格差が戦争の原因 ?
格差は悪いことか
小泉首相の「格差容認論」が、いまだに波紋を広げています。
「努力して、その結果に格差が生じないことはおかしい。」と、言う人。
「格差が全ての闘争の原因となっている。」と、言う人。
何か、マルクス、エンゲルスの時代に逆戻りした感じがするのは、私だけでしょうか。
私は、格差容認論支持者です。確かに、貧しさが戦争やテロの原因になっているようですが、すべての貧しい人が、戦争や暴動、テロをひきおこしているかといえば、そうでもないからです。経済的な貧しさよりも、精神的な貧しさに問題があるように思えます。
ところで、私たちはなぜ努力するのでしょうか。
よい生活をしたいため。よい生活を子供たちに残したいためではないでしょうか。
例えば、あなたが努力を重ね、信頼と財産を積み重ねたとします。その信頼や財産は、当然あなたのもので、その使い道の決定権はあなたにあるべきです。また、あなたのこどもも、それを相続する権利があります。
反対に、わたしは努力もせず、皆に嫌われ借金を残したとします。当然、私の子供は、私の子として社会から見られ、敬遠されるでしょう。
同じようにこの世に生まれても、あなたの子供とわたしの子供とでは既に「格差」がありますね。その「格差」が不平等として全てリセットされたらどうなるでしょうか。
つまり「人間は生まれながらにして平等」でないことを言いたいのです。その人の祖先が残してくれたモノが違うのですね。
モノだけではありません。精神的な気質も違います。穏やかな気質の家に育った子供は、良い性格でしょう。反対に、ケンカの絶えない家庭で育った子供は、落ち着きのない性格になるでしょう。そうした性格で社会に出れば、おのずとその結果は違ってくるでしょう。
つまり、先祖が残してくれた有形、無形の財産に、既に「格差」があるわけで、それはそれとして受け入れなくてはならないと思います。お金持ちの家に生まれてくればよかったと嘆いていてばかりでは、前に進まないのですね。
むしろ、「格差」をバネとして、成長できるのがこの世の素晴しいところではないでしょうか。
ただ、人の努力の結果を搾取することは、よくありません。国家が国民の努力の結果を、会社が社員の努力の結果を、不当に搾取することが闘争の原因になっていると思います。
努力しても報われない社会とは、リセットされてしまう社会ではなくて、不当に搾取されてしまう社会のことで、努力して報われる社会とは、その人の努力が正当に評価される社会のことではないでしょうか。
そこで、問題となることは、正当な評価の基準の置き場所です。上からも下からも、横から見ても、正当だと判断できる基準とはいったい何でしょうか。宗教的な見解ではなくて、学問的な見解が示せないものなのでしょうか。
小泉首相の格差容認論は、理論のすり替えを重ねているようです。格差があっても、貧困が良いはずがありません。そのための社会保障ではないですか。
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コメント
お邪魔します。
>「努力して、その結果に格差が生じないことはおかしい。」と、言う人。
>「格差が全ての闘争の原因となっている。」と、言う人。
>何か、マルクス、エンゲルスの時代に逆戻りした感じがするのは、私だけでしょうか。
逆戻りさせようとしているのは小泉首相始め,一部政治家や財界人であって,格差を問題にしている人の多くは格差をゼロにしろとは言っておらず,成熟したバランスの取れた社会を目指しているのではないでしょうか。
格差をどんどん広げたい人たちが,適度な格差に抑えようとする人たちを「完全に格差をなくしたい人」のように呼んで非難することで,「適度な格差は必要」とする人たちの多くまで味方に付けてしまっているように思います。
投稿: WontBeLong | 2006年3月11日 (土) 09時18分
WontBeLong さま、まいどありがとうございます。
私は、格差とは「目的」ではなく、「結果」であるべきだと思います。
したがって、政治的に、意図的に格差を設けようという考え方には、反対です。
ただ、為政家とか資本家が、結果的に格差を利用しているように見えますね。
これも、格差を設けて、自分たちの立場を維持しようと言う考え方よりも、結果的に、立場の違いから格差が生じてしまったと見べきではないでしょうか。
ですから、その格差を適度にコントロールすることは、難しいと思います。
投稿: masasan | 2006年3月11日 (土) 11時53分