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もうひとつの河野談話

「過ち」について・・・

一昨年の今頃の国会は、郵政民営化でゆれていました。

そんななか、2005年 7月 26日、広島の平和記念公園の碑文のなかの「過ち」が破壊されるという事件がおきました。

それを受けて、翌月の 8月 6日の平和祈念の式典に、衆院議長である河野洋平氏が挨拶の中で、そのことに触れていました。

これは、「談話」というよりも「挨拶」のなかの言葉ですが、これが政府の公式見解だと見る向きが多い。

(どうも河野さんという人は、その発言で責任を一人で背負い込んでしまう人のようです)

その全文を以下に引用してみましょう。

 昭和20年8月6日、ここ広島は原爆の投下を受け、人類史上最初の核戦争の現場となりました。その巨大な破壊力により一瞬にして命を奪われた多くの方々、あるいは原爆による放射線の影響に長く苦しみ亡くなっていった方々、また今もその影響に苦しむ方々をはじめ関係者の皆様に改めて心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

 あれから60年、一つの区切りとなる刻を迎え、私は今、2つのことを肝に銘じなければならないと考えております。ここ平和祈念公園の慰霊碑には、「やすらかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。この「過ち」とは何でしょう。
 ひとつはわが国が、日本が明治維新以後60年前の原爆投下の日まで、アジアの中で進路を誤り、戦争への道を歩んだことであると思います。欧米列強から独立を守るため、明治維新で近代化を成し遂げたわが国には、アジア諸国が独立と民主主義を求めるたたかいに連帯するというもうひとつの選択肢があったにもかかわらず、実際に歩んだのは日清・日露戦争後に韓国の独立を奪い、中国に軍事介入し、自らの支配を押しつけようとする欧米列強と同じ帝国主義の道でした。わが国にもアジア諸国の独立運動に連帯し、支援を惜しまない人々があったことも事実でありますが、日本が国家として選んだのは別の道であり、その道を国際社会を敵に回して歩んだ帰結のひとつが原爆の投下だったのです。

 私たちが繰り返してはいけないもうひとつの過ちは、人類がいかなる理由があるにせよ核兵器という巨大な破壊力をもつ非人道的な兵器を、同じ人類に対して使用したという事実です。「人類と核兵器は共存できない」。広島で起こったあまりに悲惨な現実を知るとき、私たち日本人にはこのことを世界に訴える使命があることがわかります。アメリカをはじめとする核保有国は、核拡散防止の枠組みを強化するためにも、包括的核実験禁止条約の批准など、核軍縮に取り組む国際的な約束を、政権がかわったからといって反故にすることなく真摯に守らなければなりません。

 核兵器を持たない国々は、自国の平和利用の権利ばかりを言い立てるのではなく、IAEAの査察強化など、拡散防止に役立つ措置の導入にもっと前向きにならなければなりません。わが国はまずそのような核不拡散体制の強化に尽力し、将来の核兵器廃絶に向けての足場をしっかり固める努力に全力を傾注していかなければならないと考えます。

 衆議院は去る2日、終戦・被爆60周年にあたり、核兵器廃絶とあらゆる戦争の回避を求める決議を行いました。今日ここに原爆投下60周年を迎え、犠牲者の方々のご冥福を改めてお祈りしますとともに、戦後広島をこのように復興した市民の皆様に心から敬意を表します。

 最後に戦後民主主義非核平和の道を歩み、国際社会に誇れる民主的で豊かな国家の再建を成し遂げたわが国が、これからも民主主義・独立・平和を求める世界の人々と連帯し、核兵器の脅威のない平和な世界の実現に向けて努力して参りますことを戦没者の御霊の前にお誓いし、私のごあいさつとさせていただきます。

平成17年8月6日  衆議院議長 河野 洋平

つまり、河野洋平衆院議長は、「過ち」とは日本が戦争への道を歩んだことと、人類の核兵器使用を意味すると指摘しました。

かねてから問題になっている碑文の主語は「日本であり、人類でもある」という解釈になると思います。

つまり、この慰霊碑の前で祈る人の思いによって、その判断を任せるということなのでしょう。

この慰霊碑の文は、当時の広島市長・浜井信三氏が述べた「この碑の前にぬかずく一人一人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ一つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」を表現したものといわれています。

したがって、一応、河野議長の挨拶で、碑文問題は収まったようです。

しかし、今までの広島平和公園の事件を列挙しますと・・・

  • 2001年 原爆死没者慰霊碑が落書きされ、さらに赤ペンキがかけられる。
  • 2003年 折り鶴放火事件 公園内の折り鶴が放火される。14万羽が焼失。
  • 2005年 原爆慰霊碑破損事件。思想的な背景はないものと判決された。
  • そんなわけで、奇数年が危ない。

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