鍛冶屋の仕事

とにかく、暑い ! !Photo 

小生も妻も、四捨五入をすれば 還暦 を迎える歳です。
こうして、今もなお、二人とも仕事をさせて戴いているのは、皆様のお蔭です。

特に、小生の場合、27歳から癌を患い、また42歳で交通事故に遭い、頚椎を傷めて以来、なかなか体が思い通りに動いてくれないのです。

でも、こうして、社会の一員として仕事をさせて戴いているということには、感謝にたえない次第です。
そんな初老の男が長年従事してきた仕事が「鍛冶屋」であります。

その「鍛冶屋」とは、どんな仕事かというと、簡単に言えば、強い鉄を作る仕事です。

いちばん分かりやすいのが、日本刀のような刃物でしょう。
薄くても、しなやかで硬い。まさに鋼鉄です。

また、機械の部品もそうです。
高速で運動を繰り返す駆動部には、それに耐える強い素材が必要です。
そういうわけで、いつまでも正確な寸法を保つために磨耗しない性質を持った鉄に「育てあける」仕事が、小生の生業であります。

そのために、鉄を殴ったり、火あぶりにするなど、さんざんに鉄を虐めるのですが、そうして虐めあげて、強靭な鉄にするのが小生の仕事です。
とにかく、暑い環境で仕事をしています。

こうして出来た強靭な鉄を材料にして、さまざまな目的のものに加工するのも、小生の仕事です。

近代社会は分業制、専門性ということで、仕事が細分化されています。

しかし、零細企業の職人は、一から十まで、何でも独りでこなすだけの能力を持っていなければ「一人前」とはいえません。
そうして、自分が一人前になったら、次の世代の人が一人前になるように育てなければなりません。

それが、「職人」と呼ばれる人の生涯なんでしょう。

しかし、職業が踏襲制ではなくなった昨今、後継者不足が深刻な問題になっています。

こんな豊かな時代に、わざわざ、きつい・汚い・危険、さらに給料が安いという 4Kの産業に入ってくるのは少ないですね。
ですから、日本人は、そんなところに入ってもすぐに辞めてしまう。

ところが、外国人の青年は頑張るのですね。
なにしろ「生活」が掛かっていますからね。
半島人を除いては、外国人は、そう簡単に生活保護は受けられないので、とにかく稼がなければならない・・・。。。。

そうして外国から来た人たちは、日本人の高度な技術を盗んでは、母国の産業に寄与しているのですね。

こうして、日本の技術は空洞化する一方で、外国人は、日本の技術を逮得して、自国に持ち帰っています。

こうした現象は、今となっては一般的となり、特に日本の隣国である大陸人、半島人は、日本の技術は、既に完全に会得したものとして、もう日本人を「老師」と称して尊敬することもなくなりました。

つまり、師の教えに対する「恩」という思想は、彼らの民族意識にはないようです。

そういうことで、大陸人や半島人らは、『日本を越えた ! ! 』と思い込み、日本に対する対応が一変しました。
2011年の東北大震災で起きた原発事故を契機に、日本に対して態度が一変したのですね。

以前は、大陸にしても半島にしても、三顧の礼を尽くして、日本からの技術の導入に積極に取り入れていました。
ところが、原発事故以来、日本から学ぶべきものはないとしているようです。

特に、中国の場合は、わざわざ自国の食品加工工場の不正を取り上げて、外国による管理システムを批判するのですね。

つまり、中国での生産ミスは、それを管理する外国の責任であると。
中国が管理すれば、そんなミスは起こらないということなんでしょうか。

そんな「キャンペーン」をしでかす始末。

いくら隣人とはいえ、呆れるばかりです。

中国は、技術的には世界レベルに到達したと思っているようですが、我々から見るとマダマダです。

やはり、職人カタギ (気質) が、中国人にはないのですね。
見えないところでチョンボする・・・。
そうしたチョンボが常態化しているのが中国です。

どんなに技術が高度化したと思い込んでも、製品に信頼が置けないのでは、いつまで経っても駄目なんですね。

「焚書坑儒」みたいな政策を長年やっているので、そんなテイタラクなんでしょう。
やはり、「こころ」が大切なんですね。

しかし、翻って日本を見ると、もはや日本も中国と同じです。

食品偽装、改ざんは、日本も日常茶飯事です。

見えないところだからこそ、評価されないところだからこそ「死力」を尽くす。
そうした日本型の職人気質が減っていることは、寂しいことです。
小生は、そのような職人気質の基盤となるような「教育」を日本は「再生」する必要があると思います。

「ずるい」心は、結局は自分を苦しめることになります。

教育基本法による「道徳」の教科化を望む次第です。

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60周年記念

やっぱり行くのかな

今年は「ゴジラ」 60周年記念の年なんだそうですね。
とうとう ゴジラも還暦を迎えましたか・・・。
また、日本を守ってくれている自衛隊も 60周年記念とか。

そういうわけで、衛星放送をしている某公共放送も、また某民放も、ゴジラスペシャルとして、今まで放映された「ゴジラ映画」を一挙放送しているそうです。

そこで、小生も TV 録画機に「ゴジラ」というキーワードを入れて自動録画していたら、あっという間に録画機のメモリが満杯になってしまいました。

そういえば、小生の子供の頃は田舎の貧乏生活をしていたので、映画なんて観たことがありませんで、当然、怪獣映画なんて観たことがありませんでした。

そこで、今頃になってから、ゴジラ第一作目から順番に観ています。2014072520230000
「ゴジラ」第一作は、1954年の作品ということで、「海上保安庁」がその撮影に協力していていました。
( 写真は、『ゴジラ』第一作目の冒頭の部分 )

その後、ゴジラを退治するために、「自衛隊」が頑張ってくれるのですが、10年前の「ゴジラ 50周年記念」の作品では、日本は既に「自衛軍」を組織していました。

そこで気がついたことは、ゴジラ映画の特徴として、作品の順番にはあまり関連性はなく、全ての作品は第一作目を基準にしているようですね。

今年、海外で作られたと言う作品も「第一作目」を踏襲しているということです。

さて、それとは別に、小生にはもうひとつの「60周年記念」がありました。
それは、長年お世話になっていた前の会社が「60周年記念」を迎えるということで、OBらも招いて来月の旧盆に某ホテルで式典を開くそうです。

既に、その案内状は小生のところにも 3ヶ月前には届いていましたが、小生を「捨てた」会社ですので、行く気になれませんでした。

ところが、小生の先輩らがその式典に行くということで、小生にも一緒に行くようにと、先輩たちから重ねてお誘いの電話があったのですね。
遂に、直属だった先輩が拙宅を訪れてくれて、「一緒に行こうや・・・」と言うのです。

何か、使い捨てにされた感じの会社ですので、あまり気が乗らなかったのですが、強く誘ってくれたので、行くことにしました。

・・・こう書いていると、まだまだ小生は「子供」だと、自分ながらにも思います。

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お独りさま - 2

親を扶養することは、その子供の「義務」 ?

親の扶養義務は、男女の別、出生の順にかかわらず、その子である限りは同等に負うものとされています。
ですから、戦前のように長男であるという理由で、他の兄弟姉妹よりも扶養を大きく負うことにはならないはずです。
しかし、親の体を兄弟の人数分に切り分けることは出来ませんから、実際には誰かが特段な負担を負っています。
しかし、それでは不公平ということで、ほかの兄弟姉妹それぞれの生活状況等を考慮して、扶養の負担を分けることができるはずです。

しかし、拙宅の場合は、長男である小生が、母の介護料を払っています。
勿論、母の年金や預貯金の管理をしていますが、それだけでは足りません。
また、施設で問題が起これば、小生が対処します。
それに対して、大企業に勤め小生よりも遥かに高給であろう弟は、介護料は払っていません。
もちろん、問題があっても呼び出されることも無く、母が肺炎で入院した際も、見舞いに一回来ただけです。
どうやら弟は、母の件は長男である小生に任せ切りの構えを崩していません。
小生が払えなくなるまで、‘たぬき’を装うつもりなんでしょうか。

そこで、ネットで「親を扶養する」で検索してみたら、扶養料の支払いの減額あるいは扶養の必要はないと判断をされる場合があることがわかりました。

その典型な例として,親が子を虐待していた場合があるようです。
そこで、小生の弟をみると、母から特に虐待を受けていたという印象はありません。

・・・ということで、小生は弟に対して母の扶養の分担を請求しても良さそうです。
弟の嫁さんは、何て言うでしょうか ?

さて、さらに調べてみると、扶養にも「優先順位」があるようです。Photo

一般的には、まず配偶者や未成年の子を扶養し、なお余裕があるときに親を扶養するということになっているようです。

つまり、自分自身に扶養する能力がなければ、扶養する義務から免れると言う考え方です。

いまや、家庭保護の時代。親の扶養の余裕がない人が増えていることは事実でありましょう。

さらに、まるで「社会主義国」みたいに国民に手厚い制度を完備した今の日本では、扶養は個人の問題ではなく社会の問題として捉え、なるべく個人の負担を軽くしようという動きがあるようですね。
つまり、社会が子供を育て、社会が老人を介護する・・・・。。。。

それが「介護保険」となって現れているわけです。
そうしたシステムが、お独りさま増加を助長している側面があるようですね。

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お独りさま - 1

親を扶養する義務1

本日は、母がお世話になっている介護施設から‘呼び出し’があり、仕事を休んでいます。
(仕事が大嫌いな小生にとっては、久々に正当な理由で会社を休めました。なにしろ、仕事をしても休んでいても薄給の固定額は変わりがありませんから・・・)

どうやら、母の老化が進み、そこでもう一段‘ランクアップ’した施設への転居を勧められました。
またまたお金の掛かる話であります。
そこで、小生にはたった一人の兄弟である弟がいますから、彼と相談してからにする・・・ということになりました。

さて、認知症が進んだ母にとって、施設に入居できているということは、母はもとより、その子供である小生にとっても幸いです。

周囲を見渡せば、本当にこれで良いのか・・・と思う老人が、独りで暮らしています。
また、そうした独居老人が亡くなり、廃屋となってそのままのところが目立ってきました。

朝刊に目を落とせば、「人口減で『非常事態宣言』 全国知事会 強い危機感示す」とあります。

老後の問題は、もはや母の問題ではなく、自分自身の問題だと認識せざるを得ません。

そこで、いま話題の「お独りさま」について、一考してみたいと思います。

なぜ、独居老人が増えているのか・・・。
それは、親を扶養する義務を怠っているから ?
今回は、これをシリーズとしてみたいと思います。

ご参考として、この問題に関する法律を紹介したいと思います。

民法877条第1項
直系血族及び兄弟姉妹は互いに扶養をする義務がある。

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はしご外し

組織の原理T_science_a15

世間を騒がしている STAP騒動。
いよいよその論文の共同著作者の中の管理責任者が出できて釈明していました。

それを聞いていて、小生の父を思い出しました。

機械の製図屋として地方の鉄工所に勤めていた父でした。
戦後まもなくアメリカから輸入した「品質管理」に触れた父は、それをライフワークとして定め、その普及に努めました。

しかし、当時は管理者とは経営者と同義語で、会社の製造過程に管理部門を作ると言う発想はありませんでした。

とにかく「標準化」そのものが「標準化」されていない時代。
「品質管理」とか「標準化」に関するテキストを作る必要性を感じ、その草案を書いて某大学の教授に見てもらいました。

すると翌年、その某教授は、自分の作品として父の書いたテキストを公表したようです。
そのとき、父は学会の「体質」を知ったと言います。

父が 30歳になった時の出来事でした。

その後、父は 「組織」の研究を深め、組織の中で管理部門を動かす方法として小グループを編み出し、それを「標準化」したようです。

ところが、会社組織が複雑化、肥大化する中で「品質管理」は社内の「管理部門」だけでなく、外部の第三者機関として組織され、監査行為をするような格好になってきました。

そうした「公正」な判断によって、日本の高品質は世界から信頼を得るようになったようです。

こうして「品質管理」は、外部認証組織として変貌し、その権威を持ったようです。

しかし、その「権威」は、欠陥ばかりを指摘して自らの責任は持たない「特権貴族化」し、さらに独善的になったので、いまや、その末路は「労組貴族」と同様な様相です。
つまり、形骸化ですね。

そういうわけで、中国やベトナムでは「ISO 14000」は、社壁のデザインとして活用されています。

話を元に戻すと、現在、騒動中の STAP現象は、ゴースト化したようで、今や問題は、その組織としての責任問題になっているようです。

「責任回避」、いわゆるトカゲのシッポ切りですね。
理研は保身行為に走っているようです。

本来なら、追試ができない研究は、普遍性がないものとして ボツ です。

しかし、その研究を完全に捨ててしまった場合、他のところで追試で成功したら、その研究成果は追試に成功したところに取られてしまう可能性があります。
そうなれば、理研の権威は損なわれ、それによる「利権」も失うことになります。

そこで、今回のような政治色の強い「玉虫色」の会見になったようです。
そんな感じで、研究者と言うよりも人間の「欲」が前面に出てしまった感じの会見でした。

日本のトップのシニア学者がこんな体たらくでは、日本人科学者の信頼性は、かつての ES細胞の韓国のように、地に落ちてしまった印象です。

日本の科学会が利権にまみれていることは、原子力災害のときでも明らかになりましたが、若者が上ったたはしごを外すような「学会」ではね・・・。

‘はしご’を外され、屋根に取り残された若き研究者は、「SATP細胞はあります、200回も作りました。」と叫び続けます。

今や、韓国や中国の科学者が世界から疑問視されているように、今後の日本の科学者の研究姿勢・倫理観が問われることになるのでしょうか。
そうして、日本在住の研究者のノーベル賞は、離れてしまって行くのでしょうか。

これでは、日本の有能な科学者、技術者は、欧米に流れる一方ではないでしょうか ?

ところで、今回問題になったのが「理研」の「利権」「権威」。
そして、その無責任さ。
そうした無責任な特権貴族の末路はどうなっていくのでしょうか ?
「没落」の一途なんでしょうか ?

そんなことはありません。
その権威にすがる人がいる以上、その組織は存続するでしょう。
また、官僚組織のように、寄生虫としてしぶとく行きぬくの「組織」もあります。

こうして、無責任体制が続いていくと思います。
残念ながら、これが、人間の組織とか体制の本質ではないでしょうか ?

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ブラックバイト

学生らが「ユニオン」結成

本日の『静岡新聞』夕刊のヘッドラインは「ブラックバイト」。

新聞の解説によると、ブラックバイトとは、「低賃金で重労働やノルマを強いられるアルバイトのこと。残業代の未払いや休憩なしの長時間労働など法令違反伴うことが多い。企業で非正規雇用の比率が高まる中、正社員の仕事をアルバイトに肩代わりさせる動きが進んで登場した。パワーハラスメントや暴言を繰り返したり、恒常的に長時間労働を強いたりして社員を使い捨てにする企業を表す「ブラック企業」をなぞらえた表現で、中京大学の大内裕和教授(教育研究)が2013年に提唱して広がった。」とあります。

「休憩なし」「残業代なし」「辞められない」・・・。
学生らを違法な条件で酷使するのがブラック企業

それに対抗しようと、学生らが労働組合を結成したという記事でありました。

ところで、今の日本で、ブラックでない企業なんてありますか ?

わが社は健全です。シロです ! !
という企業が、万一ありましたら、このブログにコメントを下さい ! !

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独りよがりの職人気質

目的は人格の陶冶Photo

新社会人になった長女。
学生時代とは勝手が違い、帰宅するなり溜め息を漏らしていました。
それを見ていた社会人 5年目の次男坊。
「お姉さんは、まだまだ。3年間は半人前。これからだ ! !」なんて、一人前のことを言っていました。

確かに、入社をして一人前の仕事が出来るようになるまでには、会社や先輩たちのお世話になるわけでね。

こうして仕事を効率的にこなしたり、高度なものに仕上げるために、経験を重ねて、その技のカンやコツを習得するわけです。

ところが、ある程度の経験を積むと、自分の技量に陶酔する人がいます。
「自分って天才ではないだろうか ! ? 」なんてね。

確かに、飲み込みの早い人の中には、他人よりも速く上達する人がいます。
そうして、コンクールなどで賞を取ってくるのですが、小生のような引退間近の人間から見れば、早熟な人ほど謙虚でなければならないと思います。

天狗になる人は、没落するのも早い傾向があるような気がします。
特に、職人気質 (かたぎ)の人に、そんな傾向があると思いますよ。

特殊な技術が必要な仕事、たとえばスポーツ選手とか音楽家、システムエンジニアなどの場合、その素質がないと大成しないものがあると思います。

逆に、政治家などは年齢など関係がないと思うことがあります。

また、バイリンガルになるには 10歳までとか、ピアノは 4歳前から始めないと間に合わない・・・などと言われますね。

つまり、高度な技を体得するには、その素質とか開始年齢とか、周囲の環境とかも関係するようで、その人の努力だけの問題だけではなさそうです。Photo_2

小生の仕事は鍛冶屋なんですが、小生は、この仕事の開始年齢は 18歳では遅いと思っています。

そうして、その仕事のカンやコツを覚えると、人間は高慢に陥りやすいのですが、仕事の目的は「後進の育成」で、そのためには「高度な技」と「人格」が必要だと思います。
ここで言う「人格」とは「人柄」「魅力」ですね。

つまり、どんなに人格者であっても、その仕事のための「高度な技」を持っていなければ、指導できません。
と同時に、どんなに高度な技を持ち合わせていても、「人格者」でなければ、後進はついてきません。

最近、小生はそう思うようになったのです。
もはや、「俺の技に惚れ込んできた奴なら弟子にしてやっても良い・・・」なんていう時代ではないのですね。

重ねて言いますが、ここで言う「人格者」とは、信仰に篤い人とか道徳的な人とかを指すのではなく、「愛情」のある人です。
逆に「良い人」は「人格者」ではないと思うのですね。
他人から良い人に思われたいと思っている人は信用が出来ませんから。

そういうわけで、大酒飲みでもギャンブラーでもいいと思います。
とにかく本気で、後進を「育てよう」という気持ちがあれば、自ずと人は付いてくるものだと思います。
そうした「親分肌」の人が少なくなったのが、日本を寂しくしている一因だと思うのですね。

「俺って天才・・・かも」なんて思う間は、まだまだ・・・
と、社会人 11年目の長男が次男坊に言っていました。

ということは、小生は まだまだ・・・と言うことになります。

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第二日目

青色吐息

今月から消費税が上がったということで、昨日は、早朝からその切り替え作業をしました。
そして午後は、会社関係のお葬式。
取引先の社長のお母様が 92歳で亡くなったということで、ここでも「長寿銭」が配られました。

さらに、今度は長女が勤め始めたばかりの病院の院長のお母様が亡くなったということで、新人社員である長女の初仕事は、そのお手伝い。
さらに、さらに、拙宅の近所でも不幸が重なっています。
新年度の初日は、弔事ではじまりました。
亡くなった直接の原因は、ほとんどが誤嚥性肺炎。
最近、高齢者に多いですね。

そういうわけで、新年度二日目なんですが、朝の第一声は溜め息。

不幸がなくても、恐らく、多くの静岡県民が、今朝は溜め息をついたと思います。

静岡県の場合、全国の平均と比べて、新年度からの給与の引き上げが少なかったのが その原因です。
さらに、予想通り、昨日の客の入りは最低でした。

ただ、家内がパートに行っている観光バスの立ち寄り所は、年度が代っても超多忙。
静岡県の観光業界は、富士山世界遺産効果のお蔭か、衰えを知りません。

しかし、気になる現象があります。
それは、お役人の「ハコモノ」の乱立です。

たとえば、県が建設を決定した「富士山世界遺産センター」。
これは、富士山の水の循環をテーマにしたもので、体感を通して自然の恵みを考えてもらおうと言うものみたいです。
さらに、その循環の仕組みを学術的に研究をしようというもののようです。

しかし、わざわざ巨費を投じて作るものでもないと思います。
どうせ官僚の天下り先になり、閑古鳥が鳴くでしょう。
そういったものは大学や民間に任せれば良いでしょう。
今、必要なのは富士山の保全ではないでしょうか。

また、富士山の噴火も話題になっています。
ですから、そんなところにお金を回している場合ではないと思います。

とにかく、富士山が世界文化遺産になったと言うことで、その維持保全のために多額のお金が必要になったようです。

もう、富士山自体が、「ハコモノ」です。

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どうした、静岡県の社長さんたち

賃上げに躊躇

昨年、富士山が世界文化遺産に指定されてからというもの、家内がアルバイトに行っている バスの立ち寄り所は大忙しです。

そして、小生が知る限り、静岡県の産業界は全般的に上向いていると思うのです。

ところが、日銀の短観や新聞記事を見ると、どうやら静岡県の景気回復が遅れているようなんてすね。

さらに、企業や労働者も県外に流出していると伝えられています。

小生の実感とは裏腹に、思った以上に静岡県は元気がないようです。

その原因のひとつは、予想される東海地震、東南海地震の規模が余りにも大きくて、さらにテロによる原子力発電所の事故なども予想され、それに対応するために県外に避難していると思われます。

新聞を読むと、毎日のように地震津波災害、原発事故について報道されています。
それを見ただけでも、静岡県から離れたくなる気持ちになることはうなづけます。

実際に、海岸沿いの町から山のほうに移住したひとも多く、そのためか、県内の海岸近く、あるいは原発近くの土地は、空き地や廃屋が目立ちます。
それに伴ってか、閉店するところも目立ち、それが元気がないように見えるのだと思います。

それが、賃上げにも影響しているのかもしれません。

しかし、前述の観光産業をはじめ、自動車産業など、空前の好景気に沸いています。
そして、それらの裾の産業も潤っているはずです。
つまり、本当は静岡県の景気は良いはずなんですね。

「景気は気持ち」といいます。
やはり、企業のトップである社長さんたちが意欲を示さなければ意味がありません。

物価が上がっても賃金が上がらなければ消費者の購買意欲は沸きません。

そういうことを理解して、静岡県の社長さんたちには頑張ってもらいたいものです。

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人手不足

休みがないPhoto

次男坊が船から降りてきました。
その次男坊は、フェリーのコックをしていて、3週間働いては 2週間休憩すると言うシフトで、今回も 2週間の休みがあるはずでした。

ところが、このところの観光ブーム、特にクリスマス・イルミネーションとか伊勢神宮などの初詣の予約が殺到しているようで、今回の休みは 1週間ということです。

ところで、次男坊は高校に通いながら調理師免許を取得。
近所の食堂でアルバイトをしながら、調理師学校の資金を稼いでいました。

その次男坊がお世話になった食堂なんですが、どうやら調理人が病気になり、船から降りたばかりの次男にアルバイトとして来て欲しいというのですね。

バイクのツーリング仲間でもあるその食堂のご主人の頼みと言うことで、次男は次回の乗船まで手伝うことになり、早速、今朝からアルバイトに出かけています。

それにしても、この忙しさは異常です。Dec01_a03

小生も忙しいと思っていましたが、子供たちの勤務時間と比べれば、暇なほうですね。

長男は相変わらず、スーパーマーケットのチーフとして 朝の 5時から 夜の 11時まで。
T_science_a15 長女は、大学の卒論と、薬剤師の国家試験を控えていて、徹夜で勉強をしています。

家内も、観光バスの立ち寄り先にアルバイトに行っていて、朝の暗いうちから家を出て、夜の 8時ごろに帰ってきます。

そういうわけで、家内も子供たちも、忙しさに比例して、その収入も増えているようで、今月も今までの最高額を貰うようですよ。Cooking_a07

羨ましい話しですね。
小生は、家族の夕食づくりで忙しいです。

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