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シベリア抑留に新事実

5268人が北朝鮮に残留

ロシア、公文書館で資料発見

傷病者、ほとんど死亡か

【モスクワ 26日時事】 第2次世界大戦後の旧ソ連による日本軍将兵のシベリア抑留で、ソ連領連行後、病気などを理由に朝鮮半島北部に移送された日本人のうち 5268人が北朝鮮領内にそのまま残留したとみられることが、ロシア国防省中央公文書館に保管されている機密資料で明らかになった。シベリア抑留者のうち北朝鮮移送者の実態はこれまで謎だった。
ロシア政府は昨年、1946年5-7月にソ連から朝鮮北部に送られた日本人 27671人 の名簿を厚生労働省に提供。死亡者名簿や帰還者リストは見つかっていなかったが、このうち 22403人 が日本に送還されたことが沿海地方軍管区や内務省の資料で判明した。
沿海地方管区のフォミン捕虜送還部長は 47年6月23日付文書で、「46年11月から47年4月にかけて、旧日本軍将校400人、下級将校・兵士 22003人を朝鮮北部から日本に送還した」とし、北朝鮮からの民間人を含めた送還作業を終了を報告した。
残留した 5268人の多くは傷病者で、病気などで死亡したとみられてる。北朝鮮移送者は沿岸地方サハリン地区のポシェットから元山に送られ、元山の第四、第五収容所に収容されていた。
ソ連の独裁者スターリンは46年4月、シベリア抑留者のうち、「労働力」とみなされない抑留者を日本に帰還させるとの内務省の提案を承認。三万人以上が北朝鮮移送のためポシェットに送られたが、ポシェット到着までに 2700人が死亡したといわれる。厚生労働省は抑留死亡者総数を五万五千人としている。
【参考資料】
-抑留者の北朝鮮移送-
1945年8月の対日参戦で旧満州や朝鮮半島北部を制圧したソ連軍は関東軍将兵など約60万人の日本人を捕虜にし、ソ連各地に抑留。しかし、受け入れ態勢の不備から最初の冬に大量の抑留者が死亡したり、病弱になったりした。ソ連は労働力とみなされない捕虜の帰還を決め、北朝鮮や満州の収容所に送り返した。(モスクワ時事)
-遺骨収集、墓参は困難-
シベリア抑留問題に詳しいロシアの歴史家 アレクセイ・キリチェンコ氏の話
日本軍将兵の北朝鮮移送はシベリア抑留問題で最も不透明な部分の一つだ。元山の収容所当局が「3532人新たな移送に耐えられない」と記した文書があった。元山への輸送船内で 16人が死亡したとの報告もある。北朝鮮残留者の大半が早期に死亡したもようだが、遺骨収集や墓参は相手が北朝鮮だけに不可能だろう。(モスクワ時事)

全くひどい話です。

小生の伯父も、戦後、3年後に 突然 シベリアから生還したそうです。その時の様子は、ほとんど骸骨のように痩せて、幽霊のようだったと言います。その時の写真がありました。

伯父は、戦争の話は全くしなかったようです。その伯父も7年前に亡くなりました。伯父の妻の小生の伯母は、今も悲しそうな顔をして「絶対戦争はしてはいけない」と、いいます。

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