『全電源喪失の記憶』 俺たち、もう駄目だ
証言 福島第一原発、東電の敗北
本日の『静岡新聞』夕刊の連載記事 『全電源喪失』 55 を読んだ感想です。
この記事は、2011年 3月に起きた福島第一原発の放射能漏れ事故を時系列に記した記事です。
実名で記されたもので、もちろん検証可能です。
55回目の記事は、 事故が起きて 3日目、2011年 3月 14日 午後 8時ごろの福島第一原発の様子を克明に記したものです。
原子炉建屋が水素爆発し、原子炉はメルトダウン。
そんな絶望的な状況の中、職員たちは・・・
「かあさん、先立つ不孝を許してくれよ」、妻にも「面倒をかけたね」
そして子供たちにも「たくましく生きてくれ」と。
原子炉の圧力容器の膨発を防ぐための「ベント」作業が行き詰ったときに、そこにい作業員の心境をつづったものです。
では、その「ベント」とはどんな構造なのか・・・。
イラストを見て、皆様の近くにある原子力発電所の煙突を見てください。
これは、本日の夕刊を切り抜いたものです。
ベントとは、原子炉本体と直結しているもので、原子炉の圧力とともに放射能がそのまま放出される構造です。
現在、それではあまりにもまずいと言うことで、放射能漏れを防ぐための「フィルター」をつけようということになっています。
各原子力発電所では、そのフィルターの取り付け作業をして、再稼動に臨んでいます。
しかしですね、そんな夢のようなフィルターがあると思いますか ?
逆に、そういった「フィルター」があったら、そもそも原子力問題なんて根底から違っていたでしょう。
まやかしは駄目です。これでも、原子力発電に賛成しますか ?
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