« 日本武尊論 | トップページ | 盛り上がらない選挙 »

本土復帰は良かったのか

沖縄の人

今の芸能界をみると、沖縄出身の人が多いのに驚くことがあります。
そして、高校野球の面でも強豪校を排出し、プロスポーツでも、ボクシングにゴルフと、活躍している沖縄の人が実に多いのですね。Photo

ところで、小生は焼津港の徴用船について調べているのですが、その番外編と言いますか外伝に「海人 - うみんちゅ」の項を入れようか迷っているのです。

焼津港の歴史を調べていると、日中戦争が始まった頃から焼津の漁船や漁民が主に陸軍に徴用されてきたのですが、その漁民の出身を見ると、長野とか山梨、遠くは東北の地方から出稼ぎに来た人がいるのです。

そうした山地から来た人たちは、最初から漁民として出稼ぎに来たのではなくて、農耕者として来ていた人を焼津の人たちは勝手に漁民にしてしまったようです。

そして、沖縄の人の場合は、出稼ぎというよりも焼津の漁船が沖縄に寄港したときに、そのまま沖縄の人夫たちを連れてきてしまったようです。
戦前当時は、沖縄の人たちのことを本土の人は「二等国民」と蔑んでいたようでした。
ですから、勝手に連れ去ってきたのでしょうね。

このように、焼津港の漁船が遠洋に繰り出すようになると、その労働の過酷さから なかなか漁師になる人がいないので、沖縄の人を「拉致」してまで船員として強制就労させていたのですね。
ですから、小生が小学生の頃も、焼津には沖縄出身のような苗字の子達が沢山いたのでした。
(今でこそ、本土の人は沖縄の人とは「同朋」という感じていますが、戦前、戦中は差別的な眼で見ていたようです。)

焼津の人は、太古の昔は山賊として旅人を襲い、近世に至っても沖縄の海人を拉致するなど、悪行の歴史を持っています。
最近の焼津の漁船は、沖縄の人ではなく、赤道近くの南国の島々から‘調達’しているようです。

小生は、どうやら そうした 賊衆たちの末裔のようです。
(・・・なんて言ってますが、ほとんどの焼津の人たちは良い人ばかりですよ。)

さて、今朝の『静岡新聞』には、こんな記事がありました。
これは、記事になる前から小生が知っているぐらいですから、常識かもしれませんが。

「訪米前に沖縄行けぬか」
昭和天皇、側近に問う
- 元知事日記に記述 -

昭和天皇が 1975年の初訪米を前に「米国より先に沖縄県に行くことはできないか」との意向を側近に示していたことが 13日わかった。沖縄県公文書館今月 9日に公開した当時の屋良朝苗知事 (故人) の日記に、宇佐美毅宮内庁長官 (当時) の話として記されていた。
昭和天皇は 47年 9月、連合国総司令部に米軍の沖縄占領継続を求めた「天皇メッセージ」を伝え、その後の米軍の沖縄駐留に影響を与えたとされる。
識者は「沖縄に犠牲を強いたという負い目が、訪問に強い意欲を持った背景にある」と分析。当時の昭和天皇の沖縄に対する思いを伝える貴重な記録として注目されそうだ。
日記によると、屋良知事は皇太子 (現 天皇陛下) の沖縄国際海洋博覧会 (海洋博、75年 7月開幕) 名誉総裁就任の正式発表を受け、あいさつのために同年 4月 16日に宮内庁を訪問。その際、宇佐美長官が知事に「天皇陛下から『私はどうするのだ。アメリカに行く前に(沖縄)に行けないか』との御下問があって困った」と打ち明けたという。
昭和天皇は終戦後、全国を回ったが、米占領下だった沖縄は訪問できなかった。【 『静岡新聞』 平成 24年 11月 14日付け 朝刊 】

|

« 日本武尊論 | トップページ | 盛り上がらない選挙 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/131161/56110592

この記事へのトラックバック一覧です: 本土復帰は良かったのか:

« 日本武尊論 | トップページ | 盛り上がらない選挙 »