« 映画 『トリエステから来た女』 | トップページ | 神様の女房 »

拝金主義 - 13 (最終回)

お金の学問

ネットで経済学を検索すると、「マクロ経済」「ケインズ」なんていう言葉がヒットします。
学歴もなく浅学な鍛冶屋である小生が、そんな文章を読んでも分りません。

しかし、経済学とは「お金の学問」であると、小学生の時に教えてもらったので、人生を半世紀 過ぎた今でも、単純にそう思っています。

そして、小生の子供の頃は日本が高度成長期だったのですが、「経済的に豊かになっても精神的に乏しくなった・・・・」といわれました。
そのときの経済とは精神に対する反語として物質的という意味で使われていたと思います。

つまり、モノが溢れ豊かになったが、幸せではない・・・と。

ところで、世界一幸せな国は、先進国ではなく、アジアの山奥のブータンという王国なんだそうですね。
先日、その王様 (31) が妃 (21) を迎え、近日中に日本に新婚旅行に来るんだそうです。
その国は、経済成長よりも精神的な豊かさを追求したということで、国民の殆どが幸せに感じているということです。

翻って、中国に抜かれ、経済大国 第三位に落ちた日本は、幸せでしょうか。
世界に 200以上の国や地域があって、その中で第三位ということですから、幸せなはずですよね。
でも、実際には、自殺者や鬱病患者が増えている様子をみると、そんなに幸せでもなさそうですね。
最近は、放射能汚染の恐怖に怯えています。

そういうわけで、人間の生活を分けると「精神生活」と「物質生活」とに分けることができ、「精神生活の原理」は「宗教・倫理」、「物質生活の原理」は「経済」にあると教えてもらったことがあります。

つまり、モノやカネに溢れた生活をしていても、命とか健康、幸福感など人間にとって大切なものほどカネには換えられない・・・と教えられたものでした。

しかし、そうは言っても売春が人類の経済活動の始まり・・・なんて言われ、人身売買、臓器売買など、禁止されても 今尚 盛んに「カネには換えられないはずなモノ」が、取引されているようですね。
実際に、命も健康も、カネで買えるみたいですね。
また、人間の精神を表現した芸術などは、青天井で競売されています。
そうしてみると、「物質生活の原理」が「経済」だけだと規定するのはムリがあるようですね。
小生なんて、目の前でお金を積まれると、コロリと気が変わってしまいます。

そう言う具合ですから、経済を「物質生活」だけに断定することは間違っていると思います。
つまり、お金が流通する経済圏の中なら、どこでも経済学の対象となるのではないでしょうか。
たとえ、それが人の心の中でも。Photo

しかし、それなら、お金で総てが手に入るかといえば、そうでもありません。
他人の命はカネで買えても、自分の命は買えないのですね。
( 今、狂言切腹をテーマにした 映画『一命』が上映されています。自分の命を売るのにも大変なんですね。)
恋人の心をカネで釣ることは出来ません。
恋人の心をカネで釣れたら、その時点で恋人とは言えませんものね。

このように、何でもカネで買えると思ったら大間違い。
過欲をもって、他人のモノを強引に搾取することも大間違いです。
例えそれが出来る立場であっても、それを戒める要素が、経済学には必要だと思います。

なんでもカネで解決しよう。
対価が確定できない「命」よりも、カネの方が大事だ・・・
金万能主義・・・
そんな拝金主義的経済が、現代では「善」とされているように思います。

ですから、経済を考える時、精神とか物質などというタブーの領域を作らないで、積極的に経済にも「倫理・道徳」を入れる経済学を構築する必要があると思います。
そのためには、普遍的な人類共通の倫理観・道徳観を構築しなければならないと思います。
それは、壮大な事業ですね。
そのためには、人欲以外の人類共通の価値観を確定しなければならない。
そういうことを、現代の経済学者に望むのです。

そういうことで、一連の「拝金主義」シリーズは、とりあえずこれてお終いです。
長々とお読みくださいまして、ありがとうございました。

|

« 映画 『トリエステから来た女』 | トップページ | 神様の女房 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

お金にどれだけ価値を感じるか見出すか…
人によって随分違うのでしょうね。。。

お金は
生活ができない程に無くなっては困るけれど
何をおいてもそれが全てになるのも困りますねぇ。

お金とか高価なモノとか、、、
地位や名誉、自尊心の満足、執着心が
強くなるほどに
何か大事なものを見失う事に繋がって
いくんでしょうか。

投稿: sue | 2011年10月15日 (土) 00時04分

sue さま、お付き合いくださいまして、ありがとうございます。
人類共通の価値観・・・なんて言うと、何か平和主義者みたいなことを記しているような感じがしますね。

ところで、それぞれ考え方の違う人が集まったのが社会。
そこに、共通のルールを作ったのが法律。
経済も同様で、たった一人では経済学は必要ないと言います。
(厳密には、現在の自分と将来の自分との間に経済学があるといいます)
相手や第三者との関係が生じれば、経済でもルールが必要になり、さらにモラルが必要になると思います。
そうした経済思想に対しては、個人の個性を尊重する自由主義経済では、互いの理性に委ねてきたようです。
しかし、それでは強欲な人ほど有利になってしまいます。
小生の提案は、その理性にまで踏み込んだものを考えようというものですから、各方面からの反発を予想しています。
それでも、欲をセーブする共通認識が必要だと思うのですね。

フーテンの寅さんのように、気ままに暮らしたいですがそれも現実的ではない。
ましてや、フーテンの寅さんの友達のように、カネを持っていなくても、必要なときに落書きをして、それが大金で売れるような才能もなし・・・。
いっそうのこと、猫になって、sue さまに飼ってもらおうかな ?
いぇいぇ、人間に生まれてきたことに感謝しなければなりません。
そうなると、「吾、只、足るを知る」というような仏教の教えのような境地を目指すべきんなでしょうか。
小生の場合は、自尊心が強いので「武士は食わねど高楊枝」という具合に痩せていくのでしょう・・・。
その割には、メタボです。

投稿: あらま | 2011年10月15日 (土) 09時11分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/131161/52987084

この記事へのトラックバック一覧です: 拝金主義 - 13 (最終回):

« 映画 『トリエステから来た女』 | トップページ | 神様の女房 »