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テレビ番組 『ブラタモリ 横浜 完全版』 

史跡が豊富な街 横浜

今回の『ブラタモリ』は、横浜です。前回の『港湾版』とは違い、横浜の街の成り立ちを検証していました。

まず、案内人の紹介から。
今回は、横浜シティガイド協会 創設者の 嶋田 昌子 さん。
横浜案内のプロです。

横浜の村は、最初は僅か 100戸ぐらいの小さな漁村だったのが、いまでは日本 第二位の港湾都市になっています。

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まず、象の鼻パークから出発しました。この公園は、横浜開港 150周年記念のときに整備されました。
その公園の整備中に発見されたのが「転車台」。
トロッコのような台車を、この「転車台」で方向転換させていたのですね。
こうして、横浜港の当時の荷役に役立てていたようです。
これは、明治 20年代の後半のものと言われているようですね。
それが、関東大震災の瓦礫で埋もれてしまったのでした。

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次に、イチョウ並木を通り、神奈川県庁へ。
そこには屋上の展望台があり、横浜の街を一望できます。
もちろん、入場無料です。

さて、横浜の古地図を見ると、横浜村を埋め立てた横浜の街は、小さな「出島」という感じです。
埋め立てられる以前の古地図を見ると、横浜が「横に長い浜」であることが分ります。
どうやら、その地形から この「横浜」という地名がつけられたようですね。

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さて、タモリさんの疑問。
古地図を見ると、中華街の道路だけが、他の道路と方向と違うのですね。
その疑問を名づけて、「中華街 45度のナゾ」。
その理由は、街の埋め立ての順序にありました。
まず、江戸時代に「吉田新田」が田圃として埋め立てられました。
次に埋め立てられたのが「横浜新田」、現在の中華街です。
当時の湾の地形に沿って、45度傾いて埋め立てられ、田圃の畦道が整備されました。
その後、湾の全体が埋め立てられ、現在の中華街のところだけが、45度傾いたまま、畦道に沿って道路が整備された形になったわけですね。

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ナゾが解けてスッキリしたところで、タモリさんが好きな「高低差」。
横浜村の尾根道があったとされる場所を探索して、元祖横浜の地形の高低差を楽しみました。
その尾根道とは、今の「本町通り」。150年前は、横浜のメインストリートとして栄えていました。
タモリさんたちは、江戸時代の海岸線の名残を、僅かな「高低差」を探ることで見つけることが出来ました。
そこのところが楽しいですね。

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さて、今から 150年ほど前に開港した横浜は、西欧の文化が一気に集中したということから、「日本のコールドラッシュ」と呼ばれ、西欧の文化をビジネスチャンスにしようと、全国各地から野心家が集まったそうです。
その一つが、「牛鍋」。文明開化の味として、当時は驚きをもって迎えられたそうです。
何しろ、当時の日本は菜食主義。
桓武天皇の食肉禁止令以来、日本人は およそ1000年にもわたって肉食を禁じられていたそうですね。

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そうした横浜の文明を一瞬にして破壊した事件がありました。
大正十二年九月一日、関東大震災で震源地に近い横浜の街は壊滅的な打撃を受けました。
壊れた街は瓦礫と化し、その上を土で埋め立てて出来たのが 現在の横浜の街。
だから、街を掘ると、当時の横浜が現れてくるのですね。

その関東大震災の前の横浜の街を知る上で重要な資料になっているものを紹介していました。
それが「横浜絵葉書」。
明治・大正時代に大流行して、全国、いぇ全世界に発送されたそうです。
それを逆輸入して、当時の横浜の様子を研究している人がいるそうです。
そのひとりが、横浜絵葉書コレクター の 原島 広至 さん。
「虫メガネ」を活用すれば、当時の横浜の細い姿が分るそうです。
番組では、「虫メガネ」を駆使して、絵葉書に隠された明治の横浜を堪能していました。
たとえば「ツメトル耳そうじ」という看板が、絵葉書に記されていました。
おそらく、今で言う「ネイルサロン」でしょうか。Photo_9
また、電信柱 (右の写真)。
当時の電信柱は、魚の骨のような形をしていたようですね。
当時は、一台の電話機に一本の電線を使用していたようです。
だから、こんな形の電信柱になったのでしょうね。

さて、横浜はアイスクリーム発祥の地でもあるということで、タモリさんは、「アイスクリーム記念の母子像」を写していましたが・・・。
でも、この象は、泣き叫んで暴れる子供に困った様子の母親を描いているようです。Photo_10
「アイスクリーム」とは全然関係ない ?
いえいえ、関係ありそうです。 泣いている子供はアメリカ人 ?
その子が、もしかして こう言ったかも・・・
「アイ・スクリーム。 ( I scream.)」
・・・お粗末でした。

気を取り直して、今度は、横浜の高台、山手の丘へ。
その高台に行くために、坂道を登ります。
その急な坂道の名前は「見尻坂」。
余りにも急な坂で、前の人の尻を仰ぐようにして登る姿から、この名前が ?

そうして一気にこの急な坂を上りつめたところに、「外人墓地」とか「港の見える丘公園」があります。
その近くの小学校 ( 横浜市立 北方小学校 ) の校庭にお邪魔しました。
なんと、その校庭には マンホールが・・・。
その蓋を開けてみると・・・・。
なんと、高さ 7メートル 幅 16メートル 縦 30メートルの 巨大な貯水槽がありました。
これは、当時のビール工場のものだったのが、関東大震災で埋もれてしまったのですね。
昭和 59年に、この小学校のプールを改修しようとして、60年ぶりに発見されたそうです。

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こうして見ますと、横浜は史跡の宝庫ですね。

ビールを飲みながら、楽しく番組を見せてもらいました。
以下は、番組で紹介された当時の横浜の図です。

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(明治初期の横浜村)

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(開港前の横浜村)

以上、写真は拙宅のテレビを写メしたものです。
クリックすれば拡大しますが、画質は悪いです。

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