小泉八雲 - 5
神の国 日本 - 4
いきなり この文章を読まれる方は、今までの記事を読んでからご覧ください。
神宮皇學館教授 広池千九郎 著 『伊勢神宮と我国体』
第八款 天祖 天照大神に対する国民的崇拝
わが日本国民の崇拝が祖先崇拝にあることは、既に説いたところです。
さらに、天祖 天照大神に対する信仰は絶対的で、各自の祖先崇拝よりも優ることは、これもまた既に説いたところです。
この日本国民の崇拝を以下のように三段階に分けるべきでしょう。
第一、各自の家の祖先に対する崇拝
( すなわち家族的崇拝 )
第二、各自の家の本家たる祖先の神霊に対する崇拝
( すなわち 氏神の崇拝 )
第三、各自の家の惣本家である皇室の皇祖に当たる 天祖 天照大神に対する崇拝
( いわゆる 国民的崇拝 )
この分類について、私は前に ハーン氏 ( 小泉八雲 ) が、天祖 天照大神 と 出雲大社とを同等のように記していたことについて、それが不当であることを述べました。
しかし、彼が我国民の崇拝の種類を四段階に分けて、その初級を家族宗教とし、最上級を伊勢の国民的崇拝としたことは、たいへん当を得た説明であると思います。
ただ、その四段階のなかに、諸国のひとつである 一の宮 を混ぜたことは、彼が 一の宮の歴史を知らなかったからでしょう。
つまり四段階の中、まずその初級である家族宗教は その一家の宗教で、次に、一族の信仰としての氏神への信仰は その一氏一族の宗教としたのでした。
同様に一諸国のような団体を考えたとき、一諸国的な宗教があるのだろうと想像したので、一の宮 の名前を聞いたときに、直ちにそれがそうだろうと即断してしまい、それを第三位に序列してしまい、そしてその上に 天祖 天照大神に対する国民的崇拝を置いたものと思われます。
これは、外国人のわが国の観察に対する常弊で、また、彼ら外国人が接する日本人が不孝なことに自国のことについて無知であったために、彼ら外国人等は何ら疑いを持たないでこのような記述に至ったもので、彼等だけを咎めるものではないでしょう。
この一の宮は、国民一般の崇拝の対象ではなく、中世に ある事情のために設けた一種の社格に過ぎないもので、家族崇拝、氏神の崇拝、そして 天祖 天照大神に対する国民的崇拝の間に入れるものではありません。
( 中略 )
故に私は、我国民の崇拝は、ハーン氏の 一の宮の崇拝 を除いた 他の三階級とすることが至当であると信じます。
( 下略 )
このように、広池は、小泉八雲の分類については間違いはあるものの、その大まかな分類方法については肯定的で、自身もそれを取り入れているようですね。
さて、ここにある「一の宮」の崇拝について、現代に生きる我々でさえ誤解していると思われます。
そこで、さらに説明が必要だと思いますので、再び次回に『伊勢神宮と我国』から引用したいと思います。
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