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小泉八雲 - 11

焼津にてPhoto

ラフカディオ・ハーンという外国人が日本に来たのが、1890年。
彼が 40歳のころで、早速、松江の女性と同棲するのでした。
なにしろ、日本人女性と同棲したフランス人の体験記に刺激されて日本に来たのですから、当然の行動でしょう。

当時の外国人は、日本 特に田舎にとっては珍しい存在だったのでしょう。
文明開化に邁進していた当時の日本にとって、外国人は文明人であり、当然、外国語を話せる人なので、人格審査をせず、高給で雇っていました。
そういうわけで、ハーンも松江では、日本人教師の五倍の給金で中学の英語教師の職を得たようです。

しかし、アメリカでも職を転々としていた ハーン は、日本でも転職を繰り返します。
来日の翌年、1891年には 熊本の 第五高等中学校に移ります。
さらに、神戸で英字新聞記者を勤めたあと、 1896年から 6年半もの間、東京大学で英米文学を講義し、その後 1904年に亡くなるまで早稲田大学で講義をしたのでした。

そういうわけで、8年間の東京での生活が、彼にとっては異例なほど長期的なもので、それだけ経済的にも生活的にも、そして仕事的にも安定していた期間だと思います。

その東京生活では、避暑地として、しばじは静岡県の焼津を訪れていたようです。
下の写真は、ハーンが訪れた焼津の民家です。
そこからは、ハーンが生まれたギリシャの海の輝きに似た駿河湾が一望でき、さらに富士山も望めます。

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そういうこともあって、焼津市には、「小泉八雲記念館」があります。

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小生も、その開館式に立ち会いましたが、それ以降は、閑古鳥が鳴いています。
典型的な「ハコモノ」ですからね。

しかし、そこでは年に二回、ハーンがアメリカのニューオリンズで経験した ジャズの原型音楽を記事にしたことを顕彰して、コンサートが開かれています。
興味のある方は、その「八雲記念館」に問い合わせてみてはいかがでしょうか ?

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