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皇族に人権を !

皇室の歴史

まず、小生が子供のころは、日常会話でも、皇室に関することを口にするなんて、めったにあるものではありませんでした。ましてや、皇室を論ずるなんて、恐れ多いという感覚でした。そんなわけで、最初にこのブログで皇位継承を取り上げたときは、ほんとうに書いてよいものなのか躊躇したほどでした。しかし、ここまで皇室に関する記事がネット上に氾濫していますと、そのままではいられないという思いに駆られて自分の思いを書き綴りました。

すると、思わぬ反響があり、いつの間にやらミイラ取りになっておりました。しかし、意見を公開した以上は、説明責任がありますので、加熱しないように注意していきたいと思います。

さて、小生のブログは、マイナーです。ご訪問してくださる人は、ホントに少ない。最近、記事を連続して書くようになったので、ようやく以前の訪問者数に戻った感じがします。

その中で、皇室関係の記事に目を通してくださる方が多いですね。

小生は、皇位継承については「女系容認」。しかも、日本皇室は万世一系ではないことはわかっていながら、万世一系として敬愛しているという、外国人から見たらヘンな信仰心を持っております。

つまり、アバタもエクボ。色眼鏡で、皇室を見ていますので、理論的な論戦は、小生とやっても無駄であります。

とにかく、無条件で皇室を敬愛しているのは、代々から受け継がれた家の伝統で、父親から「皇室を敬愛せよ。」なんて、言われたことは一度もありません。

ところで、小生は、フツーの平民でありますので、皇族の方とお会いしたことなんてありません。

もし、会ったとしたら、皇居の清掃奉仕のときに、昭和天皇からお声がけをしていただいたぐらいです。そのとき、陛下のお召し物が、素材は高級でありましょうが、非常に質素で、大切にお使いになっていることがよくわかりました。

それ以外は、昭和天皇とは、小生が学生時代のときに、東京駅でバッタリ会ったこと。こんなに警備が手薄で、大丈夫なのかと心配になりました。

また、今上天皇とは、「海つくり大会」のときに、ご案内をさせていただいたとき。(ご案内といっても、言葉を交わしたわけではありません。) そのときの防災センターでの昼食は、なんと「お弁当」。非常に質素なものであったことが印象的でした。

また、皇太子殿下は、小旗を振って、お見送りしたことが数回程度。

園遊会によばれたことも、表彰してもらったこともない・・・

しかし、理由もなく、ただ敬愛している。それだけです。

よく、「献上品」なんてものがあります。

小生の地域でも、皇室に「お茶」「みかん」「鰹節」などを献上しています。

その際は、白装束で、身を清めてから、作業に取り掛かります。

「献上品」は、だれもが出来るわけでなく、その業界で、当番制です。

皇室に頂いてもらうことは、その職業に就いたものにとっては、無上の喜びです。

小生は、恐れながら、その作業に参加したこともあります。

いずれにしても、清掃奉仕にしても、献上品にしても、誰もが出来るものではないのですね。

また、陛下のお名前、直筆の賞状を頂くなんて、小生の親戚一族には一人もいません。

ただ、小生の上司が黄綬褒章をもらったときは、祝賀パーティーを盛大にやったものでした。

そういうわけで、皇室に係わりがあるということは、日本国民としては非常に栄誉なことであります。

そんな小生でありますから、今の皇室が国民からバッシングを受けている情報を目にすると悲しくなりますね。

少し、調べてみたのですが、歴代皇族には、「人権」がなかったのですね。特に、今の皇族は「身分」の保障もないのです。

昔は皇族は、源氏物語のように色恋沙汰で明け暮れていたわけではないのですよ。天皇の血が体の中に流れているという理由だけで、殺されたり、流されたり・・・。日常の生活は、とにかく民の安寧を願うための祭祀ではじまり、祭祀で終わる。年中行事も同様です。五穀豊穣を願うのが、皇室のお仕事であります。

なかには、かわった女性の暴君もおられたようですが、それでも最後はご自分から反省されたそうです。

江戸時代の皇室については「皇室野史」という本を読んで、驚いてしまいましたよ。本当に御苦難であります。

そして、明治に入って、ようやく「立憲君主制」。憲法に縛られて、単なる認証機関であることには変わりありませんでした。

そして、ようやく「人間宣言」。人権は国民だけに保障され、皇族は義務だけを負うことになったままです。

しかも、国民でもないのに、皇族は、相続税など各種税金は払っているといいます。

また、国民の中には、「皇族は国民の税金で養われている・・・」と、思っている人が結構多いのですね。

それは、戦後民主主義教育の弊害です。

確かに見方によっては、そうも取れましょう。しかし、制度上已むを得ないのですね。

皇室の歴史を少しでも調べてみると、そうした考え方が根本的に間違っていることがわかります。

つまり、平等思想、個人主義でしかこの世の中を見ると、伝統とか国家成立の原理がわからないのですね。

そんな人たちと、論戦すると、疲れるだけです。

国家の成立と維持のために、どれだけ皇室の存在に意味があったのか。

また「大義名分」という言葉が、「体制」となり、それが流れ出すことが日本の歴史でも繰り返されました。

このように、天皇の世紀は、波乱万丈です。

しかし一方、国家の成立のために、犠牲を払われてきたのも、日本の歴代天皇であります。

そうした天皇の歴史も知らない人に、「国の恩」なんて、言っても、わかりませんものね。

国家が成立している意味を考えれば、世界が、なぜ日本の天皇を「国家元首」として認めているのかがわかります。

追々、そのことについてはご説明したいと思います。

とにかく、国民のような病気療養が出来るような人権を、皇族も持つべきだと思います。

ご自分のお体の診療でさえ、自由ではないことは、最近ようやく知られるようになりました。

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