日本武尊論
この本は、長女が生まれたときに購入したものですから、今から四半世紀前に出版された神社史です。
つまり、図書館から借りた本ではなく、小生の数少なくなった蔵書の中の一冊です。
価格は 1万 5千円ですから、そんなに廉価なものではなく、もちろんメジャーなものではありません。
632ページの厚い本なので、読む優先順位が低く、それが今ごろになって読むにいたった原因なんでしょうか。
それよりも、母が施設に入って介護から開放されたので、ようやく溜まっていた本を読むことができるようになったというのが本当のところでしょう。
また、今年は古事記 1,300年ということで、そうしたこともあって、積読から開放 ? する気になったのも一つです。
さて、平成元年に焼津神社から発行されたこの本は、焼津神社の祭神である日本武尊 (ヤマトタケルノミコト) を中心にすえて焼津市の歴史を綴ったもので、市が編纂している「市史」よりも分かりやすく面白いものです。
ただ、戦争中の焼津港の徴用船の歴史が除かれているますから、市史とはいえませんね。
さて、焼津というところは静岡県の中部地方の沿岸部、つまり東海道の沿線沿いにある漁村です。
しかし、かつては漁村というよりも、東海道を旅する人を襲った賊衆 (アタドモ) が潜んでいたところで、やがて平地を開拓して農業をするようになり、そしてさらに津を開発して漁業を営むようになったという大まかな歴史があります。
その焼津の民が盗賊だった頃に現れたのが東征中だった日本武尊。
残念ながら、焼津の民は日本武尊から返り討ちに遭ってしまったのですが、それを記念したのかどうかは分かりませんが、焼津神社を建てて彼を祀ったのが反正天皇四年 つまり 西暦 409年ということなんだそうです。( 『総国風土記』 )
実際に、焼津の地から、四世紀前半の祭祀遺跡らしきものが出土されていますが、それが焼津神社かといえば、そうではなさそうです。
史実としては、『延喜式』という書籍に、延喜五年 つまり 西暦 905年には既に焼津神社があったという旨が記されているところが確実な線でしょう。
いずれにしても、焼津神社は古い郷社であったことは確実で、焼津という地名からして、記紀などに記されているような 「地名起源説話」に基づいたものなんでしょう。
そして江戸時代には、儒教を中心にした漢学に反発して国学が起こったのですが、その国学は日本の古典を研究したもので、焼津神社も遠州国学の学統をくみ、独特な信仰体系を築いて行ったようです。
そうして、明治 16年には、当時の政府の国策の中心であった皇国史観を反映してか、焼津神社は「郷社」から「県社」に格上げとなったわけです。
このようにして焼津神社は発展してきたわけですが、その祭祀の内容は、日本武尊を総合的な人格としてみなし、焼津の通年祭は、日本神話のなかの東征伝を再現したものなんだそうですね。
そうしてみると、今まで不思議だった祭りの内容が分かるような気がしました。
ですから、焼津祭りに熱狂する風土の由来を知る上で、この本は貴重な一著だと思います。
『日本武尊論 -焼津神社誌- 』 平成元年 8月 8日発行、桜井 満 著、632ページ 桜楓社 ; ISMN 4-273-02342-3
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