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寺総代

有償ボランティア

旧盆の夏休みには、田舎の墓参りに赴く人も多いでしょう。

ところで、拙宅の菩提寺は、集会所と兼ねている施設です。

きょうは、その集会所の建設のいきさつについて記してみたいと思います。

さて、40年前に、それまでの菩提寺の方丈さんが急逝したことがありました。方丈さんには跡目がいなかったので、菩提寺はそのまま廃寺になってしまい、困った檀家は近所の親寺に菩提寺になってもらうように要請したことがあります。

ところが、そのときの廃寺が、新駅の建設に伴う区画整理で潰されることになり、あわせてバラバラに点在していたお墓を集積・整理することになったのです。

そこで、新たな菩提寺は、こうした事情を察したのか、区画整理事業が完成した後なら菩提寺になると言ったのです。

しかし、それでは、当面の法事には、お和尚さんがいなければ困ってしまいますので、こうした整理事業は、檀家が責任を持って遂行するという約束で、和尚さんは区画整理が完成するまでは、法事の取り計らいだけをしてもらうという約束をしたわけです。

ところが、そうした約束を寺総代が取り付けたものの、いざ、区画整理事業となると、いろいろな問題が噴出して、その後、およそ 10年の歳月と、地道な活動が必要になつたのでした。

まず最初にお金の問題でした。墓の移転、整備には、大変なお金がかかります。区画整理事業組合からは、墓の移転や整理にかかる費用までは出ません。

そこで、檀家が土地を持ち寄り、区画整理事業にそれを提供して、その余剰地を墓の移転先に充てようとしたのでした。

ところが、新しい駅ができるということで、地価の高騰を予測して、土地の捻出を拒む人が現れるなど、区画整理事業が進まないで、結局、有志がよりたくさんの土地を提供することになったのでした。

当時の寺総代は、小生の祖父がそれに当たっていましたが、最近、小生が寺総代の役員を引き受けたとき、残っていた帳簿で、小生の祖父が、この区画整理事業に多大な犠牲を払っていたことがわかったのです。

たとえば、昔は、何かの相談事があつた場合、役員の家に集まって、いろいろな取り決めを決めたものでした。

しかし、集会の回数が重なると、その家ばかりに負担がかかるので、寄り合い所を建てようと、祖父は提案したそうです。

ところが、寄り合い所を建てることは、皆、賛成するのですが、具体的な話になると、犠牲を拒ぶ者が現れるのですネ。

祖父は、そうした事業を拒む家に、何回も説得に訪れ、ようやく全戸の賛同を得たわけです。そのために祖父は、過分な贈与を示したわけです。

墓地の移転が決まると、その区画整理事業は、あっという間に進展して、新駅の周辺道路は整備され、美しい町並みが生まれました。

新駅の竣工式には、祖父をはじめとした三世代が、この地方の代表として渡り初めの栄誉に浴しました。

こうして、新たな集会所には、祭壇を設けて、法事が執り行えるような施設にしました。しかも、新しくできた駅の一等地に、その集会所と墓地が整備されたのですから、遠方からの墓参りなどには非常に便利な立地条件です。

そうして、奇しくも、その集会所での葬儀の第一番目は、その祖父の葬儀でした。つまり、区画整理事業を見届けるような形で祖父は 90年の命を閉じたのでした。

その後も、自宅で法事ができない人は、その集会所を利用することができるようになりました。

また、いろいろな集会の際に、自分の家の墓の手入れもできるので、墓地はいつも綺麗に保たれています。

最近は、法事には専門の業者がすべてを賄ってくれるようになりましたので、この集会所で法事を行うことは無くなりましたが、その集会所の奥の扉を開くと、立派な仏像が現れます。

こうした集会所と墓地の両方の機能をもった形式の「老人憩いの家」が、各地に増えました。

そういうわけで、本日は、小生のじいちゃんは、偉かったという・・・自慢話でした。

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