中国人 の 実感年収

日本人よりも高い ?

お隣の大陸にある国の名前は「中国」というようです。決して「大国」でも「小国」でもないということなんでしょう。
でも、いつまでも「大国」になれないと自覚をしているようには思えません。smile

中国に行った方は分ると思いますが、以前の自転車の洪水に人民服・・・という姿は見当たりません。
それどころか、半年後に行くと、全く違った光景に変貌していることに驚きます。
まるで、雨上がりの筍のように、みるみるとビルが上方に成長しています。

人々の服は、ブランド品。乗用車はドイツ製の高級車。それが高速道路で渋滞しています。
トイレも水洗。つい最近の、塀もない穴だけの便所ではありません。
( ただし、ブランド品も高級車も、ホンモノかどうかは分りません )

ただし、常に空気は霞み、異様な臭い。もちろん、水は生では飲めません。
そこのところは、先進国でないことを証明していると思います。

さらに、情報の信憑性なんてありません。日本ではマスコミの情報操作が話題になっていますが、中国では政府の発表なんて信じている人はいません。
つまり「不信」が渦巻いている国家なんですね。

その中国の チャイナデイリーが、先月、中国国営企業幹部平均年収を伝えていました。

この情報は、1月 10日に 北京大学で行われた講演の席上で 中国資産管理委員会の方が公表した数字で、2004年では 35万元 ( 1元 = 14円とすると、およそ 500万円ぐらい ) の年収だったそうです。
それが、2005年では 43万元 (約 600万円 )。2006年では 55万元 (約 750万円)。そして、昨年 2009年では、60万元 (約 850万円) まで上がったそうです。

これは、中国の経済成長に比例して、つまり 年率 14%の割合で、中国国営企業幹部平均年収が伸びているということになります。 ( リーマン・ショック以降は、伸び悩んでいるようですね )

これは、一般の中国国民の年収も増えているということなんでしょうか。
どうやら、中国ではたいへんな「格差」があるようですね。
たくさん伸びている人もいれば、そうでない人もいて、その格差が広がっているようです。

数年前、中国進出セミナーでは、中国人の 平均の月収 が 3~ 4万円と教えてくれましたが、日系のスーパーマーケットで、ドイツ製の 30万円もする鍋が売れている様子を見ると、日本と大差がないように感じてしまいます。

もはや、中国人の購買力は、日本よりも勝っているように感じてしまいます。
しかし、日本の高度成長期の時のような活況は感じないのですね。
あいかわらず、のんびりと、言われたことしかやりません。

ところで、日本では、年収 200万円以下の世帯が、全体の 1/5 も占めているといいます。
既に、実感年収は、中国の方が勝っているのかもしれませんね。

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父の遺品 -最終回

無念だったろう

父が遺したのは、狭い土地に建っている小さな古い家と 借金。Build05
そして、母 と 我々兄弟。

ところが、母は、しのぶ さんの 息子さん も、父が遺したと思い込んでいるようです。
そうしたストレスが、母を苦しめていたようですね。
でも、実際は、母の誤解のようです。

父は、日本の高度成長期に生きた企業戦士で、昼は仕事、夜は接待に明け暮れていたようです。
会社が専属に利用していたお座敷に、しのぶ さんたちがいたようです。そこで、よいお姐さんたちを確保するのも大切な父の仕事だったようです。
そんな類の名刺も、キチンと整理されているところも父らしいと感心します。
その後、しのぶ さんは、独立してお店を営んでいたようですね。

Aug03_m24 ところで、しのぶ さんは既に他界しているのですが、先月、小生が不在の時、しのぶ さんの息子さんもお母様の所に逝ってしまったようです。
彼には兄弟もなく 独身でしたから、葬式も小さなものだったようです。

実は、彼には、少し、障害がありました。
しかし、それを十分にカバーするだけの仕事の才能がありました。
彼の切削技術は、天下一品だったと思います。
その才能が開花するまで、彼は相当な努力をしていました。
彼は、与えられた仕事はキチンとこなすのですが、自分から進んで仕事を探すタイプではありませんでした。

そんな彼を、父は小生のところに預けた形になったのでしたが、小生は彼のことなど知る由もなかったのでした。

ところで、父は、どんな気持ちだったのでしょうか。今思うと、父が彼を弊社に紹介したのには そうとうな 決断 を要したと思います。
それとも、旦那衆でしたから、何も気にしていなかったのでしょうか ?

結局、父は、小生に彼のことに関しては 何も言わないで 逝ってしまいました。
そんな 父の「期待」を裏切ってしまった小生は、親不孝なんでしょう。

それにしても、父は、病気で倒れた時、無念だったでしょう。さらに、母の誤解を解けなかったことも 無念だと思っていたのではないかと想像します。

以前の日本には、こうした 旦那衆が支えてきた「文化」 があったようです。
そして、それを 諦めて許す風習 もあったと思います。
ところが、21世紀の今は、そんな 文化も風習 も姿を消しつつあります。
港町には、そんな感じの物語が たくさんあったようです。 ( お終い )

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父の遺品 -6

面接票

昨日に引き続いて、しのぶ さんに関係したお話です。
しのぶ さんは源氏名なんでしょうか。父の葬儀の時に、そんな感じの人が数人いました。
そして、父の遺品から、この しのぶ さんに関係したモノが出てきたのです。

ところで、「QCサークル」を推進してきた父は、たくさんの人と面接をして、それをキチンと整理して残していました。
もちろん、それは個人情報ですから、当然、マル秘です。

58歳で定年退職した父は、2年間をその会社の嘱託として残り、その間、数社の下請け会社の「品質管理の指導」をしていたようです。
そして、その嘱託の契約期限が切れると、そのまま その下請け会社の「コンサルタント」つまり「顧問」として指導に当たっていたようです。
また、倒産した会社の整理をし、そこの社員の再就職の世話もしていたようです。

こうした下請けなどの社員全員と面接した時のが整理されて残っていたのです。
それを見ると、どうやらそこの社員の悩み相談も受けていたらしく、その社員のお子さんの就職まで面倒を見ていたようです。
同様に、父の通っていたらしい お店の女将さん ( しのぶ さん ) のお子さんとか、その店で働くお姐さんの再就職の世話もしていたようです。
そうした‘事実’が、面接票を見たことで分ってしまいました。

しのぶ さん の息子さんは、小生よりも年上ですが、小生が働いているこの会社に再就職してきました。小生の後輩として 20年以上も 腕の良い職人さんとして活躍しましたが、一昨年、会社の都合で転職しました。

もし、父の遺した 面接票 を見なかったら、彼が しのぶ さんの息子さんだったとは知らないままでした。
でも、それを知ってから、何か合点がいった感じがしましたが、それからも、彼とはそんな話はしませんでした。

とにかく、今でも、父が就職の世話をした人たちから、季節の挨拶の手紙が届きます。
もちろん、父は、仕事の世話に成功ばかりしていたわけではなく、せっかく紹介してもスグに辞めてしまうこともあったようです。

ただ、就職や仕事の紹介はしても、父は絶対に 人の保証人 にはなりませんでした。
そこのところは、自分の子供の保証人にもならないほど、徹底していました。

でも、最近になって、「あんたの親父さんにはお世話になった・・・」という話を聞くことがあります。
適材適所に紹介していたようなので、喜ばれる方が多かったようですね。

そうした全ての面接票は、小生が すべて シュレッダー にかけました。

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父の遺品 -5

父の遺品の中には、掛け軸があり、その一つに大きくと揮毫されたものがあります。

父は、耐え忍んで生きていたのでしょうか・・・

実は、父は古い男、つまり 旦那衆 でした。
つまり、外に 女性がいました。
男の甲斐性・・・と認められた時代なんでしょう。

その一人が しのぶ さん なんですって。

最近、その事実を知ると、何か、掛け軸の字が細く見えてきました。

「 京都にいるときゃあ~ ♪ 」

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父の遺品 -4

遺言 と 遺書

父は、遺言遺書を残していました。

遺書は、母が持っていました。
小生が見たときは、既に開封されていて、その内容は、ほとんどの遺産を母に渡すというものでした。
どうやら、亡くなる 約 10年前に記されたもので、実際には、遺書に記されたような預貯金なんてなく、むしろ借金が出てきたぐらいでした。
それ以外の遺書はないということでした。

ところで、問題は、遺言です。
父の遺言は、葬式は仏式ではなくて、キリスト教形式のような 献花による 「お別れの会」 のような葬式にしてくれということでした。
父は、現在のような「葬式仏教」には疑問を持っていて、お坊さんに多額なお布施を渡すことを 善いとは思っていないようでした。
それよりも、簡単な形式にして、その後の法事についても、遺族の負担を軽くするようにならないものかと案じていたようです。
そのことは、家族の皆が父から聞いていましたが、家族は具代的なことまで考えてはいませんでした。当然、父が準備しているものと思い込んでいました。

さて、父が亡くなったのは、小生が出張中でしたので、その死に目には遭えませんでした。
急いで帰宅した時には、既に葬式の準備が整っていました。
なんと、母の弟、小生にとっては叔父さんが、仏式で準備を完了していたのです。

すぐに、父の遺志をその叔父に伝えましたが、仏式以外の葬式は許さないというのです。Photo_2
母の兄弟が、全員、同じ菩提寺に納まるような約束があったというのです。
そして、その約束には父も同意していたので、父はそのお寺に墓地を購入していたというのですね。

結局、仏式で葬儀が行われました。
その当時は、「お別れの会」みたいな形式で葬式をする人は この田舎にはいなかったので、親戚・近所への体裁は保てましたが、父の遺言どおりには行かなかったわけです。

その後、世間では 葬式仏教 への反感が高まり、檀家を辞める家が増えてきました。

昨年、父の生家も、檀家を離れ、お墓を整理して、永代供養のロッカーを貸し切りました。
そうして、一切の法事を止めてしまったのです。

父もそうしたかったようですが、時代が早すぎました。

このように、父の遺志が反映されなかったのは、その準備をしていなかったからです。
そこで、小生の代から、父の生家のように檀家を辞めて、簡素化にしようと思っています。

ところが、生存している叔父や叔母が強力に反対しているのですね。
檀家から離れるなんて、親不孝で、親戚関係を破壊するものだと言うのです。

こんな具合でしたから、父も、現実と理想との狭間で悩んでいたかもしれません。
とにかく、母とは相談できない状態ですので、母の意志を確かめることも出来ません。

いずれにしても、叔父・叔母が元気なうちは、檀家を降りることは出来ないでしょう。

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