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焼津港の戦時徴用漁船

郷土一家

昨日と本日、静岡の NHK 総合テレビで、静岡県焼津港の戦時徴用漁船に関する番組を放送していました。

実は、小生も郷土の近代史を研究するメンバーに入って、独自に徴用漁船の調査をしたことがありました。
静岡大学でも学術的な調査・研究がされていましたが、当時のことを証言するのを拒む人も多く、十分な研究成果が上がっていなかったようでした。

ところが、最近になり体験者たちが重い口を開くようになり、そこで、有志たちが数年をかけて、焼津や静岡の民家などを訪れて、徴用漁船の聞き取り調査をしたのです。Photo
その一部を、Wikipedia に載せたのが小生です。
(ハンドルネームは変えてあります。)

この番組では、漁船を悉 ( ことごと ) く徴用され、漁業の壊滅に瀕した焼津の漁民たちが、践団を組んで、南方 (フィリピン方面) に活路を見出そうとした姿を描いていました。
その先導を切ったのが、皇道産業焼津践団の社長 村松正之助氏 (写真) でした。
ところが、ようやく定着した場所は「戦場」となり、団員たちは訓練もせずに兵隊に徴集されてしまったのです。

さらに、現地の日本語学校の校長をはじめ母子たち 約 50名ほどが集団自決をしたことも、この番組では紹介していました。

こうして、徴用された船員だけでなく 南方に移住した焼津の人たちも戦禍に遭ったのでした。

Photo_2

また、調べていくうちに、焼津と沖縄の人たちとのつながりも発見されました。

しかし、小生はこれ以上の研究が出来なくなりました。
原因は、生き証人が少なくなったのと、併せて民家などに残された史料が少ないのですね。
ほとんどの体験者が、終戦とともに、忌まわしい記憶を燃やしてしまったようです。
従って、これ以上の検証が困難になってしまったのです。

それとは別に、焼津の人は、戦争で漁業が壊滅的になっても、そこから見事に復興させました。
戦争で たくさんの 主力になる人たち を失っても、漁業を棄てなかったのです。

それは、焼津には高い造船技術と高性能の動力機関をつくる技術とが残っていたからだと言われています。

戦時に、焼津の漁船が軍部などに徴用された理由は、焼津の漁船の無線網、信頼性の高いエンジン、小回りの効く船体冷蔵保存技術などが、軍隊の活動にも適していたからだと言われています。

そうした技術を、戦争中も 継承・死守していたのですね。

そうして戦後、東洋一の遠洋漁業の基地として名を馳せることになったのでした。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

あらま様
拝読しました
重すぎるのでコメントは遠慮します
訪問した足跡だけ

投稿: 佐為 | 2010年8月29日 (日) 00時01分

佐為さま、ありがとうございます。
一昨年、長年師事していた歴史の先生が亡くなり、それ以降、その世界から遠ざかったままです。
自問自答している中で、戦争と言う嫌な思い出を、無理やり引き出そうとしている自分に気付き、それ以降、聞き取り調査や民家に残された史料の収集をやめました。
それが、本当のところです。
ところが、この番組を見て、私の取材を断った人が、数年後には NHK の取材には応じていたのですね。
どういう心境の変化なんでしょうか・・・

投稿: あらま | 2010年8月29日 (日) 09時42分

昭和17年に半年ほど軍需工場を経営していた城之腰の親戚で手伝いをしておりました。
その際徴用漁船を見送ったことがあります。

北の浜(新屋)から南の浜(御幸町)の間を何回も回りながら名残惜しそうに沖に向って去って行くのを、
防波堤の上から見送りました。出征兵士の見送りは何回も経験しましたが、出征船の見送りは初めてで
寂しく感じたのをいまだに記憶しております。今では巨大な防波堤は無くなり道路になっております。

昭和17年はガダルカナルの転進、ミッドウエーの敗北で、敗色の気配が漂ってきた頃でしたが、
緒戦の戦果に酔っていた頃でした。

全国で数少ない漁業無線を駆使し敵艦、敵機の哨戒の任務を与えられており、任務を果たしたときは
玉砕しまうという特攻的徴用漁船だったことを焼津市歴史民俗資料館や新聞などで知りましたが、
ご労作のWikipedia を拝読し詳細を知り感服しました。

投稿: 藤 | 2010年8月29日 (日) 10時24分

藤さま、ありがとうございます。
「記録の会」では、全国から 1600隻の漁船が徴用され散ったと言う数字もあるそうです。

http://www.jsu.or.jp/siryo/

ただ、任務が秘密だったので、徴用漁船に関する資料を見つけるのに困難を極めているようです。
証言の中には、アメリカ軍が漁船を襲うとき、まるで遊んでいるようだったと言うものもありました。
最後は、爆雷を積んで、相手の船に突進したと言います。
しかし、その前に爆撃され炎上し、特攻に成功する例はなかったそうですね。
ただ、それも裏づけが取れない証言です。
本当のことは知らされずに出航し、着いたところは「地獄」だった・・・。
丸腰で哨戒任務に当たる今の自衛隊員の気持ちが推し量れます。

結局、戦争に負けたので、失った漁船の補償はなかったそうです。
また、徴用された乗組員は、必ずしも全員が「軍属」という待遇ではなかったので、兵隊のような補償もないとのことです。
調べれば調べるほど、やるせない思いになって行きました。

投稿: あらま | 2010年8月29日 (日) 16時00分

戦争に関係するメデアは、気分が悪くなるので観ないことにしております。終戦の8月は特に多いので憂鬱です。

戦争体験を語らないのは、国に尽くし殉じた名誉を否定し、戦争悪、加害者悪、犠牲者哀れを強調した思想、表現ばかりで、誇りを失わせているのです。

戦争観に関わらず、誰でも誇りをもっており、他人にとって些細なことでも本人には命が懸っているのです。
戦争悪を強調する思想や教育が体験者の口を閉ざしたものと愚考します。

それにメデアの表現には嘘が多く、江戸時代ならいざ知らず生存者のいる昭和初期でも時代考証が不十分です。
29日BS2で放映された映画「真空地帯」は戦前、戦後を通じて思想はとにかく軍隊の内務班の状況が克明にリアルに表現されております。1952年戦中世代の製作です。戦中派が居なくなってから嘘が酷くなってきました。

愚見で失礼しました。

投稿: 藤 | 2010年8月29日 (日) 20時28分

藤さま、重ねてありがとうございました。
何か、今回の投稿が、戦争体験者の皆さまに不快な念を抱かせてしまったのではないかと恐縮しています。
小生のしたことが、忘れたくても忘れられない辛い体験、それを強引に表面に出させてしまったような感じがしています。
ところで、軍隊の非人間的な有様を描いた『真空地帯』は、読んでいても辛いですね。
小生も、同名の小説を読んだことがありました。
ロシアの軍隊では、今も、それ以上のイジメがあると聞いています。
この小説を読むと、人格を否定し、人間をひとつの「モノ」のような扱いをするのは、軍隊だけでなく、現代の雇用にも似たようなものを感じます。
また、軍隊でも会社でも、他人を陥れることがあり、それが「組織」の怖さの一つなんでしょうか・・・
理不尽な虐め (パワーハラスメントなど) があることもイヤですね。

さて、現代のジャーナリズムは、別名「迎合主義」とも言うそうです。
視聴者に迎合して、ウソでも何でもするのがメディアみたいですね。
こんなことをしているようでは、既にメディア ( 媒体 ) では なくなっているように思います。

「語り継がなくてはならない・・・」というのは、語り継ごうとする人の欺瞞かもしれませんね。

投稿: あらま | 2010年8月29日 (日) 22時54分

非常に生々しい記録で胸が痛みます。

ミッドウェー作戦の原因となった最初の東京爆撃(ドゥーリットル爆撃)にて、米空母部隊を最初に発見したのは徴用漁船だったようです。重巡洋艦(8インチ砲搭載)に砲撃されて沈みましたが、無線での通報は既に終えていたようです。

日本が徴用漁船を使ったのはなぜかといえば、漁船が漁船団として動けるように無電を使っていることが大きかったようですが、(外国では無線を使う漁船は非常に少なかったようです)それ以上に小型の哨戒艇を量産できるだけの造船能力が無かったのが大きいんだと思います。米国ではPTボートやガトー級潜水艦など、軍用船でそれらの任務(偵察、特攻攻撃、哨戒)をやってしまえました。

日本は軍艦は全て艦隊決戦に使うため、潜水艦も駆逐艦も全部艦隊決戦仕様で作りましたね。思えば、それ以外の軽視された任務が徴用船に押し付けられた面があるんだと思います。つくづく、身の程知らずな戦争をしたものだと思います。

どうすればよかったのか・・・おそらくこれは今後10年で日本が再び直面する課題だと思いますが・・・うーん。

投稿: ある大学生 | 2010年8月31日 (火) 10時44分

ある大学生さま、ありがとうございます。
現実を把握しないまま、戦火に倒れた人たちを思うと胸が痛みますね。
民間人に特攻させていたなんて、あまり知られていないと思います。

しかし、今の日本を見ていると同じ轍を踏んでいるような気がします。
そのためにも、政権を交代してもらいたいと思います。
でも、小沢さんがまた出で来るのですか ?
どうなるのでしょうか ?

投稿: あらま | 2010年8月31日 (火) 18時28分

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