「祭司たる天皇」を読んで
何をいわんとするのか、分からない
石原都知事のエッセイ「日本人よ」「祭司たる天皇」 (2006年 2月6日発売の産経新聞より転載)を読みました。
今回は珍しく、石原さんが何をいわんとするのか、よく分かりませんでした。むしろ、今回の石原さんらしくない文章から、石原さんの一面を見た思いです。
ところで、石原都知事は、昨年の黒田さんの結婚式で、来賓として出席しました。その後のテレビのインタビューから、石原知事はこの結婚式に相当感慨した様子でした。
石原さんだけではなく、多くの人が陛下をはじめとする皇族方のお人柄に触れ、その感激を伝えようとしています。そのたびに小生は、「無理に言葉にしなくても・・・」と、思うのですが。
さて、今回の石原さんの記事について、まず、神道を「普遍的な平和実現のための思想」としようとしたことは、少し無理を感じました。神道は、日本文化の表現の一つとしてとどめておくべきでしょう。
次に、陛下に対して、祭主として奥にいて欲しいといってみたり、靖国にお参りして欲しいといってみたり、統一していませんね。(気持ちとしては、理解できますが。)
ところで、石原さんのこの記事を読んで思い出したことがあります。
以前、小生がインドへ行ったとき、ある寺院の遺跡を訪れたことがあります。そこでまず、視察の前に、その寺院に礼拝しようとしましたが、その形式が分からなかったのです。
そこで、神道のように、2礼、2拍、1礼、でやったところ、そこのお坊さんが出てきて、「その礼拝は、心がこもってる」と言って、奥の間に通してくれたことがありました。
これは、決して小生の微力なんかじゃなく、まさに神道の形式が、他の宗教に通じた瞬間でした。なにか、宗教の普遍性みたいなものを感じ、嬉しかったことを覚えています。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- あけましておめでとうございます(2015.01.01)
- 山芋 ♪(2014.12.03)
- ポカポカ休日(2014.11.24)
- 寄席に行ってきました(2014.11.11)
- 街頭のパレートやキャンペーン(2014.11.05)
この記事へのコメントは終了しました。


コメント