすれば「差別」や「虐待」がなくなる訳ではないですよね。

漢字は日本の大切な文化ですから、人権団体の圧力によって使わなくされてしまうものではないと思います。

ですから、新聞やマスコミ各社には、人権団体に屈することなく、漢字を使ってもらいたいものです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧