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明治政府による修史事業

歴史の粉飾

長い鎖国政策から転じて、積極的に海外の文明・文化を取り入れようとした明治政府。
同時に、外国と付き合う上で恥じない歴史を持つ国として、日本の『正史』を確定する必要に自らを迫めてしまったようでした。
その結果、皇国史観に基づいたインスタントでヘンテコリンな歴史を作り上げてしまいました。

まず、大きな失敗は、暦の修復です。
日本では、古代から陰陽を含め、数多くの種類の暦が採用されてきた経緯があり、日本の歴史を紹介するに当たり、日本の年号と西洋の西暦との整合性に迫られたのでした。
さらに、日本の‘はじめ’を東洋の中でも古いものとしなければならないと思ったようで、皇紀を 紀元 BC 660年という設定を強引にしてしまったようです。

こうして 1940年11月10日に、「紀元二千六百年式典」が盛大に 開催され、翌年、太平洋戦争に突入していくわけです。

その間に、皇紀にもとづいた日本の『正史』の編纂事業を建てようとするのですが、それはあまりにも膨大な事業で、財政難とか、論理的な無理もあって、すぐに頓挫してしまいした。
仕方がないので、水戸学にある「大日本史」を修復したかたちで、明治 39年に日本の正史の編纂事業を完成した形に繕ったわけです。

その内容は、最初から年代の粉飾をしたため、日本の古代を長い時間をかけて、徐々に神代から人代に変わったきたようにしたのですね。
そうして、日本の歴史が 約 2,600年ほどまえから天皇を中心とした「国家」として成立していたように捻じ曲げるのですから、それは最初から無理な話です。

こうした皇紀に基づいた編纂事業は、昭和時代にも試みられ、さらに戦後も続けようとしたようですが、いずれも頓挫したみたいですね。

最近は、史実に基づいた歴史観が採用され、皇紀は正歴と比べて 120年ぐらいづれていると考えられているようですね。
そうして、実際の発掘調査を基にした考古学と整合させているようです。

話を戻しますが、とにかく日本の「正史」の研究は、江戸時代に盛んに行われ、伊勢の本居宣長を中心にした国学者とか、水戸藩を中心にした「水戸学」がそれぞれ「大論文」を発表しています。
しかし、いずれもネックになっているのか「日本書紀」など、朝廷に残っている「正史」の記述の不自然さ。

その不自然さを正そうとするも、記紀の他に代わるものがないので、明治時代にも引き継がれ、悩まされるのですね。
各地方の風土記でさえも、記紀に準拠して奈良時代に記されているようで、不統一で不明確なところがあるようです。
このままでは、世界に誇れる日本の歴史を確立することはできない・・・
さらに、外国と対抗するために国民の意識を高揚させなければならないのですが、そのためにも統一した史観が必要となったわけです。
そこで、天皇を神格化した「皇国史観」に基づいた修史事業をするに至ったようです。

とにかく、正史の編纂をするにあたり、現存している総ての古書の索引を作って、それを皇紀順に並び替える作業をするのですが、とりあえず、すべての古書の索引事業をしたのです。
一応、それは終了したものの、実際の年号とこぢつけるには余りにも無理があるのですね。
しかし、国民に皇国史観に基づいた歴史教育をしなければならないので、古代のことは神代のこととして煙に巻いてしまい、それに文句がある人は、特高とか官憲らがショ引いて投獄したり粛清してしまう・・・。
つまり、史実なんて関係なく、何が何でも政府が修正した歴史が正しいものとしたのです。
まさしく、戦前の日本は、皇国史観による軍部独裁国家で、その中心は、軍事官僚だったのでした。
今の日本人は、中国や北朝鮮を独裁国家と批判していますが、戦前の日本は、今の中国とか北朝鮮みたいなものですね。

とにかく、こうした明治政府による修史事業が未完成のままなんですが、その修史事業に参加した学者や書生の中には、膨大な史料を渉猟しているうちに、さまざまな外伝・奇書にめぐり合い、そこで、朝廷に残っていた「正史」は贋物ではないかと疑うわけです。

しかし、そんなことを書いたら学者生命どころが本当の生命すら危うくなってしまいます。
それで、極秘にメモとして残したようですが、もうそれ自体が「奇書」になってしまっています。
つまり、最近でいうところの昭和天皇に関する「富田メモ」みたいなものですね。
そうしたものが、大学図書館とか地方図書館にフツーに閲覧できるのです。
もしかしたら、図書館の奥に眠っているものもあるかもしれません。
小生は、そうしたものを探すのが好きなんです。
( 最近は「歴女」といって、日本の歴史を独自の目で研究する若い女性が増えていて、その中の人たちから新発見が発表されることを楽しみに待っています。)

とにかく、戦前は国史を研究するにも制限があり、そうしたなかで、上記のようなメモを集約した人がいたようです。
その中の一人は、皇室に残っている「正史」は戦国時代にまでに総て焼失していて、現在の「六国史」は後日、記憶によって修復されたり捏造したもので、本物ではない・・・と論じたそうです。
皇統譜にいたっても、最初から男系男子ありきで作られたもので、ときの権力者によって都合よく書き換えられた部分もあり、もう原型をとどめないほどにメチャクチャになっている・・・。
そんな内容を記したようですが、それは明治政府によって発禁処分になるのでした。

こうして今となっては闇に葬られているものも多いのですが、地方の図書館や個人の蔵書の中にはそうした発禁本が眠っているようです。
たとえば、小生が某図書館で見つけた歴史書には、皇室の歴史は、京都を 7年間にわたって焼き尽くした応仁の乱以前は不明である・・・というのですね。
どうやら それが、明治の修史事業に当たった人たちの本当の感想であったようです。

つまり、逆に言えば、応仁の乱のとき、京都にあった「正史」が焼失してしまっていたので、その後の歴史家には、自由に創造する余地が出来たということなんでしょう。

そこで、江戸時代の国学者らは自由に創造を膨らませて、古事記などを解説したわけです。
まさに「歴史ロマン」ですね。

そうして出来上がった国学を素に、江戸時代の人たちは勝手に史料を作ったり改造したり・・・。
更に明治政府は、そうした改造した史料を素に日本正史を修正したわけです。

つまり、日本の歴史は、後日、創造した部分が多いみたいですね。
そうはいっても、日本として公式に皇統譜が残され、それを基に皇室が存在して日本の中心として独立国家の体をなしているのですから、例えそれが笑っちゃうものであっても、日本国民として支持すことは大切なことだと、小生は思います。

さらに、日本には古くから神道が根付いていて、それが大和魂とか、日本国民の性質となって引き継がれているのですから、体裁なんてものとは関係なく、日本の国家的な精神伝統は世界に誇れるものだと思っています。

さて、明治政府は、上記のように正史を確定するとともに、日本を現代的な立憲君主国家とするために憲法を制定し、各種法律を作りました。
そのために、今までの日本の法制史についても、政府はまとめなければならなかったのですね。

そうして作った法制史をみると、やはり上記の皇国史観に準拠したもので、古代のことは神代のことですから天皇による国家統一活動みたいな体裁にして、中世以降は、中国の律令制に倣って日本独自の律令制があったとされるのです。
しかし、今となっては全く不明で、科学的な研究の余地があるということでしょう。

とにかくいろいろと記しましたが、「神聖」であることが、どの国の歴史の特長であります。
当然、日本においても「神聖」であることが基調とされているのですが、上記のように、そんな具合で不明確で捏造の疑いが濃いのです。

また、日本の隣国である中国や韓国においても、歴史を塗り替えたり捏造しているみたいですから、互いの国の歴史を合同に研究して統一した歴史観を形成するなんてことには、まだまだ時間が掛かりそうといいましょうか、無理でありましょう。

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コメント

あらま様
いわゆる皇紀というものは江戸時代には使われて西暦足す660年でした。
それが眉唾か否かはともかく、明治になってというのは事実と違うんではないですか?

投稿: おばQ | 2012年10月12日 (金) 21時33分

おばQさま、ご指摘をありがとうございます。
確かに江戸時代の国学者らは皇紀を定めていましたが、それを公文書に使われたことはないようです。
つまり、学派によってさまざまな『皇紀』があり統一されていなかったので公文書には使えなかったようです。
その国学者らの作り話に根拠を作ろうと、江戸時代の後期に勤皇派らが神代の天皇らの陵を作ったり改修したり移動したようで、その時点でメチャクチャなことをしていたようです。

とにかく、紀元を神武天皇の即位にあてる考え方は、日本書紀にも見られますから、江戸時代より前に皇紀の考え方はあったようです。
しかし、紀元が本当は何年かは、日本の暦の使用歴から言って確定することが困難だったようです。
つまり、天皇が代わるごとに暦も代わり、それがごちゃごちゃになっていて本当の年が分からなくなってしまっているのが実情みたいですよ。
何しろ天皇は占い師みたいな性格があり、そのために自分専用の暦を作って使用していたとか・・・。。。
そういうわけで、大化の改新が西暦 645年なども怪しいとか・・・。
とりあえず、明治時代に公式に皇紀を使用するにあたり、当時の学者にその根拠を捏造させて B.C.660 と確定したようです。
それも今となっては奇説と言うことなんでしょうか。
なにしろ、ご皇室に係わることなので、下手なことは言えませんね。

投稿: あらま | 2012年10月14日 (日) 19時46分

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