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父の遺品 -最終回

無念だったろう

父が遺したのは、狭い土地に建っている小さな古い家と 借金。Build05
そして、母 と 我々兄弟。

ところが、母は、しのぶ さんの 息子さん も、父が遺したと思い込んでいるようです。
そうしたストレスが、母を苦しめていたようですね。
でも、実際は、母の誤解のようです。

父は、日本の高度成長期に生きた企業戦士で、昼は仕事、夜は接待に明け暮れていたようです。
会社が専属に利用していたお座敷に、しのぶ さんたちがいたようです。そこで、よいお姐さんたちを確保するのも大切な父の仕事だったようです。
そんな類の名刺も、キチンと整理されているところも父らしいと感心します。
その後、しのぶ さんは、独立してお店を営んでいたようですね。

Aug03_m24 ところで、しのぶ さんは既に他界しているのですが、先月、小生が不在の時、しのぶ さんの息子さんもお母様の所に逝ってしまったようです。
彼には兄弟もなく 独身でしたから、葬式も小さなものだったようです。

実は、彼には、少し、障害がありました。
しかし、それを十分にカバーするだけの仕事の才能がありました。
彼の切削技術は、天下一品だったと思います。
その才能が開花するまで、彼は相当な努力をしていました。
彼は、与えられた仕事はキチンとこなすのですが、自分から進んで仕事を探すタイプではありませんでした。

そんな彼を、父は小生のところに預けた形になったのでしたが、小生は彼のことなど知る由もなかったのでした。

ところで、父は、どんな気持ちだったのでしょうか。今思うと、父が彼を弊社に紹介したのには そうとうな 決断 を要したと思います。
それとも、旦那衆でしたから、何も気にしていなかったのでしょうか ?

結局、父は、小生に彼のことに関しては 何も言わないで 逝ってしまいました。
そんな 父の「期待」を裏切ってしまった小生は、親不孝なんでしょう。

それにしても、父は、病気で倒れた時、無念だったでしょう。さらに、母の誤解を解けなかったことも 無念だと思っていたのではないかと想像します。

以前の日本には、こうした 旦那衆が支えてきた「文化」 があったようです。
そして、それを 諦めて許す風習 もあったと思います。
ところが、21世紀の今は、そんな 文化も風習 も姿を消しつつあります。
港町には、そんな感じの物語が たくさんあったようです。 ( お終い )

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