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天皇の責任

戦争を振り返り

明日 8日で、日本が太平洋戦争を始めて 67年目になります。そこで、ブッシュ大統領は、日本海軍の特殊部隊に奇襲攻撃されたハワイのパールハーバーの各施設を保存施設に指定したそうですね。

日本は、アメリカに対して宣戦布告してからハワイを攻撃するつもりでしたが、当時のアメリカ在駐の日本大使館の外交官のサボタージュでアメリカに伝えないまま、ハワイの真珠湾を攻撃してしまいました。こうした国際法を逸脱した卑怯な開戦に怒った米国は、その後、総力を挙げて日本を攻撃することになりました。

それについては、あの開戦はアメリカによって仕組まれたものだということが次第に分かってきたのですが、日本が宣戦布告をしなかったことは事実ですので、日本は言い訳が出来ません。従って、終戦後、一方的に戦争を仕掛けた日本が戦争処理の全責任を負うことになったわけです。

さて、もうひとつ、戦争責任で話題になるのが「天皇の戦争責任」です。

昭和 63年の本日、当時の長崎市の本島等市長は市議会の答弁で「天皇に戦争責任はある」と述べ、大反響を呼びました。その翌々年、本島市長は右翼の男に銃撃され、重症を負うことになってゆくわけです。

このように、国際常識なら、国家元首に戦争責任を問うのは当たり前のことですが、日本の場合は、天皇は現人神(あらひとがみ)と言って、天皇を神格化した考え方をする人が多いので、天皇に戦争責任を問うことに対して拒む傾向があるようです。

つまり、天皇は神ですから、神には責任がないという理屈なんですね。

「そんなの屁理屈だ ! 」という人がいるかもしれませんが、マッカーサーはそれを理解して、天皇には戦争責任を問わない裁決をしたのです。

ですから、第二次世界大戦の戦争責任を問う東京裁判でも、天皇には戦争責任を問わなかったわけです。つまり、有罪でも無罪でもないわけです。

こうして、67年前の本日から始まった太平洋戦争の責任の所在が明確でないままでいますので、いまだに、日本は先の戦争の総括が出来ないでいます。

ところで、現在、その東京裁判の不条理を問うている映画『私は貝になりたい』のリメイク版が上映されているようですね。

この映画は、せっかく、戦争で生き残ったのに、上官の命令に従ったばかりに、戦犯として死刑になった一兵卒の悲劇です。

天皇には戦争責任を問わないで、一兵卒に責任を負わせるなんて、おかしいと思わせる映画です。

しかし、先の戦争では、天皇に戦争責任を負って戴くことはできないと思います。かつての日本という国家が、そういう仕組みではなかったからです。むしろ、天皇の大権を縦(ほしいまま)にした、外交官僚、軍部官僚に責任を問うべきだと思います。

結局、犠牲となるのは、いつも、下々です。

そんな社会では不幸だと思います。やはり、明確な責任を問える社会を作らなければならないとおもいます。

たとえば、銀行倒産防止にしても、やみくもに銀行を支援するのではなくて、銀行経営者の責任を問うて、責任を負わせるべきです。

ところが、銀行にしても、社会保険庁にしても、日本の膨大な借金にしても、責任の所在が明確にされないままでいます。

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