高齢者のマナー
ヒンシュクものですよ
「今の若者は・・・」という小言。
実は、これは古代ギリシャ、中国の文献にも残っているもので、人類の真実とさえ言われていました。
ところが最近、事態は変わっているようです。
実は、高齢者のマナーが問題視されているのですね。
電車や映画館で携帯電話を鳴らすのは高齢者。
会議でも、携帯音を鳴らすのは部長クラス。
挙句の果ては、天皇陛下がご臨席の国会の中でも、携帯電話が鳴り響いています。
また、新聞の記事によれば、少年の万引きよりも、高齢者による万引きの数が多いとか。
交通マナーにしても、逆走したり、道路を塞いでいて知らん顔をしている高齢者が目に付きます。
本日も、こんなことがありました。
大通りの交差点。
信号青から、右折の青に変わりました。
ところが、右折レーンの先頭の車が発車しないのですね。
右折が青の時間はほんの数秒。
後続の車は、はやく発進したい様子で、イライラが伝わってきます。
そして、右折の青が終わるのを見計らうかのように、先頭の車は発車しました。
次の車は、すでに全面赤ということで、発進できません。
右折は次回に持越しです。
たった一台しか右折しなかった車のドライバーをよく見ると、高齢者のおじさん。
様子から見て、わざと後続の車に意地悪をしたようにしか見えません。
こうした行為は、法に触れないかもしれませんが、悪意に満ちたものです。
ほかにも、例えば、路肩に停まって携帯電話で話をしている高齢者を見かけます。
電話をしている彼からすれば、運転中でないし、停車禁止の標識もないのですから法には触れていないと思っているのでしょうか。
しかし、明らかに交通の障害になっています。
自分が道路に自分用の電話ボックスを設置しているという事実を、認識していないのでしょうか ?
そういうぐあいに、高齢者の公衆道徳の悪さが問題になっています。
本来なら、高齢者は人生の先輩として若者や少年の見本となり、尊敬されるべきものです。
ところが、現実はといえば、先日も高齢者が運転する車が中学生を轢き殺してしまいました。
そういうことが重なるようなら、いっそうのこと、昔の姨捨制度のように、ある程度の年齢になったら、高齢者は身を伏せてもらいましょうか ?
そうすれば、年金問題も医療問題も、滞っている経済の問題も、スッキリ解決します。
考えてみれば、昔し、姨捨制度が廃止になったのは、高齢者の経験や言動が、社会のために役に立つという理由があったからでした。
ところが今や、社会の役に立つどころか、将来の日本の存続の妨げになっているようなら、その存在価値は無いでしょう・・・
・・・ なんて、言い過ぎですよね。
私だって、もうすく高齢者です。
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