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風船爆弾

日本の最終兵器

現在、ディズニーランドは、クリスマス一色なんだそうですね。そのディズニーランドの上空を見ますと、必ず、一個か二個のミッキーーの形をした風船が漂っています。恐らく、子供の手から放れてしまったのでしょう。

そんな風船の性質を利用して作った兵器が「風船爆弾」。戦争の末期、物資がほとんど無くなった日本の最終兵器でありました。Save0009_2

油紙をコンニャクイモの糊で貼り合せた粗末なものでしたが、9,000個のうち約一割が太平洋を渡って届いたというのですから驚きです。

その模型が、静岡市内の平和資料センター (無料) に展示してあります。この兵器は、最終秘密兵器ということで、心臓部の部品がナゾのままだったのです。

ところが、本日の静岡新聞夕刊を見ますと、その部品の記事が載っておりました。

その記事によりますと、風船爆弾の「高度保持装置」を捜していた横浜市在住の元教諭が、静岡県の沼津市の男性から 2000年の 11月に譲り受けたのだそうです。

その男性の話によると、この装置は陸軍第九技術研究所 (通称・登呂研究所) で開発され東京工業専門学校 (現千葉大工学部) や 川崎市の東芝工場で製造されていたそうです。

横浜の元教諭は、27日に東京・上野の国立科学博物館に寄贈するのだそうです。

図は、静岡新聞から切り抜いたものですが、風船というよりも気球クラスの大きさですね。

この兵器を日本が空に放ったということは、機雷とか地雷の類を仕掛けたと同義です。この兵器によって、アメリカの子供たちが犠牲になったとアメリカは報じました。結局、日本はあの戦争で、最初のハワイの闇討ちから始まり、最後の風船爆弾に至るまで、まったく卑怯であったと、アメリカは世界に発信したのでした。

負ければ賊軍。何もかもが悪になってしまうのです。

これを見ると、最後まで抗戦した私たち日本の先人が偲ばれます。と同時に、負け戦の象徴であるこんな兵器を二度と日本が作らないように、現代に生きる私たちは努めなければならないと思います。

クリスマスだというのに、またしても堅い話になってしまいました。

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話題」カテゴリの記事

コメント

お邪魔します。
興味深いですね。風船爆弾というと日本軍のマヌケな行いの象徴のように扱われていますが,結構精巧なものですね。初めて知りました。
高度保持装置というのは高度計と連動してガスを出し入れするのでしょうか。
気球爆破用火薬があるということは,アメリカ本土上で墜落させるのでしょうが,これは単にタイマーで制御したのでしょうか。
博物館に行く機会があればぜひ見てみたいです。アメリカの博物館で破片とかを見ましたが,構造の説明はありませんでした。
一割も到達したのであれば,無差別攻撃の非難は受けるべきでしょうが,「マヌケ」呼ばわりは当たらないですね。

投稿: WontBeLong | 2007年12月26日 (水) 00時00分

あまりにも原始的な・・・でもアメリカまで届いたなんてすごい・・・。
こんなにも兵器の格が違う相手と必死で戦っていたなんて。
辛過ぎますね。

投稿: まさゆまま | 2007年12月26日 (水) 01時37分

あらまさんの仰るように「負ければ賊軍」です。
大東亜戦争に関しては山ほど言いたい事があるのですが、
負け犬の遠吠えみたいに言われるのも癪ですね。

>アメリカの子供たちが犠牲になったとアメリカは報じました。

ならば戦争後半の無差別じゅうたん爆撃はなんだと言いたいですね。
それにじゅうたん爆撃を開始したカーチス・ルメイ将軍は
戦後日本から航空自衛隊の設立・育成に多大なる貢献をしたとして勲章まで貰ってますからね。

長くなりそうなのでこの辺で。

投稿: jinmu | 2007年12月26日 (水) 06時59分

WontBeLong さま、コメントをありがとうございます。
クリスマスには似つかわしくない話題で恐縮す。
以前、ハングル文字の発信機のついた巨大ビニール風船が、静岡にも落下しました。
朝鮮からの‘風船爆弾’なんて揶揄していました。
落下地点を日本の地元の新聞が報ずることで、朝鮮は落下地点を確認することが出来るということで、新聞各社はその報道することを止めました。
あの風船の中に、細菌兵器でも入れれば、立派な無差別攻撃の手段になりますから。

投稿: あらま | 2007年12月26日 (水) 07時03分

まさゆまま さま、コンニャクまでもが兵器に使われたなんて、ほんとうに辛すぎますね。
子供たちに戦禍の無い日本を伝えたいものです。

投稿: あらま | 2007年12月26日 (水) 07時05分

jinmu さま、ハルノートから ABCD包囲網といい、日本は‘はめられた’という印象の開戦でした。
そして最後は原爆投下。
そのなかでも、我々日本人は、よく戦いました。
戦争は、仕掛けるほうも必ず「自衛のための」戦争というものです。
あの北朝鮮でさえも、自衛のために仕方なしに戦っていると報じでいます。
戦争については、語り始めると止まりませんが、折りを見ては、話題にしたいと思います。

投稿: あらま | 2007年12月26日 (水) 07時24分

wont belong様へ。高度保持装置は、高度が8000mを切ると、バラスト(砂袋)を投下し、気球を軽くして再び浮き上がらせる装置です。これにより、気球は高度8000~11000m付近を漂いつつ、偏西風に乗って太平洋を渡ります。その偏西風の速さから、約55時間後に米本土に到達すると考えられていたため、その前後にタイマーを合わせて、まず高高度から爆弾と焼夷弾を投下、後に本体を爆破して、証拠が残らないようにする、と言うのが当初の計画ですね。アメリカで、何もいないのに爆弾が降ってくると恐慌が起こることを狙ったのでしょう。
失礼ですが
まさゆまま様、風船爆弾だけを見て、当時の日本の技術がどうこうと言うのは的外れかと。
風船爆弾を米本土へ送ることができたのは、日本上空をちょうど偏西風が横切ると言う事実に基づいているからです。これには、正確な気象学が必要なのはお分かりですね?ちなみに、この偏西風発見は1926年日本の学者によってなされ、米国はこの存在を終戦まで知らず、成層圏を飛ぶB29が太平洋に押し戻される理由がわからず、仕方なく低高度で日本近海まで飛ぶようにしていたそうですよ。
開戦当時、日本は世界最大の戦艦及び最大級の空母、最強の航空機と通信装置を備えていました。当時は船と言えば最新技術(光学、弾道学、材料学、測量学、熱機関、電気通信などなど)の固まりで、現在では宇宙工学やバイオテクノロジーに当たる分野ですが、そこにおいて日本はリーダーシップを誇っていたのです。しかし電子工作技術や鋼材技術で劣っていたため、最終的に技術開発が遅れ、B29の無差別爆撃や潜水艦による輸送船攻撃による資源の枯渇で最後はジリ貧でしたが、終戦直前でも光学技術では世界一を保っていましたし、戦闘機「紫電改」に搭載された空戦フラップやエンジン「誉」などは、連合軍の追随を許さない性能を誇りました。
原子爆弾も、日本でも開発がすすめられ、20年の時間とウラニウムの鉱石があれば製作できる状態になっていました。米国の原爆製造装備も同じようなものでしたが、米国は20年かかる装置を20個作って動かす物量作戦に出て、強引に完成させたのです。これは工業力と資源力の勝利とは言え、技術力の勝利とは言えないでしょう。
最後に、風船爆弾が搭載した爆弾は、250キロ爆弾一つと30キロ焼夷弾四つ。その目的は、森林地帯や耕作地帯に落ちて火災を発生させ、国力の漸減を狙おうとしたものであり、米国がやったようなあからさまな人員殺傷のための無差別じゅうたん爆撃とは、全く、意図するところも成功した場合の害の種類も違えるものだ、と言う事だけ付け加えておきましょう。
とりあえず、先入観を持って憐れんだり、蔑んだり、興奮したり、叫んだり、その先入観のもとで反省してみたりすることからは何も生まれません。内容は違えども、先入観によって引き起こされた様々で悲惨な歴史を繰り返すだけでしょう。そうではなく、できる限り厳密な議論をし、感情論に走らない冷静な分析こそ今に求められるものなのでは、と思いますがねえ・・・なかなか難しいですなぁ全く。

投稿: ある高校生 | 2007年12月27日 (木) 04時12分

ある高校生様、詳細なご説明などをありがとうございました。
貴兄の文章を読みますと、大学生よりキチンとした文章に驚きます。
先日、九州の小学生が放った風船の手紙が、静岡に届き、それから新たな交流が始まったと報じられました。
風の便りに、ある高校生様の‘吉報’が届きますように、心からお祈りしております。

投稿: あらま | 2007年12月27日 (木) 07時52分

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