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2012年3月

「反戦」と「脱原発」とのちがい

「脱原発」はサヨク運動ではない

70年前の戦争で、日本は二発の原爆を落とされ、戦争の負けを認めました。
その敗戦の受諾のための「御前会議」で、昭和天皇は、「日本の種子を残すため」という趣旨のことを述べられたそうです。
つまり、じゅうたん爆弾攻撃で焦土と化した国土を憂いたというよりも、原爆による放射能汚染で、日本人の遺伝子が破壊されることを恐れたと解することが出来ると思います。

(「この上戦争を続けては、結局、わが国は全く焦土となり、国民にこれ以上苦痛をなめさせることは、私としては忍びない。少しでも種子が残りさえすれば、また復興という光明も考えられる。」
- 迫水常久氏の手記による、最後の御前会議の際の陛下のお言葉の一部から引用 - )

こうした戦争を、二度と起こしてはならない ! !

と、市民活動家などが立ち上がり、平和運動、反戦運動が今も続いています。

その市民活動家らは、平和な生活を維持するためという名目のために、基地問題をはじめ、同和問題などの人権運動、あるいは労働問題、脱原発運動などにも手を広げています。

これらは一見、基本的な人権保護に資する有益な行為に見えますが、実は、国益に反した サヨク活動と言われています。
それについては、このブログで何回も述べてきたのでここでは省きますが、「脱原発」運動は、原爆の原料を製造することに反対をする典型的なサヨクの「平和活動」と解されてきたわけです。

しかし、福島第一原発の事故を受けてからは、「脱原発運動」が単純なサヨク活動に思えなくなりました。

つまり、戦争というものは、相手があるものだから、こちら側だけが戦争をしない・・・と決め込んでも 戦争から逃れることが出来きませんよね。
逆に、反戦運動は、戦争を仕掛ける相手側から見れば、好都合なわけです。
そういうわけで、「戦争と平和」のジレンマを抱えている人類にとっては、平和運動というものは現実的に国益に資するものではないわけです。

特に日本の場合、その敗戦の切っ掛けが原爆投下ということで、原子力に対して強いトラウマといいますか 原子力アレルギーになって、それが一部の日本人を原子力を否定する運動に走らせていると思うのですね。
それが、得体の知れない市民扇動家らによって、平和大運動となっているわけです。

ところで、原子力事故以前の科学者らは、原子力発電は、安全でクリーンで格安 だと、太鼓判を押していたのでした。
ですから、素人の我々はそれを検証もせずに鵜呑みにして、産業の発達とともにエネルギー利権に染まっていったわけです。

ところが、昨年の原子力の事故で、原子力発電が日本にとっては危険なもので、クリーンでも格安でもないことが分かりました。

しかも、学会までもがいままでの誤りを認めて、原子力が危険であって、後世にまで迷惑が及ぶことを明らかにしました。

そういうわけで、原子力問題というものは、自国の問題ということで、相手のある反戦運動とは基本的に異なるわけです。

つまり、原子力を否定することは、国益を損ねることはないのです。むしろ、国益に資するものなんですね。Photo

(つまり、北朝鮮が原爆を作らなくても、原子力発電所を正確に狙えるミサイル作れば、それが、そのまま原爆となるわけです。
日本が原子力発電所をやめて、核燃料を‘安全裏’に処分すれば、中国や北朝鮮の単純なミサイルは、単純なミサイルに終わるわけです。)

ところが、最近の日本の女性のほとんどが原子力に反対しているのに対して、日本の男性の半分が、いまだ原子力に賛成しているというアンケート結果があるそうです。

エネルギー利権に拘わっている以上、そう簡単には原子力から離れられない事情が そうした男性にはあるようです。

小生は、これからの日本のスタンスとして、脱原発を掲げ、今までの原子力の技術を、技術的に危ない中国やベトナムなどに供与すべきだと思います。
そうした意味で、原子力の研究を続けることは賛成です。
安全な廃炉に向けての研究を、被爆国 日本が率先する義務があると思います。

もし、中国で福島第一原発のような原子力事故が起きたら、その影響は、風や海の流れに乗って日本を汚染することは目に見えているからです。
中国の先進技術の脆弱さは、新幹線を見ても明らかでしょう ?

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ギャンブル好きが昂じて

誰の責任 ?

以前の会社で花見をした際、バーベーキュー用の肉を買うためにお金を渡されたことがありました。
しかし、渡されたお金はほんの僅かで、それだけでは たらふく牛肉なんて食べれないと思いました。
そこで、皆と話し合った結果、自称 パチプロと称する同僚に、その金を渡してパチンコで増やしてもらうことになりました。192

ところが、その同僚は、その日は調子が悪かったようで、渡されたお金のほとんどをスッてしまいました。
お陰で、牛肉の予定が、豚の脂身になってしまいました。

これと同じようなことが、我々静岡県の中小鍛冶屋の年金組合で起きてしまいました。

つまり、高齢化や倒産で会員が減った鍛冶屋の年金基金組合が、起死回生を期して、運用が上手といわれる A 投資顧問会社に資金を渡したら、そのほとんどをスッてしまったというのですね。

国家的な振り込め詐欺である 公的年金の破綻に次いで、今度は、私的年金である年金基金も、投資に失敗して破綻したようです。

いったい、われわれ鍛冶屋の老後はどうなるのでしょうか ?

官僚とか投資会社という ギャンブラーに、将来を任せた我々が愚かということなんでしょう。

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スピーチ

羨ましがられる日本国民

今年の春のセンバツ開催日の、石巻工の選手宣誓は、日本国中に感動を与えましたね。
残念ながら、その石巻工は初戦敗退しましたが、その諦めない戦い方は凄かったと思います。

さて、今回の「選手宣誓」は、ある意味「スピーチ」だと思いました。
つまり、単に、正々堂々と戦うことを誓うばかりではなく、自分たちが戦う意味、これからの人生の目標を表した 立派なスピーチだと思います。

そのスピーチといえば、先日、イギリスの王家、キャサリン妃の初スピーチも話題になりましたね。
このように、王家が国民に訴える大切なイベントとして、スピーチは大変重要なことです。

翻って日本を見れば、日本を代表するスピーチといえば、天皇陛下の「お言葉」です。
( 野田首相の所信表明演説なんてものは、スピーチではなく、アドレスです。)

その天皇陛下の「お言葉」を大切にしている国があります。
そのひとつが、フランスです。

昨年の大震災の際、天皇陛下はビデオで国民に向かって「お言葉」を発せられました。

当然、日本のマスコミは、陛下の「お言葉」を報道したわけですが、民放は、陛下の「お言葉」の一部しか報道しませんでした。その内容の全部を放送したのは日本では NHK だけなんですが、それもたった一回だけです。

ところが、世界を見ると、どの国でも、陛下のお言葉の一部始終を何回も放送したそうです。
隣国の、韓国も中国もです。
そこで、あらためて、日本が大変な目に遭っていることを認識したようです。

また、アメリカのメディアも、陛下の「お言葉」の全部を紹介したそうですね。
イギリスもそうです。
特に、フランスは、3ヶ月間も、陛下のその「お言葉」の全部を繰り返し放送したそうです。

それを聞いたフランス人は、日本は大変なことになっていると感じたと同時に、元首から こんなにも愛されている国民が羨ましく感じたそうです。
社交辞令が飛び交う中、真心のこもったメッセージに、新鮮さを感じたようですね。

ちなみに、日本国憲法では、天皇陛下を「元首」として規定していないのですが、世界は、日本の天皇を日本の元首として認めています。法的にも、慣例的にも。

日本国民は、国が統一されていることが当たり前で、‘元首’からの愛も感じないほど当たり前になっているのですね。

それが、海外では、羨ましいわけです。

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ササホッサー

静岡弁

「暑さ寒さも彼岸まで・・・」なんて言いますが、今年は 寒い日が続きますね。

そんな寒い日本に帰っていますよ。
そして、あらためて、日本は良い国だと思います。

まず、日本は、空気が良いと思います。
以前のような大気汚染なんて感じませんし、どこでも人々は整然としている感じです。

それに比べて、日本以外のアジアは雑然としているところが多いような気がします。
確かに観光地など特定の地域は綺麗にされていますが、ひとたび通りを外れると、ゴミや異臭にあふれているのがアジア諸国の特徴のような感じがします。

労働者の仕事も同様です。日本のように粛々と仕事をしているかと思えば、ひとたび監視の目が離れるとサボるのが当たり前ですね。
それが、製品の品質となって反映されているのは言うまでもありません。

逆に言うと、日本の製品の高い品質が保たれ評価されているということは、日本人労働者が 陰日なたなく働いているということだと思います。
つまり、目に見えないところまで、丁寧に作られているのが日本の製品の特徴です。

したがって、日本で設計されたものを海外で作ろうとするのなら、労働者の質を考慮しなければならないということです。Sagyouin_okoru081216

つまり、手を抜いて製造しても、品質が保たれるようなシステムにしなければ、高い品質は保たれないということですね。
海外で作られている「日本製」の品質が高いのはそのためだと思います。

そうしたシステムを構築する人の努力はスゴイと感心してしまいます。
海外で作っても、日本国内と同様な品質なモノを作ることが出来るということは、奇蹟だと思うぐらいですね。

とにかく、アジアの労働者を見ていると、静岡弁で言う「なりきっさー」が多いと思います。
つまり、仕事が雑なんですね。
さらに、「ささほっさー」が多いような気がします。
つまり、いわゆる「パナシ」です。やりっぱなし・・・のパナシです。
それではいけないのは言うまでもありません。
そうした基本的な仕事に対する「姿勢」が、アジアの労働者には必要だと思うのですね。

監視の目が届かなくても、キチンとした仕事が出来る日本人を小生は誇りに思います。

もちろん、ささほっさー な日本人もいますし、監視の目がなくてもまじめに働き続けるアジアの人がいるのは言うまでもありません。

しかし、製品は「積み重ね」ですね。
車にしても、たった一人で、タイヤから車体、エンジンを作るわけではありません。
たくさんの人の手を渡って、一台の車という製品が作られます。
そこで、たとえば、ある一人の労働者が「なりきっさー」な仕事をして、目に見えないところのネジが緩んだまま次に渡してしまったとします。
そして、それに気がつかないで最終検査でパスして市場に出たばあい、それがその車の「品質」となるのですね。

そうして考えてみますと、品質が高いということは、「安全」と直結していることになり、その「安全」の積み重ねが「信頼」となっていると思います。

日本の製品が世界から信頼されていることは、ひとりの日本人として誇りに思います。
なりきっさー」「ささほっさー」を職場から排除している日本の「品質管理」は、すばらしいと思います。

さて、またまたあちらに戻ります。
また、しばらく更新が滞りますがご容赦くださいね。

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