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私は貝になりたい

鮮烈な記憶

小生はテレビの黎明期と一緒に育ちました。

Photo_24 鉄腕アトム」、「ちろりん村」、「四つの目」が懐かしい。 そんな子供が「私は貝になりたい」というテレビドラマを鮮明に覚えています。

フランキー堺が主演する、戦犯の不条理を描いたものですね。その番組を思い出したのです。

なぜ、突然、そんなことを思い出したのか。

ひとつは、“伊勢湾台風”の記事を書いたとき、あわせて思い出したこと。

しかし、それよりも、先の大戦の戦犯処理に、どう向き合えばよいのか、わからなくなったのです。

その前に、小生が訪問するホームページのひとつに「日本人よ誇りをもて」というサイトがあります。

このホームページも、小生のブログと同様に、キッズgooの網に掛かっておるようで、正真正銘の優良サイトです。

そのサイトに、時々投稿させていただいておりますが、今、東京裁判の不条理について考えております。

当時の日本は、戦争に負けたので、東京裁判を受け入れざるを得ない状況でした。

ところが戦後、60年が過ぎ、あの東京裁判を見直す動きがあります。

小生は、過去の歴史については「温故知新」。史実を受け入れるのが絶対条件だと思います。

ところが、戦争の遺族、その中で、戦犯の遺族の思いには、特別なものがあることを最近知りました。

そして、その矛盾を解く機会が、今も残されていることも、知ったわけです。

これは、ある意味、拉致問題と共通する概念があるように思えてきたのです。

確かに、世の中には、済まされることと、済まされないこととがあります。 しかし、許す心がないと、次に移れないことも事実だと思います。

また、前回も書いたように、いたずらに過去を問題化することは、国益を損ねる場合があると思います。

しかし、この戦犯問題は、援護法があるとはいえ、金銭だけでは済まされない、心の問題が今でも日本人の中にあると思います。

こうしてみますと、戦争とは、人の命を奪いますが、同時に、人の判断力、理性をも奪うものだと痛感します。

だからこそ、平穏なときに、シッカリとした考え方を持たなければならないと思います。

小生の結論として、残されたものの使命として、「貝になること」ではないと思います。

ただ、その際、“利用”されてはいけないと思うのです。

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コメント

毎度でございます。
うーーーん、コメントが難しい。
東京裁判を受け入れるとはどういうことか?という出発点において、考え、解釈が多様であり、またいかに自分の論に有利に持って行こうかという下心が私を含めてみなが持っていると思います。
ということでノウコメント

投稿: 佐為 | 2006年9月19日 (火) 22時31分

佐為さま、まいどありがとうございます。
平沼赳夫議員の遺族としての意見を、テレビから知りました。
最初は、「なに言ってんだ・・・」と、思いましたが、仮に自分に反映した場合、恐らく自分もそう思うかもしれないとも思えたのです。
難しいですね。

投稿: あらま | 2006年9月20日 (水) 07時38分

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