『菜根譚』

100分 de 名著

今月の NHK教育放送の番組『100分 de 名著』が取り上げたのが『菜根譚』。

中国の『人生訓』ですね。

儒教・仏教・そして道教、この三つの教えをバランスよくミックスしたものということで、日本でも読まれている本なんだそうです。

実は、小生はその本の名前は知っていましたが読んだことがないので、早速、図書館で借りて読んでみました。

・・・目から鱗ですね。

それにしても、なぜこうした立派な教えがあるのに中国では広まらないのでしょうか。

小生が考えるには、中国には焚書という習慣があるからでしょう。
つまり、権力闘争に勝つと、今までの伝統を焼き払ってしまう・・・という習慣ですね。

そういうわけで、中国には 4000年の歴史があると言いますが、革命によって せっかく積み上げてきた伝統を絶ってしまうということで、・・・なんとも勿体ない。

そういうわけで、どんなに立派な教えがあっても次世代に受け継がれず、国民性にも反映されない・・・。。。。

実際には、今の中国の歴史は 中国共産党の歴史ということで、100年にも満たない・・・ということなんでしょう。

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所 功 編著 『日本の宮家と女性宮家』

スペア確保2014042620070000

小生は長男、そして家内は長女ということで、弟妹の気持ちが分からない夫婦です。
その夫婦の間に生まれた次男坊が、「どうして僕は、お兄ちゃんやお姉ちゃんのお古ばかりで、新しいものを買ってもらえないのか ? 」と、家内に詰問したことがあるそうです。

どうやらその答え方が最悪だったらしく、次男坊の心を深く傷つけ、その悔しさは、小学校の卒業文集にも滲ませていました。

その題が「僕はお兄ちゃんのスペアタイヤ」。
この題名だけで、家内が何を言ったのか想像できるでしょう。

子供のみならず大人だって、自分の存在は特別なもので、誰にも代えがたいものです。
さらに、戦後の「自由・平等」教育によって、個人主義が確立しました。

そんな時代に、自分という存在が親から「スペア」「予備」と言われては、不良になっちゃいます。
しかし、次男は真っ直ぐに育ってくれて、いまでは母の大失言を理解して許しています。

現実の社会では、野球にも二軍があり、サッカーにも控えの選手がいます。
つまり、集団では『予備軍』の存在が重要な鍵になりますね。

そうは言っても、予備の選手に対して、あなたは「スペアだ」なんて失礼な言い方をしてはいけません。
彼らは、レギュラーと同じ気持ちで頑張っていますから。

さて、ここで紹介する本は、日本の元首のスペアに関する本です。
つまり、次期天皇をどうするのか・・・ということで、今上陛下をはじめ、将来の天皇候補者の崩御を前提にした話ですから、失礼千万なものです。
戦前に、こんな本が出れば「不敬罪」に問われて、「万死」に値するでしょう。

しかし、戦後になり、主権が国民に移った時点で、今度は、その国民に「次期天皇」問題をどうするのか、その責任が降りかかっています。

つまり、今の憲法や法律では、天皇には公務の義務が記されているだけで、権利は何も記されていないのですね。
自分の後継者を決める権利もないのです。

そういうわけで、天皇の後継者問題は、この国の主権者である国民に委ねられているのですね。

この本は、その国民の責任について述べてはいません。
皇統の継続が危機的状況であって、今、この時点で手を打っておかないと、大きな禍根を残すと警鐘を鳴らしています。
さらに、それを打開するためには「女性宮家」をすぐにも創設しなければ間に合わないと説いています。

ところが、国民のほとんどが現行の皇統の「男系男子の相続」を支持しているようで、「女性」とか「女系」という「女」の文字が入っているだけでも、全身にアレルギーを呈する人までいるということで、「女性宮家」という文字を見ただけでも、読む気になれないようです。

しかし、そんな「女」アレルギーの人にこそ読んでいただきたい一書です。
女性の方が読めば、女性が日本を支えてきた様子がよく分かり、勇気がわいてくるかもしれませんね。
ピンチを救ったのは、いつも女性で、今回の皇位継承問題でも、秋篠宮の紀子さまによって日本は救われました。
しかし、皇統の危機が全くなくなった訳でもなく、根本的な問題は残ったままです。

それにしても、男性である小生は、読んでいるうちに寒くなって、大きな不安に襲われました。

所 功 (ところ いさお) 編著 『日本の宮家と女性宮家』 (女性宮家創設と皇位継承問題を解き明かす) 新人物往来社 2012年 9月25日 第一刷発行 ISBN 978-4-404-04251-4  全一巻 348ページ

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『はじめての道徳教科書』

ザンネンなテキスト

第一次安倍内閣で、教育基本法を改正し、さらに第二次安倍内閣では、道徳を学校教育の教科にしようということで、この『教科書』はその流れに沿って作られたものと思います。

表紙には、富士山と桜、まさに「修身」のイメージです。

そして、内容を見ると、最近起きたことをふんだんに取り入れていて、道徳にありがちな古臭い感じはしません。

この「教科書」では、道徳教育の目的を、ハラの据わった人に育てることとしています。
ハラの据わった・・・とは、覚悟が決まったヒトというイメージです。
しかし、「はじめて教科書」ですから、それよりも人としての基本的な善悪を教えることが順序だと思います。
そして、道徳教育の最終目標は、人格の形成ということで、人として社会生活が出来る人間に育てることだと思います。

そういうわけで、「はじめての教科書」としては、ピントがボケていると思います。

しかし、それ以上に重大な問題があります。
それは、一番の要のところが間違っているからです。
これでは、教科書とはいえませんね。

それは、日本神話にある 天照大神の天岩戸籠もり 伝説。

日本の神話を取り入れたこと、さらに天皇家の皇祖について取り上げたことには評価できます。

しかし、たいへんザンネンなことに、この本も、天照大神が岩戸を立ててしまったのは、弟神である素戔男尊の乱暴に腹を立てたからと記されています。
それでは ただの ヒキコモリ伝説 です。

そうではないでしょう。

素戔男尊の行動に対して、自らを反省するためにお隠れになり、そうして更に立派になられた天照大神。

つまり、戦いをせず、自己反省をすることによって自分を高め、周囲の賛同を得たということです。

最近の解釈では、天の岩戸籠りの伝説こそ、天皇家の始祖である高貴な精神が、日本を統一した建国の精神であり、万世一系の歴史をもつ皇室の「淵源」であることが明らかになりました。
つまり「見畏む」という天照大神の精神作用が高徳であったのです。

その「建国の精神」に感動して天照大神の子孫に忠誠を誓ったのが、日本特有の大和魂です。
それが、日本国民の基礎の基礎の精神です。

そこを間違っていては、日本の道徳の教育になりません。
それでは皇室の万世一系の説明ができないでしょう。

また、この本は、新渡戸稲造の「武士道」を紹介していますが、徳目を羅列しただけでは、意味が分かりません。
以前の『修身』の教科書のように、キチンと説明をすべきでしょう。
さらに武士道とは、単に君主に仕える精神だけです。
新渡戸稲造が著した精神は、そんなチッポケなものではありません。
『大義名分の教育』、それが新渡戸稲造が一番言いたかったことです。
そうした重大なことを、少しのコラム欄に納めてしまうものではないと思います。
昔の修身の教科書は、このいわゆる「武士道」だけでも一冊をかけて訓説していました。

そういうわけで、この教科書は、ザンネンな・・・というよりも、まったく使えないテキストです。
これは、教室で使うことを禁じましょう。

道徳教育をすすめる有識者の会 編  発行 育鵬社  発売 扶桑社 2013年 12月 5日 初版第一刷発行  1,200円 ISBN978-4-594-06958-2

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天璽畏言

ご皇室の祈りSep02_a24

ご無沙汰しておりました。
暑さ寒さも彼岸まで・・・とはよく言ったもので、今年の猛暑もスッカリおさまった感じですね。

本日は、中秋の名月、しかも満月ということで、秋であります。
秋といえば、文化の秋、スポーツの秋・・・
しかし、小生にとっては、味覚の秋、つまり食欲の秋であります。

そうは言っても、食べてばかりでは太るばかりですので、就眠の誘い水として、本を読むのも良いでしょう。
そういうわけで、今回も「本」についてご紹介したいと思います。

ところで、「本」は、当然ながら文字で記されています。
その文字もいろいろあって、東アジアでは中国の影響を受けて、日本をはじめ、韓国もベトナムなども漢字圏とされています。

しかし、漢字圏で暮らしているといっても、読もうとする本が本格的な漢文で記されていると、珍文漢文 ? で、なんて読んでいいのか分からないのが一般のアジア人だと思います。

本家、中国に行っても、漢字が分からない中国人が意外と多く、さらに、日本にはない漢字があって、なんて読んでいいのか分からないことがありますね。Photo
たとえば、「中華人民共和国」を中国では「中华人民共和国」と記しています。
中国でも画数の多い漢字は略字化しているようですね。

そういうわけで、日本では、漢字を母体として平仮名や片仮名を発明し、和言葉の音に合わせた文字を織り交ぜて、日本語としています。

韓国の場合は、規則正しいハングル語を発明し、また、ベトナムではフランスの植民地時代に培ったアルファベットを利用して音を合わせ、難しい漢語に対応させているみたいですね。

そういうわけで、漢字圏では、昔の漢文を読める人が少なくなっています。

その漢文が読めなくて困る理由は、中国の古文や古書が読めないからではありません。
本当に困るのは、わが国の最古の歴史書とされる記紀をはじめとする日本の古書が漢文で記されているのが多いのですね。
つまり、日本の重要な歴史書が漢文で記されているので、それを読むには、必然的に漢語や漢文の素養が必要となるわけですね。

漢文を読むのが嫌な人は、その文章の注釈文、あるいはその本の解説書を読むのも良いでしょうが、そうした類の書物は、どうしてもその著者の思い入れが反映していて、書物として正確でないことが多い気がします。

ですから、やはり原書を読むことは大切なことだと思うのです。

そこで日本の場合、幸いなことに、漢文にしても古文にしても、その文法を発見して、現代の和文と対応させてなんとか読める状況になっていると思います。
そして、読みに慣れてくれば、いちいち上下しなくても、縦読みができてくると思います。

さて、今年は、20年に一度とされる伊勢神宮の式年遷宮の年ですが、その伊勢神宮を詳細に著している『伊勢神宮とわが国体』という本を、このブログで紹介したことがありました。
これは、大正四年に発刊されたもので、全体が文語調で、漢文で記された史料もふんだんに引用されています。

つまり、今の本のように、読者に読みやすいようになっていないのですね。
どちらかといえば、学術論文に近いものです。
ベストセラーを狙った書物ではないということでしょう。

( 内容が似ている本として 『伊勢神宮とわが国体』の著者 広池千九郎の実弟という 一松又治 ( ひとつまつ またじ ) が著した『伊勢神宮と大和民族』があります。この本は、読みやすいと思います。)

その『伊勢神宮とわが国体』という本の中で、江戸時代の国学者である矢野玄道 ( やのはるみち ) という人が考証したとされる『天璽畏言』という本が引用されていますが、これも現代では電子図書として閲覧することができます。
(本当に、便利な世の中になったものだと思います。)

それをみると、江戸時代までの内裏の様子がよく分かります。
内裏とは、いわゆるタブーとされていた「菊のカーテン」の中のことですね。
皇室の歴史や儀式に関心のある人にとっては、非常に興味深い記事が記されていると思います。
( ある意味、日本人には、必要な知識かもしれません。)

秋の長夜で眠れない人は、よかったら、そんな本にも挑戦してみてはいかがでしょうか ?

この本は、電子書籍にも登場しているぐらいですから、そんなにマニアックなものではないと思います。
当然、尊王思想的に偏っているようにも思いますが、 Wikipedia の皇室関係の記事を読むと、この本を参考にしていると思われる文章に出会いますから、「大丈夫」の範疇だと思います。

ちなみに、同様に現在のご皇室の内部の様子を記した本としては、『象徴天皇』 ( 岩波新書.1987年.高橋紘 著 )の「宮中祭祀」の項などに詳細に記されていますよ。

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生島ヒロシ 著 『ご機嫌な老活』

生涯を面白く過ごし切るには

久しぶりの本の紹介です。
・・・と言っても、先日、大正時代の本を紹介しましたが、今回は、6月に出版されたばかりの新刊です。

題名は『ご機嫌な老活、- やっぱり生涯ずっと面白く働いていたい - 』というものです。
その題名が示すように、この本には年齢制限があるようです。
つまり、読者の対象は、老人と呼ばれる年齢前の人みたいですよ。

著者は、フリーアナウンサーの 生島ヒロシ さん。
・・・ということは、タレント本の一種ですね。

この本も、市立図書館で借りたものです。
二週間前に、市立図書館で検索してもらったら、蔵書がないということで、新しく取り寄せてもらったものです。

最近の図書館では検索機能があって、その図書館になければ、最寄の図書館の蔵書を調べてくれて、それでもなかったら買い揃えてくれるのですね。
ですから、小生は新刊を買うことはないのです。
さらに戸棚に本が溜まる事もないし、捨てることもないのですね。

そうして、昨日、図書館からメールがあり、本が用意できたというので、帰りに借りてきました。
メール登録しておけば、そうしたサービスもしてくれるのです。

そうして、読んでみたのですが、30分ほどで読み終えるほど、中身の薄い本でした。

たとえば、離職するまでに、三千万から五千万円ためておこう、そのためには投資信託などの運用をしようということですが、それは危ない考え方です。
運用とは、誰かが儲かれば、誰かが損をしている。誰もが確実に儲かる運用なんてあるはずがありません。

とにかく、健康で前向きに行こうということで、老々介護も覚悟するように記されていました。つまり、介護保険について、事前に知識を持っておこうというものですね。

どうやら、生島さんも、親の介護にご苦労された経験があったようです。
小生は、介護保険が成立する前から親の介護をしていたので、介護には制度の知識のほか、具体的な介護方法などある程度の経験を積んでおく必要があると思います。
数年で介護が終わる人もいれば、20年も 30年も介護を続けている人もいます。

パートナーが倒れてから、はじめて介護を学ぶほど、老人は若くないみたいですね。
とにかく、老後に備えるという「老活」は必要でしょう。
そして、いま流行の「終活」へと続くわけです。

2013年 6月24日 初版第一刷 、日経PB社 発行 、p.195 、 1500円
ISBN978-4-8222-6380-5

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天照大神がスゴい理由

国体の意味

本日は、今上陛下が仰せられた「日本国民が忘れてはならない日」のひとつです。
いわゆる ヒロシマです。

この「ヒロシマ」と、次の「ナガサキ」の二発の核爆弾で、日本語の「国体」の意味が変わりました。

つまり、戦前の国体の意味は、国柄およびその本質という意味でした。
しかし、戦後の国体は「国民体育大会」の略語です。

こうして、戦前の国体という言葉は死語となり、その国体論は右翼思想として偏狭な思想としてみなされているのですね。

ところで、今年は 20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮の年です。
その伊勢神宮の内宮には、天照大神が祀られています。

また、皇居の賢所でも、天照大神が祀られているといいます。

その天照大神が日本の皇祖として崇拝されてきた理由が記された本が、国会図書館にありましたから、ご興味のある方は、参考にしていただきたいと思います。

それが、神宮皇學館教授 広池千九郎 が著わした 『伊勢神宮と我国体』という本です。
いわゆる「国体論」を記した論文調の著作です。

しかし、この本は、最初から ザンネン な本であると思います。

つまり、日本の国民性が世界で最高である理由を述べる目的で記されているからです。

考えてみれば、どの民族も どの宗教でも 自分たちが最高だと思っていますね。
そうしたなかで、日本民族が最も優れていることを説いても、他の民族や宗教の人は聞く耳を持たないと思います。

特に、今の日本のなかで嫌韓思想を持っている人以上に、朝鮮に対する偏見は、相当に強いものです。
それが、当時の日本人が、当時の朝鮮人に抱く常識だったのかもしれませんが・・・。

また、それが日本が国粋主義に走った原因にもなり、そうした意味で、この本は「ザンネンな本」であると思います。
そういた意味では「国内向け」の本でありましょう。

しかし、それにしても天照大神がスゴい理由、日本国民から尊崇されてきた理由が考証的に記されている点は評価できると思います。
まぁ、学問というよりも、汎神論と言うほうが近いかもしれません。
あるいは、今となっては厚い信者の単なる宗教論と片付けられてしまうのかもしれませんね。

いずれにせよ、天照大神の信仰の理由、皇統のはじまりを知る上で、また、明治・大正時代の考え方を知る上で、大いに参考になると思います。

まずはご覧になってください。

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ホテルの『古事記』

ホテルの備品に

ホテルの中には、各部屋に『聖書』が置かれているところがありますね。

このホテルには、『古事記』が置かれていました。
非売品ということで、本の番号もありません。

2013011420210000 2013011420230000

どうやら、ホテルに『古事記』を置こうとするプロジェクトがあるようですね。
日本国民が、日本神話を大切にする・・・
良いことですね。

(クリックすると、画像が拡大するはずです)

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日本武尊論

郷土の神社史Photo

この本は、長女が生まれたときに購入したものですから、今から四半世紀前に出版された神社史です。
つまり、図書館から借りた本ではなく、小生の数少なくなった蔵書の中の一冊です。
価格は 1万 5千円ですから、そんなに廉価なものではなく、もちろんメジャーなものではありません。

632ページの厚い本なので、読む優先順位が低く、それが今ごろになって読むにいたった原因なんでしょうか。
それよりも、母が施設に入って介護から開放されたので、ようやく溜まっていた本を読むことができるようになったというのが本当のところでしょう。
また、今年は古事記 1,300年ということで、そうしたこともあって、積読から開放 ? する気になったのも一つです。

さて、平成元年に焼津神社から発行されたこの本は、焼津神社の祭神である日本武尊 (ヤマトタケルノミコト) を中心にすえて焼津市の歴史を綴ったもので、市が編纂している「市史」よりも分かりやすく面白いものです。
ただ、戦争中の焼津港の徴用船の歴史が除かれているますから、市史とはいえませんね。Photo_2

さて、焼津というところは静岡県の中部地方の沿岸部、つまり東海道の沿線沿いにある漁村です。
しかし、かつては漁村というよりも、東海道を旅する人を襲った賊衆 (アタドモ) が潜んでいたところで、やがて平地を開拓して農業をするようになり、そしてさらに津を開発して漁業を営むようになったという大まかな歴史があります。
その焼津の民が盗賊だった頃に現れたのが東征中だった日本武尊。
残念ながら、焼津の民は日本武尊から返り討ちに遭ってしまったのですが、それを記念したのかどうかは分かりませんが、焼津神社を建てて彼を祀ったのが反正天皇四年 つまり 西暦 409年ということなんだそうです。( 『総国風土記』 )

実際に、焼津の地から、四世紀前半の祭祀遺跡らしきものが出土されていますが、それが焼津神社かといえば、そうではなさそうです。
史実としては、『延喜式』という書籍に、延喜五年 つまり 西暦 905年には既に焼津神社があったという旨が記されているところが確実な線でしょう。

いずれにしても、焼津神社は古い郷社であったことは確実で、焼津という地名からして、記紀などに記されているような 「地名起源説話」に基づいたものなんでしょう。

そして江戸時代には、儒教を中心にした漢学に反発して国学が起こったのですが、その国学は日本の古典を研究したもので、焼津神社も遠州国学の学統をくみ、独特な信仰体系を築いて行ったようです。

そうして、明治 16年には、当時の政府の国策の中心であった皇国史観を反映してか、焼津神社は「郷社」から「県社」に格上げとなったわけです。

このようにして焼津神社は発展してきたわけですが、その祭祀の内容は、日本武尊を総合的な人格としてみなし、焼津の通年祭は、日本神話のなかの東征伝を再現したものなんだそうですね。

そうしてみると、今まで不思議だった祭りの内容が分かるような気がしました。
ですから、焼津祭りに熱狂する風土の由来を知る上で、この本は貴重な一著だと思います。

『日本武尊論 -焼津神社誌- 』 平成元年 8月 8日発行、桜井 満 著、632ページ 桜楓社 ; ISMN 4-273-02342-3

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船員しんぶん

活躍する船舶

この震災から ちょうど一ヶ月なのに、恐ろしいほど何もしない政府・民主党。
いったい我国の首相はどこに行ってしまったのでしようか ?

それを反映したのでしょうか、昨日の統一地方選挙では、民主党が大敗。
多くの地方議会では、自民党が第一党に返り咲いていますね。

【追記】 静岡県では自民党の議席数が増えましたが、全国的に見ると、自民党も減らしたようですね。

ところで、自粛ムードの蔓延で、近所の満開の桜の木には提灯が下がっていません。
桜祭りが中止されているのですね。
確かに、罹災された人のことを思うと、花見遊山だなんて気分にはなれません。

しかし、そんな沈滞したムードでは復興が遠のくばかりだと思います。
自粛を自粛して、活気に満ちた社会にしなければならないと思います。
なのに、役所の主催するイベントが全て自粛・・・。
自粛しても、公務員の給料は下がりませんが、民間の給料は確実に下がります。
こういった状況なのに、まず第一に‘保身’を考える公務員にはウンザリです。

とにかく民間人らは、復興に向けて、一生懸命にがんばっています。
その一つを紹介してみましょう。Photo

次男がフェリーの船員と言うことで、拙宅にも海員組合の機関紙が届きます。
それが「船員しんぶん」です。
それを読むと、船舶が今回の震災回復に、各種船舶が活躍している様子が伺えます。

捕鯨船や調査船、帆船から漁船まで、震災からの復興の為に働いています。
陸上の交通や通信が遮断されても、船舶の無線とか機動力は、本当に頼もしいですね。

次男らが乗っているフェリーは、震災直後から防災船として、人員や車両、物資の運搬に活躍しています。
昨日も、休みもそこそこ、次男は出発していきました。

船乗りとしてようやく一年を過ぎたばかりの次男ですが、この仕事に誇りを持っている様子です。
現場では大変な状況のようですが、頑張っている様子を伝えてくれています。

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細野敏夫 著 『エントロピーの科学』

人間の活動は・・・

さて、年末の大掃除です。

先日は、大掃除の途中に、古いギターが出てきたといことで、しばしの間、若い頃を懐かしんでしまいました。

そこで、気を取り直して掃除を再開しようとしたら、今度は、こんな本が出てきてしまったのです・・・。Photo

それが、『エントロピーの科学』。

日本のバブル経済が崩壊し、環境問題が本格的に騒がれていた 1991年に、この『エントロピーの科学』という本が出版されました。

かれこれ 20年前の本ということですね。

我が家では、古い本は捨てられてしまう運命なんですが、なぜこの本が‘生き残っている’のか、興味が沸いてしまったのですね。

さて、エントロピー増大の法則・・・といえば、熱力学の第二法則ということで、つまるところは、この世に存在する万物、森羅万象は、いずれは総て蒸発してしまう・・・ということらしいのですね。

簡単に言えば、時間がたてば、お湯が冷めて水になり、氷が溶けて水になる・・・。結局、総て水になる・・・。

そんな具合に、形あるものは、すべて崩れて無くなって、やがて 均一な世界になってしまうだろう・・・ということのようですね。

だから、どうよ・・・ということになるのですが、この本が出版された当時、情報拡散問題とか、環境破壊問題を考える上で、エネルギーがどのようにして移動・変化していくのかを考えることは有益だろうということで、一時期 ブームになったようです。

つまり、当時、ブームになっていた「カオス理論」と融合して、「エントロピー」を考えることは、いろいろな社会問題を解決する基本となるだろうと期待されてしまったようですね。

しかし、このエントロピー的思考は、思ったよりは あまり繁盛しなかったようです。

なぜでしょうか ?

エントロピー・・・・という概念自体が 未だ よく分らないのですね。

結局、また、「だから、どうよ。」ということになってしまったようです。

しかし、この本を読んだ当時の小生は、「自然の全体的な現象はエントロピーを増大させる方向に進んでいるかもしれないが、生物進化とか人間の社会活動は、エントロピーを減少させる方向に進んでいるのではないか・・・」と思ったのですね。

さらに言えば、人間の「」とは、エントロピーを減少させていく「減少系」であって、逆に、人間の「」とは、エントロピーを増やす「増加系」ではないか・・・なんて思うようになったのです。Dec03_a17 

簡単に言えば、今の小生のように 大掃除をサボってばかりいれば、部屋の中が片付かず、いづれはゴミ屋敷になってしまう・・・これが、エントロピーの「増加系」ということで、「」。

逆に、妻のように、セッセと休まず、大掃除をしていれば、部屋が片付き、快適な暮らしが出来る・・・これが、エントロピーの「減少系」ということで、「」。

つまり、部屋を片付けるという行為は「」ということですね。

ところが・・・です。

考えてみると、掃除をサボるということは、エネルギーを使いません。

逆に、掃除をするということは、掃除機を使ったり、手足を動かしますから、色々なエネルギーを使うわけですね。

つまり、環境を良くするためには、さらにエネルギーを使わなければならない。

それでは、掃除をするということは環境問題の解決にはならないのではないか・・・

・・・なんて、屁理屈を考え出すのです。Photo_2

そんな時に、家内の声・・・。「お父さん、窓ガラスを 拭き終わったの ? 」

その声に我に返った小生は「もうすぐ終るよ」と、ウソを言います。

実際に、この本を開いてから、小生の目の前の窓ガラスは綺麗になっていません。

小生がサボっていたことで、エントロピーが増大したのかな ?

結局、エントロピーの概念は、考え方が美味しそうに見えても、「だから、どうよ・・・」と言うことなんでしょうか ?

結局、この本は捨てられず、また元にあったところに納まった次第です・・・。

『エントロピーの科学』 細野敏夫 著 新コロナシリーズ ⑪ コロナ社

1991年 8月、初版発行 174ページ  ISBN 4-339-07661-9

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