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2013年12月

よいお年を

もういくつ寝ると・・・♪2013122609170000

さあ、今日から 9連休です。
そういうわけで、明日から、ちと旅行に行ってきます。

そのまえに、正月のお飾りを作りました。
以前、公民館の講習会で、しめ縄づくりを教えてもらったことがあったので、今年も作ってみました。(写真)

さて、目覚ましラジオの調子が悪かったので、中を開けてみました。
( これは、AI○A という日本のメーカー製 )

すると、写真のように、ハンダのカスがベッタリとコンデンサーにくっついていました。

Photo 2013122815290000

また、他の部分をみると、基盤の上一面にボンドが垂らしてありました。

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日本のメーカーだと思って買っても、実は MAID IN CHAINA。
だから中国製は、信用できませんね。

最近、中国では自国製に自信を持つようになり、それで宇宙に出たり、軍の勢力を拡大しているようです。
しかし、見えないところで手抜きのあるのが中国製ですから、空軍の飛行機が落ちたり、海軍の船が沈没しても報道しないのは当たり前みたいですね。

最近、母のために買ったラジオも、Panas○nic 製でしたが、中をみれば インドネシア製です。
純粋な日本製を探すのが大変な時代のようです。

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首相の靖国神社参拝

おかしい日本のマスコミ報道2013122710000000

昨日、安倍首相が靖国神社を参拝しました。
英霊に対する尊崇の念を、カタチに表したことは良いことだと思います。

それについて、小生が購読している今朝の『静岡新聞』は批判的でした。(写真)
その内容を見ると、共産党の機関紙『赤旗』より酷い。

そもそも、祖先の霊に対して合掌することが、外交カードになること自体がおかしいと思います。
また、そもそも、それを中韓に配慮してきたこと自体がおかしいのです。

自国の祖先の霊に、また戦争で犠牲になった「英霊」に対して、合掌し、感謝の念をあらわすことは、人間として当然なことです。
それを批判すること自体が、非人間的です。

逆に、中韓の人たちが、戦争で犠牲になった自国民、あるいは兵士に対して祈りを捧げることは、小生は何も違和感を感じません。
さらに、その兵士が日本人を殺した人であっても、その人に祈りを捧げることは、美しい姿だと賞賛したいと思います。
そうして、かつて敵国だったそれぞれの「英霊」に対して合掌し合うのが、友好国の証だと思うのですね。
また、それが「礼儀」だと思います。

中韓では、靖国神社には A級戦犯が合祀されたいるのが問題だと言いますが、既に、その戦犯と呼ばれる人たちはすべて、刑が執行されたり、服役を完遂しています。
その禊をすませた「霊」に対して、今もなお罪を問うこと自体が、おかしいのです。

ところが、友好国であるはずのアメリカでさえも、今回の安倍首相の靖国神社参拝について「失望した」と声明を発表しました。

これもまた、アメリカは大きく誤認していると思います。
まるで日本が極東の火種を拡大させたかような論説をしていますが、それは逆です。

互いの行動に「足かせ」をはめあうことが衝突の原因になるのです。
もし、自国が自立した独立国家であると思うのなら、他国に対してもそれを認めるべきでしょう。
どんなに友好国であっても内政干渉はしてはいけないことです。

ましてや、祖先崇拝、英霊崇拝というその国民の機微に触れることついて、アメリカごときがとやかく言うべきことではありません。

オバマ政権になって、アメリカは小心者になったようです。

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祝 天皇誕生日

傘寿にPhoto

今上陛下が、本日、80歳の誕生日を迎えられました。

国民の一人として、お祝いを申し上げます。

陛下の近況については、政府のインターネットテレビでも放送していました。

禁中・禁裏にカメラが入ることは、いまでは珍しいことではなくなってしまったようです。

ところで、産経新聞では陛下のご公務について言及していました。

Photo_3

この記事を見ると、相変わらず激務をこなされているようです。
しかし、日曜日には皇后陛下を乗せて、皇居の中のドライブをお楽しみになられているようですね。

Photo_2 80

愛車 インテグラを運転される天皇陛下。
助手席には皇后陛下も。

昭和 29年に運転免許を取得された天皇陛下。
今も平成 3年式のお車をご愛用されているようですね。

下は、以前の NHK放送の一部です。

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小泉八雲 - 12 (最終回)

八雲が求めたもの

前回までは、八雲が自分の家庭を求めていたことを記しましたが、もうひとつ重大な問題があります。
それは「死」の問題です。
西洋的な合理主義の考え方で死を見つめると、死とは「完全消滅」です。
八雲にとってはそれは耐え難いことだったでしょう。
そこで、幼いころから「悪魔」とか「妖怪」に関心を抱いていた八雲は、東洋的な精神論で死を解決しようと試みたのだと思います。
確かに、西洋のキリスト教でも「復活」とか「不滅」を唱えてはいますが、八雲にとっては それは「まやかし」で信じられないものだったようです。
いくら生き返ったとはいえ、「ゾンビ」では、魂を失った存在ですものね。
ところが、八雲は「輪廻転生」を説く東洋の思想に触れ、人間は死んでも化けて出てこれるものとして、肉体は失っても、恨みを持った精神は生き続けることのほうを選んだようです。

しかし、「この世に未練がないと人間界に残れない・・・」では残念ですね。
そこで八雲は、安心して死ねる「涅槃」の姿に「死」の恐怖からの救いを得ようとしたようです。
つまり「涅槃」から「霊魂不滅」を信じようとしたのですね。

さらに、日本人の「森羅万象から神を感ずる心」にも惹かれたようです。
自分をとりまく全ての物から生の息吹、つまり神を感じ、それに感謝する日本人の生活スタイルに感動したようですね。

ところが、陰 (かげ) 日向 (ひなた) のない日本人の質朴な心が、西洋文明によって破壊されていくことを、八雲は憂いていたようです。

八雲は、西洋文明を積極的に取り入れて過去の伝統を放棄するようなことを続けていては、やがて日本は滅んでしまうと感じていたようでした。

このように、「小泉八雲」という人物は、研究する素材として魅力が多いと思います。
たとえば、文豪としての面から「文学」、随筆家として面から「文芸」「民俗学」、あるいは八雲が残した著書、図書などから「神道」「仏教哲学」「比較宗教学」などを研究するのは比較的容易だと思うのですね。
なぜなら、彼は、膨大な「記録」を残しているからです。Photo

その「記録」が戦禍から逃れたのは、まさしく八雲の人柄だったのでしょう。
朗々と響く八雲の講義は、当時の東京帝大生の心をつかみ、その学生たちの縁で、八雲の膨大な資料は富山に疎開ができたようです。

そして、その八雲の人柄が、八雲が滞在した各地に彼の「記念館」を作らせたのだと思います。
八雲が日本人を愛したかどうかは不明ですが、日本人が八雲を愛したことは確かでしょう。

【 主な参考書として、東京大学名誉教授 平川祐弘 博士 の講義録 】 

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小泉八雲 - 11

焼津にてPhoto

ラフカディオ・ハーンという外国人が日本に来たのが、1890年。
彼が 40歳のころで、早速、松江の女性と同棲するのでした。
なにしろ、日本人女性と同棲したフランス人の体験記に刺激されて日本に来たのですから、当然の行動でしょう。

当時の外国人は、日本 特に田舎にとっては珍しい存在だったのでしょう。
文明開化に邁進していた当時の日本にとって、外国人は文明人であり、当然、外国語を話せる人なので、人格審査をせず、高給で雇っていました。
そういうわけで、ハーンも松江では、日本人教師の五倍の給金で中学の英語教師の職を得たようです。

しかし、アメリカでも職を転々としていた ハーン は、日本でも転職を繰り返します。
来日の翌年、1891年には 熊本の 第五高等中学校に移ります。
さらに、神戸で英字新聞記者を勤めたあと、 1896年から 6年半もの間、東京大学で英米文学を講義し、その後 1904年に亡くなるまで早稲田大学で講義をしたのでした。

そういうわけで、8年間の東京での生活が、彼にとっては異例なほど長期的なもので、それだけ経済的にも生活的にも、そして仕事的にも安定していた期間だと思います。

その東京生活では、避暑地として、しばじは静岡県の焼津を訪れていたようです。
下の写真は、ハーンが訪れた焼津の民家です。
そこからは、ハーンが生まれたギリシャの海の輝きに似た駿河湾が一望でき、さらに富士山も望めます。

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そういうこともあって、焼津市には、「小泉八雲記念館」があります。

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小生も、その開館式に立ち会いましたが、それ以降は、閑古鳥が鳴いています。
典型的な「ハコモノ」ですからね。

しかし、そこでは年に二回、ハーンがアメリカのニューオリンズで経験した ジャズの原型音楽を記事にしたことを顕彰して、コンサートが開かれています。
興味のある方は、その「八雲記念館」に問い合わせてみてはいかがでしょうか ?

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小泉八雲 - 10

ハーンの女性観

以前にも記したように、幼少期のハーンは家庭には恵まれていないようでした。
そこで、自分の家庭を持ちたいと言う願望は人一倍強かったようです。

しかし、幼少期に不慮の事故で左目を失い、障害者であった自分に負い目を感じていたのか、結婚相手は有色人種でした。

1869年、ハーンが19歳のときに、着の身着のままでイギリスから渡米しました。
1874年 1月に、シンシナティーの新聞社の常勤スタッフとして採用され、はじめて固定収入を得ると、その年の 6月には 黒人と結婚したのですが、州法に白人と黒人との結婚が禁じられていたのですぐに破綻してしまいます。

フランス語が得意なハーンは、今度はニューオリンズでフランス語の翻訳などを手がけ、そこでピエール・ロティーというフランス人作家の『お菊さん』という作品を翻訳しました。
その本の内容は、海軍士官として長崎に寄港した ピエール・ロティーが、三ヶ月ほど日本の女性と同棲した経験を記したものです。

その本に刺激された ハーンは、早速、1890年 4月 4日に横浜に行くのでした。
そして、英訳の『古事記』に記されてあった 出雲の国に到着し、その近くの 松江で英語教師としての職を得たのでした。
そして翌年、松江の貧しい士族の娘 小泉節子と出会い、早速、同棲するのですね。
18歳も年下の言葉も通じない女性との奇妙な生活が始まったのです。
その後、熊本に移り長男が誕生し、自分の家庭を持ったことに歓喜したようです。

しかし、外国人であったハーンには、日本人の心理を読み解くことが難解だったようで、妻節子に対しても よそよそしい気持ちを抱いていたようです。
それでも、日本人の徹底した無私無欲の姿、日本人妻の従順さに感慨を抱き、妻には大きな信頼を置いて、家庭に関することは全て妻に任せて、自分は仕事に専念したようです。

たとえば、それまでの西欧では、稼ぎ手の夫が財布を握っていて、そのなかから妻に生活費を渡していたようです。
ところが、日本では妻に財布を預けてしまいます。
そこで、ハーンも節子に全てを任せてしまうのでした。
家や土地を買うことでさえ妻に任せてしまうのでした。

1896年、ハーンは、小泉家に養子に入り、日本に帰化して「小泉八雲」と名乗ります。
ところで、ハーンが日本に帰化のは、ハーンが日本を好きだったからではないようです。
当時、在日米人には治外法権があり、西欧人の男性が日本人の妻子に遺産を残そうとしても、他に西欧人の親戚があった場合、その遺産はその西欧人に渡ってしまう決まりでした。
そこで、ハーンは愛する妻子に遺産を渡すために、日本人の家に養子に入るしかなかったのでした。

このように、家庭の愛に飢えていたハーンは、他の地に移っても、速攻で女性と出会い、自分の家庭を築こうとしたようですね。
そして、いったん築いた家庭を大切にしたようです。

話は前後しますが、アメリカのニューオリンズにいたとき、タイムズ・デモクラット社で「ホーム」という記事を書いていました。
その記事は、以下のように結ばれていました。

だが女の人の心遣いがなくしてどうしてこうしたもろもろの幸を手に入れることが出来ようか ? 女は家庭の魂である。女がいなければ、そこにあるのは高々、家具調度と煉瓦の壁にしか過ぎない。女がすべてを美しく変えるのだ。女がいない限り幼年時代に私たちが知ったあの家庭の幸福は得られない。女がいない限り、どこの何番地に住んでいるとは言えても、どこの何番地に家庭を持っているとは言えない

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小泉八雲 - 9

薄幸な幼少期

小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) の人生を一言で言えば、「自分の家庭探し」だと思います。
両親に見捨てられ、文無しで渡米したハーン。
アメリカでは黒人女性と結婚し、次に、日本で黄色人種と結婚したのですが、白人でありながら白人女性に対してコンプレックスがあったと思います。
それに、白人が信仰しているキリスト教に対しても懐疑的だったようです。
彼の生涯をみると、小生はそう感じるのですね。

彼は、1850年にギリシャのレフカダ島で生まれました。
父親は、その島に駐屯していたイギリス軍将校でしたが、ハーンが産まれる前に転属したので母子家庭になってしまったわけです。
生活に窮したハーン母子は、父親の実家であるアイルランドのダブリンに行くのでした。
ところが、言葉も宗教も違う生活に馴染めない妻を見たハーンの父親は、他の女性と結婚するために「結婚していなかった」と主張したのです。
当時のギリシャでは女性に教育をさせなかったので、ハーンの母親は字が書けなかったのでした。
それをよいことに、ハーンの父親は「結婚証書にサインをしていなかったから結婚は成立していない。」と言ったのですね。
その主張を裁判所が認めたため、ハーンの家庭は崩壊したのでした。
六歳だったハーンは、一人ダブリンに残されてしまったのです。
そこで、ハーンは父方の大叔母に預けられることになったのでした。

その大叔母には子供がなく、大金持ちでした。
彼女はハーンの父親の行いを非難し、自分の遺産をハーンに譲るように指示しました。
ところが、彼女の遺産を狙っていた親戚らは、ハーンを大叔母から遠ざけるため、フランスのイブトーやイギリスのアショーのカトリック系の学校に送り込んでしまいます。
ハーンは、そのイギリスの学校で遊んでいるときに左目を失ってしまいました。

そうしているうちに、大叔母の遺産を運用していた親戚は、事業に失敗して破産してしまうのです。
送金されないハーンは退学を余儀なくされ、ロンドンで惨めな生活を送ったのでした。
最低の生活に耐えかねて、ハーンは 1869年 つまり 19歳のときにアメリカに渡るのですね。

着の身着のままでニューヨークに着いたハーン。
そこからオハイオ州のシンシナティーに行き、印刷工の職を得ました。
さらに、文章を書くのが得意なハーンは、1874年に新聞社に採用されます。
安定した収入を得るようになったので、その年にマティー・フォーリーという黒人女性と結婚します。
ところが、オハイオ州では白人と黒人との結婚は禁止されていたので、ハーンは職を失い、しかも離婚してしまうのですね。

フランス語が得意なハーンは、フランス系の人が大勢いるニューオリンズに移り、苦心努力して新聞社の文芸部長にまで昇進します。
そこでハーンは、ラテン系の入植者と黒人との混血、クレオール人の文化に関心を寄せていたようです。
当時の著作『堤防の生活』には、人々の歌や演奏の説明が複数記載されていて、研究者によれば、それはジャズ誕生の前夜の様子を描いているようです。

さらに、ハーンはフランス文学の翻訳もしていて、アメリカではハーンのことをフランス文学の翻訳者として名が知られているようです。
その翻訳の中で、フランス人作家の日本滞在の経験を記した作品を知り、そこで日本に関心を持ったようです。
また、東洋の宗教とくに仏教哲学に共感するところがあったようで、それに関するさまざま書を渉猟したようです。
そのころ、カリブのフランス領西インド諸島に取材に赴いたのでした。
そこの住民は元奴隷だった黒人が多く住んでいて、カトリックに改宗させられたはずなのに、そうでもない様子を見て、昔から存在する宗教の根強さを感じたようです。
そこで、日本でも神道があるところに仏教が入ってきのですが、そう簡単には神道がなくなるはずがないだろうと確信し、それを確かめるためハーンは、ついに横浜に辿り着くき、出雲に向かうのでした。
出雲に近づくにつれて、お寺が減って神社が増えていく様子を見て、「神道はまだ生きている ! ! 」と自分の予想が正しかったことを確認したのでした。

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小泉八雲 - 8

仏教徒であったのか

「私は仏教徒ではない。」と、友人らの手紙に書いていた小泉八雲。
そんな彼の墓は、東京の雑司が谷墓地にあるそうです。
戒名も、「正覚院殿淨華八雲居士」というそうです。

妻方の戸籍に入籍・帰化したので、そうなったのかもしれませんが、実は、小泉八雲が日本に着いたとき、まず最初にしたことが、その足で「お寺」を何件か回ったそうです。
つまり、日本に着いたらまず「お寺」を見て回ろうと思っていたようです。

その証拠に、小泉八雲は日本に着く前に、『古事記』のほかに、何冊かの仏教関係の本を読んでいたそうです。
たとえば、オルコットの『仏教教義問答 』とか、マックス・ミューラーの 『東方聖典叢書』など。

そういうわけで、仏教に対して、それなりの知識を持って横浜に入港したようです。
ただ、アメリカ、西インドで読んだ仏教に関する本は、西欧的な思想を基にした解釈だったので、自ずと小泉八雲もそうした先入観をもって入国したものと思われます。

その後、日本に滞在中、日本人の仏教信仰に触れたとき、その違いに戸惑ったようです。
つまり、その独自性、特に仏教と神道との融和には、理解しがたいものを感じたようです。

さらに彼は、日本の仏教は 12もの宗派が分かれているのに、対立せず広まっていることに驚いたようです。
西欧にはない宗教の寛容性。

そういうわけで、小泉八雲は西洋の仏教観と東洋の仏教観の相違、そして日本独自の仏教観を細かく分析していたようです。

当時の日本人の場合、まず、宗教を科学的、合理的に分析するという発想はなかったようです。
西欧の考え方が合理的に対して、東洋のそれは精神的という違いに気がついたようです。
とにかく、西洋育ちの小泉八雲だからこそ、日本人の信仰の様子を細かく分析して書くことが出来たと思います。

そして、多少の不合理があっても受け入れてしまう日本の国民性。
日本人の庶民は、笑みばかりを浮かべて、なんでも「ハイ」と言って ホンネが分かりので、それをどう理解してよいのか分からなかったようです。

また、無骨で無表情な武士みたいな同僚教師らと、どう付き合ってよいものか困っていたようです。

そういうわけで、小泉八雲は日本を愛したと言われていますが、本当に日本人が好きだったのか、よく分からない面があると思います。

そういう環境のなか、彼の代表作『怪談』が生まれたのですが、それは日本人の仏教信仰を背景にしたものであることは間違いないでしょう。

そういうことを、次回から小泉八雲の足跡を追って見たいと思います。

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小泉八雲 - 7

神の国 日本 - 6

いきなり このページから読まれた方は、これ以前の記事からお入りください。
でないと、何が何だか分からないと思うからです。

ここでは、今でも全国的な神社巡礼信仰である「一の宮」について、明治・大正時代の国学者らは、それが間違いであったことを述べています。

広池千九郎 著 『伊勢神宮と我国体』から引用

諸国に 一の宮 を置いた起原や理由については、諸説があって十分に分かりませんが、鴨長明 ( カモノチョウメイ ; 江戸時代後期の国学者 ) の『歌林 四季物語』の四月の条に、「仁和の始めの年だろうか、もろもろの国に 一の宮を定められた・・・」などとあるのを見れば、おそらく 光孝天皇 (第 58代天皇 ; 天長7年{830年} - 仁和3年8月26日{887年9月17日} ) の時に置かれたものあろう。
そして、これを置いた理由は、伴 信友 (バンノブトモ ; 江戸後期の国学者 ) の『神社私考』によれば、これは諸国の国分寺の制に倣ったもので、或いは 中央政府より下された法令などを諸国の神社に伝達する場合に、一の宮で取次ぎをしたということで、おそらく便宜のためと思われる。
それについて、明治時代の国学の泰斗である 井上頼囶翁は、「一の宮の説は、これは社格であって、その中には地方の崇敬を集めているものもある。国分寺の制によれば、諸国の府内ある惣社である。『四季物語』は近世の偽書であって、取るに足らない。」と言う。

つまり、一の宮は、その諸国の神社の代表格ということなんでしょう。
そして、そうした制度に対して、当初は特に国民的な信仰はなかったということです。

それがいつの間にか、全国神社巡礼ツアーの対象となっていたと言うことなんでしょうね。
しかし、現代人がそれを楽しんでいる実態を見れば、それはそれで善いと思います。Photo_3

そこで、拙宅の近くの郷社をみると、ここは昔は駿河の国であったにもかかわらず、遠州 一の宮である森の 小国神社 ( 写真 ) が惣社であったようです。

こうしたことから、古代の勢力分布が分かりますね。

また、小泉八雲が滞在していたという出雲の国の一の宮は、出雲大社ということで、この地方では今でも特別な信仰があるようです。
さらに、縁結びの神としても、全国的な信仰を集めています。

そういう背景もあって、小泉八雲は日本人の神社信仰について誤解していたようです。
しかし、現在の一の宮は、地域の中で最も社格の高い神社と言うことで、全国的な神社巡礼の対象となっているのを見ると、小泉八雲は、ある意味 一の宮に対して「先見の明」があったのかもしれませんね。

次は、小泉八雲の日本の仏教信仰について記してみたいと思います。

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小泉八雲 - 6

神の国 日本 - 5Dec02_a03

現代の日本人が信仰する宗教とは何でしょうか ?

日本人が生まれると、まず神社にお参りします。
そして、結婚式はキリスト教式 チャペルで。
さらに、最期は仏式で。

もうすぐクリスマスですが、日本人はクリスマスを祝った一週間後に、初詣に行きます。
なんとも忙しいと言うか、訳の分からない民族です。

小生が幼いころの日本、つまり半世紀前の家庭には、仏壇と神棚がありました。
つまり、仏教と神道とが並んで祀られていても、平気だったのですね。

今の家庭では、仏壇も神棚も祀らない家庭が多くなりました。
でも、前述のように、初詣、成人式、バレンタインデー、お彼岸、こどもの日、七夕、お盆、ハロウィン、クリスマス・・・と、西欧・アジアの宗教が入り乱れた一年を過ごします。

こうした日本人の生活をみていると、日本人がどんな民族なのか分からなくなります。

ところが、一世紀前の日本の日常生活には、神道が根付いていたようです。
それを著しているのが、日本に帰化したギリシァ人、小泉八雲です。

彼は、アイルランドなど、そしてアメリカを経て日本に辿り着きました。
その間、いろいろな民族、人種の文化・文芸に触れ、それを書き残しています。
それが、ジャズの原型であったり、日本古代の神道であったりするのです。

彼には、民族の奥深くにある魂を感じる才能があったようですね。

さて、その彼が、明治時代の日本人の信仰であった古代神道について記していました。
その内容について、日本人の神道研究者らが評価していました。

外国人だから日本人のことなんて分からない・・・と見放す一方、外国人だからこそ出来る分析力については高く評価しているのですね。

小泉八雲は、日本最古の歴史書である『古事記』の英訳を読んで、天孫降臨以前の日本と それ以降の日本、つまり「国譲り」の前後で、信仰の対象が変わったにも拘らず、日本人はその両方の神を対等に祀って信仰していると思ったようです。Photo

たとえば、神無月は、出雲などでは神在月という具合に、神々は移動するわけです。
また、拝礼の仕方も、伊勢と出雲とは違います。
さらに、出雲の本殿には、皇族と言えども入ることが出来ないことから、出雲と伊勢とは双立したものと思うのも無理もありません。

( また、今年は、出雲は 60年に一度、伊勢では 20年に一度という遷御がありました。)

しかし、それは外国人独特の誤解であると、日本の国学者の一人 広池千九郎 ( 写真 ) はいうのですね。
伊勢神宮は、日本の神道においては、最高のもので絶対的存在であるので、出雲大社と並べ置くものではないと、キッパリと言っています。

さらに、広池は、小泉八雲が記したところの全国の神社に広がっている「一の宮」信仰についても、それが間違いであることを指摘しています。
その件を、広池千九郎の著書 『伊勢神宮と我国体』から紐解いて見ましょう。

・・・なんて記していたら、またまたスペースがなくなってしまいました。

・・・ということで、その内容は次回で ! !

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小泉八雲 - 5

神の国 日本 - 4

いきなり この文章を読まれる方は、今までの記事を読んでからご覧ください。

神宮皇學館教授 広池千九郎 著 『伊勢神宮と我国体』

第八款 天祖 天照大神に対する国民的崇拝

わが日本国民の崇拝が祖先崇拝にあることは、既に説いたところです。
さらに、天祖 天照大神に対する信仰は絶対的で、各自の祖先崇拝よりも優ることは、これもまた既に説いたところです。
この日本国民の崇拝を以下のように三段階に分けるべきでしょう。

第一、各自の家の祖先に対する崇拝
        (
すなわち家族的崇拝 )

第二、各自の家の本家たる祖先の神霊に対する崇拝
    ( すなわち 氏神の崇拝 )

第三、各自の家の惣本家である皇室の皇祖に当たる 天祖 天照大神に対する崇拝
    ( いわゆる 国民的崇拝 )

この分類について、私は前に ハーン氏 ( 小泉八雲 ) が、天祖 天照大神 と 出雲大社とを同等のように記していたことについて、それが不当であることを述べました。

しかし、彼が我国民の崇拝の種類を四段階に分けて、その初級を家族宗教とし、最上級を伊勢の国民的崇拝としたことは、たいへん当を得た説明であると思います。

ただ、その四段階のなかに、諸国のひとつである 一の宮 を混ぜたことは、彼が 一の宮の歴史を知らなかったからでしょう。
つまり四段階の中、まずその初級である家族宗教は その一家の宗教で、次に、一族の信仰としての氏神への信仰は その一氏一族の宗教としたのでした。
同様に一諸国のような団体を考えたとき、一諸国的な宗教があるのだろうと想像したので、一の宮 の名前を聞いたときに、直ちにそれがそうだろうと即断してしまい、それを第三位に序列してしまい、そしてその上に 天祖 天照大神に対する国民的崇拝を置いたものと思われます。

これは、外国人のわが国の観察に対する常弊で、また、彼ら外国人が接する日本人が不孝なことに自国のことについて無知であったために、彼ら外国人等は何ら疑いを持たないでこのような記述に至ったもので、彼等だけを咎めるものではないでしょう。

この一の宮は、国民一般の崇拝の対象ではなく、中世に ある事情のために設けた一種の社格に過ぎないもので、家族崇拝、氏神の崇拝、そして 天祖 天照大神に対する国民的崇拝の間に入れるものではありません。
( 中略 )

故に私は、我国民の崇拝は、ハーン氏の 一の宮の崇拝 を除いた 他の三階級とすることが至当であると信じます。
( 下略 )

このように、広池は、小泉八雲の分類については間違いはあるものの、その大まかな分類方法については肯定的で、自身もそれを取り入れているようですね。

さて、ここにある「一の宮」の崇拝について、現代に生きる我々でさえ誤解していると思われます。
そこで、さらに説明が必要だと思いますので、再び次回に『伊勢神宮と我国』から引用したいと思います。

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小泉八雲 - 4

神の国 日本 - 3Photo

明治の文豪 小泉八雲 (写真)。
『怪談』の著者として有名ですが、近年は、日本人の神道信仰の様子を著していたことについて脚光を浴びています。
特に、昨年の『古事記 1300年記念』、また 20年に一度と言われる「伊勢神宮の遷宮」が今年にあったということで、日本の国学に関心を持つ人が多いなか、小泉八雲の名を耳にする機会が多いように思います。

その彼が、明治時代の人たちにどのように評価されていたのか・・・。

明治・大正時代の神道・国体研究の碩学であった、法学博士 広池千九郎の著書『伊勢神宮と我国体』のなかにも、この小泉八雲は登場します。

外国人でありながら、日本の文化を深く理解していたといわれている小泉八雲。
広池は、そんな彼をどのように記していたのでしょうか。

その前に、広池の著書『伊勢神宮と我国体』について簡単に説明しておきたいと思います。

まず、日本人の根底に流れている信仰は古代神道であるというのですね。

その古代神道では、日本人は女神である天照大神を日本人の天祖として仰いでいるということです。

さらに、歴代天皇は、天照大神を皇祖神として仰ぎ、その象徴として三種の神器の中のひとつ八咫鏡(やたのかがみ)を皇居で祀っています。
つまり、その鏡は天照大神の化身であるということのようです。

さらに、その鏡は分化して、三重県の伊勢神宮にも祀られるようになり、日本人の根本神として祀られているようです。

しかし、この伊勢神宮の場合でも、天照大神は日本人民衆の信仰の対象として崇められてはいますが、伊勢神宮の氏子は唯一 天皇 なんですね。
そして民衆は伊勢神宮を親しみを込めて「お伊勢さん」と呼んで、天皇の信仰を見守っているというのです。

つまり民衆は、直接、天照大神を仰いでいるのではなくて、国民の惣家である皇室の信仰を通じて、天祖を祀っているという事なんだそうです。
ちと、分かり辛いですね。
つまり、日本人の神道の信仰は、何層にもなっているようです。
広池は、その信仰の「段階」について説明するにあたり、小泉八雲の説を引用しているのです。
そうすると、非常に分かりやすいみたいですね。

あれれ、前振りを記していたら、スペースがなくなってしまいました。
・・・ということで次回は、直接、『伊勢神宮と我国体』の 第八款 天祖天照大神に対する国民的崇拝 という箇所から入ります。

以前にも記しましたが、この本は文語調で漢文混りです。
大衆本というよりも学術論文風でありますから、非常に読みづらいのですね。
そこで、小生が意訳したものを記しますから、その点をご承知置きくださいね。

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秘密保護法は必要です

マスコミに騙されるなPhoto

特定秘密保護法が可決された今も、マスコミはそれに批判を続けています。
さも国民の多くが反対しているような伝え方です。

でも、ネットではこの法律を支持している人が多いようですね。
ネットは正直です。

この法律がなぜ大切か・・・
それをザックリ説明すると、鳩ポッポのような総理大臣経験者が、他国にベラベラと重要な秘密を暴露するのを防ぐためです。
それに加担した人も、併せて罰するというのですから、国防の上でも必要な法律であることは間違いないことです。

戦前のように国民の自由を奪う悪法だ・・・とマスコミは騒ぎ立てますが、今のように隣国が不穏な動きをしている以上、それに備えなければなりません。

もう、二度と戦争に負けてはいけないのです。
いままで、我々の祖先たちは、中国の圧力に屈してきませんでした。
そうして、日本独特の文化を守り続けてきたのでした。
万一 中国に屈してしまうと、日本も新疆ウイグル地区やチベットのようになってしまいます。

今、中国は日米の分断を目論んでいます。
その日米の結束を強固にしているのは、日米間にある秘密を共有しているからです。

その秘密が暴露されてしまえば、中国の思う壺です。

鳩ポッポのような宇宙人の口を塞ぐためにも、この法律は必要なのです。

ただ、政治家や官僚らの良識が、さらに問われる事態ということを、あらためて認識してもらいたいと思います。
そういう意味では、この法律も「両刃の刃」みたいな法律です。

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桜海老の掻き揚げ

今年は豊漁

冬のボーナスの時期です。
今年はアベノミクスの効果もあって、仕事は多忙。
それに比例して、ボーナスも増えたところが多いようですね。

家内も子供たちも、今年はニコニコです。

小生はボーナスなんて貰えない立場ですが、それでも少し所得が増えたので、ちょいと贅沢をしてみました。

それは、富士山の南、駿河湾で獲れる 桜海老 を、友達と共同で箱買いをしたのです。
朝、6時半に水揚げされた 新鮮なものを そのまま箱ごと買うのですね。

以前の桜海老は、駄菓子屋の お好み焼き でも手に入るほど庶民的なものでした。
ところが、現今は高級食材になってしまい、駿河湾岸沿いに住んでいる小生でも、なかなか手が出ません。

そこで、共同で箱買いをして、みんなで忘年会を楽しもうという算段です。

写真は、その中の一パック、300グラムの桜海老です。2013120915090000
これで、およそ 20枚の掻き揚げを作ることができます。

新鮮ですから、生で食べても美味しく戴けますが、やはり桜海老は掻き揚げが香ばしくて美味しいと思うのですね。

作り方は、極めて簡単。
長さ 3センチぐらいに切った青ネギと桜海老を混ぜ、それに薄力粉を入れて掻き混ぜます。
つなぎは少量の水だけ。

2013120917170001 2013120917180000

それを少量のサラダオイルで揚げます。

2013120917210000 2013120917220001

さっと揚げて出来上がり。

2013120917250001 2013120413070000

掻き揚げそばにしてみました。

揚げた油は、下の写真のように 桜海老のエキスが滲みています。
それを野菜炒めなどに使うと、独特な風味が出で楽しめます。

2013120920010000

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小泉八雲 - 3

神の国 日本 - 2Photo

前回の続きです。
明治の文豪のひとり 小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) を評した文を紹介したいと思います。
当時、小泉八雲は出雲大社 (写真) の近く、島根県の松江で暮らしていたようです。
外国人であった彼から見た日本人は、信仰に厚い穏やかな民族に映ったようです。
その当時の日本人の信仰とは何だったでしょうか ?
その当時の国学の碩学であった 広池千九郎の著書から見てみましょう。

『伊勢神宮と我国体』 P.41

(前略)
また、英国人で 日本に帰化したハーン (小泉八雲) の著書で、漢字で『神国』 (Japan : an interpretation ) と題する本には、

「我々は、大国主神の出雲の崇拝のほかに、古代の祭祀に 4つの階級をもつ。それは、家族的宗教、氏神の宗教、諸国第一の社 つまり 一の宮の祭祀、そして伊勢の国民的崇拝。」

と、記してある。
これは、大間違いで、外国人の著書だから仕方がないとして見過ごすことはできない。
なぜなら、この本は世界的な文豪の著書として見られていて、さらに世界の共通語である英語で記されているので欧米人がこれを信じてしまうことは勿論、日本の純粋な国学者以外にも世界中の様々な人に読まれているので、その弊害は甚大である。
ところで、外国人である著者がなぜこのような誤解を記すことになったのか。
(中略)
その原因は (中略)、その著者に接した日本人が無識であったこと。それに出雲の人は比較的に出雲大社を崇拝する度合いが高いので、その一地方の信仰の様子を見て、著者はこれが全国的なものだと誤解したようだ。
(中略)
天照大神の信仰と出雲大社の信仰が同等なものと誤解した原因は (中略)、崇神天皇 (第十代天皇) 以前は天皇の殿内に、天照大神と、天孫降臨以前に この葦原中国の主催者だった大国主命とを同じところに祀ってあったのを見て、その信仰がきっと同等だろうと誤解したものだろうか。
(中略)
しかし、大国主命を祀り、その子孫を優遇するようなことがあるからといって、決して天照大神と同等な尊敬をしていると見てはならない。
たとえ、長い間日本にいて、深く日本の事情に通じた外国人といえども、このような学問上深遠な研究を遂げることは不可能なことは勿論、血縁関係のない外国人には到底 日本民族の天照大神に対する熟誠した尊敬を推察することはできないものなので、このように間違に陥ってしまったことについては深く悪むものではない。

いきなり小泉八雲氏の間違いを指摘するなんて・・・
どうやら、この『伊勢神宮と我国体』を記した国学の泰斗 広池千九郎は、外国人には日本人の信仰を完全に理解することは無理だと思っていたようですね。
一般に当時の日本人は、神道をはじめ大和魂を外国人が理解するなんて不可能と思っていたようです。
確かに、キリスト教やヒンズー経を「国教」とする国々と、国家神道とした戦前の日本とでは、根本的に違いますからね。
しかし、広池は そんな小泉八雲を高く評していました。
それは、日本人の根底に流れている信仰の対象が古代神道であったことを、外国人であった彼が見抜いていたからでしょう。
それについては、次回以降で。

( 『伊勢神宮と我国体』の中の小泉八雲を記した箇所は、当時のイギリス人の日本研究者 アストン と併記してありましたが、内容を簡素化するために、小生の文責のもと省略しました。)

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小泉八雲 - 2

神の国 日本 - 1Photo

明治時代の日本と言えば、「文明開化」という四字熟語が示すように、鎖国を解き、西欧から近代文明を取り入れ始めたころといわれています。

逆に、当時の外国人から観れば、まだ西欧の物質文明に汚染されていない魅力のある国として日本が映っていたようです。

そんな日本に魅了された外国人の一人に、明治時代の文豪 小泉八雲 がいます。
彼は、日本に帰化して日本人として日本の文化を記録していました。

そのひとつが彼の絶筆となった『神国』 ( 1904年・ 明治 37年 ) という著作。Photo
この英語の著書が、外国人が日本を知る上で、この上もない資料となっていたようで、終戦直後の日本を占領した GHQ のマッカーサーも、この本を読んでいたと言います。
もし、この本がなければ、昭和天皇は戦争責任を問われていたかもしれないそうです。

そんな彼を、当時の日本の国学者とか神道信者らはどんな具合に観ていたのでしょうか。

それを知ることができる著書のひとつとして、かつて、このブログでも紹介したことがある、『伊勢神宮と我国体』という本。Photo_2
これは、大正 4年に刊行されたもので、当時の神道研究の碩学と言われていた 神宮皇学館教授の 広池千九郎 ( 写真 ) というひとの著作です。

漢文 混じりの文語体なので、小生なりに意訳して紹介してみようと思います。

なにしろ、小生は高卒の鉄工職人ですから、その点をお汲み取りくださってご笑覧ください。

長文になりますから、いくつかに分けて記します。

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冷蔵庫のモーター

断熱材がボロボロでした

快晴なんですが、寒い日が続きます。Photo
師走ですからね。
そんな朝、寒さに震えながら雨戸を開けたら、なんと、季節外れのカマキリと目が合いました。
どうやら、暖かい戸袋に隠れていたようです。

次に、スッカリ習慣になってしまった BS-TBS の「おはよう健康体操」をやって、嫌いな仕事に出かけ、そして帰宅しても家内は帰ってきません。
どうやら、アルバイトが忙しいようですね。

そこで、家内が帰ってくるまで、ちょいと冷蔵庫の裏の掃除をして暇をつぶすことにしました。

冷蔵庫は毎年掃除をしているので、そんなには汚れていませんでしたが、モーターと冷蔵庫本体との間にあるスポンジ状の断熱材がボロボロになっていました。

Photo_2 2

指に触れるだけで崩れてしまうほど、その断熱材は劣化していたので、掃除機や雑巾で、そのボロボロで粉状になったものを取り除いたところ、冷蔵庫のモーターの音が いくぶん軽くなったような気がします。

Photo_3でも、モーターと冷蔵庫本体の間の断熱材がなくなってしまったので、モーターの熱が冷蔵庫の野菜室を暖めることになると思います。

それで、よいのかな・・・と気にはなりましたが、今まであった断熱材に代わるものがないので、ちょいと様子を見ながら使ってみようと思います。

この冷蔵庫も、もうすぐ 20年目になります。
買い替えの時期ですかね・・・。。。。

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秘密保護法は必要

日本は「戦前」Photo

まもなく「開戦の日」がきます。

「ニイタカヤマ・ノボレ」「トラ・トラ・トラ」。
この暗号文で、72年前に日本の「最後」の戦争が始まりました。
その 12月 8日は、奇しくも「平和主義者」のリーダー、ジョン・レノンの命日でもあります。

しかし、その日本の「開戦の日」が変わるかもしれません。
つまり、新たな「開戦の日」が 訪れるかもしれないのです。

具体的に言えば、あらたな日中戦争です。
最近の中国の動向を見ていますと、「不測の事態」から免れることはできない感じがします。

そんななか、日本では秘密保護法が強行採決されました。2

確かに十分な協議がされたとはいえませんが、この法律は、必要だと思います。

なぜかと言えば、前述のように、今の日本は中国と武力衝突する可能性が高いからです。

そうなったときに、ようやく秘密保護法を作るのでは遅すぎるのですね。
今、まさに必要な法律です。
公務員だけでなく、すべての日本人が日本の秘密を守る義務があるのですね。

その義務を果たすための具体的な法律が議決されたことは、独立国家として当然なことだと思いませんか。

確かに、民主党の海江田代表が示していたように、この秘密保護法では「官僚の隠蔽工作保護法」という側面はあります。

しかし、実際に戦争になったときに、国民の生命や財産をつなぐために、そのときの国民の生命や財産を犠牲にさせなければなりません。
いわゆる「総動員法」みたいなもので。
そうして戦争に臨まなければ負けてしまうでしょう。
そうなったときには、文民は「統制する側」ではなくて「統制される側」になります。
ましてや戦争にでもなったら「官僚の隠蔽工作」なんてものは問題にもならないと思います。
全国民がその戦いに一心集中しなければならないからです。
その有事に備えるためにも、秘密保護法は必要です。

今までの日本、いや人類は、そうやって種を保存させてきたと思います。

今まで人類は、様々な不意な困難に遭ってきました。
その不意に訪れるのは「自然災害」だけではありません。
人為的な災害も同様です。
つまり、降ってくるのは、隕石だけではなくミサイルであっても不思議ではないということです。
そして、それに「負け」れば、結果が悲惨であることは、今まで困難に遭ってきた日本人は、もう身に沁みたはずです。

確かに災害や戦争は嫌ですね。
しかし、必ず次もやってくるものです。
人類にとって「最後の自然災害」、「最後の戦争」なんてものは、人類が滅亡するまでありえないと思います。
そして、その「開始」を「決める」のは常に「相手」側なんですね。

つまり、どんなに戦争をしたくないと思っていても、戦争をするかしないかを決めるのは「相手」側なんですね。

たとえ戦争を仕掛けた側でも、あの戦争は「防衛戦」であったことを主張するものです。

今までの戦争とは、だいたいそんなもののようです。

ですから、備えあれば、憂いなし。
有事を想定した法整備をすることは、日本の独立を守る上で必要でありましょう。

そこで、日本の歴史は、見方によっては大陸や半島との戦争の歴史でもあります。
その日本の隣人が中国である以上、日本の運命は決まっているようなものです。

たとえば戦争になれば、当然、相手側は、まず先に、日本の核施設を狙うでしょうね。
それが福島第一原発事故の「教訓」でもあります。

もし日本の核施設が破壊されても、その影響は中国には及び難いでしょう。
逆に中国の核施設が破壊されるようなことがあったら、西風に乗ってその被害は日本にも及ぶでしょう。
そういうわけで、日本は地理的に不幸なところに位置していると言えるでしょう。

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台所換気扇の掃除

大掃除の季節です

昔の大掃除は、家族総出で、あるいは社員総出で年の暮れにするものでした。

ところが最近は、家の大掃除はその家のオヤジが。
公官庁の大掃除は、掃除業者がするものとなっているようです。

そういうわけで、今年も小生が、新年を迎えるにあたって、ぼちぼちと大掃除を始めています。

独りでは一度というわけには行きませんから、計画を立てて徐々に「攻めて」いきます。
本日は、台所の換気扇です。

2013120411440001 2013120413100000

このところ、換気扇そのものは回るのですが、三枚あるうちの真ん中のシャッターが開かないということで、分解してみました。

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すると、写真のように、真ん中のシャッターのフィンを支えているプラスチックスが破損していました。

どうやら、使われていたボルトが短かったので、プラスチックスの強度が保てていなかったようです。

2013120411430001

そこで、取り付けてあったボルトよりも長めのボルトを取り付けて補強したところ、なんとか正常に動きました。

次は、冷蔵庫のモーター付近の掃除です。

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小泉八雲 - 1

ジャズの原型Photo

今朝の『静岡新聞』をひらくと、「しずおか 音楽の現場」という特集記事の中で、小泉八雲 ( ラフカディオ・ハーン 1850~1904年 写真 ) が紹介されていました。

小泉八雲といえば、『怪談』などを著した明治の文豪と言うイメージですが、ギリシャ出身の彼は、アメリカに渡り、さまざまな職業を経て日本に渡ってきた経歴があるようで、この新聞記事では、八雲が 27歳のころ、アメリカの ニューオリンズ に移り住んだときに著した『堤防の生活』を紹介しています。

その記事によれば、八雲と音楽の結びつきは強く、ニューオリンズに在住していたときに、ラテン系の入植者と黒人との混血、クレオール人の文化に関心を寄せていたようです。

著作『堤防の生活』には、人々の歌や演奏の説明が複数記載されていて、研究者によれば、それはジャズ誕生の前夜の様子を描いているようです。

ところで、静岡県焼津市には、小泉八雲が滞在したことがあるということで、彼の文学記念館があります。

その記念館で、2009年から毎年 2回、ジャズの原型に関心を寄せていた小泉八雲を顕彰するコンサートが開かれているようです。

先般 11月 30日にも、そこで ジャスコンサート が開かれ、地元のジャズバンドらが ジョン・コルトレーン作品などを披露して人気を博したそうです。
来年の 3月には、八雲が幼少期を過ごしたアイルランドのケルト音楽のコンサートも開くそうです。

この顕彰コンサートは、いつも観覧の応募が殺到するということです。
狭い会場なので、70人ぐらいが限度。
興味のある方は、早めに問い合わせを。

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