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ヒロシマ

否めない‘風化’

小生が子供の頃は、今日の8時15分には、村じゅうにサイレンが鳴り渡り、バスも電車も止まって、黙祷を捧げたものでした。

もちろん、甲子園でも、選手も審判も観客も、1分間の黙祷を捧げます。

新聞紙面は、第1面から「ヒロシマ」。

ところが、今朝の紙面では、「ヒロシマ」を捜すのが大変でした。

核戦争の場合、勝者のない戦争が予想されます。しかも、たとえ生き延びても、放射能汚染で、代々にわたる障害が予想されます。つまり、終りのない戦争になってしまう恐れがあるのですね。

つまり、核戦争は、平和実現の手段にはなり得ないのです。

そうしたことを、唯一の被曝国として、世界に訴える意義は大きいと思います。

その訴えが、少なからず実際の核抑止になっています。【参考、キューバ危機】

核抑止としての核装備。そして、核不拡散。核保有列強の傲慢が続く以上、日本はずーとアメリカのポチなのであろうか。そんな自虐的な考え方では、いつまでたっても、日本は真の独立・自由国家にはなり得ない。

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コメント

確かに!
私も気になって新聞を眺め回したが、ヒロシマを大きく扱っている新聞はない。
時代だなあということでしょうか?
私の作品です。
http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/hirosima.gif

投稿: 佐為 | 2006年8月 6日 (日) 20時24分

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