避難解除
重い負担
長男のアパートにいた家内が戻っています。
長年、認知症の母を看てくれて来ましたが、いよいよ負担が重なり心労が積もり、これ以上はムリだということで長男のアパートに緊急避難していました。
約 8ヶ月間、離れて暮らしていましたが、家内の状態も安定したようですので、戻ったわけです。
しかし、これ以上、母の介護に家内に負担を掛けることは出来ませんので、母とは極力、接しないようにしました。
つまり、家内はなるべく外で仕事をするようにして、休日もなるべく母の居住する母屋には近づかないようにしたわけです。
そうは言っても、まったくの拒絶状態ではありません。顔が合えば挨拶ぐらいはします。
しかし、相変わらず、母のブレーキは外れたままです。病気とはいえ、その世話は大変です。
そこで、実子である小生なら、それでも世話を続けることが出来ます。
母の主な症状は、強い被害妄想で、常に、モノが無くなったと訴え続けています。それを、家内の親戚とか職場とか、小生の職場、ひいては子供の学校にまで、電話を掛けて訴えます。
さらに、風呂に入らない。部屋の片づけもしない。
そこで、小生らが片付けようと触ろうとすると、ドロボー呼ばわりする。
そして、不潔なので部屋に閉じこもる。閉じこもれば脱水症状になり、便秘になる。
風呂や便所は共有できないので、母は、バケツや洗面器に用を足しています。
このような、初期状態の認知症が 10年以上も続いているのです。
ときどき、周りのモノをひっくり返しては暴れることもあります。
数年前、転倒して骨折し、寝込んだことがありました。
そこで、ヘルパーさんを頼んでも、そのヘルパーさん攻撃してその介護を拒否します。
仕方がないので、母屋一つを、母のやりたい放題にさせています。
お陰さまで、母は回復し、一層、元気が戻ったようです。
このように、拙宅には母屋がありますので、互いに避難が出来るわけです。
現在、小生にできることといえば、朝と夕飯を母屋に運び、気が昂じた時は、お地蔵さんにつれて行く事ぐらいです。
昼夜逆転をしていましたが、雨戸の開閉を徹底したら、それもなくなりました。このように回復する兆しもあるのですが、やはり、認知症はゆっくりと進行しているようです。
母の好きなお地蔵さんのところに連れて行けば、気が納まったものでしたが、今ではそのお地蔵さんめぐりも、少なくなりました。行きたがらないのです。
こんな具合なんですが、とりあえず、家内は戻ってきてくれています。
一番の心配は、火の始末です。それだけは、注意しています。
| 固定リンク
「介護」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
違う世界で生きておられるのですね。
知り合いのお義母様が認知症になられて
ご自分の息子さんをドロボー、私の事を婦警と
思い込み
私のお金を盗んでるんだ。
こいつぁドロボーなんだ。
と訴え続けている事がありました。
母は認知症ではありませんでしたが何故か
父に愛人がいると思い込んでしまい、その
騒ぎが始まると暴れはしませんでしたが
人格が変わったかと思うほど雑言を言って
いました。
どういう世界を泳いでいるのでしょう???
違う世界の中にあってもお母様が少しでも心豊かな世界(お地蔵様の所?)に留まる事ができるよう
祈っています。
投稿: sue | 2008年11月28日 (金) 20時36分
sue さま、ありがとうございます。
>違う世界の中にあってもお母様が少しでも心豊かな世界(お地蔵様の所?)に留まる事ができるよう
祈っています。
美しい言葉ですね。
よく、認知症になれば気が楽だとか、「ボケ勝ち」なんて言われていますが、病気で苦しんでいるのは本人でしょうからね。
現実と整合しないことに諦めても、生きてゆくにはどうしても整合しなければなりませんから、それは苦しいでしょう。
自力で軌道修正できないどころか、その軌道に固執して破綻したと思います。
そうした母を救うのは、信仰なんでしょうか。
今の母の心は何が支えになっているのか分かりませんが、sue さまのこの美しい言葉を信じて、母の心の中で、お地蔵さんが微笑んでくれていることを祈ることにしました。
投稿: あらま | 2008年11月29日 (土) 02時25分