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今年は皇紀2666年

2月11日は建国記念の日です。

面白い記事があったので、コピペします。

昭和41年4月6日の法86によって追加された国民の祝日ですが、当時これは戦前の「紀元節」を復活させようとしているのではないかとの社会党の強烈な反対により国会でこの祝日の日付を決めることができませんでした。

そのため国会では「日程は別途政令で定める」ということにされ、結局は噂通り、戦前の紀元節の日取りである2月11日に定められました。

この2月11日という日付が出てきたのは、明治時代のちょっと変な計算が元になっています。日本書紀には神武天皇が元旦に橿原に宮を建てたと書かれていますので、本来は建国記念日はお正月に祝うべきものです。

ところが明治時代に何でも過去の記念日を西洋の暦に換算することが流行りました。神武天皇の時代の暦なんてどんなものだったか全く分からないのですが、日本書紀の日付全般は、水戸家の「大日本史」編集員・藤田一正の計算により、推古天皇以前の時代の日付について、元嘉暦がずっと過去にも行われていたと仮定して作成されていることが確かめられています。

そこでその計算に基づいて、神武天皇元年の元旦が西洋の暦でいつに相当するかというのを計算してみたら、BC660年の2月11日になった、というわけです。
この祝日は明治6年10月に制定されましたが、この当時かなりの混乱がありました。

明治の新暦改訂は明治6年からで、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日にして、その後は西洋のグレゴリウス暦によりもとづく暦が行われているわけですが、この唐突な暦の改訂に対しては物凄い反発がありました。(新暦のことが公布されたのがもう11月9日。昔のことなので地区によってはこの告知が来たのが、もう明治6年1月1日が過ぎたあとだったケースもある)

ところが明治6年1月29日に朔が来ますと、この日、宮中では神武天皇即位の記念の祭典が行われ、それに合わせて民間でもこれを祝う行事が行われます。
これはつまり旧正月なわけで、民間では、これは西洋の圧力でやむを得ずあちらの暦を導入したが、お上はちゃんと今までの正月を大事にしてくれているのだ、という勝手な解釈が行われてしまいました。政府も実際にこの日が来てみて国民の反応を見て初めて慌てます。そもそもこの明治6年の改暦自体が、多種あった改暦の意見を全て無視して、政府の一部の首脳の決断により唐突に実施されたものでした。あまり深く色々と考えたものではなかったので、こういう穴が色々あった訳です。

しかしこのまま毎年旧正月に神武天皇の即位のお祭りをやっていては、国民の誰もが、これこそ「本当の正月」とみなして、誰も西洋式の正月を受け入れてくれなくなる、と危機感を持った政府は、急遽このお祭りを新暦に換算してしまい、それに基づいて新暦の特定の日付に固定しようと考えた訳です。
そこで計算の根拠が極めて曖昧なまま、こういう無茶な計算を敢行しました。

要するに「紀元節」というのは、新暦改訂の歪みが生みだした祝日なのです。

神武天皇は、127歳で崩御されたとも言われています。その神武天皇が即位した年を推定して、計算されたのが皇紀、神武紀ということですね。

皇統の「万世一系」のはじまりだといわれていた皇紀元年。実は、昔から数えてきたわけではなく、最近「作った」ものだということがわかります。

後日作られたものだからといって、かの特定アジアのものとか、A新聞のような「捏造」とかのレベルの比ではありません。

暦が特定できないほどの古い歴史、伝統があるということを示しています。

しかし、祝日なのに「国旗」を掲揚しない家庭が多いことは、寂しいですね。どうやらアメリカのインデペンデンス・デイ(独立記念日、7月4日)のほうが有名になってしまいましたね。乙女はもちろん、今度の火曜日の14日のほうが重大関心事。

参照 ; 『旧暦の仕組み』

また、今年の元旦の朝、閏秒(うるうびょう)が加えられたことは、記憶に新しいところですね。

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