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「日本のせい」は止めよう

こんな韓国人もいるんだ・・・

こんな記事を見つけました。消える前に キャッシュ しておきたいと思います。

【中央日報より】

29日、韓日強制併合100年を迎えた。 乙巳勒約が締結された重明殿(ジュンミョンジョン)が復元された。 当時は徳寿宮(トクスグン)の一部だったが、日帝の時期に宮廷が縮小されたため外部に出された。 徳寿宮の後方にある貞洞(チョンドン)劇場の道を通ってそこを訪れた。 ついでに徳寿宮の中も回った。 石造殿の復元が進行されていた。 高宗(コジョン)は大韓帝国を宣布した後、徳寿宮内にこの2つの建物を含む6つの建物を新築したという説明があった。 複雑な気持ちだった。 国は風前の灯火のように消えかけていたが、王は宮廷を建てる? 帝国の威厳を見せなければいけないという考えだったのかもしれない。 しかしそのような財政があったのなら、なぜ大砲一つでも買って国を存続させようとしなかったのか。下水道がなくて鼻をつくような臭いがする漢陽の街をまず 整備しようと考えなかったのか。それが朝鮮の王の限界だった。

  臣下は何をしていたのか。開化派の尹致昊(ユン・チホ)は軍部大臣を務めた父に対し「官職を守ろうという欲があまりにも大きく、羞恥 心が全くないようだ」と述べ、「王や為政者にも愛国心や名誉は見られない」と日記に書いた。 亡国の日の8月29日にも純宗は勲章を授与するのに忙しかった。 李完用(イ・ワンヨン)ら大臣はその数日前にすでに勲章を受けた。 国がなくなるのに勲章を受ける? その勲章は何に役立ったのか? 日本から年金や賜金を受けるのに使われた。 国を売って自分の安逸を確保しようというものだった。 周辺部の勢力も似ていた。 宋秉畯(ソン・ビョンジュン)らは一進会を結成し、滅びていく国の権力をめぐり両班(ヤンバン)と争いを繰り広げていた。 国がないのに政治をし、その権力というものに何の意味があるのか。 しかし王と臣下の意識はまひしていた。

  歴史は記憶すべきものがあり、忘れるべきものがある。 何を記憶すべきかは私たちが選択する。 韓日併合100年が過ぎた今、私たちはこの事件から何を記憶しなければならないのか。朝鮮の滅亡は外部と内部の2つの要因によるものだ。 過去100年間、私たちの視点は外への怨望が優勢だった。 帝国主義が騒擾していた世界史的な立場から見ると、弱小国の朝鮮は植民地になるしかない運命だったのかもしれない。 朝鮮も独立を保全するために、どの強大国に頼るべきかだけが関心だった。 しかし朝鮮の崩壊原因は内部にもある。 前の部分で見たように、執権層が無能であるうえ、国のことを後回しにした。 この100年間、私たちは日本のせいにばかりしてきた。 では、私たちに過ちはなかったのか? 私たちの過ちは伏せて人のせいにするのは正しいのか? これは高宗が内部の力を合わせようとせず、強大国に頼ろうと した考えと何が違うのか?


   100年が過ぎた今、私たちは視点を変える必要がある。 日本せいにするのはもう十分だ。 いつまで他人のせいにするのか。 人のせいをするというのは、人に期待して失望したというのと同じ表現だ。 これからは私たち自身がどんな過ちを犯し、二度とこうした羞恥を経験しないためには何をすべきかに、私たちの関心を集中させなければならない。 社会問題も同じだ。 自分が貧しく失敗したのは他人のせい、制度のせいだと考えれば、決して発展はない。 与えられた環境の中で自分がすべきことは何であり、これまで何がよくなかったかを省みる気持ちが強まれば、国も健康になる。

  最近、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)は満州の抗日遺跡地を訪れた。 抗日武装闘争は南北双方の自慢だ。 安重根(アン・ジュングン)がそうであり、金佐鎮(キム・ジュァジン)将軍がそうだ。 しかし100年が過ぎても北朝鮮は抗日闘争の意識の中に浸っているようだ。 そしてその延長線で反米を叫んでいる。 北朝鮮が貧しいのは米国帝国主義のせいなのか? 北朝鮮は事実上、国家として存在する意味を喪失した。 国家の機能はまひし、国民は飢えている。 権力の周辺だけが強制力で持ちこたえている。 国家は消滅段階にきているが紙屑のような勲章を付けて傲慢にふるまう人たちの姿は、1910年の朝鮮の大臣と同じではないのか? 北朝鮮はなぜ内部の問題 を見ようとしないのか? 2世を越えて3世の世襲を認めてもうために中国指導者に謁見したという。 主体思想を前面に出しながら「民族」を口癖のようにして生きている人たちがすることではない。 恥ずかしくないのか?

  国を失うというのは屈辱だ。 私たちはその日を庚戌国恥日と呼んだ。 その屈辱は国民全員が受けるものであり、責任がある王と臣下のものだけではない。 運命共同体であるからだ。 したがってこの共同体を守ろうとするなら、国民が自覚していなければならない。 100年が過ぎたこの時点で、私たちが記憶に残すべきことはまさにこの点だ。 私たちは半分ではあるが、この半世紀の間にこの共同体を変えた。 私たちの力でだ。 世界の誰が今の韓国を日本の植民地だったかわいそうな国だと考えるだろうか。 これ以上、過去の羞恥にすがるのはやめよう。 もう羞恥の服を脱いでしまおう。

  文昌克(ムン・チャングク)大記者

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コメント

事実を見つめ、冷静に判断しようと言う心こそが問題を解決する最善の道だと心得ております。

投稿: ある大学生 | 2010年9月 2日 (木) 17時15分

ある大学生さま、ありがとうございます。
事実を直視するには‘勇気’が必要なことがありますね。
この歳になりますと、鏡の前の自分に‘はっ’とすることがあります。

投稿: あらま | 2010年9月 2日 (木) 18時40分

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