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環境報道を考える

「環境報道にたいする批判」にたいする批判

ちまたでは“環境”、“環境”と、賑やかです。

当方でも、全く儲かっていないのに、環境対策経費だけがかさみます。確かに、美しい環境を後世に残すことに反対する人はいないですね。

しかし、こんなに厳しい条件を課せられては、仕事にもならない・・・なんて、愚痴をはさみたくもなりますよね。

そんなことを思っていましたら、科学ジャーナリストの 中村政雄さんの著書を読む機会がありました。

つまり、公害、地球温暖化、環境ホルモン、原子力発電なんて騒いでいますが、報道するほどたいしたことになっていない・・・というのが論旨でしょう。

この件については、環境学者 渡辺 正さんらも、同様に論じておられます。

小生も、「その通り、マスコミが騒ぐから、こちらの負担も増えた・・・」と、思いました。

ところがです。またまたまた、近所の原子力発電所で事故が ! ! 。今度は、タービンの羽が折れたというのです。昨日の新聞にも、破損したタービンの写真が載りましたが、すざましい破壊でした。この写真を見れば、やはり、原子力は安全ではないと思いますね。

また、NHKのアーカイブ、「ためしてガッテン」という番組でも、環境ホルモン報道についても、述べていました。

つまり、環境ホルモン問題が提起されるや否や、NHKでも盛んに、「環境ホルモンは、人体に危ない」と警告しました。ところが、「このところ環境ホルモンという言葉がサッパリ聞かれなくなった。どうなっているんだ ? 」という視聴者の質問に答える形で、NHKは環境報道のあり方に答えていました。

NHKの答えは「わからない」というものでした。つまり、十年ぐらい経過を見ただけでは、結論が出ないというのですね。とりあえず、安全が確認されていないので、いまだ危険なものとみなして、注意を継続すべきだ・・・というのが、NHKの答えでした。

確かに、そうですね。環境報道を批判する著書を読んでも、読んでいる時は、そんなに問題ではないのかもしれない・・・と、思いますが、実際に生活をしていると、環境破壊が進んでいる事を感じますし、われわれの寿命も、今の老人よりも短い気がします。

たとえば、今朝も海釣りをしてきましたが、確かに海面は上昇しています。捕れる魚の種類も時期も激変しています。庭木を見ても、季節感が違いますね。

やはり、人間による破壊は進んでいるのです。

でも、そんなこと言ってたら、環境維持の経費がかさみます。

“経済”と“環境”が、相反しない社会にならないのでしょうか・・・。

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コメント

おお!楽しいじゃないですか?環境とは
ではいつもとは攻守ところを代えて突っ込ませていただきます。
原子力のタービンが折れたのですか?
火発のタービンだって折れますよね?
  どこが違うんだろう?
環境ホルモン!?
もう否定されたと思っておりました。だいたい、環境ホルモンなんて言葉は日本でしか通用しません。害があるぞーと騒ぐので調べたけれど害を立証できなかったという報告が昨年10月ありました。淡水魚への影響は否定できないとありましたが、肯定しないという意味での妥協の産物だったそうです。なにしろ日本では環境ホルモンで食べている人がたくさんいますので彼らの生活保護もしなければならないのですよ。
海面上昇ですか?
masasan様が見て分かったというなら史上最初に海面上昇を確認した人であるに違いありません。
南海の小島が沈むというのはその地域の人間活動によるという話を聞いたことがありました。ともかく現段階でジオイドが拡大したという話は聞きません。

投稿: 佐為 | 2006年7月 8日 (土) 20時48分

佐為さま、つっこみありがとうございます。
ツッコミ3連発ですね。
(北朝鮮は今のところ、6+1 発ですね。)
さて、タービンの羽が折れた問題ですが、タービン破損事故は、珍しいものではないですね。昨年も、福岡空港を飛び立つ旅客機のタービンが爆発して、その破片が民家に落ちました。その瞬間をNHKのカメラが捕らえてましたね。このような、鳥など浮遊物を吸い込んで起こる航空機の事故は、結構あるのですね。これは、あってはならない事故とは言え、“許容の範囲内”なんだそうです。
しかし、原発でタービン事故が起こることは、“許容の範囲”外なんだそうです。
つまり、原発を建設するに当たって、電力会社は「絶対」安全、という言葉を使ってしまったのです。
人間のする事に、「絶対」なんてありえないのに、当時、担当者は、その言葉をつかってしまった。それが尾を引いているのですね。
だから、「絶対」失敗は許されなくなったのです。
これは、渡辺さんや中村さんの著書には書かれてありませんでした。
次に、環境ホルモン。確かに、おっしゃる通りです。渡辺さんらの著書にもそう書かれていました。しかし、微量だから安全・・・とまでは言いきれないということで、詳しくはNHKのアーカイブを御覧下さい。安全も危険も確認されていないようです。ただ、生物のホルモンに作用する“環境ホルモン”は、確かに存在していて、それは否定できないようですね。
最後に、確かに、我々が愛する富士山は、今も昔も海面から3776mなんだそうです。
しかし、佐為さま。海面をどう計るのか知りませんが、小生が通う釣り場は、子供の頃と比べて、確かに海面が上昇しているとしか思えませんよ。これは、釣り仲間ともよく話すのですが、確かに、海水が側溝を逆流しています。
それとも、逆に、日本が沈没しているのでしょうか。
この問題は、長年、定点撮影しているカメラマンからも指摘されています。

投稿: masasan | 2006年7月 8日 (土) 22時14分

ひとつだけ
環境ホルモンを唱えた人は最初、微量であると悪影響があり、量が多くなると害がなくなると言いました。これはパラケルスス以来の理屈を否定します。私は化学は疎いのですが、娘が薬剤師なので分からないことは娘に聞いております。こいつがまた理屈をこねるタイプで私の若い頃のようです。
<否定できない>というのは理屈から当然です。悪魔の証明を要求するのは間違いです。立証側に責任があります。そして万が一ではまずいという予防を唱えるならやはりリスクを明示すべきだと思います。

投稿: 佐為 | 2006年7月 8日 (土) 22時27分

佐為さま、ありがとうございます。
昨夜は、自身のブログの管理ベージにコンタクトできなくて、重複しました。失礼しました。
さて、専門家やマスコミが数字をあげて説明しているのを、素人の小生は只々信じておりました。ところが、最近は、論文の捏造、あるいは間違いがさかんに指摘されています。また、マスコミが情報操作している疑いも指摘されています。
ですから、‘情報’をそのまま鵜呑みにしないとことが必要であることを感じております。
同時に、自分と反対の考え方を、常に知っておくことも大事ですね。
そうした考え方は、今までしたことがなかったのですが、佐為さまのホームページなどに接して、強く感じております。
ところで、悪玉コレステロールを増加させるといわれた「蛸」。今朝も、小生は一匹引っ掛けあげ、いま洗ったところです。いまでは、血液をサラサラにする食材なんだそうです。蛸はいつでも蛸なのに、常に変わるのが人の評価。
小生は、食べるときは、感謝して美味しくいただくことに徹しようと思っています。

投稿: masasan | 2006年7月 9日 (日) 08時00分

先日「いただきます」という語源は「命をいただきます」という意味だと聞きました。人間に限らず動物は栄養を作れません。栄養を作るのを植物・作れないのを動物というそうです。
人様の命を頂いて生きている我々が生意気なことを言っちゃいけません。
存在そのものを大自然に感謝せにゃいかんです。
では本日は休ませていただきます。感謝

投稿: 佐為 | 2006年7月 9日 (日) 08時13分

佐為さま、ありがとうございます。
学問では、学説。政治では、制度。これらは、あまりコロコロ変わってもらっては困りますが、よりよいものを目指すという意味で、可変な部分ですね。
学説が逆説、制度が改革のときに、マスコミが大きく報道します。それは、仕方がないですね。
ところで、「感謝」とか「愛国心」という心の問題は、可変であっては困りますね。
心の問題だから、コロコロ変わっては、信念がありません。
可変と不変を見極めなければならないと思うのですが、なかなか至りません。

投稿: masasan | 2006年7月10日 (月) 13時56分

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