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拝金主義 - 6

宗教は不経済 - 2

予定を変更して、宗教と経済について追加記事を記します。

さて、食欲など、人間には生存な必要な欲があります。
また、美しいものを楽しんだり、知的な欲求も人間にはありますね。
それを満たすことは悪ではないと思いますが、その欲の度が過ぎると悪になると思います。

その欲が悪にならないように戒めるのが、宗教であったり 倫理・道徳であったりするわけですが、そうした教化団体が拝金主義に汚染されていて、その教えが民衆に伝わっていないので、いまのような経済不安になってしまったと思うのですね。

そこで、宗教家や倫理学者、道徳家が欲を捨てて、豪華なことから離れることが必要だと、前回では唱えたわけです。

ところが、早速 クレームがつきました。

つまり、豪華なつくりの高野山を建て、各地に逸話を残した空海のような教えも必要ではないかというのですね。

さらに、宗教芸術が、人類の文化の発達には必要だというのです。
日本の神道でも、伊勢神宮を 20年毎に新築しているのですが、それは不経済なことなんでしょうか。

つまり、巨大な涅槃像や大仏を建立するのは、宗教家の欲ではなくて、民衆を救おうという心の現われではないか・・・という指摘です。

賽銭箱に小銭を投げ入れるのは、‘やらせ’ではなくて自発的行為だ・・・という指摘もあります。

確かに、宗教が豪勢になることは、布教活動やその宗教の維持・発展には必要なことだというのかもしれません。
実際に、芸術や文学などの発展に寄与してきているのでしょう。
建築学の発達には、宗教なしでは語れないと言います。

しかし、本当にあれだけの施設が宗教には必要なんでしょうか。
為政者が宗教を利用したり、宗教家が為政者を操ったりした歴史の中で、国家や宗教団体を統一するためには、豪華さが必要だというのなら、そのために闘争や戦争が起きているのも事実だと思います。

また、上納、寄付、賽銭など、それは自発的行為というよりも、習慣あるいは慣習化したものて゜、純粋に自発的なものだとは言えないと思います。
つまり、マインド・コントロールの結果だと思うのですね。

確かに、初代の教祖様方は質素な暮らしだったでしょう。
しかし、代を重ねるうちに派閥がおきて、対立し、豪勢さでも争うようになったのは事実だと思います。

やはり、いまのような宗教団体の豪華さは、ヘンだと思います。
欲を捨て、幸せな世界を築こうとすることを本気で教えるのなら、まず最初に、その宗教家から襟を正すべきだと考えます。

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