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2014年4月

映画 『テルマエ・ロマエ Ⅱ』

面白かった ! !2014042619110000_2

いよいよ今年のゴールデン・ウイークが始まりました・・・。
と言っても、今年も暦通りの休日。
並びが悪いので、大型連休というわけにはいきません。

そこで、本日は 4月26日で「良い風呂の日」ということで、公開初日の映画『テルマエ・ロマエ Ⅱ』を観てきました。

今月から消費税も上がり、映画館入場料も 今までの「シニア 1000円」が「1100円」に上がっていました。

それはとにかく、とにかく面白かった ! !
お年寄りの口泡を飛ばした熱演も最高でした。

また、女優の松島トモ子さんが熊と混浴していました。
(彼女は、猛獣に二度噛まれたことで有名ですね。)
その熊は、勿論、本物ではないと思いますが、最後の出演者を紹介するテロップの中に「クマ」とありました。
・・・ということは、あの熊は本物だったでしょうか ?

2014年 日本 112分 監督; 武内英樹 出演; 阿部 寛、上戸 彩、クマ、猿、他

(写真は、前回映画館で配られた小冊子)

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所 功 編著 『日本の宮家と女性宮家』

スペア確保2014042620070000

小生は長男、そして家内は長女ということで、弟妹の気持ちが分からない夫婦です。
その夫婦の間に生まれた次男坊が、「どうして僕は、お兄ちゃんやお姉ちゃんのお古ばかりで、新しいものを買ってもらえないのか ? 」と、家内に詰問したことがあるそうです。

どうやらその答え方が最悪だったらしく、次男坊の心を深く傷つけ、その悔しさは、小学校の卒業文集にも滲ませていました。

その題が「僕はお兄ちゃんのスペアタイヤ」。
この題名だけで、家内が何を言ったのか想像できるでしょう。

子供のみならず大人だって、自分の存在は特別なもので、誰にも代えがたいものです。
さらに、戦後の「自由・平等」教育によって、個人主義が確立しました。

そんな時代に、自分という存在が親から「スペア」「予備」と言われては、不良になっちゃいます。
しかし、次男は真っ直ぐに育ってくれて、いまでは母の大失言を理解して許しています。

現実の社会では、野球にも二軍があり、サッカーにも控えの選手がいます。
つまり、集団では『予備軍』の存在が重要な鍵になりますね。

そうは言っても、予備の選手に対して、あなたは「スペアだ」なんて失礼な言い方をしてはいけません。
彼らは、レギュラーと同じ気持ちで頑張っていますから。

さて、ここで紹介する本は、日本の元首のスペアに関する本です。
つまり、次期天皇をどうするのか・・・ということで、今上陛下をはじめ、将来の天皇候補者の崩御を前提にした話ですから、失礼千万なものです。
戦前に、こんな本が出れば「不敬罪」に問われて、「万死」に値するでしょう。

しかし、戦後になり、主権が国民に移った時点で、今度は、その国民に「次期天皇」問題をどうするのか、その責任が降りかかっています。

つまり、今の憲法や法律では、天皇には公務の義務が記されているだけで、権利は何も記されていないのですね。
自分の後継者を決める権利もないのです。

そういうわけで、天皇の後継者問題は、この国の主権者である国民に委ねられているのですね。

この本は、その国民の責任について述べてはいません。
皇統の継続が危機的状況であって、今、この時点で手を打っておかないと、大きな禍根を残すと警鐘を鳴らしています。
さらに、それを打開するためには「女性宮家」をすぐにも創設しなければ間に合わないと説いています。

ところが、国民のほとんどが現行の皇統の「男系男子の相続」を支持しているようで、「女性」とか「女系」という「女」の文字が入っているだけでも、全身にアレルギーを呈する人までいるということで、「女性宮家」という文字を見ただけでも、読む気になれないようです。

しかし、そんな「女」アレルギーの人にこそ読んでいただきたい一書です。
女性の方が読めば、女性が日本を支えてきた様子がよく分かり、勇気がわいてくるかもしれませんね。
ピンチを救ったのは、いつも女性で、今回の皇位継承問題でも、秋篠宮の紀子さまによって日本は救われました。
しかし、皇統の危機が全くなくなった訳でもなく、根本的な問題は残ったままです。

それにしても、男性である小生は、読んでいるうちに寒くなって、大きな不安に襲われました。

所 功 (ところ いさお) 編著 『日本の宮家と女性宮家』 (女性宮家創設と皇位継承問題を解き明かす) 新人物往来社 2012年 9月25日 第一刷発行 ISBN 978-4-404-04251-4  全一巻 348ページ

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ひなたぼっこ

暖気襲来

一気に暖かくなりましたね。
拙宅の庭も、咲く花たちで賑やかです。

名前は分かりませんが、暗いときや寒いときには閉じていた花 (写真 左) が、明るく温かくなると思いっきり開花させていました。(写真 右)

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また、玄関先では トカゲ が ひなたぼっこ。

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近づいても逃げませんでした。

トカゲの写真の隣は、赤い薔薇のつぼみ。
毎年、家内の誕生日に咲きます。
・・・ということは、またまた家内が年を取るということ。
・・・ということは、小生もジジイを深めるということでしょうか ?

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総意に基く

総意とは

『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 』

日本国憲法の条文は、上記から始まります。

つまり日本国憲法では、まず最初に日本という国の国柄をあらわしているのですね。
日本には天皇が存在していて、その由来は日本国民の総意によるもの・・・。
これが、日本の特徴であると世界に発信し、国民にも示しているわけです。

さて、ここでいう「総意」とは、どういうことなんでしょうか ?

今も天皇制を反対している国民が一割近くいるようですから、国民の全員が天皇の存在に賛成しているわけでもなさそうです。

しかし、各種のアンケートをみると、戦争直後では 90%の人が、また代が代って 今上陛下即位 20年記念の ときも 85%の人が天皇制を支持しているといいます。

そういうことで、大多数の日本人が天皇制を支持しているということで、日本国憲法の冒頭の条文はほぼ間違いないもの・・・だと思います。

しかし、アンケートによっては、現代の日本人のほとんどが日常生活においては天皇制には無関心であるという結果もあります。

天皇制を支持をしているか否かと問われれば支持していると答えるものの、日ごろから積極的に支持しているわけでもない・・・というところでしょう。

そうしてみると、天皇は日本の国旗「日の丸」みたいです。
日の丸も、同じ日本の「象徴」であり、一般の家庭では祝日などに掲げます。
しかし、毎日 玄関に日章旗を掲げている家なんて、小生は見たことがありません。

ところが、異民族が集まっている「合衆国」では、日常的に玄関などに国旗が掲げられ、学校の各教室には地球儀とともに星条旗が置かれています。

この現象を逆にいえば、合衆国国民は、日ごろから国家を意識しているのに対して、日本人は特段に国家を意識しなくてもよい環境にあるということですね。
つまり、日本人は国家の統一に対しては、それを意識しないほど安心し切っているということでしょう。

しかし、振り返ってみれば、日本でも戦前、戦中は毎日のように国旗が振られていました。

ということは、日教組がいうように、国旗は戦争を示す印なんでしょうか ?

そんなことはありません。
小生が住んでいる市役所や公民館、体育館では、毎日国旗が掲揚されています。
でも、戦争はしていませんね。

いずれにしても、日本という国は、日ごろから国を意識していなくても住める国ということで、それだけ日本という国は、完成度が高い、統一・統合された独立国家ということになると思います。
国家統一のために国民が努力しなくても良いほどに、成熟した国が日本ということでしょう。

その国の象徴が天皇ということで、圧倒的多数の国民の「総意」に基づいて成立しているということは、これは凄いことだと思います。

ところで、日本最古の歴史書でもある『古事記』にも、日本が総意に基づいて建国された様子が記されています。

つまり、皇祖である天照大神が、国が乱れ統一されていない状況を見て、それは自分の徳の足りないせいだと考え「反省の間」に閉じこもってしまわれた。
ところが、我々庶民の祖先神である八百万の神々が、全員総出で天照大神を説得し、彼女の再登場に成功させたという古事があります。

そして、八百万の神の要請に応えて、「今後、日本という国は、私の子孫が治めるものとする。」と宣言したのでした。

普通の国なら、そんな宣言をすれば、たちどころに倒されてしまいます。

しかし、日本の場合は、「総意」に基づいて建国したのですから、それに反対するものがなく、万世一系に代々の天皇が国の中心にいたのです。

また、日本が世界大戦で敗れた時も、普通ならその元首は滅びるのですが、天皇を支持する多くの国民が、マッカーサーに血書を送付して、天皇制の存続を訴えた結果、昭和天皇は退位することもなく全うされました。
これも、ある意味、国民の「総意」によるものと言えるでしょう。
他にそんな国があるでしょうか ?

このように天皇の地位は、日本の建国以来、国民の総意に基づいたものであることが分かりましたが、その天皇の相続のあり方についても、現在では国民の「総意」が必要であるようです。
日本の歴史を辿ってみますと、国民に主権がなかった時代では、権力を持っていた人が、天皇の相続について関与していたようです。
しかし、現在では主権は国民に移っていて、その国民主権である日本では、天皇の相続についても日本国憲法が以下のように示しています。(第一章 第二条)

「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。」

そして、その皇室典範の第一章 第一条には、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」 と記され、これもまた、多くの日本人が賛同しているといいます。

これもまた国民の「総意」による皇統の相続の形態といってよいものでしよう。

しかし、この「男系男子」という皇位継承の条件が、生物学的に難しいものであることが最近になって分かってきて、それが現実的な問題となっているのですね。

そこで現在では、その「総意」を覆さないと、天皇家は近い将来 消滅してしまうと危惧されているのです。

ところが「男系男子」という相続のあり方が、天皇制の根幹であり、天皇制そのものであるという意見が日本国内では非常に強いのです。
確かに『皇統譜』を見ると、紆余曲折があったものの、血統筋はそうなっていました。
そこで、皇統の男系男子の相続を支持する人たちの間では、「男系男子でなければ天皇ではない ! ! 」と言い切ってしまっています。
これは、天皇制を強く支持する人ほど、特に熟年男性にその傾向が現れていると思います。
最近では、「ネットウヨ」と呼ばれる人が「男系男子の相続」に拘りを見せているようです。

一方、近世に至って女性の公民権が認められるようになり、戦後、女性が選挙権を持ったのですが、その女性の人たちが 皇統の「男系男子」の相続についてどう思っているのか・・・ ?

男性ほど「男系の相続」に対して拘りがない・・・と思いきや、皇室に限って男系男子の相続を支持する女性が多いようです。

これも興味深い一面ですね。
それについては他にもアンケート結果がありますが、様々で一定していません。
つまり、アンケートのとり方では、どのような結果にもなるということなんでしようか ?

ところで、「総意」について、一言添えておきたいと思います。
それは、独裁国家、独裁体制における国民の「総意」です。

その場合も、高い支持率が見られます。
たとえば、北の将軍様を選ぶ選挙では、100%の北朝鮮の国民が、現在の将軍様を支持していることになっています。
そんなに、北の将軍様はすばらしい人なんでしょうか ?

こうした、武力を背景にした「総意」は、日本国憲法で記されている「総意」とは、根本的に意味が違うことには間違いないでしょう。

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禁中・禁裏

菊のカーテン

皇室、あるいは天皇家がお住まいになっている場所のことを禁中・禁裏・内裏と呼ばれていました。

中に立ち入ることは禁止されていた場所ということで、現代で言う宮中・御所のことですね。
しかし、最近では天皇の長寿を祝う意味で、限定的ではありますが開放されるようになりました。

そうは言っても、禁中の一般開放の見学倍率は高く、限られた人のみ入ることが許されない施設であることは間違いありません。
更にかつては、禁中に関しては庶民の浮世の話題にもならなかったもので、絶対的なタブーでありました。
これを最近まで「菊のカーテン」とも表現されました。

つまり、我々が住む俗世間とは階級が違う話ということで、畏れ多いことには変わりありません。

そういうわけで、日本の歴史は皇室の歴史、それは皇位継承の歴史と言われながらも、それが庶民に関わることはなく、戦前では、それを詮索しただけでも「不敬罪」という罪に問われたわけです。

更に言えば、皇位継承問題は天皇家の問題というよりもむしろ 「時の権力者の問題」であって、天皇家はそれに従っていたというのが実情のようです。
そのために、天皇が遠方に流されたり、その皇子に天皇の血が流れていると言う理由で殺されたりもしたわけで、決して安泰な地位ではなかったようです。

にもかかわらず、皇統は日本では最も大切な血統とされ、その保存は いつの時代でも 絶対命題であったわけです。
そうして天皇を祀り上げることによって、自分の権力を誇示しようと言う側面が、日本の歴史には確かにあったと思います。

なぜ、天皇家の血を絶やしてはならないかと言うと、天皇家は日本の「宗家」であるという考え方があるからでしょう。

つまり、日本人であるならば、その人の家の先祖を辿れば、必ず天皇家に行き当たる・・・という「信仰」があるからです。

そういうわけで、天皇は日本国民の「親様」であって、国民は皆天皇の「赤子・草民、つまり子供」であるという考え方です。

もちろん、日本は生物学的にはいろいろな民族が集まった多民族国家ですが、そうした異民が日本人と婚姻を結ぶことによって血縁が生まれ、結局、日本のすべての異民族は大和民族に吸収された形になるのでので、日本は「単一民族」である・・・という信仰をしているひとも未だに大勢いるようです。

たしかに、移民が集まって出来た合衆国とは、根本的な違いがありますね。

そのなかで、天皇家は、神代の代から連綿と続いている大和民族の中心であって、その中心を異民族の血に交代させてはならないという‘掟’といいますか‘不文律’を感じます。

それを特に感じさせるのが、江戸時代の皇室典範とも呼ばれる「禁中ならびに公家諸法度」です。
禁中としは天皇のことで、公家とは今の宮家にあたるのでしょう。

そのなかに、いわゆる相続のことが記されています。
それを解説すると・・・

第6条 - 養子
家の相続に関して、養子を迎える際には同姓の家を選ぶように、また妻の縁類からの家督相続は古今一切見られない。

そういうわけで、皇室や宮家が相続する場合は、他の血統に交代させることを否定した内容ですね。

この「禁中ならびに公家諸法度」は、江戸幕府が倒れるまで改定されずに続いた「式目」です。

この内容が、現在の「皇室典範」にも受け継がれています。

皇室典範 第九条 
天皇及び皇族は、養子をすることができない。

このように、厳格に決まっています。
ところが、実際には過去の皇位継承は「直系」でも「男系男子」が守られてきたものでもないのです。女帝もいましたし、同じ人が名前を変えて皇位を繰り返した人もいました。
継体天皇のように、遠い傍系から迎えたこともあったのです。
そうして、皇位の継承がされてきたのですね。
そこで、もし仮に今のままの皇室典範の規定に従えば、天皇家は婿さんや養子を迎えることも出来ず、あくまで自家の血統で、しかも男系男子という条件で相続を続けなければならないのです。さらに側室も禁じているので、事実上、その血統がたちどころに断絶してしまう可能性が高いのですね。

その「警鐘」を改めて鳴らした著書が『日本の宮家と女性宮家』 (所 功 編著 新人物往来社)です。

しかし、もう一度最初に戻って考えますと、本来なら、天皇家は我々の宗家といえども我々庶民とは格の違う家です。
そのことを一庶民が問題視したところで何の意味があるのか。
むしろ、宗家のことは宗家に任せておけばよくて、その宗家の決定には無条件に従えばよい・・・と、このブログでも記したことがあります。
つまり、他人の家のことに余計な口を出すな・・・ということです。
小生はそのように思っていました。

しかし、上記『日本の宮家と女性宮家』という本を読み、過去の日本の歴史では、その時代に合った宮家を作って皇統が維持されてきた様子を知ったのです。

ところが、現在の国民主権の世の中では、天皇であっても、庶民の家のように家督会議とか親戚会議も開くことが出来ないのですね。
つまり、自分の家のことであっても自分たちで決められない・・・。
今の日本は、そのように法律で決められてしまっているのです。

皇室典範 第二十九条
内閣総理大臣たる議員は、皇室会議の議長となる。

このように、日本の皇統の存続は日本の主権者である日本国民の代表者の手に委ねられていることに気がつくのです。

他人の家のことなんだから、知らん ! !
あるいは、そういった歴史的なことに加わるなんて畏れ多い・・・

・・・では済まされない状況であるようです。

国民に主権があって、天皇には何の権利もない今、責任は国民にあると言う事実を、国民は知るべきでしょう。

以前のように、「禁中のことは絶対タブー。だから、私には関係がない。」では、済まされない状況なのです。
皇室の問題、その中でも皇統の問題は、まさに憲法の問題そのものなんですね。
つまり、現代において、皇位継承問題は自分の問題として考えなければならない義務を、日本国民は負っていると言っても過言ではないのです。

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御稜威

皇室の威光のこと

御稜威 を ゴリョウイ と表記している辞書がありますが、正確には ミイツです。

皇室に対する敬語の一つで、天皇に対しては大御稜威 オオミイツ という言葉を使います。
意味は、皇室、あるいは天皇の威光です。

いわゆる日本における「最高敬語」ですね。

その性質を「威ありて猛からず」と説明する学者もいます。
つまり、威厳は感じるけれども、獰猛(どうもう)さは感じませんね。

実際に今上陛下を見ても、慈しみとか優しさを感じ、あくまでも穏かです。

今回は、その御稜威と日本人について考察してみたいと思います。

さて、戦前までの天皇は、日本では最高の権力を持ちながらそれを行使しないという特徴があったと思います。
しかも、その権力は単なる見せかけのものではなく、実際に行使しようとすればできるものです。
その天皇の権力に対抗したり活用して誇示したのが かつての蘇我氏であり藤原氏です。
いわゆる貴族ですね。
彼らは、天皇が権力を振るわないことをよく知っていたので、天皇の威光の下、権力を振るった時期があったようです。

さらに武士の時代に至っても、天皇家は弱体化したとはいえ、日本最高の権威として崇められ続け、明治維新後も、さらに太平洋戦争後も、皇室は万世一系に日本の統合の中心になっています。

このように、日本という国は、内乱があっても戦争に敗れても天皇制が崩れたことはなく、天皇を中心に国家が統一され続け、国名が変わることはなかったわけです。
これは世界広しと言えども、唯一、日本だけの特徴です。

つまり、今の日本国憲法の第一章 第一条に記されているように、建国以来 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であり続けて来たとも言えるでしょう。

逆に言えば、天皇の威光を利用した「時の権力者」が日本という国を運営してきたというのが、日本の歴史であり国柄とも言えると思います。

われわれ日本人は、そうした特色のある国に生まれて生存しているのです。

ところが戦後に至っては憲法が変わり、天皇は主権も取り上げられてしまい、天皇としての責務だけがそこに記されているのみです。
もちろん皇族の人権も記されていません。
そういうわけで、皇族は社会保険にも加入していませんし、選挙権をはじめとする公民権もありません。憲法には皇族の公民権が記されていないからです。
そういうわけで天皇をはじめ皇族は、日本の中心にいながら、日本国憲法の下では「日本国民」として扱われていないという特別な存在で、日本国民なら誰もが保障されているはずの基本的人権すらないのです。
驚くべき事実です。
その代り、皇族には皇室典範という特別な法律があります。
しかし、これは皇族の権利や義務を示したものではなく、単なる「定義」文です。

このような状況であっても、天皇の大御稜威 オオミイツ は損なわれることはなく、むしろ、国民から感激と感謝の念で迎えられています。

このように日本の天皇は象徴として、その‘存在’が許されているような状況ではありますが、日本国の元首として‘君臨’しているのも事実です。
そして「君臨すれども統治せず」という言葉が、その性質を表していると思います。
更に言えば、天皇の存在そのものが崇高であり、先にも記したように日本の象徴であって、いかなる責任も問われないという特質があります。

それが王権と皇権との違いで、御稜威 が「威ありても猛からず」と説明される所以でありましょう。
つまり、王権は武力の結果であることに対して、皇権は総意の結果であると言えると思います。

そこで、皇とは王の王という意味です。

(なお、フランスのナポレオンとかロシアのアレキサンダーは皇帝と称されましたが、その皇位は一時であり、その猛威が強大であったため恐れられ、それで王の王、つまり皇帝と呼ばれました。つまり、同じ王の王とされながらも、日本の天皇とは全く意味が違うのですね。)

さて、その御稜威 が日本から失われた場合、日本はどうなってしまうのか ?
そんなことは、今までにおいても、今後においても絶対に有り得ない話として、相手にされないかもしれません。

確かに、朝廷が南北朝に分かれても、世界大戦で日本が敗戦国になっても、決して滅びなかった日本の「宗家」です。
しかし、もし仮にその日本の「宗家」が滅んでしまった場合、日本はどうなるのか。
無駄な考察、あるいは非礼な詮索かとご批判を被るかもしれませんが、小生は一度は考えてみる価値はあると思うのです。

もし、日本からその御稜威 が失われた場合、日本はどうなってしまうのか ?

まず考えられることは、憲法の第一章から空法ということになり、事実上の元首が不在となります。
そして、国としての統一の象徴を失うばかりではなく、その「根拠」を失うのですから、日本の国民は、他国のように常日頃から、国の独立とか統一に労力とか神経を使わなければなりません。
つまり、存在することがあたりまえの「空気」を失うことと同じ程度のダメージを、日本国民は被ることになります。
他国と同様に、普段の生活の中で「国家」を意識せざるを得なくなるのですね。
他国では当然なことで問題にもならないことが、日本でははじめて問題になるのです。

更に言えば、自国あるいは他国の勢力が、天皇に取って代わろうとして、権力の争奪が起こることは必至でしょう。
そうした騒擾・混乱による経済的、精神的損失は計り知れないものがあるでしょう。

・・・そんなことは有り得ない。もし仮に天皇制が日本からなくなっても、日本は共和制にすればよいだけのことだ。
そんなことを話題にして、何の意味があるか・・とお叱りをする人もいるでしょう。

しかし、日本に天皇が存在していることによって、国際的に日本が歴史のある伝統国家として認められていることは事実で、国内においても、国家統合の求心力になっていることは事実でしょう。

そういうわけで、やはり日本には天皇制が不可欠で、これが日本の国柄であって、その国柄のお蔭で日本人として生きていられることも事実でありまょう。

しかし、昨今の皇位継承にかんする報道に接すると、これは、相当に深刻な問題であると感じるのですね。
このままでは、天皇家が自然消滅してしまう・・・。
つまり、日本の求心力が消滅してしまう・・・。
大御稜威 オオミイツ がなくなってしまう・・・。

皇室を、まるで「絶滅危惧種」のように取り扱うことは、失礼千万でありますが、実は、ある本を読み、今のままでは皇統が危機的状況に陥ってしまう恐れがあることを知ったので、今回は、それを取り上げたいと思います。

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責任問題

誰が責任取るの ?

明日の 4月 22日には、小6・中3 を対象にした全国学力テストがあるということで、今朝の『静岡新聞』では第一面でそれを取り上げています。

なぜ『静岡新聞』が騒いでいるかと言うと、昨年の静岡県の 小6国語 A (基礎) 問題の平均正答率が全国最下位だったからです。

それに怒った川勝静岡県知事が、市町学校名を公表するという騒動になり、結局『静岡新聞』がそれを報じてしまった・・・。

そこで、文科省は学校別の学力数値の公表を禁じていたのが、今回からは解禁。
今まで公表を禁じてきたのは何だったのか ?
わけのわからない展開です。

とにかく、明日行われる全国学力テストで、静岡県は最下位から脱出し、正答率を全国の平均点以上にもっていこう・・・を目標に、現場の教員が頑張っているようです。
その結果が、明日のテストで出てくるというのですね。

そうした新聞記事を読んで疑問に思ったことは、いったい学力テストとは、生徒のための学力テストなのか、先生のテストなのか、静岡県教育委員会のためのテストなのか、はたまた『静岡新聞社』のためのテストなのか ?

はからずも、その新聞の見出しには『教育の責任者は誰に』とあります。

しかし、大人が騒いでいるのに、当の子供たちは知らん顔。
いったい何に騒いでいるのか・・・サッパリわかりません。

これが、日本人の「責任」なんでしょうか。
その「責任」という文字で思い出すのが、今年、生誕 100年という 故 丸山真男氏。

東大の政治学者、あるいは思想家とされた彼は『体制批判家』として、戦前では「天皇制」を、戦後では「日米安保体制」を批判してきました。
その彼の著書を読んで感ずることは、彼は「体制」そのものを批判していると言うよりも、無責任に物事が進んでしまう体制を批判していたように感じます。

つまり、丸山真男という思想家は、雰囲気で物事が進んでしまうことに危惧を感じていたようで、たんなる左翼思想家ではないみたいですね。

責任の所在を明らかにしない。
そうした日本の国民性が、今のような誰も責任を取らない社会を作り上げたと思います。

今回の学力テストも同様です。
前回の学力テストが最下位になったのは、誰の責任だったのか ?
『静岡新聞』が問いかけているように、その責任者は誰なんでしょうか ?
結局、『静岡新聞』では、「主役は市町」と記し、学力向上のために必要な改革競争の責任を市町の教育委員会にあてていました。

はたしてそうなんでしょうか ?
主役は、やはり直接テストを受ける生徒たちではないでしょうか ?

出来の悪い子供を持った責任は、親なのか先生なのか、先生を管理している組織なのか、その首長なのか。
そんなことを問いたところで何になるのでしょうか ?

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77777

12年と 7ヶ月で2014042108190000

平成 13年 9月に新車で購入した スズキ・アルト。
本日、スピードメータの下にある オッドメーターを見たら、
なんと 7のぞろ目でした。

それにしても、12年と 7ヶ月で 77777Kmとは・・・
あまり乗っていないと言うことですね。
今年の 9月には車検が待っています。

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ロシアの声

旧モスクワ放送Photo_2

小生が子供の頃、鉱石ラジオ、トランジスタラジオを作って遊んだことがありました。

夜になると電波の通りがよくなるのか、中波でも海外の放送を聴くことが出来ます。
その中の一つに「モスクワ放送」がありました。
日本語の放送です。

当時は、東西冷戦の時代で、北方領土問題もあり ソビエト連邦は日本にとっては‘敵国’と言った感じでしたので、その‘敵国’の情報が流れている・・・と言う気がして、興奮して聞いた覚えがあります。

また、日本人のリスナーがモスクワ放送に手紙を送っていたようで、その手紙の内容を紹介したり、質問に答えたりしていて、意外とフレンドリーだと思ったものでした。

それにしても、遠いモスクワから 720kHz という中波で日本に届くなんて、スゴイ高出力で放送しているのではないかと思いました。

そして時が流れ、ペレストロイカ、ソビエト連邦が崩壊したということで、「モスクワ放送」も「ロシアの声」となって、引き続き日本に向けて放送を続けていたと言うことですが、その頃は何かと忙しくて、その放送を聴くことはありませんでした。

最近、ウクライナが世界的な問題となっていて、新たな東西冷戦の時代か・・・ということで、「モスクワ放送」のことを思い出して、ラジオのダイヤルを回してみました。

ところが、モスクワ放送らしきものが聞き取れないのですね。
そこで、『Wikipedia』で「ロシアの声」を検索したところ、どうやら昨年の暮れを最後に放送をしていないようですね。
しかし、「ロシアの声」のホームページでストリーミング放送をしているということで、久しぶりに聞いてみました。
ネットラジオなのでクリアな音ですが、昔のような雑音があったほうが、はるばる遠くから飛んできたいう感じがして良いではないか・・・なんて勝手なことを思いました。
また、当時の放送の出力が 500kWであったことも、『Wikipedia』で知り、NHKラジオ第二放送と同様な高出力であったことも知ることが出来ました。

余談になりますが、こうした国際放送は、北の将軍様のいる北朝鮮からも流れてきます。
北朝鮮の国際放送名は『Wikiopedia』によれば「朝鮮の声放送」と言うらしいです。
中波は 621kHz (500kW) で、電波の通りの良い夜間に放送しているようですよ。

こうした国際放送は、国外にいる自国のスパイとか工作員に向けた暗号も含まれているということですが、真偽のほどはどうなんでしょうか ?

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百花繚乱

春爛漫

暖かな天気が続いています。
少し散歩すると、家々の庭に咲く花を見て楽しむことが出来ます。
右の写真のように、藤の花は満開でよい匂いを漂わせています。

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ところで、左の写真の‘けし’の花。
オニゲシかと思ったら、もしかしたら、ハカマオニゲシにも見えます。
以前にも、アツミケシを発見したことがあります。
このように、ケシのなかには、植えてはいけない種類があるようですね。

下の写真が、Wikipedia に掲載されている ハカマオニゲシ。

Photo

それから、バラなのに棘のない「木香ばら」。
八重に、たくさん咲くのが特徴ですね。

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はしご外し

組織の原理T_science_a15

世間を騒がしている STAP騒動。
いよいよその論文の共同著作者の中の管理責任者が出できて釈明していました。

それを聞いていて、小生の父を思い出しました。

機械の製図屋として地方の鉄工所に勤めていた父でした。
戦後まもなくアメリカから輸入した「品質管理」に触れた父は、それをライフワークとして定め、その普及に努めました。

しかし、当時は管理者とは経営者と同義語で、会社の製造過程に管理部門を作ると言う発想はありませんでした。

とにかく「標準化」そのものが「標準化」されていない時代。
「品質管理」とか「標準化」に関するテキストを作る必要性を感じ、その草案を書いて某大学の教授に見てもらいました。

すると翌年、その某教授は、自分の作品として父の書いたテキストを公表したようです。
そのとき、父は学会の「体質」を知ったと言います。

父が 30歳になった時の出来事でした。

その後、父は 「組織」の研究を深め、組織の中で管理部門を動かす方法として小グループを編み出し、それを「標準化」したようです。

ところが、会社組織が複雑化、肥大化する中で「品質管理」は社内の「管理部門」だけでなく、外部の第三者機関として組織され、監査行為をするような格好になってきました。

そうした「公正」な判断によって、日本の高品質は世界から信頼を得るようになったようです。

こうして「品質管理」は、外部認証組織として変貌し、その権威を持ったようです。

しかし、その「権威」は、欠陥ばかりを指摘して自らの責任は持たない「特権貴族化」し、さらに独善的になったので、いまや、その末路は「労組貴族」と同様な様相です。
つまり、形骸化ですね。

そういうわけで、中国やベトナムでは「ISO 14000」は、社壁のデザインとして活用されています。

話を元に戻すと、現在、騒動中の STAP現象は、ゴースト化したようで、今や問題は、その組織としての責任問題になっているようです。

「責任回避」、いわゆるトカゲのシッポ切りですね。
理研は保身行為に走っているようです。

本来なら、追試ができない研究は、普遍性がないものとして ボツ です。

しかし、その研究を完全に捨ててしまった場合、他のところで追試で成功したら、その研究成果は追試に成功したところに取られてしまう可能性があります。
そうなれば、理研の権威は損なわれ、それによる「利権」も失うことになります。

そこで、今回のような政治色の強い「玉虫色」の会見になったようです。
そんな感じで、研究者と言うよりも人間の「欲」が前面に出てしまった感じの会見でした。

日本のトップのシニア学者がこんな体たらくでは、日本人科学者の信頼性は、かつての ES細胞の韓国のように、地に落ちてしまった印象です。

日本の科学会が利権にまみれていることは、原子力災害のときでも明らかになりましたが、若者が上ったたはしごを外すような「学会」ではね・・・。

‘はしご’を外され、屋根に取り残された若き研究者は、「SATP細胞はあります、200回も作りました。」と叫び続けます。

今や、韓国や中国の科学者が世界から疑問視されているように、今後の日本の科学者の研究姿勢・倫理観が問われることになるのでしょうか。
そうして、日本在住の研究者のノーベル賞は、離れてしまって行くのでしょうか。

これでは、日本の有能な科学者、技術者は、欧米に流れる一方ではないでしょうか ?

ところで、今回問題になったのが「理研」の「利権」「権威」。
そして、その無責任さ。
そうした無責任な特権貴族の末路はどうなっていくのでしょうか ?
「没落」の一途なんでしょうか ?

そんなことはありません。
その権威にすがる人がいる以上、その組織は存続するでしょう。
また、官僚組織のように、寄生虫としてしぶとく行きぬくの「組織」もあります。

こうして、無責任体制が続いていくと思います。
残念ながら、これが、人間の組織とか体制の本質ではないでしょうか ?

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ブラックバイト

学生らが「ユニオン」結成

本日の『静岡新聞』夕刊のヘッドラインは「ブラックバイト」。

新聞の解説によると、ブラックバイトとは、「低賃金で重労働やノルマを強いられるアルバイトのこと。残業代の未払いや休憩なしの長時間労働など法令違反伴うことが多い。企業で非正規雇用の比率が高まる中、正社員の仕事をアルバイトに肩代わりさせる動きが進んで登場した。パワーハラスメントや暴言を繰り返したり、恒常的に長時間労働を強いたりして社員を使い捨てにする企業を表す「ブラック企業」をなぞらえた表現で、中京大学の大内裕和教授(教育研究)が2013年に提唱して広がった。」とあります。

「休憩なし」「残業代なし」「辞められない」・・・。
学生らを違法な条件で酷使するのがブラック企業

それに対抗しようと、学生らが労働組合を結成したという記事でありました。

ところで、今の日本で、ブラックでない企業なんてありますか ?

わが社は健全です。シロです ! !
という企業が、万一ありましたら、このブログにコメントを下さい ! !

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独りよがりの職人気質

目的は人格の陶冶Photo

新社会人になった長女。
学生時代とは勝手が違い、帰宅するなり溜め息を漏らしていました。
それを見ていた社会人 5年目の次男坊。
「お姉さんは、まだまだ。3年間は半人前。これからだ ! !」なんて、一人前のことを言っていました。

確かに、入社をして一人前の仕事が出来るようになるまでには、会社や先輩たちのお世話になるわけでね。

こうして仕事を効率的にこなしたり、高度なものに仕上げるために、経験を重ねて、その技のカンやコツを習得するわけです。

ところが、ある程度の経験を積むと、自分の技量に陶酔する人がいます。
「自分って天才ではないだろうか ! ? 」なんてね。

確かに、飲み込みの早い人の中には、他人よりも速く上達する人がいます。
そうして、コンクールなどで賞を取ってくるのですが、小生のような引退間近の人間から見れば、早熟な人ほど謙虚でなければならないと思います。

天狗になる人は、没落するのも早い傾向があるような気がします。
特に、職人気質 (かたぎ)の人に、そんな傾向があると思いますよ。

特殊な技術が必要な仕事、たとえばスポーツ選手とか音楽家、システムエンジニアなどの場合、その素質がないと大成しないものがあると思います。

逆に、政治家などは年齢など関係がないと思うことがあります。

また、バイリンガルになるには 10歳までとか、ピアノは 4歳前から始めないと間に合わない・・・などと言われますね。

つまり、高度な技を体得するには、その素質とか開始年齢とか、周囲の環境とかも関係するようで、その人の努力だけの問題だけではなさそうです。Photo_2

小生の仕事は鍛冶屋なんですが、小生は、この仕事の開始年齢は 18歳では遅いと思っています。

そうして、その仕事のカンやコツを覚えると、人間は高慢に陥りやすいのですが、仕事の目的は「後進の育成」で、そのためには「高度な技」と「人格」が必要だと思います。
ここで言う「人格」とは「人柄」「魅力」ですね。

つまり、どんなに人格者であっても、その仕事のための「高度な技」を持っていなければ、指導できません。
と同時に、どんなに高度な技を持ち合わせていても、「人格者」でなければ、後進はついてきません。

最近、小生はそう思うようになったのです。
もはや、「俺の技に惚れ込んできた奴なら弟子にしてやっても良い・・・」なんていう時代ではないのですね。

重ねて言いますが、ここで言う「人格者」とは、信仰に篤い人とか道徳的な人とかを指すのではなく、「愛情」のある人です。
逆に「良い人」は「人格者」ではないと思うのですね。
他人から良い人に思われたいと思っている人は信用が出来ませんから。

そういうわけで、大酒飲みでもギャンブラーでもいいと思います。
とにかく本気で、後進を「育てよう」という気持ちがあれば、自ずと人は付いてくるものだと思います。
そうした「親分肌」の人が少なくなったのが、日本を寂しくしている一因だと思うのですね。

「俺って天才・・・かも」なんて思う間は、まだまだ・・・
と、社会人 11年目の長男が次男坊に言っていました。

ということは、小生は まだまだ・・・と言うことになります。

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マウス実験

実験に合うマウスを育成048

今春、大学を卒業し、今月から病院の薬局に勤務し始めた長女。
大学生活の 6年間のうち 4年間を実験用小動物の飼育をしていたそうです。
つまり、当番制で 餌やりや 温度の管理をしていたそうですよ。

たとえば、実験用マウス・・・と言っても、さまざまな種類があるそうで、その実験の目的にあったマウスを見つけ出して、それを繁殖させるのが、彼女の学生生活だったそうです。

たとえば、糖尿病の実験をする場合は糖尿病のマウスをつくるとか、メタボなマウスを作ったり、目的の場所に腫瘍があるマウスを作ったり、それはそれは大変な作業だったようです。

そうして苦労して繁殖させた小動物は、そこの大学だけではなく、他の大学とか研究機関に‘出荷’していたようで、その要請に応えるために、学生たちは日夜努力していたそうです。

遺伝子がらみの実験が多いので、同じような遺伝子を持った均一な「質」を確保しなければならない・・・・。。。。T_science_a15

ところが、そうした要請に沿ったマウスを発見したり繁殖させるには、そのために、とにかく大量な数を扱わなくてはならないため、毎日が戦いだったようです。

そうして毎日すごしていると、おのずからマウスの飼育のカンやコツを体得できて、卒業する頃には、プロ並みの技術を持っていたそうな。
ですから、卒論も「特定マウスの繁殖」について・・・。
そんな具合ですから、長女によれば、実験用マウスの飼育のために大学に入ったも同然だったと言います。
「薬学部」ではなくて、まるで「農学部」だった・・・、なんて言ってました。

このように、新しい薬、新しい細胞を作るにあたっては、さまざまな実験が繰り返されるのですが、それに使われるのが大量のマウスたちですね。
そうした陰の犠牲があって、それぞれの研究が成り立っているようです。

そこで、今回の STAP細胞騒動。Photo

理系女子の一人として「薬学会会員」の末席を汚している長女でありますが、今回のこの騒動は、おなじ「リケジョ」としてザンネンな様子です。
というか、許せない様子です。

結局は「論より証拠」です。
その証拠を導くために、コツコツと毎日毎日積み重ねていくのが、「研究」ですね。

「論」ばかり主張しても「証拠」を示せなければ、何の意味もありません。
つまり、せっかく苦労して飼育した実験用マウスが、最終的にデータが改ざんされていては、何の意味もありません。

そのマウスを飼育した人たちにとっては、今回のSTAP細胞騒動は裏切られた思いだったでしょう。

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二人の日本人世界チャンプ誕生

WBC (世界ボクシング評議会)Photo_2

桜吹雪が舞う昨日、日本では二人のボクシング世界チャンピオンが誕生しました。

一人は、ライトフライ級の 20歳の井上尚弥選手。
プロ 6戦目での世界王者は日本人選手としては最速なんだそうですね。

もう一人は、78歳。
元フェザー級のプロボクサー、袴田 巌さんです。
巌さんは、現在、検査入院中なので、代わりに姉の秀子さんに、WBCのマウリシオ・スライマン会長から「名誉チャンピオンベルト」が贈られました。(写真)

緑色をした名誉ベルトには、現役時代と 48年間いた拘置所から釈放されたときに撮影された顔写真が入っているそうです。

関係者によると、WBCによる名誉ベルトの授与は極めて珍しいケースなんだそうですね。

この「名誉」は袴田さんだけではなく、ボクシングを愛している人たち総ての人たちの「名誉」に関わるものなんだそうです。

つまり、かつてのボクサーは、世間的に偏見な目で見られてきた経緯があったようです。

袴田さんに対しても、当時の警察の内部資料にボクサーへの偏見があったことを示す記述が確認されているそうです。
同様に世界を見渡すと、数多くのボクサーがアウトローと目され、冤罪の憂き目に遭ったようです。Photo

たとえば、 「袴田事件」と同じ年に米国で殺人事件が発生し、そのときに逮捕されたのが、映画「ザ・ハリケーン」の主人公にもなったルービン・カーター氏
彼は、終身刑を宣告された後、無罪を勝ち取ったわけですが、彼の袴田さんに宛てた手紙には、「決してあきらめないでほしい。独房の外で支え続ける人がいるから」と記されていたと言います。
今後も続く袴田さんの再審の闘いに、世界中のボクサーが応援しているようです。

【追記】
ルービン・カーター氏は、今年 4月 20日、カナダのトロントで 76歳の生涯を閉じたそうです。
彼は、袴田さんの釈放を知ったのでしょうか ?

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花筏

春爛漫

ソメイヨシノも散りはじめ、川面に花筏が流れていました。

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田んぼのあぜ道には、タンポポとかレンゲか咲いていました。

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春ですねぇ・・・・。。。。

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魔の交差点

毎月、衝突事故4_5

昨夜、小生が通勤に使っている交差点で事故がありました。

今回は、19歳の若者 2人が亡くなったようです。(上の写真)

それにしても、事故の多い交差点です。
先日も事故があったばかりです。Photo (中の写真 白い車のバンパーが破損しています)

見通しがよく、なぜこの交差点で事故が多発するのかわかりません。

【追加】
翌朝、散歩のついでに昨夜の事故現場を覗いてみました。Photo
衝突大破した車体はきれいに片付けられていましたが、交差点の歩道にある地下横断道の出入り口が下の写真のように壊れていました。
衝撃の凄さが分かりますね。

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Xp サポート切れ

未対策です051

4月 8日と言うと、仏教では「花の日」。
しかし、仏教に関心かなくても、いまだにパソコンOSが Win Xp の個人や企業にとっては関心がある日ですね。
そうです、マイクロソフト社の Xpサポートが切れる日です。

そこで、『静岡新聞』の報道によれば、小生が住んでいる市では、市の全職員に最新型のタブレットパソコンを支給したそうです。
672人分。
こうしたことは、全国の自治体では初めてのことなんだそうですね。
OSは「ウィンドウズ」。タブレット端末になどに向けて開発されたものなんだそうです。
マイクロソフト社は、このソフトを「無償提供」するそうですね。

これによって、従来型のノートパソコンよりも 3割り程度の経費が節減できるのだそうです。

弊社は・・・、そのままWin Xpで乗り切るみたいですね。
なぜ、そのまま使っているかというと、CADソフトが 32ビットと古いのと、OSが軽いと サクサク動くからです。

しかし、本当の理由は、高齢化が進んで使う人の頭が固くなり、新しい知識が入らないのが実情。
いや、正直なところ カネがない・・・。

ネットに繋がっているのは、Mac 。
使い勝手がちがうのですね ! !

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第二日目

青色吐息

今月から消費税が上がったということで、昨日は、早朝からその切り替え作業をしました。
そして午後は、会社関係のお葬式。
取引先の社長のお母様が 92歳で亡くなったということで、ここでも「長寿銭」が配られました。

さらに、今度は長女が勤め始めたばかりの病院の院長のお母様が亡くなったということで、新人社員である長女の初仕事は、そのお手伝い。
さらに、さらに、拙宅の近所でも不幸が重なっています。
新年度の初日は、弔事ではじまりました。
亡くなった直接の原因は、ほとんどが誤嚥性肺炎。
最近、高齢者に多いですね。

そういうわけで、新年度二日目なんですが、朝の第一声は溜め息。

不幸がなくても、恐らく、多くの静岡県民が、今朝は溜め息をついたと思います。

静岡県の場合、全国の平均と比べて、新年度からの給与の引き上げが少なかったのが その原因です。
さらに、予想通り、昨日の客の入りは最低でした。

ただ、家内がパートに行っている観光バスの立ち寄り所は、年度が代っても超多忙。
静岡県の観光業界は、富士山世界遺産効果のお蔭か、衰えを知りません。

しかし、気になる現象があります。
それは、お役人の「ハコモノ」の乱立です。

たとえば、県が建設を決定した「富士山世界遺産センター」。
これは、富士山の水の循環をテーマにしたもので、体感を通して自然の恵みを考えてもらおうと言うものみたいです。
さらに、その循環の仕組みを学術的に研究をしようというもののようです。

しかし、わざわざ巨費を投じて作るものでもないと思います。
どうせ官僚の天下り先になり、閑古鳥が鳴くでしょう。
そういったものは大学や民間に任せれば良いでしょう。
今、必要なのは富士山の保全ではないでしょうか。

また、富士山の噴火も話題になっています。
ですから、そんなところにお金を回している場合ではないと思います。

とにかく、富士山が世界文化遺産になったと言うことで、その維持保全のために多額のお金が必要になったようです。

もう、富士山自体が、「ハコモノ」です。

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