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小泉八雲 - 7

神の国 日本 - 6

いきなり このページから読まれた方は、これ以前の記事からお入りください。
でないと、何が何だか分からないと思うからです。

ここでは、今でも全国的な神社巡礼信仰である「一の宮」について、明治・大正時代の国学者らは、それが間違いであったことを述べています。

広池千九郎 著 『伊勢神宮と我国体』から引用

諸国に 一の宮 を置いた起原や理由については、諸説があって十分に分かりませんが、鴨長明 ( カモノチョウメイ ; 江戸時代後期の国学者 ) の『歌林 四季物語』の四月の条に、「仁和の始めの年だろうか、もろもろの国に 一の宮を定められた・・・」などとあるのを見れば、おそらく 光孝天皇 (第 58代天皇 ; 天長7年{830年} - 仁和3年8月26日{887年9月17日} ) の時に置かれたものあろう。
そして、これを置いた理由は、伴 信友 (バンノブトモ ; 江戸後期の国学者 ) の『神社私考』によれば、これは諸国の国分寺の制に倣ったもので、或いは 中央政府より下された法令などを諸国の神社に伝達する場合に、一の宮で取次ぎをしたということで、おそらく便宜のためと思われる。
それについて、明治時代の国学の泰斗である 井上頼囶翁は、「一の宮の説は、これは社格であって、その中には地方の崇敬を集めているものもある。国分寺の制によれば、諸国の府内ある惣社である。『四季物語』は近世の偽書であって、取るに足らない。」と言う。

つまり、一の宮は、その諸国の神社の代表格ということなんでしょう。
そして、そうした制度に対して、当初は特に国民的な信仰はなかったということです。

それがいつの間にか、全国神社巡礼ツアーの対象となっていたと言うことなんでしょうね。
しかし、現代人がそれを楽しんでいる実態を見れば、それはそれで善いと思います。Photo_3

そこで、拙宅の近くの郷社をみると、ここは昔は駿河の国であったにもかかわらず、遠州 一の宮である森の 小国神社 ( 写真 ) が惣社であったようです。

こうしたことから、古代の勢力分布が分かりますね。

また、小泉八雲が滞在していたという出雲の国の一の宮は、出雲大社ということで、この地方では今でも特別な信仰があるようです。
さらに、縁結びの神としても、全国的な信仰を集めています。

そういう背景もあって、小泉八雲は日本人の神社信仰について誤解していたようです。
しかし、現在の一の宮は、地域の中で最も社格の高い神社と言うことで、全国的な神社巡礼の対象となっているのを見ると、小泉八雲は、ある意味 一の宮に対して「先見の明」があったのかもしれませんね。

次は、小泉八雲の日本の仏教信仰について記してみたいと思います。

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