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忘れてはならない日

沖縄戦終結の日

昭和 56年、今上陛下が皇太子のころ、「日本人の忘れてはならない 4つの日」を示されました。
本日、6月 23日、それから、原爆投下の 8月 6日8月 9日、そして、8月 15日の終戦の日です。

本日がなぜ忘れてはならない日かは、この PDF ファイル ← に 示されています。

ところで、小生は、中学校の時の恩師とともに郷土史を調べていたことがありました。
比較的豊富な資料が残っているのは、明治・大正時代のものが多く、戦争に関するものは少ないことに気がつきます。
嫌なことは忘れてしまおう・・・という現われなんでしょうか ?

そのなかで、戦時徴用船についての記録があったので、調べてみました。
すると、静岡県の漁船が 沖縄戦でも徴用されたようで、その資料の中から 沖縄の人たちの悲惨な状況を記したメモなどが見つかりました。

そこで、恩師と共に沖縄を視察したのです。
そして、戦争の跡を見ると、涙が止まらなくなりました。
ところが、恩師は泣いていないのです。
聞くと、「もう涙が涸れて出ないんだよ・・・」と言っていました。
その恩師も、一昨年に亡くなりました。

そこで、徴用漁船から見た沖縄戦についてまとめてみようと思い、資料を漁ったことがありました。
ところが、当時の Wikipedia でもそうでしたが、沖縄戦の記述について論争が起きていました。

いわゆる「集団自決」問題です。

小生は、左右両論を比較しましたが、その時に感じたことは、当初、沖縄の人たちがその論争に参加していなかったのですね。
沖縄の人たちにとっての戦争体験は、争論の具ではなかったのです。

それが、訳の分らない人権団体、市民団体が加わり、沖縄の人を担ぎ出して、ヘンな対立構造を作ってしまったのです。

皇太子時代の陛下が、なぜ、「日本人が忘れてはならない日」と仰せられたのか・・・
静かに考えてみたいと思います。

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コメント

 私の故郷はあらま様の地元に近い愛知県豊川市なのですが、(「バカの考える日本地図」によると岡崎市から静岡の浜松市までは「未開拓地」だそうで)戦前そこには東洋一の弾薬工場があったとか。名を豊川海軍工廠と言ったそうです。

 何でも一時期は海軍の弾薬の85%を製造していたそうで。そこへの大空襲があったのが広島と長崎に挟まれた8月7日です。8日深夜にはソ連が攻めてくるし。

 はい、そんな郷土の戦争話はどうでも良くて沖縄戦ですね。そもそも民間人を巻き込んで戦争をやるのはハーグ規定違反なんですが、「戦略空軍は陸軍ではない」と言う言いわけで言い逃れするアメリカには反吐が出ます。あんたらもともと陸軍航空隊じゃないか。
 まぁそんな事言ったって勝てば何でもありなんですけどね。うちの爺さんが良く言ってました。「負けたんだからとにかく辛抱するしかない」んだそうで。日本にヒトラーが生まれない理由が分かる気がします。

投稿: ある大学生 | 2010年6月23日 (水) 12時54分

ある大学生さま、ありがとうございます。
勝てば官軍・・・は、世の常でありましょう。

さて、沖縄の「平和の礎」には、24万人の沖縄戦の犠牲者が刻まれているそうですね。

http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=11&id=7623&page=1

その中に、沖縄の人が 15万人。
他に、沖縄県外の人たち、米国、台湾、韓国、北朝鮮の人たちの名前が刻まれているそうです。

小生の恩師は、「この人たちは可哀想だ。ここに名前を刻まれている限り、この人たちに戦後はない・・・」と、言っていました。

・・・そういう考え方もあるんだ・・・と思いました。

ところで、日本でヒトラーみたいな人はいますよ。
小○一郎さんとか・・・。
彼は、参院選後に、子分たちを引き連れて、民主党から離れて、また新たな勢力を作るだろうとウワサされているようですね。

投稿: あらま | 2010年6月23日 (水) 15時14分

こんにちは。

以前知り合いの方が「沖縄は日本の中に含めるよりも独立国家としたほうが良かったかもしれない。」と言っていたのを思い出しました。
実際にそうなっていたらどうなっていたかはわかりませんが、少なくとも第二次世界大戦での悲惨な出来事はなかったかもしれません。

私は沖縄へ行くことがあったら“きれいな海!”“リゾートホテル!”ではなくて、戦争の悲惨さを残す場所だけをゆっくり巡ってみたいと思っています。

投稿: まさたみ | 2010年6月23日 (水) 17時12分

まさたみ さま、ありがとうございます。
沖縄県民の中には、日本からの独立を希望する人が確かにいるそうですね。
ただ、琉球王朝の時代、沖縄の人たちは周辺国との付き合いで疲弊していたようですよ。
ですから、「歴史に IF はない」と言いますが、沖縄が日本でなければ中国、あるいはアメリカになってしまっていたでしょう。
少なくとも台湾のようではいられないと思います。
沖縄の歴史を翻くと、地理的な要素がどうしても係ってしまうようですね。
今後も沖縄の人たちのご苦労が続くと思うと胸が痛みます。
とにかく、「不平等条約」みたいな「日米地位協定」だけは解決してもらいたいですね。

投稿: あらま | 2010年6月23日 (水) 19時46分

 あらま様 あれはヒトラーじゃありませんよ。

 まずヒトラーは自力であれだけの強権を作り上げた。田中角栄みたいな前の人の後釜に入ったってわけじゃありません。
 第二にヒトラーは常に表に出ます。悪いイメージさえ良く思わせる演説力があります。小沢某は裏ではいずり回ります。
 第三にヒトラーの方向性は対内的には常に全体主義、工業化、福祉国家樹立。対外的にはベルサイユ体制打破一辺倒に向いていました。ここから外れた政策を取った事はありません。某ブレブレ連中とは訳が違います。

 以上3点より、またあらま様がおっしゃったゴキブリばりのしぶとさと言い、あれはスターリンだと思うんですけどもいかがでしょう?
 レーニンの後釜に入り、政治局を表に出して裏の書記局から操り、左派でも右派でもない(左派も右派も粛清した)・・・こわやこわや

投稿: ある大学生 | 2010年6月24日 (木) 01時54分

ある大学生さま、ご教授をありがとうございます。
もしかしたら、墓石の下のスターリンが怒るかもしれませんね。
つまり、ヒトラー以下、北の将軍さま以下・・・ということでしょうか。
黒幕気取りの俗物みたいですね。

しかし、その「悪」も使いようかもしれませんよ。
彼は またまた短気を起こして民主党を解体させるかもしれません。
そのときに、政界の大改編があればいい・・・と思います。

投稿: あらま | 2010年6月24日 (木) 08時53分

ありがとうございます。

戦争体験はなくとも身近な人から辛く恐ろしかった戦争の話は少しだけ聞いています。
(あまり積極的には話をしてくれませんでしたが)
昨年亡くなったばあちゃんの肩には銃弾が貫通した後が大きく残っていました。

慰霊の日にはただ世界が平和になりますよう、祈ることしかできません。
みんながそう願っているだろうにどうして実現できないんでしょうかね・・・。
そういう日が本当に来ますように・・・。

投稿: しーな | 2010年6月28日 (月) 06時01分

しーな さま、ありがとうございます。
平和の世の中とは、もしかしたら 理想郷 なのかもしれませんね。
そこで、静かな環境で祈りたいところですが、それもなかなか許してもらえません。
おばあさまに銃痕があったなんて、それだけでも衝撃的ですね。
小生の父にも銃痕がありました。
なんでも、静岡の上空で、ゼロ戦とグラマンとのドックファイトがあったので、それを屋根の上で見ていたら、流れ弾が父の腕をカスッたそうです。
そのときの、機関銃の弾を「家宝」にしています。
小生がこんな性格なのも、そんな父に似たのかもしれません。

投稿: あらま | 2010年6月28日 (月) 08時32分

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