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小泉八雲 - 10

ハーンの女性観

以前にも記したように、幼少期のハーンは家庭には恵まれていないようでした。
そこで、自分の家庭を持ちたいと言う願望は人一倍強かったようです。

しかし、幼少期に不慮の事故で左目を失い、障害者であった自分に負い目を感じていたのか、結婚相手は有色人種でした。

1869年、ハーンが19歳のときに、着の身着のままでイギリスから渡米しました。
1874年 1月に、シンシナティーの新聞社の常勤スタッフとして採用され、はじめて固定収入を得ると、その年の 6月には 黒人と結婚したのですが、州法に白人と黒人との結婚が禁じられていたのですぐに破綻してしまいます。

フランス語が得意なハーンは、今度はニューオリンズでフランス語の翻訳などを手がけ、そこでピエール・ロティーというフランス人作家の『お菊さん』という作品を翻訳しました。
その本の内容は、海軍士官として長崎に寄港した ピエール・ロティーが、三ヶ月ほど日本の女性と同棲した経験を記したものです。

その本に刺激された ハーンは、早速、1890年 4月 4日に横浜に行くのでした。
そして、英訳の『古事記』に記されてあった 出雲の国に到着し、その近くの 松江で英語教師としての職を得たのでした。
そして翌年、松江の貧しい士族の娘 小泉節子と出会い、早速、同棲するのですね。
18歳も年下の言葉も通じない女性との奇妙な生活が始まったのです。
その後、熊本に移り長男が誕生し、自分の家庭を持ったことに歓喜したようです。

しかし、外国人であったハーンには、日本人の心理を読み解くことが難解だったようで、妻節子に対しても よそよそしい気持ちを抱いていたようです。
それでも、日本人の徹底した無私無欲の姿、日本人妻の従順さに感慨を抱き、妻には大きな信頼を置いて、家庭に関することは全て妻に任せて、自分は仕事に専念したようです。

たとえば、それまでの西欧では、稼ぎ手の夫が財布を握っていて、そのなかから妻に生活費を渡していたようです。
ところが、日本では妻に財布を預けてしまいます。
そこで、ハーンも節子に全てを任せてしまうのでした。
家や土地を買うことでさえ妻に任せてしまうのでした。

1896年、ハーンは、小泉家に養子に入り、日本に帰化して「小泉八雲」と名乗ります。
ところで、ハーンが日本に帰化のは、ハーンが日本を好きだったからではないようです。
当時、在日米人には治外法権があり、西欧人の男性が日本人の妻子に遺産を残そうとしても、他に西欧人の親戚があった場合、その遺産はその西欧人に渡ってしまう決まりでした。
そこで、ハーンは愛する妻子に遺産を渡すために、日本人の家に養子に入るしかなかったのでした。

このように、家庭の愛に飢えていたハーンは、他の地に移っても、速攻で女性と出会い、自分の家庭を築こうとしたようですね。
そして、いったん築いた家庭を大切にしたようです。

話は前後しますが、アメリカのニューオリンズにいたとき、タイムズ・デモクラット社で「ホーム」という記事を書いていました。
その記事は、以下のように結ばれていました。

だが女の人の心遣いがなくしてどうしてこうしたもろもろの幸を手に入れることが出来ようか ? 女は家庭の魂である。女がいなければ、そこにあるのは高々、家具調度と煉瓦の壁にしか過ぎない。女がすべてを美しく変えるのだ。女がいない限り幼年時代に私たちが知ったあの家庭の幸福は得られない。女がいない限り、どこの何番地に住んでいるとは言えても、どこの何番地に家庭を持っているとは言えない

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