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2011年10月

カマキリ

目が合ってしまった ! !Photo

秋の好天が続いています。
昼間は暑いぐらいだったので窓を開けたら・・・
いきなり、目の前に 一匹の大きな カマキリが・・・

目が合ってしまいました。

さて、昨日より家内の点眼が 一日に 4回ということになったので、小生も本日から仕事に復帰しています。
それにしても、一日に 8回の点眼の時は、結局、小生も休職せざるを得なかったのでした。

しかし、他の患者の付添い人の話によれば、どうしても休めない場合は、患者に昼夜逆転してもらうのだそうです。
つまり、昼間寝てもらって、夜間を中心に 2時間おきに8回点眼するのだそうです。
そうすれば、介助する人は、仕事を休まなくて済むということですが、それも大変な話ですね。

ところで、挙動が心配になっていた母なんですが、昨日、隣の市の脳外科で MRI という装置で脳内を撮影してもらいました。
すると、小さな脳梗塞が見つかりました。Photo_2
それが、ロレツが回らなくなった原因のようですが、手術には及ばないということです。
つまり、年齢相応の脳梗塞みたいですね。

そういうわけで、その病院の帰りに、母の大好きなお地蔵さんに礼拝してきました。

このお地蔵さんは、「子安地蔵菩薩」と言って、病院の帰り道沿いのお寺のお堂の中にあって、子供を抱いたお地蔵尊です。
母は、このお地蔵さんが気に入った様子です。
久しぶりのドライブで、母の様子も改善したような気がします。

(写真は、子安地蔵さんを眺めている母)

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水中眼鏡 ?

目の前に水面

家内が網膜剥離の手術 (硝子体手術) をしてから 一週間が過ぎました。
その家内に、手術した眼に景色がどんな具合に映っているのか聞いてみたら、まるで水中眼鏡を掛けているみたいというのですね。

つまり、水中から戻ってきた時、ゴーグルの中に水が半分残っているように見えるのだそうです。

目の前が波打っているとは・・・、面白いですね。 bleah

ところで、小生が家内の面倒を看ていると、母が嫉妬するのですが、その母の呂律 (ロレツ) が急に回らなくなったように感じました。
心配なので、昨日、掛かり付けの医院で、インフルエンザの予防接種をした際、併せて診てもらったのですが、問題ないということでした。
しかし、それにしても急な変化なので、心配になります。

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眼帯からゴーグルに

風呂に入ってよい ! Photo_2

網膜剥離の手術をして はや 一週間。
本日の診察では、順調に回復しているということで、眼球の保護のためのアルミ製の眼帯 ( 写真 上 ) から、ゴーグル ( 写真 下 ) に代わり、風呂にも入ってよいということのようです。Photo_3

ただ、眼球の中のガスが抜けるまでは 2時間ごとに点眼しなければならない・・・ということで、まだまだ介助が必要です。

ところで、小生が家内の面倒をみていると、母が嫉妬して邪魔をします。
母は認知症だから仕方ないにしても、点眼の時ぐらいは静かにしてもらいたいものです。

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今日に感謝、明日に笑顔

大変だけど・・・

本日 午後 2時の我家の寒暖計は、 27℃を示していました。
十月下旬にしては、暑い気候です。
その暖かさを利用して、母と家内の清拭 (体を拭くこと) を済ませました。

前回にも記しましたが、家内の網膜剥離の手術は日帰りということで、自宅から通院しています。
現在、2時間おきに目薬を点 (さ) しています。
なにしろ、自分では点せないので、誰かがしなくてはならない。
拙宅の場合は、小生がその担当です。

日帰りの手術は患者にとっては負担が軽いようですが、患者と介助者と、2人の労力が失われるのは痛いものです。Photo

先日まで、まさか、母と家内と両方の介護をすることになるとは夢にも思っていませんでした。
母だけでも十分に大変なのに、家内にも付きっ切りになると、仕事も自分のことも出来ないのですね。

・・・・なんて、不平不満の心が沸いてしまいます。
そんな時、壁に掛かっている額 (右 )を見るのですね。

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下向きの生活 - 2

ストレス解消

前にも記しましたが、家内が眼の手術をしたので、顔を下に向ける生活を続けています。
つまり、寝ていても坐っていても、常に 顔面を地面と平行に 下を向いていなければならないのですね。
それが相当のストレスになっているようです。

小生なんて、今まで癌とか腸閉塞など、さまざまな種類の手術を体験してきました。
そこで、数日間、身体を固定されたことも幾度もありましたが、家内は手術が初めてということで、身体を固定することに たいへんなストレスを感じているようです。
これに慣れるまで、たいへんでしょうね。
もっとも、家内は三回の出産を体験していますから、ストレスには強いと思うのですが・・・。

そこで、そんな家内の慰めになっているのか ラジオ です。Photo
終日、ラジオを聴いているのですが、それを聞きながら反応しています。
年金制度改革に怒ってみたり、リビアのカダフィー大佐が殺害されたことにアラブの春を感じてみたり・・・。
そして、音楽。
ラジオから さまざまなジャンルの音楽が流れています。
特に最近、沢田研二が率いる ザ・タイガース が 静岡公演をしたということで、その特集に聞き入っていました。
昔、樹木希林が「ジュリィ~ ♪」と叫んでいましたね。
そのジュリーも還暦を越えていました。
還暦を越えても元気一杯・・・。
今の還暦はどうなっているのでしょうか ?

とにかく、家内の場合は、食べることがストレス解消でした。
でも、気持ち悪くて食べるのが辛い・・・
ストレスが溜まる一方です。

そんなとき、ラジオはいいでね。

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下向きの生活

何もできない

家内が網膜剥離の手術をしましたが、この病院の方針として、術後、入院しないで通院で治すようです。
網膜剥離といえば、重症な病気ということで、普通は、一週間から十日ぐらい入院して、その間、身体を下向きにしてベットに固定するそうです。
ところがこの病院は、網膜剥離にしても白内障にしても、手術をした場合、入院せずに通院で治す方針のようです。
聞くところによりると、眼科の治療で、レーザー治療の場合は入院しないことが一般的になっているようですが、重症な網膜剥離にする硝子体手術の場合は入院するのが常識なんだそうです。
ところが、この病院では手術が終れば家に返すみたいですね。

腰のヘルニアの手術でさえ 日帰りになっているぐらいですから、眼の手術も 日帰りになっているのでしょうか。

それにしても、スゴイ医療技術だと思います。
たったの 30分足らずで、広域に広がった網膜剥離の手術を終えてしまうのですから・・・。
それを、一般の個人病院でやっているのですから驚きですね。

とにかく眼の手術が終ると、一週間ぐらい、患者は下向きの生活を強いられることになります。
つまり、剥離した網膜がシッカリくっつくまで、患者は常に、顔を下向きにしていなければならないのです。
それが患者にとっては非常なストレスになるので、患者を家に返して、幾分でもストレスを軽減させようとする配慮なんでしょう。

ただ、家で過ごすことは、患者には良いことかもしれませんが、患者が何もできないことには変わりはないのですね。
下向きですから、自分で目薬をさすことでさえできないのです。
目薬をさすことぐらいは自分で出来そうに思いますが、実際にそうなってみると、それが不可能であることが分ります。
そこで、術後、暫くの間は二時間おきに目薬をさすことになるのですが、結局、家族がその世話をすることになるのですね。
つまり、要介護者が増えたことになります。

そういうわけで、認知症の母に加えて、家内の世話をすることになったので、小生は全く仕事になりません。

しかし、今まで世話になってきた家内ですので、ここはひとつ恩返しのつもりで介抱させてもらおうと思います。

とにかく、常に下向きの生活というのは、予想以上に患者の負担が多いようです。
苦しい姿勢を維持しなければならないので、首筋から背中、腰に至るまでパンパンになります。
また、胃を圧迫することになるので、吐き気がするようです。

家内の場合は、重症な船酔いみたいになってしまい、胃の辺りを中心にして気持ちが悪くなったようです。
とにかく姿勢が限られているので、背中を伸ばしたり、いろいろと工夫をしたようですが、一向に その気持ちの悪いのが治らないようで、仕方がないので、小生は夜通し家内の背中や足のマッサージをしました。

その間、認知症の母は相変わらず 次から次へと仕事を作ってくれます。
大学生の長女も、「今、お母さんは大変なことになっているから、自分のことは自分でするように・・・」と言い聞かせても、容赦なく仕事を作ってくれます。
そこで、小生がさらに注意すると、プイと横を向いてしまいました。
どうやら長女は、今晩は友達の家に泊まるそうです。

長男夫婦は、共働きで忙しいようです。
嫁さんから家内の携帯にメールで、「何かあったらメールしてください。」なんて送ってきましたが。
しかし、そもそも家内は眼が使えない状態だから、メールができません。
まぁ、いいか・・・・。。。。

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晴天の霹靂

家内の網膜剥離

「青天の霹靂」、つまり、青空が剥がれ落ちる・・・とは、まさにこのことでしょう。
網膜剥離は突然にやってきて、視野の一部が欠落します。

今晩、家内の右目の網膜剥離を治療するための「硝子体手術」というものが行われ、無事に終了しました。
この硝子体手術という方法は、ガスの圧力で剥離した部分を押し戻そうというものなんだそうです。

しかし、家内の網膜剥離は広範囲に及び、かなり重症ということで多少の後遺症が残る可能性があるということです。
つまり、比較的外側の剥離の部分は くっついて治癒するようですが、黄斑剥離と言って、目の中央部に穴が開いている場合は、そこから水が入って、剥離した部分は戻らない可能性があるようです。
その場合は、周辺は見えても中央部が見えないようです。
つまり、視力検査をする場合、右目の真ん中が見えないので、右目の視力がないと判断されてしまうようです。
そうなると、本を読むときは、正常な左目の視野に右目の見えない部分が重なって、そうとうに読み辛くなるみたいですね。

しかし、家内の手術は成功で、ガスの圧力で黄斑部分も圧迫されて元に戻れば後遺症は残らないということです。
そのためには、2週間の絶対安静が必要ということです。

とにかく様子を見る必要があるようですね。

今回の手術は、ベテランの医師が担当し、その様子を 10人位の若い医師が見守っていました。
手術は、たったの 29分間で終わり、まさに神業・・・なんだそうです。

ところで、網膜剥離になった人は、必ずその前に 飛蚊症を体験していたということです。

ただ、その飛蚊症は、網膜剥離になる病的なものと、老化によるものとか、生来からの濁りという病的でないものとがあり、その症状は同じのようです。
しかし、眼底検査など、専門医による検査で、その飛蚊症が、病的であるか否かがわかるということで、気になったら自己判断しないで検査をするほうが良いみたいですね。

家内も、今年の春に、一週間ぐらい、右目に強い飛蚊症が現われたようですが、放っておいたら治ったので、そのままにして置いたようです。

小生も、目の中で多数の蚊が飛んでいます。
一緒に診て貰った方が良いかもしれません。

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家内が網膜剥離

前触れもなく

亡父の脳梗塞も、突然 父を襲いました。

家内の網膜剥離も、突然でした。

昨日、右目が見えにくい・・・なんて言っていた家内。
本日、仕事を午前中で切り上げて近所の眼科医を受診したようです。
すると、スグに大きな病院に行くように言われて、小生も呼ばれました。
家内を連れて、紹介された病院で再検査したところ、網膜剥離と診断されました。
本日は、手術ができる医師がいないということで、明日に持ち越しということです。
それまで、定期的に目薬をさすように・・・と言われてしまいました。

網膜剥離といえば、早期発見、早期治療が肝心で、治療の時期を失すれば失明する・・・という認識があったので、明日に持ち越して大丈夫なんだろうか・・・と思ってしまいました。

そういうわけで、明日から小生は チト 忙しくなりそうなので、ブログの更新が滞るかもしれません。
お赦しくださいね。

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神様の女房

妻は安全弁Photo

NHK ドラマ『神様の女房』 (写真) の最終回を、昨夜、観ました。
面白かったですね。

経営の神様 松下幸之助の奥さんの「内助の功」を描いていました。
このドラマを観た家内は、松下幸之助が妻に手を挙げるような人だったとは以外のようでした。
でも、当時の世の中の男性は皆、そんな具合でしたよね。
夫が妻に手を挙げるのは、当たり前のことでした。
ちゃぶ台をひっくり返さないだけでも、大人しいほうだと思いますよ。

今では、男女同権、むしろウーマンリヴ。男女共同参画の時代です。
暴力は、離婚の正当な原因として認められてしまいます。

最後に、「幸之助の妻は、幸之助にとって何なのか」という妻からの問いに、「安全弁」と幸之助が答えたことには笑えました。
もうちょっと洒落た返事ができなかったでしょうか ?
技術屋の不器用丸出しですね。

でも、確かに、安全弁のように、暴走をコントロールする。
これがなければ装置が破裂してしまう恐れがあるという、大切な装置です。
(福島原発でも、安全弁の開放が遅れて、事故を更に深刻なものにしてしまいました。)

そうなんです。夫というのは常に妻の手中で暴れているに過ぎないのですね。
まるで、仏様の手の中で暴れていたに過ぎなかった孫悟空みたいです。
それを妻によって上手にコントロールされていんですね。

ところで、拙宅のは場合は、小生も妻にコントロールされているのでしょうか ?

いぇ、小生の方が、妻の「安全弁」になっているような気がします。

勿論、これに対しては妻にも言い分はあるでしょう。

この話題は、喧嘩になる前に止めときましょう。

考えてみると、もし、小生から妻が消えたら、小生は手も足も出ないでしょう。
いぇ、生存自体が危ういです。

やはり、今までの発言を撤回します。

コントロールされているのは、明らかに小生でありました。
ゴメンナサイ。

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拝金主義 - 13 (最終回)

お金の学問

ネットで経済学を検索すると、「マクロ経済」「ケインズ」なんていう言葉がヒットします。
学歴もなく浅学な鍛冶屋である小生が、そんな文章を読んでも分りません。

しかし、経済学とは「お金の学問」であると、小学生の時に教えてもらったので、人生を半世紀 過ぎた今でも、単純にそう思っています。

そして、小生の子供の頃は日本が高度成長期だったのですが、「経済的に豊かになっても精神的に乏しくなった・・・・」といわれました。
そのときの経済とは精神に対する反語として物質的という意味で使われていたと思います。

つまり、モノが溢れ豊かになったが、幸せではない・・・と。

ところで、世界一幸せな国は、先進国ではなく、アジアの山奥のブータンという王国なんだそうですね。
先日、その王様 (31) が妃 (21) を迎え、近日中に日本に新婚旅行に来るんだそうです。
その国は、経済成長よりも精神的な豊かさを追求したということで、国民の殆どが幸せに感じているということです。

翻って、中国に抜かれ、経済大国 第三位に落ちた日本は、幸せでしょうか。
世界に 200以上の国や地域があって、その中で第三位ということですから、幸せなはずですよね。
でも、実際には、自殺者や鬱病患者が増えている様子をみると、そんなに幸せでもなさそうですね。
最近は、放射能汚染の恐怖に怯えています。

そういうわけで、人間の生活を分けると「精神生活」と「物質生活」とに分けることができ、「精神生活の原理」は「宗教・倫理」、「物質生活の原理」は「経済」にあると教えてもらったことがあります。

つまり、モノやカネに溢れた生活をしていても、命とか健康、幸福感など人間にとって大切なものほどカネには換えられない・・・と教えられたものでした。

しかし、そうは言っても売春が人類の経済活動の始まり・・・なんて言われ、人身売買、臓器売買など、禁止されても 今尚 盛んに「カネには換えられないはずなモノ」が、取引されているようですね。
実際に、命も健康も、カネで買えるみたいですね。
また、人間の精神を表現した芸術などは、青天井で競売されています。
そうしてみると、「物質生活の原理」が「経済」だけだと規定するのはムリがあるようですね。
小生なんて、目の前でお金を積まれると、コロリと気が変わってしまいます。

そう言う具合ですから、経済を「物質生活」だけに断定することは間違っていると思います。
つまり、お金が流通する経済圏の中なら、どこでも経済学の対象となるのではないでしょうか。
たとえ、それが人の心の中でも。Photo

しかし、それなら、お金で総てが手に入るかといえば、そうでもありません。
他人の命はカネで買えても、自分の命は買えないのですね。
( 今、狂言切腹をテーマにした 映画『一命』が上映されています。自分の命を売るのにも大変なんですね。)
恋人の心をカネで釣ることは出来ません。
恋人の心をカネで釣れたら、その時点で恋人とは言えませんものね。

このように、何でもカネで買えると思ったら大間違い。
過欲をもって、他人のモノを強引に搾取することも大間違いです。
例えそれが出来る立場であっても、それを戒める要素が、経済学には必要だと思います。

なんでもカネで解決しよう。
対価が確定できない「命」よりも、カネの方が大事だ・・・
金万能主義・・・
そんな拝金主義的経済が、現代では「善」とされているように思います。

ですから、経済を考える時、精神とか物質などというタブーの領域を作らないで、積極的に経済にも「倫理・道徳」を入れる経済学を構築する必要があると思います。
そのためには、普遍的な人類共通の倫理観・道徳観を構築しなければならないと思います。
それは、壮大な事業ですね。
そのためには、人欲以外の人類共通の価値観を確定しなければならない。
そういうことを、現代の経済学者に望むのです。

そういうことで、一連の「拝金主義」シリーズは、とりあえずこれてお終いです。
長々とお読みくださいまして、ありがとうございました。

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映画 『トリエステから来た女』

母と同じ症例Photo

夜になると元気になる母。
ところが、今晩に限ってスヤスヤと眠り込んでしまいまいた。

そこで、CS衛星放送の、映画 『トリエステから来た女』を録画してあったので、それを観ました。
内容は、中年の漫画家が、若くて美しい女性を愛してしまったという官能映画で、その女性は精神疾患だったという凡作です。

結局、内容よりも官能的な美しさを持つオルネラ・ムーティ(写真)を表現するための映画だという印象で、彼女が精神疾患に罹っていたとすることによって、その官能さをより引き立てようとしたものなんでしょう。

Photo_2 それにしても驚いたことに、映画に描かれている彼女の症状が、小生の母の症状と似ていたことです。
晩年の父もそんな母に振り回されて亡くなってしまった感じです。
今ではスッカリ認知症になってしまった母ですが、そうした気質も原因なのかもしれません。

こうした映画が作られたということは、このような病気に翻弄されている人が多いということなんでしょうか ?

1983年イタリア 104分  監督 ; パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ 出演 ; ベン・ギャザラ、オルネラ・ムーティ

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拝金主義 - 12

価値の創造

映画『フーテンの寅さん』シリーズで、名役者だった 故 宇野重吉が扮する画家が、とらや に居候するシーンがあったと思います。

その画家は著名な画家で、迷惑を掛けたがお金がないということで、小さな紙にチョコチョコとせき、それを古本屋のところへ寅さんに持たせるのです。
そうすると、目利きの効く古本屋は、その線が著名の画家が記したものだと分るのですね。
そこで、寅さんに 7万円を持たせるのでした。
そうすると、欲が出た寅さんは、居候の画家にもっとたくさん線を引くようにせがむのでした・・・。。。。

凡人が線を引いても誰も振り向かないのに、達人が線を引くとそれを求める人が現われるのですね。

このように、芸術とかお宝には、素人には分らない価値があるようです。

ところが、工業製品の場合は、達人が作ったものでも ルーキーが作ったものでも、寸法さえあっていれば価格は同じなんですね。
ところが、その同じモノでも、有名人が手にすると価値が高まる場合があるのです。

同じボールでも、小生が持ったボールと長嶋茂雄が持ったボールとでは、価値が全然違います。

そうした性質を利用して、モノに付加価値を付けて、経済を活性化させようとする努力が盛んです。

しかし、そうした売り手の努力とは裏腹に、日用品の場合は、より安いものを求める心理が買い手にはあります。
同じものなら、安いほうを選ぶのですね。

そこで求められるのは、「安心」「安全」「確実」「美しさ」などです。
同じ価格のリンゴが並んでいたら、見栄えが良いものを選びますね。
さらに、ギョーザにしても、少しぐらい高くても毒のない日本製を選びます。

そうした選ばれるモノをつくろうという努力が、製造界なされているわけです。
それが難しいのですね。

自分では価値があると思っても、他人がそう思ってくれるとは限らない。
そこがまた、面白いところでもあるわけです。

このように、価値を創造することが経済学の目的の一つとなっています。
いわゆる錬金術とは異なるのですね。
経済学を説く学者様は、その違いを説明して健全な経済に導く義務があると思うのですが・・・。。。。

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拝金主義 - 11

どんぶり勘定 - 2

以前、石原都知事が、都に複式簿記を導入した事が報道されました。
この件については、小生は都知事が指摘する以前から、公会計が複式簿記ではないことを不思議に思い、このブログでも指摘しました。

以前の地方の役場では、例えば市長の次席は「副市長」ではなく、「助役」とか「収入役」という肩書きがありました。
つまり、助役は税金を使う仕事、収入役は税金を集める仕事として設けられたものでした。
そうした意味では、役場組織の会計というのは、収支で計算する単式簿記なんですね。
しかし、現代の役場の仕事は、農民から年貢を取り立てる仕事なんてありませんし、有形的な公共事業のほかにさまざまな無形な仕事をしていますから、収支判断だけでは納まらないわけです。
ですから、石原知事が複式簿記で計算させたという報道に接した時、当たり前のことを実践したまでだと、小生は思ったものです。
ところが、寡聞にして、その後、国や他の地方でも、こうした複式簿記を導入したような報道に接していません。

複式簿記とは、前回に記した右ポケット左ポケットのような収支から残高を計算する単純な方法ではなく、「貸方」(右)と「借方」(左)とに分けて、両項を一致させる会計方式ですね。
そうすれば、実在勘定だけではなく、名目勘定も併せて勘定できますから、組織の会計には適した方法です。
そうして、負債の科目がありますから、どれだけの負債・借金があるのかが明確に分るはずですね。

ところが、問題は、複式でも単式でも、二重帳簿をつけたりして、粉飾することが出来ます。ましてや、会計ソフトを使って計算するのですから、粉飾も巧妙になります。
そうして、埋蔵金であったり裏金をプールしたり、資産を隠したりするのですが、どうしても現実と合わなくなってくる訳ですね。
それは外からでは分りにくいものですが、最近の内部告発ブームで、組織の‘陰謀’がマスコミを賑わしています。

いずれにしても、複式簿記で計算するに当たっても、基本は単式簿記です。
つまり、会計の基本である「入(い)るを量りて出(い)づるを制す」の方法に徹すれば、経済が破綻することを防げるはずです。
そうしたことを役所ではやっていないということは問題ですよね。

専門家の方からみれば、そう単純なものではない・・・と言われるかも知れません。
価値を評価し直せば、あらたな価値が見つかることがある・・・
つまり、今あるモノに、価値を見出せば、勘定が変わってくる・・・なんて言うかも知れません。
不良債権も、優良債権とミックスしてロンダリングすれば、あらたな価値として甦る・・・。
そう言われるかもしれません。
しかし、物理学に錬金術なんてないと同様に、経済学にもそのような錬金術なんてないはずです。
結局、錬金術の末路は、リーマン・ショックのようになってしまうのですね。
やはり、何でもそうですが、基本から逸脱した理論は破綻に向うのではないでしょうか ?

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拝金主義 - 10

どんぶり勘定

NHKで放送している「神様の女房」を観ています。
ここでいう神様とは、経営の神様こと 松下幸之助のことですね。
その奥さんの活躍を描いています。

その松下夫人はシッカリ者で、家計簿をつけるなど、計画的に家計をこなしていました。

ところで、この家計簿をつけていない家が結構多いということですね。
そう言う家庭は、計画的でないので途中で行き詰ることが多いようです。

また、企業にしても、倒産する原因をみると、放漫経営どんぶり勘定なところが多いようです。

科目を設定しないで、お金を使ってしまうと、支払いに困ってしまうことがあります。

そのどんぶり勘定の最たるものが日本の財政です。
目的税なのに、その目的以外に使ってしまうので、肝心要なときにお金が足りなくなってしまうのですね。
そうして出来た借金が 1000兆円に迫っているといいます。

たとえば、我々の年金にしても、外郭団体の役員の退職金とか、年金職員の福利厚生という名目で怪しいものに使われたり、「運用」という名目で投機に利用されたり銀行の不良債権の処理に使われてきました。
本来なら、年金の支給に使われるべきものが、官僚らの判断で別目的で使われてしまい、将来、我々に支払れるはずのお金が不足しているそうです。

そこで、少子高齢化を理由に、年金支払い開始年齢を上げたり、年金支給額を減らしています。

こうしてみると、まったく、国のやっていることは国家的な振り込め詐欺です。
それも、国がどんぶり勘定をしているからです。

今度、引き上げることが検討されている消費税も、福祉目的なんて言っています。
でも、消費税が導入された時も、福祉目的と言っていましたよね。
どうやらお金が集まると、気が変わってしまうようです。

お金を目の前にすると、他人の金も自分のものに見えてくるのでしょうね。

小生の知り合いで、ギャンブルの天才と言う人がいます。
その人は、右ポケット左ポケットのカネを絶対に混同しないそうです。
つまり、勝ち逃げに徹しているそうですよ。

右ポケットと左ポケットの意味ですか ?

例えば、右ポケットは、軍資金とすると、左ポケットは戦利金になります。
そうすれば、負けたとしても、軍資金以内の損害で済みます。
そして、戦利金は必ず軍資金に返し、その残りでまた遊ぶそうですよ。
その我慢ができるかどうか・・・ですって。

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夏越ししたシクラメン

何もしていないのに

先月から、拙宅のシクラメンが咲き出しました。

今年の春に一通り花が咲き終わってから、家の外に出したら、9月の中旬から赤い花が咲きだしたのですね。

今年も猛暑が続き、暑さに弱いシクラメンの夏越えは難しい・・・と言われていたので期待していなかったのですが、どういうわけか休眠せずに咲き出しました。

一つの花が咲き終わると次の花が出てくるという具合に、ゆっくりとしたペースで咲き続けているのですが、本日、根のところを見たら、たくさんのツボミが出始めていました。

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拝金主義 - 9

今の経済学

以前、大学の市民講座で経済学を受講したことがあります。
(半年間の10講座でしたが、小生は忙しくて半分も受講出来ませんでした。)
すると、経済学は文科系だと思っていたら、数学とか物理学が出てくるのですね。
それを利用して‘運用’などの‘技術’を教えています。
もちろん、目的は‘儲かる方法’。
顧客の要求を如何に引き出して、それに応えるかがテーマです。
そう言うテーマでないと、受講生が集まらなかったのかもしれません。

ところが、そうした講義を聴いても ピンと来ないのですね。
もちろん、小生が学歴のない鍛冶屋だから、大学レベルの内容が理解できなかったからですが、それにしても講義内容が「現実離れ」していると思いました。
さらに、「この教授は、世間のことが分っているのだろうか ? 」なんて思うようになりました。

だいたい、近代の経済学は、ルネサンス以降、市民革命を経て、個人の自由が拡大してから出来たもので、それはアダム・スミスの『国富論』に象徴されます。
つまり、自己利益を目的としているのですね。
さらに、ドイツのリストが提唱したように経済学は国家規模になり、国家戦略的な経済学として発展していくのでした。例えば、関税をかけて国内の経済を防衛するような考え方です。
(その影響で、江戸時代末期、日本はハリスから不平等条約を結ばされてしまったわけですね。)

そうすると、経済は自由貿易の波に乗って急激に発達して、いわゆるセレブが出現し、経済格差が拡大していくわけです。
つまり「資本家」だけが儲かるのですね。

そこで、ドイツの カール・マルクス が資本主義経済を研究して(『資本論』)、あらたに社会主義的な経済学を提唱し、経済格差を根本的に是正しようとしたのでした。
しかし、その理屈は暴論で、今までの歴史や先人の努力をいったん‘チャラ’にして、平等に富を分けようとするものでしたから、国家・社会の実体に沿わないのでした。
旧ソ連の壮大な社会実験は、当然、失敗したわけです。

こうした近代の経済学は、根底には自己利益を目的としていますが、資本主義経済にしても社会主義経済にしても同じなんですね。
つまり、経済の動機は「欲求」であることには変わらないのです。
そして、経済学は政治学と影響し合い、政経学 (ポリティカル・エコノミー)の方向へと進んでいくわけです。

さて、話は グンと遡りますが、古代にも経済学があって、それは戦争のためのものでした。
つまり、君主制の時代でしたから、国を拡大するために軍を強くするのが目的でした。
税をどのようにして徴収するのかを目的としていましたから、国民は疲弊するばかりでした。
つまり、暗黒時代ですね。

それに対して、中国では、「経世済民」と言う言葉があって、そうした暗黒政治に対して「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」という思想もあったようです。
しかし、それはあくまでも空論に過ぎず、中国では戦争や闘争が繰り返されています。

そういうわけで、経済学と呼ばれるものは、人類の歴史の中ではごく最近のことなんですね。
それまでは、主に宗教が人民の思想を支配していましたから、限られた資源の中で、如何に質素に倹約するのかを戒められてきたわけです。
そうした考え方が、洋の東西を問わず、庶民の暮らしの中で残された来たわけですね。
過欲は人を不幸にするとか、奢れるものは久しからず・・・と言う具合に、経験則が積み重ねられてきたのです。

しかし、そうした庶民の道徳観と、近世経済学とは、その根本が違っていたのでした。
片方は、欲を抑制するもの、もう一方は、欲を拡大するものですね。

このように、今の経済学は、人欲については善悪を問わず、単に、テクノロジーとして発展していくのでした。
それが、世界同時多発的な経済危機を危惧するような状況を作ったんだと思いますよ。

つまり、今の経済学は「満足するための技法」に偏っているのです。
もちろん、そうした偏りを危惧して、日本経済の指導者だった渋沢栄一は『論語と算盤』を著し、正しい富を提示したのでした。

また、経営の神様と評された松下幸之助も「政経塾」を創設して、人材の育成に努めました。

このように、日本の成功者は人々の指導・育成に財を投入するのが特徴です。
しかし、世界の成功者を見ると、寄付行為でその名を高めようとしています。

日本人は、名利を捨てて、後世につなげようとする人が多いのですね。
このように、日本固有の美徳があるのに、そうした経済学を研究して提示する経済学者がいないことは、実に寂しいばかりです。

経済学は、価値をつくりそれを分配することを目的としています。
その目的が正しいとしても、経済の動機が人の欲求に依拠している限り、それが正しいとは言えないと思います。
欲の抑制的な要素を取り入れなけれならないと思うのですね。

たとえば、小生が行きつけの飲み屋さんで深酒をしたら、そこの女将さんが「もう、やめときな。」と言います。
店としては、沢山飲んでもらうほど儲かるはずです。
でも、大局的な観点から店の経済の持続性を考えるのなら、そこで客が身体を壊すよりも、ほどよいところで飲むのをやめてもらて健康を維持してもらったほうが、店は儲かるわけです。

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拝金主義 - 8

カード社会

シェークスピアの戯曲で、しばしばユダヤの商人が悪人として登場します。
カネを貸して利益を得る。・・・・今の銀行の‘はしり’みたいでね。
昔は、そうした「人のふんどしで商売」をすることを「悪行」「奸業」として見下されていたそうです。
つまり、利子をつけて金を貸すことは不道徳・・・という考え方があったようでした。
日本でも、江戸時代の階級制度では、「士農工商」と、商人は最下級でした。

しかし、今や、銀行は国家と一体となって、庶民のカネをコントロールしています。
たとえば、もうすぐ破綻が見込まれる日本の財政なんですが、もし日本がデフォルト (債務不履行 - 借りた金を返せない) したら、銀行などに預けていた、1000万円以上の我々の預貯金は没収されることになっているようですよ。

そんな具合に、銀行と言うところは、国家の手厚い保護を受けながら利益を得ています。
その利益を国民に還元しないので、銀行ばかりが焼け太り、中小・零細企業はいよいよ苦しみ、格差は拡大するばかりです。

他の企業は潰れても、なかなか潰れないのが銀行です。
その銀行の主な仕事は、カネを貸すことでした。

つまり、何か事業を起こす人がいたら、利子をつけてカネを貸して応援したものでした。
そうして、個人では出来ない大事業が、融資によって成し遂げられるようになったのですね。
つまり、銀行は、かつては資本家の味方だったのでした。
そうして社会が豊かになると、庶民もカネを借りることに違和感が無くなってゆき、「借金は悪だ」という従来の考え方から「借金も財産」という具合に変わっていくのでした。
つまり、お金を貯めてからモノを買う・・・というライフスタイルから、モノを買ってから、ローンを組んで支払おう・・・という具合に変わっていったのです。

それに便乗 (悪乗り) したのが、消費者金融
生産者にお金を貸すのではなくて、消費者をターゲットにして金を貸す業者です。

でも、サラリーマンが事業家のような将来的発展が見込まれるはずがありません。
そこで、暴利で貸し付けるわけですね。
当時のテレビコマーシャルは、そうした貸付業者の広告で溢れていました。

更にそれを助長したのがクレジット・カード
つまり、支払い代行業です。
それを利用した人の中には、現金を持ち歩かなくても良い・・・という便利さに加えて、将来払えばよい・・・という安易な考え方になり、結局、カード地獄、自己破産となっていくわけですね。

そして、銀行消費者金融業者支払い代行業者とがグルになっていたことも、わかりましたね。

さらに、その借金で苦しんでいる人を助けようと言う名目で、たかってくるのか弁護士たち。
支払いを整理して、借金を軽くします・・・なんていう触れ込みなんですが、実際は、皆さんが現実を見て知っての通りです。

そういうわけで、事業者が融資を受けることは仕方のないことですが、消費者側の立場として借金をすることは良くないことです。
そうしたことを、かつては宗教家、倫理学者、道徳家らが教えていたのですが、今のお坊さんが葬式仏教に奔走しているように、今のいわゆる教化団体は集金に目が眩んでいて、つまり、拝金主義に囚われていて、庶民を正しく導こうとはしていないのですね。

そんな具合ですから、個人も国も、企業も地方も、借金が膨らむばかりです。

ですから、もう一度、基本に戻って、考え直す必要があると思うのです。

なのに、肝心要の経済学者も拝金主義に囚われて、欲の経済学以外の新たな経済学をつくろうという気持ちにはなれないようです。

そんな経済学者は不要です。

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拝金主義 - 7

お客様は神様です

1970年、日本ではじめて万国博覧会が開かれたとき、そのテーマソング「万博音頭」を歌ったのが三波春夫さん。

オイルショック前の、好景気に沸いていた日本の歴史の象徴でした。
その彼の「お客様は神様です」ということばが、消費者には快く響き渡りました。
お客様の要望に応え、さらに先回りして、お客さまの欲しがるものを予想して提供する。
そうしたものを作れば売れる。ダメなら捨てる。
・・・・そんな時代でした。

バブルがはじけ、経済がしぼんでも、「お客様は神様です」という言葉は残りました。
「お客様の欲求は絶対だ。」
それに応えることが経済界で生き残れる唯一の方法だ・・・。
・・・なんて、セミナーの講師が叫んでいます。

それを欲求至上主義と言いましょう。
その欲求の善悪・程度なんて問題にせず、総てに応えて経済を回復させようとしているのですね。

過度の欲求は‘悪’というような思想は遥か昔の過去のもの。
たとえ、子供の欲求でもそれに応えています。

その結果、顧客の欲求を満たそうと、欝病になるまで働き、逆に、商品やサービスに満足しないと、必要以上にクレームをつける・・・・。
そんな、ギスギスした社会に、日本はなってしまいました。

しかし、実際には、お客様は人間です。
完璧な神様ではなくて、不完全な人間がお客様ですよね。
その不完全なお客様の言うことが、総て正しいと思い込むところにムリが生じます。
物事の善悪を考えず、ひたすら顧客のエゴにまで応えることを善とする現代のエコノミック原理。
そうした拝金主義の産んだ妄想から脱却する必要があると、誰もが感じていたはずです。
タガが外れて、無制限に欲を満たそうとする人類社会・・・。
でも、個人の力では、そうした趨勢には勝てないのですね。
いまに、バチが当たるのでは・・・、何かが起こるのでは・・・。

そんな不安が的中するようなことが起きてしまいました。
それが、リーマンショック。
さらに日本では、3.11 と続きます。

石原都知事は、この災害は天罰だと叫びました。
(でも、不適切発言だったと訂正しましたが・・・)

そうして、この体験を通して、日本人は、モノのありがたさ、人の温かさを知ることになるのでした。

ところが、「喉もと過ぎれば、熱さも忘れる」ということなのか、欲を基調とした経済活動が再開されました。
それが、原子力の再稼動。
ヒロシマ・ナガサキは他者からの被曝でした。
しかし、今度のフクシマは、自曝です。
人間の欲の深さは、死んでも分らないようです。
特に、官僚たちの欲の深さには、閉口します。

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拝金主義 - 6

宗教は不経済 - 2

予定を変更して、宗教と経済について追加記事を記します。

さて、食欲など、人間には生存な必要な欲があります。
また、美しいものを楽しんだり、知的な欲求も人間にはありますね。
それを満たすことは悪ではないと思いますが、その欲の度が過ぎると悪になると思います。

その欲が悪にならないように戒めるのが、宗教であったり 倫理・道徳であったりするわけですが、そうした教化団体が拝金主義に汚染されていて、その教えが民衆に伝わっていないので、いまのような経済不安になってしまったと思うのですね。

そこで、宗教家や倫理学者、道徳家が欲を捨てて、豪華なことから離れることが必要だと、前回では唱えたわけです。

ところが、早速 クレームがつきました。

つまり、豪華なつくりの高野山を建て、各地に逸話を残した空海のような教えも必要ではないかというのですね。

さらに、宗教芸術が、人類の文化の発達には必要だというのです。
日本の神道でも、伊勢神宮を 20年毎に新築しているのですが、それは不経済なことなんでしょうか。

つまり、巨大な涅槃像や大仏を建立するのは、宗教家の欲ではなくて、民衆を救おうという心の現われではないか・・・という指摘です。

賽銭箱に小銭を投げ入れるのは、‘やらせ’ではなくて自発的行為だ・・・という指摘もあります。

確かに、宗教が豪勢になることは、布教活動やその宗教の維持・発展には必要なことだというのかもしれません。
実際に、芸術や文学などの発展に寄与してきているのでしょう。
建築学の発達には、宗教なしでは語れないと言います。

しかし、本当にあれだけの施設が宗教には必要なんでしょうか。
為政者が宗教を利用したり、宗教家が為政者を操ったりした歴史の中で、国家や宗教団体を統一するためには、豪華さが必要だというのなら、そのために闘争や戦争が起きているのも事実だと思います。

また、上納、寄付、賽銭など、それは自発的行為というよりも、習慣あるいは慣習化したものて゜、純粋に自発的なものだとは言えないと思います。
つまり、マインド・コントロールの結果だと思うのですね。

確かに、初代の教祖様方は質素な暮らしだったでしょう。
しかし、代を重ねるうちに派閥がおきて、対立し、豪勢さでも争うようになったのは事実だと思います。

やはり、いまのような宗教団体の豪華さは、ヘンだと思います。
欲を捨て、幸せな世界を築こうとすることを本気で教えるのなら、まず最初に、その宗教家から襟を正すべきだと考えます。

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秋の花

季節外れの彼岸花2011100712450000

秋深くなってきましたね。
拙宅の庭にも右の写真のように秋桜 (コスモス) の花が咲いています。

ところで、春の桜も咲き出したところがあると報道されました。
例の‘狂い咲き’というものですね。

でも、その‘狂い咲き’も、毎年続くと恒例になってしまい、珍しくありません。

でも、そうは言っても季節外れに咲く花は、珍しいですね。2011100608360000
下の写真は、一ヶ月送れて咲いた 白い彼岸花。
これは、一昨年、隣の家から分けてもらったものです。
早速、お墓に献花しました。

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拝金主義 - 5

宗教は不経済

「金は汚い」と、祖母が幼い頃の小生に教えてくれたものでした。
沢山の人の手を通ってくる硬貨とか紙幣にバイキンが沢山付いている・・・という意味ではありません。
人間の欲を具現化したのが金ということで、金が汚いものということにして、守銭奴にならないように、欲深にならないように戒めたものだと思います。

このように、宗教は欲を戒め、質素倹約を推奨していました。
そして、質素倹約した信者の金を上納させて、それを搾取するようになったのも宗教です。

とにかく昔は暗黒時代と呼ばれていたように、昔の世界は今の北朝鮮みたいな状態だったようです。
つまり、独裁者が国をほしいままにしていて、民衆は苦しみ、今のような経済なんてものはなかったようです。

ところが、西洋の場合、 14世紀頃に ルネサンス運動  (文芸復興活動) が起こり、民衆が自由・平等に目覚めることになります。
そうして、独裁体制に対して市民革命が起こるようになり、 16世紀には 国家と産業とが統一する時代に移り変わってゆきました。
さらに、18世紀の産業革命を迎えると、自由貿易時代となり、経済も急速に拡大していったわけですね。

ところが、そうした経済活動で得た富というものは、民衆には回らず、古代は王族とか貴族に集中していたものが、中世以降、その富は資本家のみに集中していくわけですね。
いわゆるセレブの誕生です。
そのセレブには、いよいよ富が集中し、その生活も豪奢になっていきます。
建物も調度品も豪華になり、毎日の食事も栄養たっぷりです。
富の格差の拡大ですね。

宗教についても同様なことが言えると思います。
「質素倹約」を信者に教えていても、宗教家自身の欲が深まり、更に たくさんのモノやカネが欲しくなって行くわけですね。
そこで、宗教の施設の建物や調度品を豪華にして、信者を惑わそうとしたわけです。
つまり、信者を威圧することによって、宗教家と神との距離が近いものであるかのように示そうとしたのでしょう。
そうして、免罪符とか御札を作って、これを買えば罪とか罰から逃れると教えたり、偶像を崇拝させて信者らからカネを集めているわけですね。
信者には禁欲を教えておきながら、自分は欲深いのが今の宗教の実態です。

昔、土佐の高知の播磨屋橋というところで、お坊さんが かんざし を買うところを見られてしまったそうな。
つまり、托鉢かんざしに変わった瞬間を見届けられてしまったのでした。
なかなか、欲から脱却できないのが人間の性というものなんですね。

エコを教えておきながら エコではない・・・、これが倫理・道徳・宗教を教える教化団体の経済学なんですね。
ナンマイダブ、ナンマイダブ・・・・。。。。。

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拝金主義 - 4

もったいない は 不経済

「この車はエコだ・・・」と言う時、この場合のエコとは エコロジー (環境問題) のエコ なのか、エコノミー (経済) のエコなのか、迷いますね。
とにかく、燃費の良い車のことを エコ といいますから、排ガスによる大気汚染が少ないということで エコロジーと思いますし、家計に優しいということで エコノミーとも思います。

そういうことで、現在の車の性能の良さというのは、燃費がよいということ、環境に優しい・・・ということになるみたいですね。

ところが、小生が小学生の頃、性能の良い車とは、馬力の大きい車のことでした。
つまり、同じ排気量でも、馬力やトルクの大きいほど、良い車ということでした。
たとえば、ゼロヨンといって、スタートから 400メートルの地点まで 何秒で到達するか・・・というのがカタログに掲載されていました。
燃費なんて、二の次、三の次でした。
高度成長期の時代は、燃料をガブガブ使っても もったいない なんて思わなかったものでした。Photo_3

その もったいない・・・という言葉を世界に広めたのが 04年度のノーベル平和賞を受賞したケニアの環境活動家ワンガリ・マータイ さん(写真) でした。
残念なことですが、彼女は 先月の 25日、71歳で亡くなりました。
彼女は環境活動家として、はじめて平和賞を受賞しました。
その環境問題を解決するには、日本の美徳である 捨てるのが惜しいという心、 モノを大切にする心、そして 質素倹約が有効だとしたのですね。

つまり、消費量が効率的で少量なほど、エコだということになります。

しかし、燃料を売るほう側としては、たくさん消費してくれたほうがありがたいはずです。
ガソリンスタンドでも、たくさんガソリンを買ってくるお客さんほど 上客 ということになります。

とにかく、景気のよい時代は、大量生産、大量消費ということで「消費は美徳」「贅沢ほど美徳」という時代でした。
当時の経済的という意味は、たくさん売れるシステムのことを指していました。
つまり、経済が回れば回るほど、それが経済的だと思われていたのです。

ところが、環境問題が話題になると、公害の元になる排気ガスなどを規制するようになり、その頃から、排気ガスがきれいな車、燃費の良い車を作るようになりました。

燃費の良い、つまり燃料費が節約できる車ほど、エコな車と言うことになり、そのころから経済的・・・という言葉は、家計に負担の少ないという意味で使われるようになったと思います。
つまり、「消費が美徳」から「節約が美徳」という時代になっていくわけですね。
そうすると、経済全体がしぼんでしまいました。

そういうわけで、もったいない は、昔の言葉の意味では経済的ではない、つまり 不経済 ということになります。

つまり、エコロジーエコノミーとは、両立しないということなんですね。

質素倹約で好景気ということは、今の経済学ではありえないということです。

今の経済学では、経済の動機が欲求ということですから、その欲求を抑制することは、経済が活性化しないということになります。

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映画 『はやぶさ』

あきらめないPhoto

昨夜、オールナイトの映画館で『はやぶさ』を鑑賞してきました。

はやぶさとは、昨年、地球に帰還した 小惑星探査衛星のことです。

この映画は、既に上映された プラネタリューム用のものではなく、先日公開された本格的な映画です。

結末は分っているのですが、やはり緊張しますね。Photo_2
そして、最後に地球を撮影しながら燃え尽きるところでは、思わず涙が溢れてきました。

中和神社」の場面では、冷静な科学者でも神に祈る姿が微笑ましく思えました。

日本人でよかった・・・と思える映画です。

来年の 2月からも 渡辺 謙さん版の『はやぶさ』も上映されるとか・・・
そちらのほうも見比べてみたいですね。

2011年 日本 140分 監督 ; 堤 幸彦 出演 ; 竹内結子 西田敏行 佐野史郎

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拝金主義 - 3

経済の基本は欲求

さて、小生が子供時代に、まるで共産主義者的な考え方をしていたのは、親の影響ばかりではなく学校の先生の影響が大きかったからだと思っています。

いまもそうですが、当時の学校の先生の中には日教組に加入している人が少なくなく、特に社会科の先生にはその傾向が強く現われていたと思います。

従って、資本家を非難するような考え方を持った先生が多く、当時の学童たちはその影響を強く受けていたと思われます。

また、テレビも映画も、資本家が悪人で労働者が善人・・・というストーリーで放映していました。

ですから、自由とか平等などは、人間なら最初から天から与えられているものだと信じ込み、さらに、ズルイことをする人が金儲けが出来る・・・と思ってしまったわけです。

そんな教育を受けてきたので、本当に大事なこと、本当に必要な知識は学校では得られず、社会に出て実際に体験しながら分ってきた次第です。

では、具体的に学校では、「経済学」について どんなふうに教えていたかというと・・・

小学校の時は・・・

昔、海岸に住んでする海彦と 山に住んでいる山彦とがいました。
海彦は、山彦か持っている野菜が欲しいと思いました。
山彦は、海彦が持っている魚を欲しくなりました。
そこで、互いに持っているものを交換しました。

しかし、魚も野菜も時間が経てば腐ってしまいます。
相手のモノが欲しい時に、自分のところに相手の欲しがるモノがあるとは限りません。
そこで、その価値に見合う共通のモノを考えました。
それが、お金です。
お金のお陰で、自分の手元にモノがなくても相手のモノを得ることが出来るようになりました。
Photo

そして、中学校の時は「経済学」を右の図のように教えてもらいました。

それが「需要」と「供給」という概念です。
つまり、需要と供給の交わったところで、商談が成立するというものですね。

そこで、中学生だった小生は、先生にこんな質問をしました。
なぜ、需要曲線も供給曲線も‘曲線’なんですか ?

先生は答えられませんでした。

その後、40年も経った今、同じ質問を、某大学の経済学の教授にしたところ、やはりキチンと答えられません。
逆に、曲線だとか直線だとか、たいしたことではない・・・と言う始末。
もしかしたら、その大学の教授は小生の顔をみて「この人に説明しても分らんだろう・・・」と、思ったのかもしれませんね。

そこで、小生は自分で考えました。

そうして辿り着いた答えが、「需要と供給との関係が 直線ではなくて 曲線の理由は、人間の欲の深さを表しているもの」だと・・・

つまり、人間というものはモノやカネには弱いのですね。

実際に、百均に行って品物を見ると、余計なモノまで買ってしまう。
つまり、安くなるほど買いたくなる。 (需要曲線)
また、自分が作ったものが売れると、さらに沢山作ろうという気持ちになります。
つまり、高く売れるほど作りたくなる。 (供給曲線)

でも、大量生産が実現すると、加速的にその価格は安くなります。
逆に、希少価値なものほど価格は加速的に吊り上がります。
従って、オークション (競り) でも、本当に欲しい人は、カネに射止めをつけないわけですね。
また、現金を積んで商談をすると、以外に安く買える場合がありますね。
そうした心理が人間にはあると思います。

曲線は、そうした人間の欲望の深さを表していると思うのです。
つまり、直線的に欲が深くなるのではなくて、加速的に欲が深まるのです。
従って、経済を曲線で表すということは重要な意味があると思うのですね。

つまり、経済の動機は、人間の欲求にあり、それは「深くなっていく」という性質を持っていると思うのです。
あれが欲しい・・・という気持ちが沸かなければ、経済活動が始まらないということは教科書で教えてもらいました。
そして、モノやカネが溢れるほど、人間は正気でなくなってくる。
利権が生まれ、それを争奪したり保持しようとするのが人間社会の実情ではないでしょうか。

ですから、小生なんかは現金を目の前にすると、心が乱れてしまうのですね。
つまり、現金との距離が短くなるほど、心が乱れるという心理が小生にはあるようです。
これも‘曲線’です。
こうしたことを小生は経験則として感じています。

需要とか供給とかが曲線で表されているということは、そう言うことを示していると思うのですが、それを教える先生がいないということは、小生の経験則は間違っているのでしょうか ?

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拝金主義 - 2

成金は悪い人 ?

さて、小生のような高卒の鍛冶屋が「経済学」を語るなんて無理な話です。

でも、五十有余年も生きていると、経験を通じて 世の中のこと、カネのことがボンヤリと分ってきた感じがします。

そういうわけで、このシリーズは、専門家の先生方からみれば、素人的でナンセンスだと思われるかもしれません。

さて、話は最初から脱線しますが、今年の 3月に日本の福島県では重大な原子力発電所の事故が起きてしまい、今でも高濃度の放射能が環境に放出されているといいます。
これによって、今までの原子力の安全神話が崩れ去りました。

後日、日本の原子力学界では、こうした原子力の安全神話を作った科学者の責任を認め、反省する声明を出しました。

つまり、未曾有の原子力を事故を起こした背景には、原子力学者の「脳停止状態」があったことを認めたことになります。

しかし、今でも「今後は利権から離れて純粋に科学として研究する」という意思を示すまでには至っておりません。
そう言う点では、まだまだ学者様の反省が足りないと思います。

同様に、経済学も同じようなことが言えると思うのですね。

つまり、今の世界経済の行き詰まり、危機的状況は、経済界が作り出したものというよりも、むしろ経済学会の「資本主義・自由主義経済の至上神話」が生み出したものだと思うのです。

民主主義とか資本主義が人類には最善なものとして疑わずに放置して、いぇ、積極的に鼓吹した経済学者らの責任は重いと思うのです。

これも、先に挙げた原子力学会と同様に、利権に惑わされて、本来の学問を研究する学者であるべき姿から離れてしまったからこうなったと思います。

彼らは今の資本主義経済が「拝金主義」に陥っていることを知っていたはずです。
ですから、学者としての良心を発揮して、「拝金主義的な資本主義経済の原理」を推し進めるよりも、新たな経済原理を研究して、これを実世界に示すべきだったと思います。

ザンネンなことに、現状では、拝金主義経済格差を生み、貧困層を生み、それが闘争・戦争の原因になっています。

もし、経済学者らが利権から離れて、「拝金主義的経済」から脱却するような原理を世間に示してさえいたら、現況なような危機的状況にはならなかったはずです。
そうした意味では、経済学者にサボタージュがあったと思うのですね。

そこで、本業の学者様が考えてくれないのなら、素人の小生が妄想した新たな経済原理みたいなものを示したいと思い立ったわけです。

ところで、小生は、どこにでもある平凡なサラリーマン家庭で育ってきたのですが、自分の家は決して裕福ではないと感じていました。
そして、小生の子供時代は日本の高度成長期だったので、事業を起こす人の中には成功する人が沢山いました。

そんな成功者の家庭の子息は、裕福に見え、親からいろいろなものを買って貰っていて、小生は、それが羨ましく思ったものでした。

そこで、小生が父に、「なぜ我家はビンボーなのか」訊ねた事がありました。
父が働けども働けども、一向に裕福にならないのが不思議だったからです。

すると、父は「あいつらは、悪いことをしたから金儲けが出来た。」なんて言ったので、小生はその時はまだ素直でしたから、「悪いことをしなければ、カネ儲けができない。」と信じてしまいました。

つまり、フツーに努力したぐらいでは金儲けは出来ない。他人の金を搾取するようなことをしなければ、成金にはなれない・・・と、固く信じてしまったのです。

そうした間違った先入観は、その後の小生の人生を狂わせることになります。
このような生い立ちの小生ですから、描く「経済原理」も妄想的になってしまうわけですね。

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拝金主義 - 1

資本主義の落とし穴

昨日、アメリカの名映画 『風と共に去りぬ』を観て、大いに感じるところがありました。
主人公の女性が、貧苦の中で叫んだ言葉が「カネのためなら人殺しも厭わない」というもの。

これは、自暴自棄というよりも人間のホンネだと思います。

つまり、今の自由主義経済は、カネのためなら何でもする・・・という「拝金主義」に陥ってしまっていると思います。

その証拠に、アメリカのウォール街では、資本主義による格差に対して反対するデモ行進が二週間も続いていると言います。Photo_2

その背景には、マイケル・ムーア監 督の『キャピタリズム~マネーは踊る~』にも示されているように、貧苦にあえぐ民衆が資本主義に対して不信感を募らせているという現実があると思います。

日本でもそうです。

高度成長期の日本は、国民皆中流という認識だった思います。
ところが、バブルがはじけ、格差社会が訪れ、「勝ち組」「負け組み」という言葉が生まれました。
さらに、フルに働いても年収が 200万円以下という ワーキングプア族が定着し、社会に対して希望が持てなくなっているという日本人が急増しています。

そんな状態ですから、日本でも『蟹工船』という昔の小説に共感する人が増えました。

しかし、アメリカの低所得層にしても日本の低所得層にしても、資本主義を非難するからと言って、共産主義に賛同しているわけではないようです。

小生は、共産主義資本主義も、詰まるところは、同じ幹から育った主義だと思います。
そういうわけで、本日から、「拝金主義」について小生の妄想を連載したいと思います。

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映画 『風と共に去りぬ』

貧乏はイヤだ ! !Photo

・・・一言で言うと、そういう映画ですね。

昨夜の、NHK BS プレミアム で放映されました。

小生がこの映画を初めて観たのが、大昔の正月の民放のテレビ番組だったと思います。
ただ、あまりにも長い映画なので、録画をするものの途中で鑑賞するのを止めてしまった記憶があります。

その後、NHK でも放送され、今回で 2回目のテレビ鑑賞となります。

どのカットをとっても、まるで絵画のような美しさです。
その映画が第二次世界大戦の戦中に作られて公開されていたのですから驚きです。

Wikipedia の記事にもあるように、こんな映画を作る技術を持った国と戦争をして、勝てるはずがないですよね。

1939年 アメリカ  222分  監督 ; ヴィクター・フレミング 出演 ; ヴィヴィアン・リー クラーク・ゲーブル

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急に寒くなりました

香るキンモクセイ2011100309580000

子供たちにパソコンを占領されて、なかなか投稿できませんでした。
モバイルからでも投稿できるのですが、それですとリンクや画像の貼り付けが面倒なので、サボってしまいました。

さて、拙宅の庭先から キンモクセイ の香が漂ってきています。
今年は、たくさんの花が咲いています。
秋を感じます。

・・・10月に入り 急に寒くなりました。
インフルエンザも流行し始めているとか・・・。
みなさま、どうぞご自愛くださいね。

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