泣く児がウザイ・・・いいね
母親の自覚
先日も、10ヶ月のわが子を撲殺した母親のことが報道されました。
腹を痛めた子供なのに、なぜ、そう簡単に殺してしまうのか・・・
実は、親が子供を殺すことは罪に問われない時代がありました。
つまり、経済的な理由で処分する「口減らし」ですね。
それを、暗黙の了解としていました。
重い年貢の取立てに、致し方なかったようです。
さらに、戦争があるところでは、住民が集団で隠れているのに、泣き止まない児がいると、その児の泣き声で、相手の兵士に見つかってしまい、住民全員が殺されてしまう恐れがあるということで、母親が子供の口を塞ぐ・・・という悲しい事例もありました。
また、産み落とした児を捨てる場合もあります。
このように、今までの児殺しは、生きていくために仕方ない理由があったわけです。
ところが、最近の児殺しは、どうも違う理由のようです。
それは、インターネットの影響があると思うのですね。
それについて昨夜、家内と話し合ったので、それを綴ってみようと思います。
拙宅で長男が生まれたときは、感動と感謝でした。
「オギャー」と泣いて生まれるのが人間です。
それからというもの、子供は泣きながら育っていきます。
稚児が、泣いても 笑っても あくびをしただけでも写真に撮り、たった三ヶ月でブ厚いアルバムが埋まってしまいました。
とにかく、子供は言葉が喋れませんから、泣き声で訴えているわけです。
スヤスヤ寝息を立てているときは安心ですが、寝息も立てずに寝ているときは心配になります。
とにかく、必死で子供の泣き声に反応して、おしめを替えたり、お乳をあげて育てます。
これは、自分も自分の母親にやってもらったことです。
恐らく、その母親も、祖母に そうやって育ててもらったでありましょう。
母親がいなかったら、その母親に代わって誰かが泣く児を育てたはずです。
我々が生きていると言うことは、誰かの世話になったと言う証拠ですよね。
ですから、親になって苦労すると、自分を育ててくれた人に対して感謝の気持ちが湧くものです。
たとえ親に捨てられた子供でも、その親以外の誰かのお世話になったことは間違いないのです。
それなのに、今時の若い母親の中には、ツイッターにはまって、「子供の泣き声がウザい」と書き込むと、「いいね」という反応に、「自分が子供を疎く感じることは普通のことなんだ・・・」と、感じてしまうようです。
それが、インターネットの波状効果によって広まり、子供が泣くのはウザイ、やかましい、あんたにやるよ・・・という書き込みになっているようです。
そうして、殺してやりたいと思うようになり、育児ノイローゼを装って、実際に我が児に手をかけてしまうようですね。
これは由々しき問題だと思います。
このツイッターの、まず「いいね」という反応に問題があるとおもいます。
悪いことを思って書き込んでも「いいね」と反応する。
そうすると、同意が得られたと思い込んでしまい、罪悪感が失せてしまうどころか、それが自分の常識になってしまうのですね。
これは児殺しだけではなく、自殺についても同様なことがいえると思います。
「死にたい・・」とつぶやくと、まず最初に「いいね」と返ってくる。
虐めの問題もそうです。
「あいつを虐めてやろう・・・。」とつぶやけば、「いいね」と返ってきます。
良くても悪くても「いいね」。
これは、問題ですよね。
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コメント
わかります。
読みました。ブログにツィッターに訪問しました・・・
の意味でなんでも 『いいね』 をクリックしてしまう。
この内容で『いいね』クリックしていいのかな?
と思う事あります。
でも それだけではなく
生身の人間同士のお付き合いが薄らいでいる
って事でもあるのか・・・と。
投稿: sue | 2012年10月24日 (水) 21時42分
sue さま、コメントをありがとうございます。
ツイッターもブログも、実際とは違う人格で登録して運用している人が多いようですね。
いわゆる「成りすまし」です。
男女が逆だったり、年齢、職業詐称は当たり前のように横行しているとか。
実際の顔が見えるフェイスブックでさえも、実際は、ほとんどが「成りすまし」だとか・・・。
顔が見えないから何でも言えちゃう・・・
そうした安易なことから軽率な発言が生まれてくるのでしょう。
そうした意味では、小生は、生身の sue さまにお会いしたことがあり、信頼できる人だと確信しています。
本当は、そういう付き合いでなければいけないですよね。
投稿: あらま | 2012年10月24日 (水) 22時46分