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拝金主義 - 9

今の経済学

以前、大学の市民講座で経済学を受講したことがあります。
(半年間の10講座でしたが、小生は忙しくて半分も受講出来ませんでした。)
すると、経済学は文科系だと思っていたら、数学とか物理学が出てくるのですね。
それを利用して‘運用’などの‘技術’を教えています。
もちろん、目的は‘儲かる方法’。
顧客の要求を如何に引き出して、それに応えるかがテーマです。
そう言うテーマでないと、受講生が集まらなかったのかもしれません。

ところが、そうした講義を聴いても ピンと来ないのですね。
もちろん、小生が学歴のない鍛冶屋だから、大学レベルの内容が理解できなかったからですが、それにしても講義内容が「現実離れ」していると思いました。
さらに、「この教授は、世間のことが分っているのだろうか ? 」なんて思うようになりました。

だいたい、近代の経済学は、ルネサンス以降、市民革命を経て、個人の自由が拡大してから出来たもので、それはアダム・スミスの『国富論』に象徴されます。
つまり、自己利益を目的としているのですね。
さらに、ドイツのリストが提唱したように経済学は国家規模になり、国家戦略的な経済学として発展していくのでした。例えば、関税をかけて国内の経済を防衛するような考え方です。
(その影響で、江戸時代末期、日本はハリスから不平等条約を結ばされてしまったわけですね。)

そうすると、経済は自由貿易の波に乗って急激に発達して、いわゆるセレブが出現し、経済格差が拡大していくわけです。
つまり「資本家」だけが儲かるのですね。

そこで、ドイツの カール・マルクス が資本主義経済を研究して(『資本論』)、あらたに社会主義的な経済学を提唱し、経済格差を根本的に是正しようとしたのでした。
しかし、その理屈は暴論で、今までの歴史や先人の努力をいったん‘チャラ’にして、平等に富を分けようとするものでしたから、国家・社会の実体に沿わないのでした。
旧ソ連の壮大な社会実験は、当然、失敗したわけです。

こうした近代の経済学は、根底には自己利益を目的としていますが、資本主義経済にしても社会主義経済にしても同じなんですね。
つまり、経済の動機は「欲求」であることには変わらないのです。
そして、経済学は政治学と影響し合い、政経学 (ポリティカル・エコノミー)の方向へと進んでいくわけです。

さて、話は グンと遡りますが、古代にも経済学があって、それは戦争のためのものでした。
つまり、君主制の時代でしたから、国を拡大するために軍を強くするのが目的でした。
税をどのようにして徴収するのかを目的としていましたから、国民は疲弊するばかりでした。
つまり、暗黒時代ですね。

それに対して、中国では、「経世済民」と言う言葉があって、そうした暗黒政治に対して「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」という思想もあったようです。
しかし、それはあくまでも空論に過ぎず、中国では戦争や闘争が繰り返されています。

そういうわけで、経済学と呼ばれるものは、人類の歴史の中ではごく最近のことなんですね。
それまでは、主に宗教が人民の思想を支配していましたから、限られた資源の中で、如何に質素に倹約するのかを戒められてきたわけです。
そうした考え方が、洋の東西を問わず、庶民の暮らしの中で残された来たわけですね。
過欲は人を不幸にするとか、奢れるものは久しからず・・・と言う具合に、経験則が積み重ねられてきたのです。

しかし、そうした庶民の道徳観と、近世経済学とは、その根本が違っていたのでした。
片方は、欲を抑制するもの、もう一方は、欲を拡大するものですね。

このように、今の経済学は、人欲については善悪を問わず、単に、テクノロジーとして発展していくのでした。
それが、世界同時多発的な経済危機を危惧するような状況を作ったんだと思いますよ。

つまり、今の経済学は「満足するための技法」に偏っているのです。
もちろん、そうした偏りを危惧して、日本経済の指導者だった渋沢栄一は『論語と算盤』を著し、正しい富を提示したのでした。

また、経営の神様と評された松下幸之助も「政経塾」を創設して、人材の育成に努めました。

このように、日本の成功者は人々の指導・育成に財を投入するのが特徴です。
しかし、世界の成功者を見ると、寄付行為でその名を高めようとしています。

日本人は、名利を捨てて、後世につなげようとする人が多いのですね。
このように、日本固有の美徳があるのに、そうした経済学を研究して提示する経済学者がいないことは、実に寂しいばかりです。

経済学は、価値をつくりそれを分配することを目的としています。
その目的が正しいとしても、経済の動機が人の欲求に依拠している限り、それが正しいとは言えないと思います。
欲の抑制的な要素を取り入れなけれならないと思うのですね。

たとえば、小生が行きつけの飲み屋さんで深酒をしたら、そこの女将さんが「もう、やめときな。」と言います。
店としては、沢山飲んでもらうほど儲かるはずです。
でも、大局的な観点から店の経済の持続性を考えるのなら、そこで客が身体を壊すよりも、ほどよいところで飲むのをやめてもらて健康を維持してもらったほうが、店は儲かるわけです。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

企業とかの経済論はわからないのですが
個人の事の範囲では
  身の丈 身の丈
と思っています。

投稿: sue | 2011年10月11日 (火) 19時24分

あらま様
TPPはまさしく現代経済学の粋
こんなのが実現したら、日本農業は壊滅です
一部の大企業のために農業や中小企業が崩壊してもいいのでしょうか?
私は反対です

投稿: おばQ | 2011年10月11日 (火) 19時54分

sue さま、小生の妄想にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
食べ過ぎれば腹を壊すのが分っていても、沢山食べてしまう。
飲みすぎれば、身体を壊すことが分っていても、飲みすぎてしまう。
抑制が効かない小生がこんなことを書いているのは、自戒を込めているからです。
ブレーキとアクセルとがあるから乗り物はコントロールできるのですね。
産業も経済も同じだと思います。
原発も、ブレーキが壊れれば大災害です。
そのブレーキが効かないこと想定しなかったことは、大きなミスでした。
経済も同様です。
ブレーキをかけずに欲の拡大をしてきたので、日本も欧米も、経済危機を迎えていると思います。
sue さまが仰るように、「身の丈」を自覚することが大切ですね。

投稿: あらま | 2011年10月11日 (火) 20時57分

おばQさま、コメントをありがとうございます。
小生の母の実家は庄屋の家系でした。
ですから、農家の親戚を見ているといろいろと感じることがあります。
今の農家は国から手厚い保護を受けてきました。
例えば、コメを作らなければ、国からお金が降りてきます。
働かなければ金が貰えるなんてヘンだと思いますよ。
さらに、殆どの農家は税金を納めていないというではないですか。
税金を納めないで税金をもらっている・・・。
これでは、独立しているとは言えません。
これは、保護され過ぎた結果だと思います。
小生は、関税を自由化したら、今の農家が潰れてしまうのならそれでも構わないと思います。
工業の場合、いままで何回も潰れて強くなってきていますから。
小生は、もう個人経営の農家や商店は、特徴がない限りは無理だと思います。
振り返ってみますと、日本の農業は「票田」として保護されてきたのですが、もうそんな時代は終焉を迎えていると思っています。
これからの農業は企業化して、徹底したマネジメントの下で経営するのが妥当だと考えています。
いつまでも、生活保護を受けているようではダメではないでしょうか。

投稿: あらま | 2011年10月11日 (火) 21時17分

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