秘すれば花

世阿弥の『風姿花伝』

能の未来を託したとされる 世阿弥の『風姿花伝』。
600年前に記されたといえ、現代に生きる小生の仕事にも通ずるこの教えには感じるところがたくさんあります。
今となっては、小生の親方が言いたいことはこの事か・・・と、思いもします。

さて、この『風姿花伝』を解説しているのが NHK教育テレビの『100分 de 名著』という番組。
昨夜は、有名な言葉「秘すれば花」を解き明かしています。
この番組を観て、小生はこの言葉の意味を誤解していたことに気がつきました。

普通、「秘すれば花」は、たとえば女性に対して「黙っていたほうが美しいよ」という意味で使うことがありますね。
転じて「黙秘の徳」みたいな意味で用いられることがあります。

ところが、今回の番組では、この「秘すれば花」という本当の意味は・・・

秘密兵器を持っておけ。
その秘密兵器を持っていることを覚られてはならない。


・・・ということなんだそうです。

まるで「軍隊」みたいですね。

つまり、小生の鍛冶屋という職業からいえば、「隠し技を持て」ということになると思います。
つまり、「盗まれない技を持て」ということでしょう。
まるで マジシャン みたいですね。
そうして、いざというときには、その「必殺技」を使え・・・ということなんですね。
使わなければ、持っていても意味がないですから。

実際に、今の企業も「秘すれば花」を実践していて、次から次へと新製品を出しています。
そうしないと企業として生き続けていけない実情があるわけで、600年前の 世阿弥はそれを看過していたことになります。

「秘められたもの」「知らない」こと、とは、もしかしたら相手にとっては「魅力」ということになるわけで、自分の力量を高めるためにも、日ごろから研究、鍛錬を重ねておくことが大切ですね。
つまり、イノベーションですね。
それは年齢に関係ないということなんですね。

そこで世阿弥は、「物学条々」(モノマネノジョウジョウ)として説いています。

あらゆる物まねにおいて
きちんと似せない場合に
荒くなったり弱くなったりする

つまり、世阿弥が重視したのは「写実」というのですね。

これは、技術者の「模倣」の段階のときでも言えることで、中国人のようないい加減な模倣では、いつまでも本物は作れない・・・と言うことでしょう。

つぎに、『100分 de 名著』という番組は、能の世界の『幽玄』という話に移ります。
この『幽玄』さというのが、世阿弥のブランドになっているようです。

世阿弥の『幽玄』という言葉は、単に「美しい」というだけでなく『白鳥 花を含む』ということで、さらなる美しさを追求したことになります。

こうした「幽玄」さを、世阿弥は 600年前にブランド化して今も伝わっているということは、これは、スゴイことですね。

能は、亡霊か出てくるエンターテイメントですから、ホラー映画みたいなものです。
それを「美術作品」として確立したことが、日本人に長く愛されている秘訣なんでしょう。

さらに世阿弥は、「男時・女時を知る」という言葉を残しているんだそうです。

男時とは、伸びて盛んになりうまくいく
女時とは、停滞してうまくいかない

ということで、男時が必ず来ることを信じて、女時に準備しておく・・・という意味なんだそうです。

つまり、人生には流れがあり、勢いの緩急があるので、そのタイミンクを計れということなんだそうです。

世阿弥は、こんな言葉も残しています。

命には終わりあり
能には果てあるべからず
   『花鏡』

深いですね・・・。。。。

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小泉八雲 - 8

仏教徒であったのか

「私は仏教徒ではない。」と、友人らの手紙に書いていた小泉八雲。
そんな彼の墓は、東京の雑司が谷墓地にあるそうです。
戒名も、「正覚院殿淨華八雲居士」というそうです。

妻方の戸籍に入籍・帰化したので、そうなったのかもしれませんが、実は、小泉八雲が日本に着いたとき、まず最初にしたことが、その足で「お寺」を何件か回ったそうです。
つまり、日本に着いたらまず「お寺」を見て回ろうと思っていたようです。

その証拠に、小泉八雲は日本に着く前に、『古事記』のほかに、何冊かの仏教関係の本を読んでいたそうです。
たとえば、オルコットの『仏教教義問答 』とか、マックス・ミューラーの 『東方聖典叢書』など。

そういうわけで、仏教に対して、それなりの知識を持って横浜に入港したようです。
ただ、アメリカ、西インドで読んだ仏教に関する本は、西欧的な思想を基にした解釈だったので、自ずと小泉八雲もそうした先入観をもって入国したものと思われます。

その後、日本に滞在中、日本人の仏教信仰に触れたとき、その違いに戸惑ったようです。
つまり、その独自性、特に仏教と神道との融和には、理解しがたいものを感じたようです。

さらに彼は、日本の仏教は 12もの宗派が分かれているのに、対立せず広まっていることに驚いたようです。
西欧にはない宗教の寛容性。

そういうわけで、小泉八雲は西洋の仏教観と東洋の仏教観の相違、そして日本独自の仏教観を細かく分析していたようです。

当時の日本人の場合、まず、宗教を科学的、合理的に分析するという発想はなかったようです。
西欧の考え方が合理的に対して、東洋のそれは精神的という違いに気がついたようです。
とにかく、西洋育ちの小泉八雲だからこそ、日本人の信仰の様子を細かく分析して書くことが出来たと思います。

そして、多少の不合理があっても受け入れてしまう日本の国民性。
日本人の庶民は、笑みばかりを浮かべて、なんでも「ハイ」と言って ホンネが分かりので、それをどう理解してよいのか分からなかったようです。

また、無骨で無表情な武士みたいな同僚教師らと、どう付き合ってよいものか困っていたようです。

そういうわけで、小泉八雲は日本を愛したと言われていますが、本当に日本人が好きだったのか、よく分からない面があると思います。

そういう環境のなか、彼の代表作『怪談』が生まれたのですが、それは日本人の仏教信仰を背景にしたものであることは間違いないでしょう。

そういうことを、次回から小泉八雲の足跡を追って見たいと思います。

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小泉八雲 - 1

ジャズの原型Photo

今朝の『静岡新聞』をひらくと、「しずおか 音楽の現場」という特集記事の中で、小泉八雲 ( ラフカディオ・ハーン 1850~1904年 写真 ) が紹介されていました。

小泉八雲といえば、『怪談』などを著した明治の文豪と言うイメージですが、ギリシャ出身の彼は、アメリカに渡り、さまざまな職業を経て日本に渡ってきた経歴があるようで、この新聞記事では、八雲が 27歳のころ、アメリカの ニューオリンズ に移り住んだときに著した『堤防の生活』を紹介しています。

その記事によれば、八雲と音楽の結びつきは強く、ニューオリンズに在住していたときに、ラテン系の入植者と黒人との混血、クレオール人の文化に関心を寄せていたようです。

著作『堤防の生活』には、人々の歌や演奏の説明が複数記載されていて、研究者によれば、それはジャズ誕生の前夜の様子を描いているようです。

ところで、静岡県焼津市には、小泉八雲が滞在したことがあるということで、彼の文学記念館があります。

その記念館で、2009年から毎年 2回、ジャズの原型に関心を寄せていた小泉八雲を顕彰するコンサートが開かれているようです。

先般 11月 30日にも、そこで ジャスコンサート が開かれ、地元のジャズバンドらが ジョン・コルトレーン作品などを披露して人気を博したそうです。
来年の 3月には、八雲が幼少期を過ごしたアイルランドのケルト音楽のコンサートも開くそうです。

この顕彰コンサートは、いつも観覧の応募が殺到するということです。
狭い会場なので、70人ぐらいが限度。
興味のある方は、早めに問い合わせを。

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アートな下駄

今年も流行するか ?

‘節電’で夏を迎える今年、女性の露出度が増えることを期待する男性軍ですが、どうやら期待はずれの様相です。

リンク: 節電でも薄着OLが増えないフシギ - 速報:@niftyニュース.

それでは・・・ということなのかどうかは分りませんが、足元のファッションが注目されているようですよ。

今朝の『静岡新聞』では、静岡市の伝統工芸品でもある 下駄 が、進化している様子が伝えられていました。

静岡の下駄といえば、昨年、鈴木千恵さんのアートな下駄がブレイクしましたね。

Photo

今年も、新デザインの下駄を紹介する『進化する GETA 展』が 6月 7日まで 静岡市の駿府匠宿で開かれているようですよ。

Geta

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グラスハープ

これはスゴイ ! !

またまた動画サイトからです。

グラスハープと言うのだそうですね。
目を閉じると、宇宙空間にいるような感じがします。
お次は、坂本教授の「戦場のメリークリスマス」

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これぞ芸術

男子新体操

調べ物をするために、動画サイトを覗いたら・・・・

すごいですね。
思わず見入ってしまいました。
( これは、2009年 10月 代々木第一体育館で行われた 第62回全日本新体操選手権大会での青森大学の演技みたいです。)

すごいと言えば、この映像。

これは、ロシアの交差点。カメラを付けるなら、信号を付けて欲しいですよね。

さらにこんな映像が・・・

芸術的なパイロットのテクニックですね。
でも、小生は ホンジュラス トンコンティン国際空港には行きたくないです。

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ジャズダンス発表会

悲願の公演

本日は、長女の通っている大学のジャズダンスクラブの公演がありました。

本当は、先月末の大学祭の日に行う予定でしたが、台風による警報が発令され、イベントは全て 中止になってしまったのでした。

大学祭は、今年で 24回目と言うことですが、中止になることは初めてで、この日のために 半年前から準備をしてきただけに、部員らは、なんとか公演が出来るように大学側と掛け合い、本日、大講堂で、予定の公演をすることが出来たのです。

例年ですと、学園祭の当日のキャンパスは、学生や来客で賑わって、ダンスの会場も満杯になるのですが、今回は、ジャズダンスクラブのみの発表会ということで、いつもの半分の入りでした。

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そういうわけで、本日は日曜日でしたが、家内も長男夫婦も、仕事が入っていたのを振り替えてもらって、長女の公演会を見に行ったのです。

なるべく多くの人に来てもらいたいという長女の要請を受けて、小生一家は、全員参加しました。

つまり、小生とその母、家内とその母、長男夫婦、次男とその彼女・・・合計 8人で鑑賞しました。

なんとか公演が出来た・・・という喜びが伝わってくるようなダンスで、小生らは感動しました。
約 1時間の公演でしたが、休むことなく、30人の団員が衣装を替えて、代わる代わる舞台を駆け巡っていました。

親バカと言われてしまうかもしれませんが、完成度の高い演技だったと思います。

ダンスが終了して、部員たちは目的を達成した充足感を味わっていたようでした。

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大人気、トリノ・エジプト展

ツタンカーメン像

今、静岡市で、最も人気の展示物と言えば・・・「等身大のガンダム」。
いえいえ、それよりも もっと人気なのが、今、静岡県立美術館で展示されている、「トリノ・エジプト展」。Photo_2

なんと、ホンモノのツタンカーメンの像 (写真) が見れるとあって、大型バスで団体さんが見学に来るほど・・・なんて、ラジオで報じていました。

そこで、昼休みにちょっと覗いてみよう・・・としたら、なんと、幹線道路から長蛇の車の列。
これ、み~んな、「トリノ・エジプト展」を見学しようとする車列なんだそうです。

たまたま、長女のアパートがすぐ傍にあったので、そこの駐車場に車を置かせてもらい、話の種に覗いてみました。

平日なのに、展示場は人で一杯でした。
でも、見学路は滞っていなかったので、サッと見てきましたよ。
ついでに、長女も付いてきました。

大人 1200円、大学生・高校生は 600円、小学生以下は無料と言う料金設定にも拘らず、たくさんの見物客で賑わっていました。
この美術館の近くに、いくつか大学があるので、大学生も多かったと思います。

とにかく、驚きました。
今から 5000年前の遺品が綺麗に残っているのですね。
その緻密な加工技術に驚いてしまいました。

このエジプトの遺品展は、イタリアのトリノ美術館のコレクションと言うことで、門外不出なのが特別に展示されているのだそうです。

Photo_3 小生が注目したのは、「タガネ」という工具。
この形が、現在のモノと全く変らないのです。

(写真は、現代のタガネ)

この展示は、22日 (日) まで。
明日 21日は、静岡県民の日ということで、団体割引があるそうですよ。

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文化の日なんだけど・・・

憲法どころではない ?

本日 11月 3日は「文化の日」。Photo_2
爽やかな秋晴れに 日の丸 が映えています。

ところが、今朝の新聞もテレビもラジオも 「文化の日」の話題なんてありません。
数年前は、自民党も民主党も互いに 改憲草案 を公表し、憲法の話題で沸いていたはずです。

いったい、どうしちゃったんでしょう ?
政権交代をした直後で、政策に精一杯なんでしょうか ?

確かに弊社も 休業中。憲法どころではないかもしれません。
でも、景気がどうであれ、憲法は私たち日本人の生活の基本であることには変わらないと思います。

だから、少しはマスコミも関心を示してもいいと思うのですが・・・。

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小川国夫さんの思い出

普通の好々爺

本日の『静岡新聞』朝刊の一面に、小川国夫さんの死去 (享年 80歳) が報じられていて、大変驚きました。

小川さんが亡くなったことに驚いたのではなくて、小川さんがそんなにも偉大な人だとは知らなかったのです。『静岡新聞』では三面に渡って、小川さんについて詳細に記していましたが、小生が知る小川さんは、普通のオヤジさんでした。

小川さんと知り合ったのは、行きつけの焼津市のある呑み屋さんです。最初にお会いした時の小川さんは普通の静かなオヤジさんという印象で、非常にダンディーな方でした。店の人から、地元の作家だとは聞いていましたが、売れている人は都会に住んでいるという思い込みが小生にはありましたから、そんなに有名な人だとは思いませんでした。もちろん‘文学’について話したことはなく、話したことは世間話です。

そういうわけで小生は、小川さんがどんな人なのか知りませんでしたが、ある日、呑み屋さんで意気投合して、タクシーでラーメンを食べに行こうとしたことがあります。ところが、夜も遅く、小川さんが推薦するラーメン屋さんが終わっていました。他の店に行っても終わっていました。そのときの小川さんのザンネンそうな顔が印象的でした。

とにかく、よく飲む人でした。本当なら、小川さんの思い出は他にもたくさんあるのですが、本日、彼が日本文学の一壁を担っている人だと知り、変なことは書けませんのでこのぐらいにしておきます。

知らないとは恐ろしいものです。こんなに有名人なら色紙にサインでもしてもらえばよかった・・・。。。

【追加】

小川さんの葬儀は、親族のみで行うそうです。

ただ、カトリックによる前夜祭(通夜)は、藤枝市の瀬戸川沿いの「平安会館ふじえだ」で、11日午後 1時から。後日、東京でお別れの会を開くそうです。

実は、小生は、小川さんの著書を読んだことがありません。近所の図書館に行ってみたら、なんと、小川さんの全集がドーンとあるではないですか ! !

早速、一冊、借りてきました。

また、長女が通う静岡県立大学の校歌も、小川さんが作詞したようですね。

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