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迫る、裁判員制度

裁くことの罪悪感

小生は静岡県に住んでいて、『静岡新聞』を購読しています。以前は、全国紙を購読していましたが、地方紙のほうが情報が細かいのですね。特に「市民スポーツ」欄は、自分や子供たち、あるいは知り合いのチーム・個人の成績が掲載されているので、絶対に必要な情報源です。

最初に小生は、三面記事から目を通すのですが、今朝は二面に「裁判員司法・参加への不安 - 1 」という連載が始まっていて、それに目が止まりました。

裁判員制度については、静岡新聞は幾度もシリーズで取り上げてきました。前回のシリーズでは裁判員制度の成立ちが詳細に記されていて、その司法制度改革は、国民の側からも、司法界、経済界、政界からも、各方面から強い要請があったことがよく分かりました。

そして、世界各国が導入しているように、日本の司法にも国民が参加する制度が必要であることがわかります。しかし、実際に制度が迫るに従い、反対意見が強くなってきました。

反対の主な理由は、憲法違反だとか、自分の人生に悪影響が及ぶ不安が挙げられますが、いちばん多いのは「裁くことの罪悪感」が現実になってきたことです。

この新聞でも取り上げていますが、裁判員制度での模擬裁判を体験した人は皆、「あの判断でよかったのだろうか・・・」と、いつまでも引きずってしまうようです。

しかし、こうした不安は、日本だけではなく、世界各国で抱えています。

これは、兵役における相手国の兵士の殺害行為に対する不安とも共通する部分があると思います。

今の日本は、徴兵制度がありません。しかし、募兵制度は自衛隊という形で残っております。そこで、日本の自衛隊は平和憲法の下、こちらから戦争を仕掛けることはないと思いますが、相手国が攻めてきた場合、本土決戦のための武器使用は認められているようです。つまり、この場合の殺人行為は認めているのですね。

そこで、殺しあうことなんて、ほとんどの人はイヤだと思っているはずです。(このところ例外が増えていますが・・・)  しかし、国防のためには仕方ないことです。

裁判員制度も同様で、人を裁くことなんて、イヤです。しかし、現実的には、裁判でなくても、人生を重ねれば、知らず知らずのうちに人を裁いています。会社の採用にしても然りです。チームの選考も然りです。家庭内でも、会社でも、常に善悪の判断の連続です。

ですから、涙を呑んで切り捨てることも、それによって責任を負うことも、国民の義務ではないでしょうか ?

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コメント

お邪魔します。
私が裁判員制度導入に反対なのは,自分が人を裁くことがイヤだからではありません。国が裁くことをイヤがって国民に押しつけようとしているように思われるからです。
裁判への市民参加は,導入している欧米の歴史から見ても(少しかじっただけですが),本来,義務としてではなく,権力者の好きにさせないための権利として行われるべきものだと思います。
わが国の歴史の流れの中で,今,裁判員制度を導入することは,我々一般市民にとってプラスになることとは思えないのですが。

投稿: WontBeLong | 2007年12月13日 (木) 00時35分

いろんな裁判の報道をみると、
早く裁判員制度始まればいいのに!私行きたい!と思うこともありますが。
女性・・いえ私は、情に流されやすいので全然ふさわしくない・・とまた思いかえします。
きちんと冷静に判断できる人が選ばれればいいですが。無作為に選ばれるのは不安ですし、かといって、限られた人というわけにはいかないでしょう・・・・・・。

投稿: まさゆまま | 2007年12月13日 (木) 01時00分

WontBeLong さま、コメントをありがとうございました。
さて、国が裁判で国民を裁くのを嫌がっているということは全くないと思います。法曹界は、それがお仕事ですから。
国民の司法参加は、労働と同様に、国民の義務でもあり権利でもあるのでしょう。
「法曹界の常識は世間の非常識」とは、法曹界が言っています。
長期裁判、不可解な判決、他の権力との癒着などの問題を解決するためにも、司法の国民参加は必要だと思います。

投稿: あらま | 2007年12月13日 (木) 01時32分

まさゆまま さま、コメントをありがとうございます。
自分だったら、そんな判決は下さない ! ・・・と、思うことがよくありますね。

投稿: あらま | 2007年12月13日 (木) 01時36分

在米35年今だグリーン カード(永住権)保持者ですがこの一二年陪審員義務の召喚状が来ます。 もちろん資格はありません。 でも来ます。 主人は米国人。毎年招聘状が来ますが一度も陪審員に選ばれたことがありません。審査で落ちます。保守の思想を持っているからです。米国では保守的な思想の人は外されます。裁判の内容によっては検事側、弁護士側と心理学者といろいろな人が審査をして、大きな事件の裁判では、陪審員12名にどのような人が選ばれたかで判決が予測できるとか。
陪審員に選ばれたくない人たちは、裁判所に専門書を持ち込んで読むふりをするとか、(インテリは選ばれないといわれています)自分は死刑賛成と大声で唱えると帰宅を進められるとかいろいろ冗談が言われています。  

投稿: 一滴 | 2007年12月13日 (木) 07時14分

一滴さま、コメントをありがとうございます。
米国の陪審員制度では、陪審員を選ぶための‘審査’があるのですね。しかも、免れる階層もあるということですか。
ところで、ちょうど今朝の新聞に、「裁判員候補者名簿と調査票」と題してそれを解説しておりました。以下、引用してみます。

裁判員裁判を実施する地裁本庁 50箇所は、管内の市町村選挙管理委員会が選挙人名簿から無作為に選んだ人をまとめ、毎年 12月に次の年の「裁判員候補者名簿」を作成。候補者には名簿に登録されたことを通知し「調査票」を送付する。調査票では、「就職禁止事由」に該当するか、「辞退事由」があるかを答える。

こんな具合になるようです。しかし、かつての日本も兵役が免れた人がいたように、裁判員を免れる人が出てくることは容易に予想が出来ますね。

投稿: あらま | 2007年12月13日 (木) 08時50分

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