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届かなかった声

近所で孤独死

先日、組み内から葬式が出ました。80歳男性でした。喪主は入院中の奥さん。彼女は式には出席できませんでした。

葬式の全ては市指定の葬儀屋さんが取り仕切り、私ども隣人は、「土人衆(どにんしゅう)」としてお手伝いすることが慣例でしたが、それすらできませんでした。

近所付き合いの仲がよかった組み内だっただけに、今回の葬式は当人が亡くなった以上にショックな出来事でした。

戦中、戦後の混乱を生き抜いてきた人が、孤独な死を遂げるということは、現代は戦中、戦後当時よりもヒドイ世の中なのでしょうか。

声がけを怠っていたわけではなかったのです。「大丈夫、心配ない。」と答えていたのは何だったのでしょうか。

彼が亡くなる数ヶ月前には、私の末っ子の同級生のお父さんが亡くなりました。享年42歳。死因も病死ということになりました。私よりも若い人が次々と亡くなっていくのを目の当たりにして、今の世の中の矛盾を感じておりました。

今思うと、この亡くなった二人は「声を出して」いたようでした。それに気がつかなかった自分自身が悔しくてなりません。

もし、私が彼らと同じ立場立ったら、遠慮なく助けを求めたでしょうか。きっと彼らと同じように、周りに心配をかけまいと、無事を装うでしょう。

どんなに救援体制を整えても、実際に使ってもらわなくては何の意味もありません。

今は昔と違って、個人を尊重する時代。ところが、相手を尊重することが、翻って見れば、人間関係が疎遠になっていることですね。

これは家族でも言えることではないでしょうか。本来、安らぎの場のはずの家庭が、実はそうではなかったことを、突然の予期せぬ家族の死でようやく知らされる。

相次いだ葬儀に、「近くにいて、どうして気がつかなかった ? 」と、聞かれても、それに答える言葉が見つかりませんでした。いままでのお付き合いとは、何だったでしょうか。再度、隣人とのお付き合いを考え見直したいと思います。

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