« 仕事始め | トップページ | 崩れゆく富士山 -2 »

一万年前の地球温暖化

不都合な真実

受験シーズンです。今の時代を反映して、「地球温暖化」に関する設問が増えているそうですね。面接でも、そんな話題が出で来るそうです。

さて、地球には46億年の歴史があるのだそうです。最初、火の玉だった地球が冷やされ生物が棲むようになり現在に至っているといいます。

その間、地球は、暖かくなったり冷たくなったりを繰り返しているんだそうです。これは、地球と太陽との距離が、離れたり近づいたりしていて、離れた時は氷河期になるのだそうですね。

そして、最後の氷河期が一万年前に終わり、それから人類の文明が急激に進歩したのだそうです。それは、暖かくなったことで、いままで地上を‘支配’していた大型生物が絶滅し、人類にとって敵が少なくなったから人類の文明生活が発達した・・・と言う学者さんがいます。確かに、中学の歴史教科書を読むと、そんなふうに書かれていますね。

このように、地球が温暖化したり冷却化することによって、それまで地球を支配していた生物が絶滅したり、生域分布が変わっていったようです。ですから、地球の気候の変動は従来種にとっては「不都合な真実」になるわけです。

しかし、その「従来種の絶滅」のお陰で、生物が「進化」して人類の繁栄が到来したわけです。つまり、「不都合な真実」のお陰で、次世代の種の繁栄が導かれているのです。

つまり、人類が絶滅しなければ「進化」がそこで止まってしまうということです。これは小生が死ななければ小生の子孫が困ってしまう・・・と、同じことではないのでしょうか ?

ですから、ムリに、地球温暖化を阻止する必要はない・・・と、いう珍説でありました。

|

« 仕事始め | トップページ | 崩れゆく富士山 -2 »

科学技術」カテゴリの記事

コメント

あのう、珍説ではないと思うんです。
正しいということではなく、まっとうな学説だと思います。
少なくとも、地球温暖化は科学的に証明されていません。
IPCCの報告では限りなく人為的であるといっており、もう間違いないぞーとはいっていません。

投稿: 佐為 | 2008年1月 5日 (土) 22時18分

佐為さま、ことしも‘温暖化狂奏曲’が高らかに鳴り響きそうですね。
CO2の排出は、産業よりも人口増加の呼吸の分のほうが多いという学説もあるとか。
中国の人口分がなくなれば済んでしまうといいます。
地球の周期的な氷河期、温暖期の変化のほうが大きいといいます。
それから、ガリレオの‘地動説’は、当時は珍説で、宗教弾圧されていました。

投稿: あらま | 2008年1月 6日 (日) 08時01分

あけましておめでとうございます?前にも書きましたっけ。お邪魔しまーす。ちょっとばかりちゃちゃを。
人間が栄えた理由は、温度の高い低いではなく、その「安定」にあるのではないでしょうか?この一万年、地球の平均気温は驚くほど安定しているのです。それ以前の氷期や間氷期では、10~100年間に5~6度も地球の平均気温が急激に変化していました。しかし、この一万年間、平均気温の変化は、最近の100年を除けば、0.5度以上の変化も無いのです。(松井孝典 編著 「宇宙で地球はたった一つの存在か」より)この気候の安定以前は作物を植えても来年に取れるかの保証はなく、故に狩猟や採集などの原始生活しか許されなかったけれども、この安定により、人類は毎年の作物収穫を保証され、文明を発達させる基礎ができ、人間が発達する基礎ができたのでは、と言う議論があります。
確かに、温暖化の議論に様々な権益がまじりあって実像が見えないのも事実ですが、いま、温暖化が学者の中でも騒がれるのは、この安定が崩れつつあるのかもしれないからでもあるのでは?と言うのが私の推論ですが、どうなのでしょうねえ・・・
ともあれ、生物は子孫を残すようにできています。ですから私としては、人間も、環境がいかに変化しようとしたとしても、人間にできる最大限の努力をして生きる道を探るのだと思います。恐竜やマンモスなどの滅んだ生物は、それらの最大限の努力が生存条件を満たすに足りなかったため絶滅し、人間やミミズやスズメや、現在生きる生物は、その努力が生存条件を満たすことができたからこそ生き延びているのだろうと思います。結局それはダーウィンの自然淘汰論となるわけですが、進化と言うのは絶滅のみから生まれるものではなく、現在の種が少しずつ環境に順応していく進化も、まあ目覚ましいものではないにしろ、進化には変わりないのだ、と考えます。
私たち人間は神ではありません。一介の生物です。ために私たちは、もし温暖化、あるいは異常気象と言っても良いですがそれが「事実ならば」、種としての生存を図るために種として無理にでもその変化を止める努力をする、あるいはその変化に順応する、あるいは放棄して新たな新天地、人間に最適な環境を作り出す努力をするべきなのでは?と私は思いますが、どうでしょう。

投稿: ある高校生 | 2008年1月 6日 (日) 19時40分

ある高校生さま、あけましておめでとうございます。
ことしも宜しくおねがいします。

さて、人間は死すべき存在でもあれば、死にたくないと思う存在でもあるようです。そのためにチエを絞って何とか少しでも生き延びようとしていますし、子孫を残して種の保存を試み続けています。
でも、生物進化の法則には「適者生存」というものがあるらしく、環境に適さないものは滅んでしまうそうです。
そこで、人間に合わせて環境をコントロールするのか、それとも今までの生物がしてきたように、突然変異でその新しい環境に適した種に変貌するのか。
とにかく、天敵のない種は絶滅するなんていう生物学者もいました。
このように、学者様のお説はいろいろです。
何がホントなのか、実のところ小生にも分かりません。

投稿: あらま | 2008年1月 6日 (日) 22時48分

天敵がいない?
ちょっとばかり聞き捨てならないと思いますよ?人間の天敵は、細菌、ウィルス、癌(悪性新生物)など、まだまだ存在しますよ?
天敵のいない生物は滅びるというのは賛成です。天敵がいなければ、EUもアメリカも中国も仲間割れで崩壊ですw

投稿: ある高校生 | 2008年1月 7日 (月) 19時18分

人間が神でないなら、人間に合わせた世界を望むのは間違っているのでは?
天然痘を撲滅し、クジラを救えという欺瞞に辟易します
どういう頭の構造をしているんでしょうね?

投稿: 佐為 | 2008年1月 7日 (月) 20時32分

ある高校生さま、「天敵」の範囲を、ウイルスとか癌にまで広げてしまうと、天敵の意味が薄れてしまうのでは ?
食物連鎖系で、人間を食べる種がいない・・・という意味でご理解を。
それにしてもよく勉強されていますね。

投稿: あらま | 2008年1月 8日 (火) 07時30分

佐為さまのご意見を伺っておりますと、老子の思想を思い出します。
現在は遺伝子操作などが当然のように利用されています。古代、人間が火を使う時点で、神の領域を侵しているといわれています。
人類はどこへ進んでいるのでしょうか ?

投稿: あらま | 2008年1月 8日 (火) 07時35分

食物連鎖、細菌やウィルスや癌が人間を食って増え、人間の機能を損なうことを病気と言うのでは?その細菌やウィルスや癌にとっては、これは食事以外の何なんですかね。その意味では食物連鎖は人間よりさらに上がある、と言うよりも、食物連鎖は食物連鎖環であると言うのが私の基本的な考えですが。
さい様、何故生物と神を二律背反に分けてしまうのでしょうか?生物は自らのできる範囲で生きられる道を探ります。人間が遺伝子改変、環境改変をできる、と言うのならば、それは、そこは神の領域でもあるが、人間、生物が操れる領域でもあると言うことの証明ではないでしょうか。第一、人間、つまり下界の生物ができないこと「でも」できる存在を、神と言うのでしょう。全知全能、と言ったのは、できないことがある人間に対して、神は何でもできる、と言ったわけですから、神の領域は人の領域、生物の領域を当然含むわけであり、逆に言えば、人や生物が行う行為のすべては神の領域にすっぽり覆われているとも言えるでしょう。結局環境改変だろうが遺伝子改変だろうが、人間ができることならばそれは神の領域でありかつ人間、生物の領域にあるものなのです。ならば生物たる人間は、それを用いて人間と言う種を存続させるのが道理でしょう。
天然痘を絶滅させ、クジラを擁護する、自分は絶滅させると言うことには反対です。何故かと言えば、絶滅するほど減らしてしまうと、人間の免疫が薄れ、逆に人間にとって害になるだろうと思うからです。しかし、人間社会にとって致命的な害にならない程度には減らす必要があると考えます。これは、生物が生物である以上、他の生物をどう利用するか、あるいは争って絶滅させてしまうかなどの判断をする権利は、生物相互が持っている言う前提を私が持っているからかもしれませんが。
つまりは私のすべての生物に対する姿勢は、生かさず殺さず、つきあいながら研究を続ける姿勢です。
クジラを擁護する考えは、ただ可哀そうと考えるだけの連中もいれば、あるいは、プランクトンの異常増殖=赤潮、青子などを防げるのではないかと期待する科学的な妄信者も居れば、そこに自らの存在価値を求めてしまった以上抜けられなくなった職業擁護者もいるでしょう。このクジラ、を、憲法、とか、慰安婦、とか、自民党、民主党、社民党、とかと入れ替えてみると、面白いことが起こるかもしれませんね。
先日の京大再生医療の成功により、脳みそさえあれば人間を1から作れると言う、それこそ夢の技術の扉を、人間は自ら開きました。遺伝子操作どころか、これから30年ほどで、他の生物を製造する技術も確立し、もしかしたら人間が一から生物(自らを含めた)を設計する時代が来るかもしれません。たとえそんな時代が来たとしても、人間は生物として、自分の英知が及ぶ範囲で、生きようとし続けるでしょうし、そのために周囲の環境に働きかけ続けようとするのは自明の理です。それが成功するか否かは、失敗する時までわかりません。何しろ、進化のレースは最後まで走り続ける者が勝者なのですから。だから、人間は自らに可能な限りを生き続ける、生きようと努力する以上の道はないのだと、今の私は考えています。
うっわ!なんだこの長さは!申し訳ありませんorz

投稿: ある高校生 | 2008年1月 9日 (水) 02時20分

ある高校生さま、コメントをありがとうございます。
人間が想像する神とは「全知全能」で、その神が創造する世界はバランスが取れているということになっているようです。
人間が、新しい技術で開拓したものは‘出来る’ことかもしれませんが、自然のバランスを保つものとは限りません。
このように、未知への領域に入ることを、神の領域に侵入すると言うようです。
‘出来る’から、何をやっても良いと言うことではないようですよ。

投稿: あらま | 2008年1月 9日 (水) 07時19分

もちろん、それをやるかどうか、についての判断と、できると言うことは違います。それをやるか否かは別にして、人ができることならば、そこは神だけの領域ではない、と言いたいわけです。人は常に、その、やってもいいのかと言う判断をするための調査と研究をし、現在の技術を築いてきたのでしょう?このサイクルは、火や鉄の使用から船、電気、宇宙開発、はたまた生命創造まで、過去採用された技術だろうが未来の技術だろうが、採用過程は同じでしょう。何でもかんでも新しいものが大好きで、出てきたら何でもいいから飛びつく、なんて言うのは唯のアホの所業です。ただ、最近の人類社会の一番の基本は生存権の保障です。未知の技術であると言っても、人間が生きるために必要であるのならば、大多数の人間はできることはやると思いますよ。やらずに後悔するよりやって後悔した方がなんぼかましでしょう。

投稿: ある高校生 | 2008年1月 9日 (水) 11時33分

ある高校生さま、重ねてコメントをありがとうございます。
非常に若者らしいコメントを戴き、嬉しく思います。
そうしたチャレンジ精神というのは必要ですよね。
しかし、どんなに周到に準備しても、それによって環境が変わり種が完全に滅んでしまったり、あるいは遺伝子が変わり生命体系が変化することもあります。
それによって人類の生存が脅かされる恐れもあります。
そうなったときに、果たしてそれでよかったのか・・・と、思うことがあります。
結果論といえばそれまでですが、神に対する畏怖の念が、勇み足を食い止めることにもなるのではないでしょうか ?
逆に、臆病になったという観方もあるでしょう。
いずれにしても開拓精神で進むにせよ、敬虔な姿勢は必要だと思います。
もちろん、ある高校生さまの文章からは、謙虚とか敬虔な気持ちは伝わっていますよ。

P.S.
昨夜、ホテルでNHK-BS-2の映画番組を観ました。
ある難病の子を持つ親の奮闘を描いたもので題名を『ロレンツォのオイル 命の詩(うた) 』といいます。
子供のためなら何でもする親を描いただけでなく、一縷の可能性に挑戦する人間の素晴らしさも描いておりました。
一生懸命な親、そして慎重な態度をとる医師。
ある高校生さまが投げかけたご意見とリンクしているような気がします。
機会がありましたら、是非、ご覧ください。

投稿: あらま | 2008年1月 9日 (水) 12時36分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/131161/17582409

この記事へのトラックバック一覧です: 一万年前の地球温暖化:

» 変える時はエアコンを切りましょう [踊れ!鬱病サラリーマン]
出社したらエアコンが入っていて、事務所はポカポカ暖かかった。俺が1番なのに???またAさんの消し忘れだよ。(の´ⅴ`の)プー事務所の温暖化は結構ですが、地球温暖化は困ります。環境問題がクローズアップされている時に、とんでもないことです。(の´ⅴ`の)プー午後からI君の納品を手伝いました。プロジェクターとスクリーンの納品とセットアップ。ちょちょいのちょいダヨ~ン。ヽ(・。・;)ノ会社に帰ったらAさんがオフィスコンピュータと大型プリンタを受注したと嬉しそうだった。受注に免じて...... [続きを読む]

受信: 2008年1月17日 (木) 21時47分

« 仕事始め | トップページ | 崩れゆく富士山 -2 »