« 消音モード | トップページ | 元厚生官僚襲撃事件 »

文民統制とは

マスコミの曲解

本日、19日の『静岡新聞』朝刊、「NEWS 交差点」では、空幕長論文問題と題して「文民統制」について解説していました。

つまり、今回の田母神氏の論文内容は、日本の憲法で定めている文民統制を乱すものだと『静岡新聞』では解釈しているようです。

憲法第66条第2項には、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と記され、自衛隊の最高司令官である内閣総理大臣は、文民でなければならないことを意味しています。

日本で言う「文民」とは「武官」ではないということで、自衛隊員は内閣総理大臣になれないことを意味しています。

これは、軍事独裁とか自衛隊の暴走を防ぐための措置で、先の大戦の反省から取り入れられた制度とされています。

『静岡新聞』では、前航空幕僚長の考え方は、そうした 文民統制 に反するものとしています。

しかし、田母神氏の論文を読んでも、そうした指摘に当てはまる箇所が見当たりません。彼の主張は、歴史観に触れ、愛国心がないと国が守れないことを訴えているに過ぎません。

確かに、自衛隊の活動範囲が広がり、いわゆる制服組の発言の場も広がっています。マスコミはそれを警戒しているようです。

しかし、自衛隊が医療・運搬チームを中心に世界的に展開している今、自衛隊員らが感じでいる「報告」を、正しく伝えようとしていない政府やマスコミのほうにも問題があると思います。

自衛隊は、憲法で認められた組織でもなく、その活動が大きく制限されています。ですから、このまま有事になったら、自衛隊は国民を守れないことを肌で感じ、警鐘を鳴らしています。

ところが、政府もマスコミも、自衛隊員がどんなに犠牲を重ねていても、それを黙殺し、封圧しています。つまり、そのことに関しては、完全な言論統制が敷かれたままです。それが文民統制だと思っているようです。

しかし、本当の意味の民主主義体制下における 文民統制とは・・・

平時の際は自由闊達に自国の防衛を論じ、国防を準備し、

有事の際は、国民が一丸となって国を守る

・・・という意味です。

その有事の際は、武官である自衛隊だけが相手に抗戦するのではなく、文民の私有財産の提供(徴用)や借用もありうる・・・つまり、有事の際は、文民のある程度の犠牲は仕方がないというのが、有事法の考え方です。

つまり、真の文民統制とは、「武官が文民を統制する」とか「文民が武官を統制する」というものではなく、有事の際は「文民も統制に加わる」という意味です。

そうしないと、また敗戦することになるからです。

「私は戦争が嫌いだから、戦争が好きな人が勝手にやったら・・・」なんて、言っていられないのが戦争です。そんなことを言っていたら負けてしまいます。

敗戦の惨めさは、もう体験したくはないでしょう。

それ以前に、戦争になるのはイヤでしょう。戦争は、軍事バランスが崩れた時に起こります。「戦争をしないと宣言すれば、戦争にならない」のではないのです。そうした意味では、戦争は単純な戦力の力学です。

ですから、戦争を防ぐ意味でも、軍事力のバランスが必要です。無防備でいることは犯罪を誘発することになりますから。

どんなに戦争に反対しても、相手が戦争を仕掛けてきたら、戦争にだってなります。

現実に、日本は戦争を仕掛けられています。韓国は日本の領土である竹島を実効支配し、ロシアは北方四島を占領したままです。北朝鮮は、多数の日本国民を誘拐したままです。その間に、沢山の漁民や自衛官が、毎年、犠牲になっています。つまり、死んでいます。

このように、日本の主権は侵されています。しかし、政府もマスコミも「無視」を決め込んでいます。なぜ、真剣に取り返そうとしないのでしょうか ?

日本が真剣に取り返そうとすると、戦争になるから・・・ ?

・・・そうした当然な国防に関する議論でさえも、マスコミは封圧したままです。

なぜでしょう。不思議です。

多くの国民も、国防を放棄した考え方です。国防の放棄とは、国家の放棄に繋がります。

そんな国民が、どうして国を維持できるのでしょうか。

|

« 消音モード | トップページ | 元厚生官僚襲撃事件 »

国防」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/131161/43160464

この記事へのトラックバック一覧です: 文民統制とは:

« 消音モード | トップページ | 元厚生官僚襲撃事件 »